アブサン/苦艾酒

" absinthe, absinth, absynthe, absenta, absint, absinthion and absenth "

・web上に散在する各国の関連情報を収集した「アブサン」サイトです。
・過大な情報量になってしまったので、目次からリンクして御覧下さい。

古典的な飲み方はこんな感じです(要・笑顔?)

・アブサンとは、ニガヨモギを主体に各種ハーブを原料とし、鮮烈で複雑な芳香と深遠で特異な味わいを持つ緑色のリキュール酒です。19世紀のヨーロッパを稀なる存在感で席巻し、「緑の妖精」、「緑の美神」そして「緑の悪魔」などと呼ばれました。多くの人の不幸を生みつつも文芸・芸術に寄与した事で知られています。加水すると白く濁る錬金術的な有様は、産業革命による近代化で激変したヨーロッパの姿を象徴する<世紀末のシンボル>の様です。20世紀初頭にヨーロッパ諸国で禁止されて<禁断の酒>として長らく地下に潜伏していました。近年の科学的検証の末、再びシャバの空気を吸える様になった事は喜ばしい限りです。しかし、世間の趣向は様変わりが激しく、極一部の数寄者すきもののみが歓喜喝采しただけで多くの人達はその存在すら忘れ果てています。

・現代アブサン界の具体的な情報は<アブサン番外地>の方を御覧下さい。

News!アブサンの文化史という日本初の翻訳本が出ました。紹介しておりますのでこちらをクリックして下さい。 News!

過去の Absinthe News!こちらへ栄転しました。

・当ページは具体的な内容の<アブサン番外地> とは異なり、アブサンの歴史や全般について記述しています。しかし、知らないうちに過分な量となってしまいました。初めての方が見る気を失ってしまうのは間違いありません。「なんとか、せなあかん!」と言う訳でリンク目次を作ってみました。多少は見易くなったかと思います。

・私の考える正しい飲み方や国内で購入の際に参考となる記述はコチラです。

・どれを見たらいいのか迷っちゃった方は、とりあえず <トピック> からどうぞ。

<当店で飲める正規輸入アブサン>

Home  <アブサン番外地>

<アブサンとは?>  どんな原材料で、どの様に作られ、どんな特徴を持つのでしょうか?
<アブサンのイメージ> ・誤解と妄想と好奇心と期待感が入り混じって、アブサンの個人的イメージは様々ですね・・・
<アブサンの造り方> ・実は決まった造り方や法規はありません。大まかには二つ、厳密には五つに分けられます。
<アブサンに使用されるハーブ類> ・「ハーブ酒の王」とも言えるアブサンには、実に様々な薬草が使われています。
<ニガヨモギ> アブサンの魂!コレが無くちゃ真性アブサンは始まりません・。
<聖なる三草> ニガヨモギ、グリーン・アニス、フェンネルは三位一体!
<味を司るハーブ達> 蒸留前に処方される基本ハーブ達。
<芳香や色彩を司るハーブ達> フレンチ・タイプのVerteで蒸留後に使用。
<アブサン界のユダ?> スター・アニスは問題児です。
<Why 高アルコール濃度?> <アブサンは度数が高い強い酒?> <グレープ・スピリッツ> <霊数・68>
<Why 白濁 ?> ・白濁こそがアブサンの持つ独自のアジテーションです。他のアニス酒とは深みが違うんですよ・・・
<悪魔 と 美神> ・ベルエポック期にも、功罪を併せ持つ存在でした。
<ツヨン(Thujone)> ・ニガヨモギの含有成分ツヨンが、アブサンのダークなイメージを助長しています。
<EUとWHO> <〜35ppm!ビター類アブサン> <マリファナの親戚?>
<それでもツヨン含有率が気になりますか?> <100ppm!>
<アブサンの歴史> 18世紀末に確立され、19世紀後半の爆発的な栄華の末、20世紀中には断絶していました。
<アブサンの起源> ・アブサンの前身とも言えるニガヨモギ酒は、ギリシャ、ローマ時代にまで遡さかのぼります。
<錬金術による蒸留技術の発展> ・14世紀、ヨーロッパを徘徊した錬金術師/神秘学こそアブサンの物理的/精神的な生みの親です。
<アブサンと神秘学> アブサンが内包するヘルメス的因子は裏ヨーロッパ文化を象徴してきました。
<産業革命> ・時代が大きく動いた!遂に近代の幕開けです。最後の錬金術師が動かした?
<最後の大いなる錬金術師>は時代を激流に投げ込み、人の有様までも変えました。
<近代アブサンの始まり、18世紀中頃> <アンリオ姉妹・ヌューシャテル> 記録に残る最古の商業アブサン。
<ピエール・オルディネール・クーヴェ村> アブサンを発明した先駆者、なんてのは大ウソですよ。
<オルディネール以前> 既に充分すぎるネタが出揃っていました。
<創始者などいない?> 次項のデュバルやAbramが近代アブサンを方向付けたのでは?
<アブサンの量産化へ、19世紀初頭> <デュビエ・ペアー・フィルス社・クーヴェ村> 初のアブサン企業はレース商人が始めました。 
<フリッツ・デュバル> 初のアブサン・プロデューサーもレース商人でした。
<近代アブサンとグリーン・アニス> 薬用酒から趣向品へ・・・デュバルの功績?
< レース商人が果たした役割 > だからブリュッセルだったんだ!な〜るほど・・・
<Abram-Louis Perrenoud > アンリ・ルイ・ペルノーの父親が残した決定的なレシピ。
<ペルノー・フィルス社・ポンタリオ> <追従者達>
<アブサンの一般化、19世紀中〜後期> <アルジェリア侵攻> アブサン流行の発端です。
<フジュロル> 今でも健在!アブサン第二の地。
<アブサンの大流行、19世紀末> <フィロキセラ渦> アブサン大流行の直接要因は、コノ害虫だ!
<パリの実情> <緑の時刻> アブサン消費の実態は優雅なムードとは全く無縁でした。
<庶民のアブサン> 街で飲んでたほとんどのアブサンは下級品だったんですよ・・・ 
<Absinthe Suisse> 最高級品の代名詞、スイス産じゃなくてもOKね・・・
<模倣者達> ペルノー家筋以外でも、ちょっと似た銘柄名が・・・
<Edouard Pernod> アンリ・ルイ・ペルノーの長男も一家を成します。
< in アメリカ> <in 占有・領有国> そして世界へ・・・南米にまで侵食!
<緑の美神 と 芸術家達 と ベル・エポック> <ヴェレーヌとランボー> <ゴッホとゴーギャン> <エリック・サティ> 芸術家達の破廉恥ハレンチ面も彩りました
<アレイスター・クロウリー> <オースティン・オスマン・スペアー>無論、神秘家や魔術師達も絡んでます
<アーネスト・ヘミングウェイ> 禁制後最大の伝道者!凝縮された重要な一文を残しています。
<in Japan> 遠い東洋の島国でも・・・
<アブサンの禁制化へ> <ランフレ事件> <禁制化への政治的背景> <フランスの実情> 禁止令は政治/経済的策略の結果でした
<禁制化> <フランス禁止までの事情> <スイス禁止までの事情> <アメリカの禁酒法>
<パスティス・アブサンの代用品> ・アブサンの代用品が、今では確固たるジャンルを成しています。
<非禁止国> ・各国様々で、現在にも連なる面白い事情がありました。
<チェコ> <スペイン> <アンドラ> <英国> <日本> <ドイツ?>
<La Bleue・密造アブサンの王者> <La Bleue (青)とは> <Blanche (白) > <Verte(緑)> <現代のLa Bleue>  
<現代のスイス銘柄とフランス銘柄の違い> <La Bleueの問題点> <公然の秘密>
<アブサン魂> <スイス・アブサンを支える民族意識> <ドイツ語圏の生産者>
<女流密造家 ラ・マロット> <女流生産者の重要性>
<アブサン用小型蒸留器> ・かつて密造者達が使っていた、家庭用?小型蒸留器。
<解禁?規制緩和!> <お楽しみはこれからだ!> <厳しいアメリカの状況 > <今でも輸入が禁止されている国々>
<アブサン・雑記>
<ビンテージ・アブサン> ・規制以前のベルエポック物は「 Pre-ban Era 」と呼ばれる希少な本物です。
<アブサンの銘柄数?> ・今でも増え続ける銘柄数・・・
<新趣向> ・エポック期にも存在していた赤は当然としても、黒、青、紫、などのエグ色君達が侵食中。
<アブサンティアーデ> ・ポンタリオのアブサン・コンテストは功罪を併せ持つ権威を持ち始めました。、
<アブサン百科事典> ・現代の事は全く記載無し。エポック期のアブサン事情を知るならコレ!画像満載の決定版。
<昔の映画> ・ベルエポック期の映画にアブサンを飲むシーンが残されています。アブサンは悪役ですけど・・・
<アブサンの飲み方> 基本的には冷水で割るんですが・・・現代的な飲み方の確立は今後の課題です。
<飲み方> ・伝統的な飲み方は、今でも通用するのでしょうか?
<飲み方の実演画像> ・当店のセット・アップで飲む時は、こんな感じです。
<アブサンを燃やしちゃうですか?> ・あ〜もったいない・・・チェコ製の安い擬似アブサンにのみ可なんです。
<角砂糖はお使いになりますか?> ・必須と言われる角砂糖ですが・・・失敗の基もとでもあります。
<水はどれ位入れるの?> ・5倍希釈じゃ薄すぎる?
<彼らは何故ポタるのか?> ・普通の水割りじゃダメなの?水をポタポタたらすのは何故?
<初めて飲む方へのアドバイス> < 銘柄のタイプは? > 正規輸入銘柄のタイプ分けを知っていると便利ですよ。
<購入時のお勧め銘柄> 上記を参考にしてお勧めします。コレを選べば大丈夫!
<自宅で飲む時のアドバイス> 専用器具が無くてもOK!おいしく飲む為のポイントも記述しました。
< 火を点ける・・・ > どうしても点けたい方の為に・・・
<アブサン・グッズ> 周辺アイテムが無くっちゃ始まりませんね!何と言っても可愛さ抜群ですし・・・
<アブサンスプーン>
・安くて可愛い専用スプーンはアブサン・アイテムの入門編ですね。
<アブサングラス> ・基本アイテム。普通のグラスじゃ面白くな〜い。
<アブサン・ソーサー> ・紅茶でもアブサンでも、コイツが無いと気分が上がんないんです。
<アブサン・カラフェ/ピッチャー> ・実質的必需品!って言うか、昔の人達の意外な凝りポイントだったんですね・・・
<アブサン・ティペット> ・コレクター最終アイテム!レプリカも出てないし・・・可愛いし・・・
<アブサン・ファウンテン> ・あ〜っ、やっぱコレっすか?皆でポタポタ、本格的な卓上給水器です。
<アブサン・ブロウラー> ・これ又、色々なんがあるんですね。一番楽しいアイテム!
<ナ、何じゃコリャ〜!> ・このインチキ商品、やっぱチェコかよ・・・燃やしたり吸ったりで忙しいですね。
<ビストロ・トレイ> ・アブサン作法の背景を支える必需品です。コレも無いと上がりきんない・・・
<偽者のアブサン・グッズ> ・e-Beyとかでは気を付けましょう。怪しい商品が満載・・・
<海外通販悲話> ・私もコテンパンにやられました・・・でも、命の危険がある訳じゃなし・・・
<トピック> 現代アブサン業界の実情や裏話は、もう一群の<トピック>でどうぞ!こちらです。
<庶民のアブサン> ・ゴッホとかが飲んでたのはコンなんでした・・・等級、卸値、飲み代など。 <グレープ・スピリッツ>
<アニスこそ要かなめ> ・ニガヨモギ薬用地酒と近代アブサンの違いには大きなポイントが・・・
<Distillation Guides > ・19世紀のアブサン蒸留指南書が数冊残っています。
<スイス・アブサンがAOCを受けられない理由> ・グリーン・アニスとフェンネルが難物って言うか南仏なんです。つまらなくて、すんません・・・
<リコリスって何?> ・風味の説明でよく見かけるリコリス・フレーバーとは・・・
<苦味の素> ・本当はコイツが苦いんですね!ツヨンじゃないんだ・・・
<ペルノー・フィルスの大火災> ・大事件でした・・・何が起こって、何が変わったのか?
<霊数・68> ・何故、アルコール度数は68度が多いの?もう一つの怪しげな解答・・・
<オルディネール以前のアブサン> ・もちろん、アンリオ姉妹だけではありません。
<レース商人が近代アブサンを始動させた?> ・産業革命あってこその近代アブサンって事なんですね・・・
<Absinthe Suisseなのにスイス産じゃない?> ・ベル・エポック期には産地偽装と言う訳ではありませんでした。
<ペルノー家の縁者> ・複雑ですが、分家銘柄も意外と多いんです。
<アイスランドとアイルランドの密造酒> ・ついでに北国の密造系も・・・国内購入可です。
<ロンドンの夜、炎上す・・> ・現代アブサン流通の発端はドラッグ・カルチャーから・・・
<そしてイギリスから始まりました> ・生産国でもないのにアブサン業界の最大指針国です。
<スイス物とフランス物の違い> ・つまり、緑(黄)と無色透明の二種です。現代二大潮流の違いは、どんな理由で生じたのか?
<スペインは赤?> ・赤いアブサンの謎・・・山口百恵さんの「赤いシリ−ズ」とは関係無いです。
<ベネルクス・エリアも見逃せない!> ・ドラッグ解放区オランダの生産者の微妙なスタンス。
<Hausgemacht ( Honemade) > ・実は、最大のアブサン密造大国はドイツだったんです・・・
<本格アブサンのタイプ分け> ・よく出てくる Verte、La Bleue、Blanche って何じゃらホイ?
<謎のビンテージ・Blanche> ・ベル・エポック期には存在しないはずのBlancheが・・・
<酸素系アブサン> ・当時のトレンドは酸素だった!
<“Pernod Fils Tarragona” の謎?> ・最も身近なビンテージ、タラゴナ・ペルノーの精細が判明!
<ビンテージ・アブサンの飲み方> ・100年以上も前のアブサンを飲む時の注意点・・・
<アブサン全体のタイプ分け> ・国内で購入時の参考にもなります。個人的意見満載ですが・・・
<日本のアブサンはイケてるの?> ・“ヘルメス”の変遷、海外のコレクターも意外と Wanted!してるんです。
<Czech Absint Strongはどこへ?> ・日本でカリスマ・アブサンだった、例のヤツの正体・・・そ、そうだったんだ!
<ラベル表記> ・よ〜く見ると、〜35ppmの銘柄は意外と多い・・・そ、そうだったんだ!
<アブサンの定義> ・実は、ほとんど無いに等しいんですね・・・そ、そうだったんだ!
<真性アブサンと非真性アブサン> ・日本でもポピュラーなアノ銘柄達が非真性・・・そ、そうだったんだ!
<着色アブサンは×なのか?> ・コレはコレで楽しめたら幸せ指数がアップですね・・・
<dose とは?> ・アブサンを飲む時の基準使用量について・・・
<ヴェルサントについての噂 > ・優秀な銘柄ですが、売り文句には真っ赤な○もまかり通っていますね・・・
<女流密造家 ラ・マロット> ・スイスの肝っ玉母さん、伝説の密造人です。
<秘密のシステム> ・ヤバイ物ぶつだって事がバレない様に内緒で送らなくっちゃ!
<アメリカ最古のアブサン・バー> ・ニューオリンズに今も残るアメリカ最古のバー、1806年の創業です!
<1905年録音> ・20世紀初頭にアメリカでアブサンの曲が・・・えっ、フラッペにしてたんですか?
<世界最強?のアブサン・バー> ・ベルギーの「Floris Bar」はスゴイです・・・知る限り最強!
<ドアーズ> ・彼らの最高傑作は、このブートだ!あっ、関係ないですね・・・
<あの人もアブサンにやられた?> ・私が尊敬してやまない偉大な音楽家も・・・
<最後の大いなる錬金術師> ・えっっ!リンゴで有名なあの人ってそうなの・・・
<可哀そうな錬金術師> ・監禁、強制労働、偉業達成、幽閉、アル中、頓死・・・
<パパ・ヘミングウェイ> ・彼の小説には重要なヒントが!あの有名なカクテルの本当のレシピも・・・
<現代の女傑> ・アブサン復活以前に入魂しちゃった女性がいたんですね・・・
<私は今、溜まり派です> ・ビンテージ・アブサン・グラスの魅力・・・<括くびれ派>から<溜まり派>への転向宣言
<ハイ・ポジション・ポタリング法> ・私が内緒で楽しんでいるマイナーな飲み方は、チョっと人様には見せたくありません・・・
<自宅で飲む時のアドバイス> ・専用器具が無くても工夫次第でいい感じ。

<参考にしたサイト>

<当店で飲める正規アブサン>

<アブサンのイメージ・補足>

<アブサン番外地>

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< アブサンのイメージ > 「ダメ人間になっちゃう、ヤバイ酒なんでしょう?」、「ラクの仲間だと思う」、「非合法で売ってないんじゃなかったっけ?」、「漫画の野球選手!酔っ払らわないと打てない酔拳みたいな人」、「ペルノーの濃いヤツでしょ?」、「昔は芸術家専用酒だったらしいです」、「大丈夫?」、「黄色く濁った変な匂いのヤツ・・・マズかったからもう飲まん」、「あ〜、知ってる、麻薬入りの酒でしょ」、「今日はφφしたくないからアブサンにしようかな」、「西海隆子の歌集ですよね」、「えっ!あるんすか?レモンハートのマスターも見つけられなかったのに・・本当に本物?」、「だいたい何杯くらい飲めば飛べるんですか?」、「確か太宰や安吾や朔太郎が飲んでたんだよな」、「例のヤツ?マジっ!」、「ほかの人から見える所で堂々と飲んでもいいの?」、「自殺行為でしょ、やっぱコレは」、「こんなの普通に飲むなんて、フランス人の舌は絶対おかしい」、「村松友視のエッセー集の題名だったような・・」、「へぇ〜、コレがそうなんだ、へぇ〜、スッゲー、へぇ〜」、「緑色のシャトリューズにブレンドする酒だって青山のバーで聞いたことある」、「火つけて飲むお酒」、「ゴッホが耳切ったり自殺した時、コレ飲んでたんだよね」、「『人間失格』で飲みながら悩んでた酒」、「何かが変わっちゃいますかね?」、「ほかのと全然違う酔い方するから覚悟して」などなど、30年近くこの商売をやってきて、お客様や同業者から聞いたコメントはこんな感じでした。正しいのもありますが、断片情報による都市伝説的妄想がほとんどですね。

(上記のコメントに対して私が思った内容はこちらで御確認下さい)

・一言で言うと「必須原料のニガヨモギとアニス、フェンネルを主体とした多数のハーブを使用した独特で複雑な味わいを持ち、水で割って薄めて飲むのが作法なので比較的アルコール度数が高くアニス成分の作用で加水すると白(黄)く濁るものが多く、無害な量ながら向精神作用を持つ成分は無きにしもあらずで、国によっては政治的理由などで禁止されていた時代も長い為、今だに禁断の酒と云うイメージが付きまとうなど、本質がわかりづらいながらも妙な存在感を持つ薬草系リキュールです」ってな感じでしょうか。一言にしてはクドくて長い?

上記の内容では大まか過ぎるのでアブサンの基本的な分類を記述しておきます。

・禁制以前の100程前までは色の着いたアブサンのみと言ってもいい感じでスイスでもフランスでも同じタイプのアブサンを造っていました。今で言う<フランス・タイプ/ Verte (緑) >の基になっています。禁制後のスイスでは無色透明な度数の低い La Bleue(密造アブサン)が盛んに造られ続け現在の<スイス・タイプ/ Blanch(白) >へと続きます。現在ではこの<フランス・タイプ>と<スイス・タイプ>が2大潮流となっており世界市場の流通銘柄95%以上を占めています。他には独自の方向性を持った少数の<本格ゲルマン系アブサン>と大量生産の<チェコ系疑似アブサン>で市場が形成されています。しかし、ほとんどの方にぼんやりと浮かぶアブサンのイメージは<フランス・タイプ>の幻影なのは間違いありません。

・現状では<フランス・タイプ>も<スイス・タイプ>も多くの国で作られていますが、各国の植物分布や味覚傾向が反映している事から多種多様の味わいが存在します。今でも生き残っている La Bleue(密造アブサン)系生産者の一部のみが昔ながらの地産性と地元の味わいを保っています。

・そして、「昔は良く飲んだよなぁ・・・アブサン・・・」と遠い目になっちゃう年老いた日本男児達が親しんだ銘柄は、時代状況的に考えるとサントリーのヘルメス・アブサンであろうこと事もほぼ間違いありません。規制以前の本物のアブサンを飲んだ事のある生きてる日本人は皆無に近いと思います。いらしても100歳以上の方ですから・・・ごくごく少数の恵まれた方だけが規制後も生産されていたPernod Fils Tarragonaに特別な場所で巡り合った可能性も残されていますが・・・

< アブサンの造り方> 大まかには、Mixed & Macerated(=普及品)」と「Distilled(=高級品)といった印象で分類され、ほとんどの販売サイトでの表記もそうなっています。原材料を発酵させた後に蒸留する純スピリッツとは異なり、ハーブを浸透させた高濃度アルコールをベースにしたリキュールなので様々な造り方が可能です。スイス(非EU国)では「天然原料のみを使った蒸留品である事」という製造基準が定められていますが、他の国ではアブサンの明確な定義付けは行われていません。EU規定でも「Absinthe」という表記が可能な条件はツヨン含有率の上限だけです。ニガヨモギを使っていないアルコール飲料がアブサンとして売られている例(トレーネの“ユニコーン”、“ハプスブルグ”など/参照もある様ですが、ツヨン入りなので違法では無いにしろ真性アブサンとして扱うには抵抗があります。

) EU内でもフランスにおいては国内生産品だけでなく輸入品であっても「Absinthe」という表記がある銘柄の流通を禁止していました。1915年の禁制時に定められた法律が1988年の製造認可後も生きていたからです。「Amer aux Plantes d'Absinthe」 とか 「Spiritueux aux Plantes d'aAbsinthe 」の様な原料由来表記だけがOKでしたが、遂に2010年12月17日に解除!フランス産のアブサンも銘柄名に 「Absinthe」の文字が使える様になりました。

Mixed & Macerated 法は低価格帯〜普及品に使われる手法です。製造工程に自由度が高く品質の振れ幅が大きいのが特長で、生産者の意識しだいという事になります。。

(下記二種の手法を使った銘柄は習慣的にMixed & Macerated 法と表記されています。二つの手法が併用されている銘柄もありますが、「Mixed or Macerated 法という表記が適切な単独使用のほうが多いです。曖昧あいまいな表記になってしまうのは、製造法を公開しない生産者が多いカテゴリーなので仕方がありません。)

Essences Added (Mixed) 」は、高濃度アルコールにハーブ・エッセンス(精油)を溶かし込む方法です。経済効率が良い為、主に低価格帯で使われています。中でも人口着色による鮮やかな色と加糖による強い甘味を持つ銘柄は確実にコレでしょう。<非真性アブサン>、着色物、そして失恋(あっ、間違えた)失望銘柄の大部分はこのカテゴリーに生息しています。しかし、値段の割りには良い品もあり、「Essences Added (Mixed) 」に長けたスペイン物の中には意外と美味しい個性的な銘柄もあって驚かされる事も多いです。エッセンスのブレンドという手法は大きな可能性を残しているのではないでしょうか?

・ J.Fritsch の 『 Nouveau Traite de la Fabrication des Liqueurs (1891年)』という有名なアブアン指南書にも、ABSINTHE FROM ESSENCESという項目が設けられており、当時の安アブサンがエッセンスから作られていたことが分かります。つまり、エッセンス・オイルを使用するのも伝統的な手法の一つなんですね・・・

Maceration (Macerated)」は、一般的なリキュール類にも使用されている「マセラシオン/浸透法」の事です。長年に渡る洗練を極めており、決して安易な手法ではありません。各国で独自の手法が発展してきました。とことん手抜き可能な「Essences Added (Mixed) 」と一緒くたにするのは疑問ですね。実際、「Maceration (Macerated)」の単独使用銘柄には、本格的とは言えないにしろ優秀なアブサンも少なくありません。その地域のドメスティックな美意識が反映する事が多く、特にフランス物(特に南仏系はパスティス的な傾向を持つ事が多いです。チェコにも特徴的な銘柄参照が存在します。

Distilled (蒸留)はオーセンティックなアブサンを生み出す本格的な手法で、ハーブを浸透させた蒸留原液を単式蒸留器にかけて成分の抽出を行います。つまり、「Distilled 法」においても事前段階で「マセラシオン/浸透法」による抽出を行っているんですね。他の蒸留酒とは異なり複合的な技術が必要とされる訳で、禁制解除以前にオー・ド・ヴィー(フルーツ・ブランデー)を手掛けていた生産者が優秀なアブサンを産み出している例が多いのも納得です。アブサン本来の姿とも言える、華麗でキレのある芳香、複雑で奥深い味わい、劇的な変化を伴う余韻、引き込まれそうな白濁、などは「Distilled 法」でなくては果たせません。

(下記二種類の手法は、さほど区別されずに「Distilled 法」と表記される事がほとんどです。両者の違いは色を見れば一目瞭然ですから・・・高級銘柄の証としてラベルに Distilled と表記される事も多く、絶望的な銘柄は稀にしかありません。この手法によるアブサンでは一定水準以上の技術/経験/設備が必要で、解禁以前に順調に稼動していた挑戦的な生産者が多い様です。)

Distilled &Maceration 法はベルエポック期に行われていた伝承的な手法で、現代フレンチ・タイプのアブサンに継承されています参照。最も一般的なアブサンのイメージで、緑や黄の色が付いているためVerte(緑)という名で総称されます。この手法を使う場合、基本的に人工着色料を使わないので薄〜い色の銘柄が多いです。天然の色素成分(クロロフォルムなど)を保持する為に高いアルコール濃度の銘柄が多く、68度が基準になっています。

・高濃度アルコールに主要ハーブを浸透させ、水を加えて1〜2度蒸留。各ハーブ成分に対する適正なアルコール濃度や蒸留温度などが異なる為、大少二台の蒸留器を併用するシステムが多い様です。蒸留原液()を落ち着かせた後ハーブを再び浸透させる最終工程<the coloring step>を経て、フレンチ・タイプならではの色や華麗な香りが加わります。エポック期の高級銘柄ではさらに樽熟成を行っていましたが、最近では同様の過程を経たフル・スペックの現行銘柄参照も見かける様になりました。今後のトレンドになるかもしれません。

() 蒸留原液=La Bleue or Blanche ではありません。Verte(緑)の場合、この段階で完成させてしまうと<the coloring step>で得るはずの効果を妨げる結果になりかねないと考える蒸留職人が多いからです。期待しているのは<足し算>ではなく魔法の様な<掛け算>ですから・・・蒸留原液を Blanche としてリリースしていた例として旧ラベルの“Un Emile La Blanche”があります。当初は挑戦的な銘柄として高評価を得ていましたが、嗜好レベルの上昇に応える為にレシピの見直しを伴う大幅な変更が加えられました。

・密造経験豊富なスイス生産者がVerte(緑)タイプのアブサンを作るのを苦手にしているのは、ハーブ浸透原液に対する基本概念の違い、<the coloring step>の手法に熟達していない、という二つの理由があります。この事はクロード・アラン・ブニヨンに代表される経験の浅い(=旧来の手法に囚われない)新規参入者の方が対外的な成果を挙げやすい要因にもなっています。

純粋なDistilled 法」によるのがLa Bleue(スイス・タイプ)Blanche(無色透明なタイプ)と呼ばれる最高級品?です。<the coloring step>を行わずハーブを浸透させた原液を蒸留した段階で全てが決まる最も困難でナイーブな手法。当然、上記の様に原液の作り方も「Distilled &Maceration 法」とは異なります。高度な技術と豊富な経験が必要とされるので少量生産を前提とした高級品が多くなりますが、それなりの基準をクリアしている事が保障されています。樽熟成を行なう例は稀にしかありません。

<La Bleue> スイスのトラヴェール渓谷周辺で作られて来た密造アブサンの系譜。禁止による諸事情でエポック期の完成された技術を行う事に不都合が生じました。密造者達の家庭内的手法が緩やかに統合/普遍化された後、100年近くかけて洗練されてきた密造アブサンの流れです(参照)。狭い地域のドメスティックな美意識が支配的で、各銘柄が近似した傾向を持っています。技法的に洗練を極めて完成された様式を持つLa Bleueには安定あるのみ・・・この特徴は今後の発展と市場展開を妨げる要素になるかもしれません。アブサン全体の中ではアルコール度数低め(55度前後)の伝統を持っています。

<Blanche> そして、La Bleueの存在感と名声から派生し、さらなる可能性を追求しつつあるのがBlancheと呼ばれる銘柄達。各国の積極的な生産者が手掛け、銘柄ごとに異なる美意識を目指す最もシリアスなエリアです。色素保持の必要が無くアルコール度数設定の自由度が高い事から様々なスタイルが生まれつつあります。これからのジャンルと言えるBlancheの高位銘柄にこそ新しい美意識と変革が期待できます。しかし、愛好家の持つ意識の壁という障害を越えねばならず、かなりの困難が待ち受けているかも知れません。

・もっと実戦的なアブサンのタイプ分けは、こちら

< アブサンに使用されるハーブ類 > 10種類以上の香草や薬草が使用される事が多く複雑で深遠な風味こそは他では得られないアブサンならではの魅力です。多くの銘柄はアニス的な芳香を持つ事が多いです。アニス無使用でリコリス的風味を持たず白濁もしない銘柄も有るにもかかわらず、アブサンと言えばアニス系リキュールの特殊な別ジャンルという印象になっています。しかし、何といってもニガヨモギこそがアブサンのアイデンティティーを支えており、特有成分のツヨンが他のアニス酒と違う突出した存在感の源です。

< ニガヨモギ (Artemisia absinthium) > 何百種もあるヨモギ属(Artemisia)の内、何でもいい訳ではありません。伝統的な本物のアブサン(genuine absinthe)のメイン・ハーブに使われるのは、もちろんニガヨモギつまり“Artemisia Absinthium(アルテミシア・アプサントゥム)”でなくてはなりません。“ Common Wormwood ”、“Grande Wormwood ”とも呼ばれ、アブサンの魂とも云える品種です。


花言葉は、冗談・からかい・平和・不在・離別と恋の悲しみ・苛酷

Artemisia Absinthium(アルテミシア・アプサントゥム)の種名は、「聖なる草」を意味するエルブ・アブサントに由来しています。中世以前にもアブサンと近似する名称のニガヨモギ酒(ワインなどの醸造酒に浸透)の記録が点在していました。古代ギリシャの「apsinthion」、古代ローマの「apsinthium」などが知られ、マイナーながらも薬用酒として普及していた様です(こちら)。高濃度の蒸留アルコールで抽出・蒸出され始めたのは、修道院などに蒸留技術が伝わり始めた中世末期(15世紀)以降と思われます。

・同じヨモギ属の“Artemisia Pontica(アルテミシア・ポンティカ)”もアブサンの自然な色づけ(the coloring step)に必要なハーブです。通称は“ Roman Wormwood ” ですが、ニガヨモギではないのにかかわらず“Petite Absinthe(小ニガヨモギ)”などとも呼ばれます。下の記述から、両者のツヨン含有率が推し量れます。

・The value of 260 mg/l was determined on the basis that 100 l of absinthe employed 2.5 kg of dried Artemisia absinthium (1.5% oil, of which 67% is thujone; corresponding to 251 mg/l of thujone in the final product) and 1 kg of dried Artemisia pontica for coloration (0.34% oil, of which 25% is thujone, corresponding to 9 mg/l of thujone in the final product)

<ツヨン含有量に関する規定> ちなみに、<Absinthe>関連の法的な決まり事は、WHOが承認した食品におけるツヨン含有量制限だけの様です。これのみを基準とするなら、ニガヨモギ(Artemisia absinthium)を固有原料にしているヴェルモットも<Absinthe>と呼んで良い事になってしまいますね。又、ツヨンを含む植物品種はニガヨモギ(Artemisia absinthium)以外にも多く存在しており、ニガヨモギ(Artemisia absinthium)どころかヨモギ族を一切使わないツヨン飲料ですら<Absinthe>と称する事が非合法ではない事になってしまいます。糖蜜から抽出したグルタミン酸が惜しげもなく使われている「昆布未使用の昆布だし」みたいな感じですかね・・・

・1973年、EU(欧州連合)の前身とも云える欧州諸国共同体は、「一般食品・飲料は0,5ppm以下、25度以下の酒類は5ppm以下、25度以上の酒類は10ppm以下、ビター類は35ppm以下」というツヨン含有量規制基準を設けましたが、一部の国での約束事にしかすぎませんでした。しかし、このEU基準はWHO(世界保健機構)に承認(1981年)され世界基準として効力を得ました。

<アブシンチン、アブソルピン> ニガヨモギに特有の天然有機化合物で、ツヨンとは全く別の成分です。アブサンの苦味の素はコイツらなんですね・・・ツヨン濃度と苦味は、思っていた程は関係が無い様です。片岡義男氏のとある文章に、ハワイの古い(日本のなんちゃってカフェじゃ無くて、本物の)カフェで処方箋のいらない常備薬としてアブソルビンを販売していた様子が記されていました。健胃・強壮・解熱・胆汁分泌促進剤としての効用があるそうです。

<真性アブサン> 要するに<Absinthe>に対しての明確な法的定義は存在しないに等しい!って事の様です。例外的にフランスでは<Absinthe>という名称の使用を禁じる法規がありましたが、2010年12月17日に解除されています。なにしろ、現時点では野放し状態・・・しかし、<Absinthe>という名称/存在は固定品種のニガヨモギ(Artemisia absinthium)由来である事は疑いの余地がありません。当サイトでは、十分な量のニガヨモギ(Artemisia absinthium)を使用した蒸留法による銘柄のみを <真性アブサン> として取り扱う事にします。厳密にはアニスの使用も必須かと思いますが・・・ちなみに、言葉としては <真正アブサン> が正しいんですが <真性アブサン> の方が雰囲気なのでコッチにしました。

)これ以前は、フランス産のアブサンには 「Spiritueux aux plantes d'absinthe (Wormwood plants based spirit) 」などの表示が記されていました参照。 日本でもポピュラーな“Absente 55”のスペリングが妙なのも<Absinthe>という表記が禁じられていたからです。では、フランス産表示の“カーマン”、“ユニコーン”、“ハプスブルグ”などに<Absinthe>表記があるのは何故でしょう。どうやらフランス国内での販売を前提としない輸出専用銘柄らしく、黎明期のイギリスなどをターゲットにしていた様ですね。輸入審査が通り易い処方になっていたと推測されます。

<非真性アブサン> 最初期の輸入元「オザキトレーディング」の資料に、『“トレーネ”と“ハプスブルグ”は、約200種類あるといわれる品種の中からArtemisia Vulgaris L(オウシュウヨモギ)と呼ばれる最も毒性の弱いニガヨモギが使われています。』とあります。毒性?しかし、Artemisia vulgaris はニガヨモギと同じキク科ヨモギ属の近縁種ですが、日本ではオオヨモギと呼ばれている別の品種参照で、ロシアでチェルノブイリ(黒い草)と呼ばれている例のヤツです。そもそも、情報が少ない頃の資料なので正否を問う感じではありませんが、もし記述の通りだとしたら“トレーネ”と“ハプスブルグ”をアブサンと呼ぶ事ができるでしょうか?法的に問題が無くても、やはりニガヨモギ(Artemisia absinthium)を使ってこそ真性アブサンだと思います。「ニガヨモギの毒性?を抜いた」と喧伝されていた“Absente 55”や精細不明の“カーマン”などにも疑問が残ります。

<真性アブサン>及び<非真性アブサン>なる用語は、私が個人的都合で勝手に使っているだけです。この用語による記述は私見/個人的解釈に過ぎませんので御注意ください。って言うか、気にしないで下さい。

・ついでに告白しておきますが、当サイトで使用している<アブサニスト>なる用語も創作です。アブサン愛好家の事は通常<Absintheurs>と表記されるんですが、どう読めば良いか分かんない特殊な単語をカタカナで書かれてもピンと来ない気がしませんか?あっ、、そう言えば「Les absintheurs」って言う映画がありますね・・・

<乾燥作業の重要性> 最上のニガヨモギ原料は、日当たりの良い適正土壌の高地で有機栽培されたArtemisia absinthium(アルテミシア・アプサントゥム)です。ツヨン含有量が最高値になる花が咲く直前に収穫され、ツヨンの消失を防ぐため即座に天日干しして室内保管されます。室内においては成分の適正な保持のために微妙な乾燥作業が行われるそうです。この条件を満たすのは容易ではなく、「奴らは、自分で干してる訳じゃないからな・・」なんて言葉は、自ら乾燥作業を行う生産者の苦労とプライドを表しているのでしょう。多くの銘柄ではトルコや東欧などから輸入したの安い乾燥ニガヨモギを使用しているそうで、生産者が監修可能な地産のニガヨモギを使用したアブサンは高級品のみです。

・「スイスでの解禁の後、密造時代よりも味のグレードは格段に上がった」と語っているのはイブ・キュプラー氏です。以前は公然と自家栽培をするのは困難で、使用していた東欧産のニガヨモギなどの品質には不満があったそうです。てっきり自生ハーブを使っているのかと思っていましたが、違ったんですね。でも、キュプラー氏は酒造業者なので別として、完全な個人密造者はハーブ摘みに行っていたのかもしれません。逆に考えるとキュプラー氏の様な蒸留許可取得者も密造に関わっていたなんてフランス語圏スイスならではの話です。今では格段に上質な地産ハーブを厳密な管理下で使用することが可能になりました。

・アブサン聖地ポンタリエが全盛期の頃、農産物であるアブサンの製造には蒸留作業以前の原材料確保に相当多くの人々が関わっていました。人口約8000人のうち3000人程が従事していたと云われています。40以上のハーブ専用農園と数え切れない程の乾燥ハーブ用保管倉庫もあり、この地域を支える収入源だった様です。禁止令が施行された後は「源泉が途絶えた温泉地」の様に寂さびれ果てていきました。今でも数軒のハーブ倉庫が残っていて観光資源にもなっています。

<聖なる三草、又は三位一体> 伝統的にはニガヨモギ (Artemisia absinthium)グリーン・アニス (Pimpinella anisum)フェンネル(ウイキョウ/Foeniculum vulgare)が“聖なる三草”とか"Holy Trinity (三位一体)"なと呼ばれ、必須原料として尊ばれてきました。この三草とも向精神作用を持つ成分(ツヨン、アネトール)を含んでおり、現在では含有量が制限されています。味じゃなくてコッチの要素でのスリー・トップだったんですか?アセロンを含むカラムス(菖蒲)も次席に控えてますしね・・

<ニガヨモギ (Artemisia absinthium) > ヨーロッパ原産のキク科の多年草で、英名のワームウッド(wormwood)は虫除けに使われた事に由来し、独名のヴェルムート(wermut)はヴェルモット(フレーバード・ワイン)の語源にもなっています。特徴的な苦味と青臭い芳香はアブサンのアイデンティティーともいえる唯一無二の個性です。(この人はジョン・レノンです。)

<アニス (Pimpinella anisum) > 全く別品種のスターアニスとの混乱を避ける為、通常はグリーン・アニスと呼ばれる事が多い、地中海東部原産のセリ科の一年草です。リコリスにも似たトロ甘い風味と鋭い芳香が特徴で、アブサンの象徴的アジテーションとも言える「LOUCHE ACTION(白濁現象)」もアニスの精油によって現出する事が多いです。ヨーロッパ各地では料理やお菓子にも普通に使われたり数多くのアニス酒も愛されていますが、その特徴的味わいが日本人の味覚習慣の前に立ちふさがる最大の壁となっています。(この人はポール・マッカートニーです。)

・ヨーロッパ人でもアニスの持つリコリス的な風味を嫌う人も多い様で、わざわざ< who do not like the licorice flavor.> な人向けに<without anise>ページが設けてある海外の販売サイトが印象に残っています。ちなみに、チェコ産の安価な擬似アブサンはアニス未使用銘柄がほとんどです。

・アブサンにおけるアニスの重要性は想像以上に高い様です。地域の薬用酒に過ぎなかった地酒がアブサンとして商業化されるにあたっての必須要素だった、と言う推論は歴代レシピの比較などでも裏付けられて説得力に溢れています。想像ですが、アンリ・ルイ・ペルノーの父親 Abram-Louis Perrenoud が残した基本レシピをフリッツ・デュバル(Fritz Duval)がアニスを増強してアレンジした、と言う流れが自然な感じがしてなりません。 参照

<フェンネル(ウイキョウ /茴香)> 地中海沿岸が原産とされ、古代エジプトや古代ローマでも栽培されていたセリ科のハーブで、甘い香りと苦味を持ち、イタリア産のフレンツェ・フェンネルが最高とされています。アブサン界ではニガヨモギとアニスというクセ者達の仲を取り持ち、両極端な個性や主張がぶつかり合うのを緩和しつつ、新次元での調和へと誘い込むキューピット的な存在です。(つまり、この人はリンゴ・スターです。)

・フランスにはフェンコン(フェンネルの精油成分)の含有率1gに対して5mg以下との規制がありましたが、2010年3月13日に解除されました。以降はフランスのアブサン市場が変化していくのは確実です。既に、フランス向け仕様だった“アルテミジア・マリアンヌ”などの廃盤が決定しています。フェンネルにはアニス同様にアネトールが含まれており、この量を制限するための規定だった様です。アニスの使用には長い味覚慣習がある上、白濁を担になう必須ハーブなので規制には無理があったのでしょうか?

アネトールはパラメトキシアンフェタミン(PMA) の前駆体であり、PMAはエクスタシー(錠剤型麻薬の総称)に含まれる事もあります。過剰なドラッグ渦に対して決定的な打開策を打ち出せなかったフランスならではの法令だったと思われます。スペイン産はフランス直系の同タイプながら規制が無い為、相対的にフェンネル強めの傾向を持つ銘柄が多いです。

  
左から、ニガヨモギを筆頭に、グリーン・アニス、フェンネルの三役です。

・昔も今もグリーンアニスはスペインとフランス南部、フェンネルもプロヴァンスやイタリアなどの地中海沿岸が主要生産地です参照。この主要二品種は、トラヴェール渓谷やポンタリオの様な標高の高いアブサン始原地での育成には向いてないそうです。クーヴェ村時代の最初期は未使用か量が少なかったのは確実で、アニスによる白濁を伴っていたかすら不明です。アンリオ姉妹やオルディネール医師のエリキシール(霊薬酒)は、私達がイメージするアブサンとは異なった味わいだったのは間違いありません。輸送手段を確保できる企業的な生産者がアブサンの基本的な処方を導き出した事が推測されます参照

・上記の事情は今でも変わらず、アブサンがAOC(原産地統制呼称)認定を受けられない大きな理由になっている様です。その為、イブ・キュプラー氏はより強制力の弱いDOC(原産地統制名称?)申請をするに留まっているそうですが、これはイタリアの保護制度ではないんでしょうか?又、トラヴェール渓谷のアブサン共同体などは IPG(地理的起源表示)申請を起こして狭い地域以外のアブサンを排除する方向性を示し、多くの物議を呼んでいる最中です。

・この<聖なる三草>に次ぐ重要ハーブは後述のヒソップス(ヤナギハッカ)とアルテミシア・ポンティカ(小ニガヤモギ)だそうです。余談ですが、ブラジルの方がブログで「我が国にはヒソップスが自生していないので良いアブサンを作るのが困難なんだ・・・他はなんとかなるんだけどね。」と苦労を語っており、その重要性を認識しました。

<味を司るハーブ達 ・TASTE-ENHANCING HERBS > 蒸留する前に上記の“聖なる三草と共に高濃度のアルコール(主にサトウダイコン原料)にて浸透・抽出され、アブサンのベーシックな味わいを構築する基本ハーブ達です。蒸留という過酷な魔術を経て変化・残留した様々な成分はアブサンの根幹を支え、風味・芳香を深い階層で決定付けます。銘柄により使用するハーブや量は異なり、蒸留法も含めた多くの選択肢が個性を作っていきます。現在では、スイスのLa Bleue以外にも蒸留のみで作業を終え「the coloring step」を行わないシリアスな銘柄が多く存在し、Blanche(無色透明なタイプ)と呼ばれています。(これらのハーブ類は、後述の「AROMA & COLOUR-ENHANCING HERBS」として使われる事もあります。)

<ヒソップス ( Hyssop / ヤナギハッカ)> 濃い色の青い花を咲かすシソ科の植物で、二ガヨモギとは異なる苦味を加え多重的な味をかもし出すと共に、ヴァニラの様な香りを暗示させる重要ハーブです。基本となる緑色を溶出する点も見逃せません。血管の緊張をほぐすリラックス・ハーブとしても知られています。

・前記のフェンネルと同じくピノカンフォン(ヒソップの製油成分)も規制の対象でしたが、同時に解除されました。この事でフレンチ・アブサン本来の道を歩み始める事が可能になりました。

<カラムス ( Calamus /しょうぶ/菖蒲)> 「緑の妖精に翼を授けるハーブ」と称され「sweet flag 」の別名も持つ、甘い香りと強い苦味が特徴のハーブです。微量のアセロンを含み、世界各地で宗教的な聖薬(幻覚剤)として重んじられてきました。でも、サトイモ科なんですね・・ 鎮痛、鎮静、健胃、駆虫作用があります。私達が連想する(花屋さんにある)ショウブは別の品種でアヤメ科の<花ショウブ>です。(この人はジョージ・ハリスンです。)

<アンジェリカ ( Angelica /セイヨウトウキ)> セリ科の植物で、ジンに使われるジュニパーベリーに例えられる事が多く、独特の味と香りがアブサンにキックを与えます。しかし、黒子の様に後ろから支える役割で、自らの個性は表に出さないバックグラウンド・ハーブです。 緑の花を咲かすこの植物は世界中に生育し、ヨーロッパでは「Holy Ghost (聖霊)」の異名で尊ばれ、アメリカ大陸ではネイティブアメリカンの宗教儀式にも使われる特別な草です。軽度の麻酔効果があるため治療ハーブとしての歴史も長く、ペスト渦の時には大活躍しました。

<コリアンダー ( Coriander /カメムシソウ)> セリ科の植物で、新鮮な花の様な香りを生かしアブサンのスパイシーな要素を引き立たせる役割を担うバックグラウンド・ハーブです。ヒソップスの美点を前に押し出すコンビネーションにも定評があり、豊かな香りの要因として欠かせません。バビロニアの頃から抗欝うつ剤として使用されてきました。

<スターアニス (badiane/トウシキミ)> シキミ科の植物トウキシミの実を乾燥させた香辛料で、中華料理材料の<八角>の事です。高価なグリーン・アニスの代用品としての側面がありますが全く違う植物で、高級銘柄などは<スターアニス未使用>などの謳い文句が付く事もあります。特有のリコリス的な甘味を加えるのに積極的に使用される事もありますが、スッキリと上品なグリーン・アニスの甘味とは異なります。俗称にすぎないスターアニスの名称から様々な誤解が生じており、問題児すぎるので下に追加項目を設けてみました。<アブサン界のユダ?>?をご覧下さい。

    

<芳香や色彩を司るハーブ達 ・AROMA & COLOUR-ENHANCING HERBS > 蒸留後に加えられ浸透される「the coloring step」という行程で使用されます。アブサンのトップノートや色合いを補強・演出する役割を持ち、各銘柄の個性を明確に方向付ける人為的な作業は、これらのハーブの使い方かた次第です。(前述の「TASTE-ENHANCING HERBS」として使われる事もあります。)

<アルテミシア・ポンティカ (Artemisia Pontica)> 小ニガヨモギとかローマン・ワームウッドなどと呼ばれるヨモギ属の植物で、苦味はさほど強くありません。アブサンの魂とも言えるニガヨモギ (Artemisia absinthium) の風味をグィッと前に押し出す名脇役ですが、なんといっても独特の緑色(Verte)を演出してくれるハーブとして欠かせません。

<メリッサ( Melissa /レモン・バーム)> シトラス風味を加えてくれるだけでなく、緑色の輝きを得るための主要なハーブです。有名な癒し系ハーブでもあり、アロマテラピー界の大物です。日本ではセイヨウヤマハッカとして知られるシソ科の多年草で、たくさんのミツバチ(ギリシャ語でメリッサ)を引き寄せる白い小さな花を咲かせます。

<ローマン・カモミール( Chamomile Roman)> ニガヨモギと同じキク科の多年草で、花や茎から甘酸っぱいリンゴの香りを放ち、独特の苦味を持ちます。コリアンダーとのコンビネーションでアブサン劇場の舞台背景を司る、メインのバックグラウンド・ハーブです。スパイシー大将でもあり、裏方の主役とも言えるでしょう。最も古い薬草の一つで、15世紀にはニガヨモギにも含まれるアズレン(抗炎症作用)が抽出されており、その精油は濃青色だったそうです。メリッサ同様に弛緩・沈静効果に定評のある薬草です。(ハーブティーに使われるのは、苦味の少ないジャーマンカモミールです。)

  

<ミント> シソ科の多年草。ほんの少量のミントがもたらす劇的な品位向上の効果は、決しておざなりにはされません。

<ヴェロニカ (クワガタソウ)> ゴマノハグサ科。 軽やかでスパイシーな浮遊感と、さらに深みのある緑色のために加えられます。

<ホウレンソウ> ”La Fee Parisian 68”などがホウレンソウの葉緑素による色付けを公開しています。オルディネール博士の処方にもあり、伝統的な手法なんですね。

・ほぼ必ず使われるであろうのは、ニガヨモギ、グリーンアニス、フェンネル、ヒソップス、小ニガヨモギ、メリッサ、の6種です。

・その他、リコリス(スペイン甘草・マメ科)レモンバーベナ(Verveine Citronnee)ジェネピ(アルプスヨモギ)ネトル(西洋イラクサ)タラゴンディルハジルバニラグローブ、などのハーブ類が銘柄や産地による様々な個性を演出しています。全体の印象では、セリ科、シソ科、キク科の植物が多いですね。

・「For example, in the Czech Republic, peppermint was added, but neither anise nor fennel. In Switzerland, melissa, hyssop or angelica root were added to the Swiss alpine wormwood, which was a valued ingredient due to its strong aroma , while in France, coriander was added.」

<アブサン界のユダ?> スターアニス(badiane/バディアン)はグリーンアニスの下級品的扱いですが、植物学上の品種は全く異なります。 グリーン・アニス同様にアネトール成分を多く含む為、“アブサン界の味の素”とも云える微妙な存在であり続けています。入れすぎると全てを台無しにしますが、使わないとしたら大変な手間と経費が掛かり高級品になるのは確実・・・しかし、良心と技術の裏づけがあり程良い量でなら安価で美味しいアブサンが可能になります。普及銘柄の白濁現象を演出する役割も見逃せませんが、グリーン・アニスが起こす奥深い霧の様な<LOUCHE ACTION>の魅力には遠く及びません。しかし、パスティスを含むほとんどのアニス酒での使用率が高く、北部を除くヨーロッパ全域における普及・需要度は無視することはできません。安価に清涼感を得られる重要なハーブなのは間違いありません。

・黒猫の広告ポスターで有名な“Absinthe Bourgeois” の瓶ラベル下部にも、"sans badiane (スター・アニス未使用で)" と誇らしげに書いてあり、当時でも明確に区別されていた事が分かります。

   

・アブサン界最大のブランドとも言える La Bleueとスターアニスの微妙な関係もあまり知られていません。La Bleueにやや甘めで角砂糖不要(バランスが取れているという事でもあります)な銘柄が多い理由に関しては、歴史・地域的嗜好性だけではない要素も指摘されているようです(参照)。

・禁制品に興味がある人達が浸透法で自家製アブサンを作るためのハーブ・セットは意外と多く出回っています。なんと、マイクロ・フィルター装備のキットまであるんですね!これらの商品に入ってくるのは、もちろんスターアニスです。アブサニスト達の評価は異様に低いんですが、一応試してみたって事なんですかね?でも、最大市場のアメリカで本物のアブサンが入手可能になってきたので、もはや消え行く闇アイテムなのは間違いありません。曲げ物好きのコレクター諸氏は、早く入手した法がいいかもですよ・・・でも、熟成用の樽は欲しいかも・・・

<ハーブによる自然な甘味> 砂糖に対して、アネトール(アニスの主成分)は13倍、グリチルリチン(リコリスの主成分)は50倍の甘味を持ちます。無加糖タイプのアブサンやアニス酒でも自然な甘味を感じるのはそのせいです。砂糖を使わない事でアルコールの溶解効率が上がり、他成分の含有が容易になる利点もあるだけでなく、グリチルリチンの甘さは砂糖より遅く立ち上がり後に引くため、砂糖の甘さとは異なる味わいを演出するそうです。又、リコリスはEU規格上のパスティス必須成分でもあり、コレを含まない“ペルノー”が普通のアニス酒に分類される理由にもなっています。つまり、スターアニスはグリーンアニスの下級品というだけではなく、リコリスの代用品的役割も果たしている安くて便利なアイテムなんですね。ちなみに、インフルエンザ治療薬タミフルの重要な媒体原料と云う顔も持ちます。

・甘味料としてのリコリスは我々日本人にはあまりピンときませんよね。でも、アブサンのレヴューで「like the licorice flavor」とか「 only little licorice taste」などの記述は非常に多く、かの地では共通味覚要素の様です。ヨーロッパ全域や北アメリカでは各種のリコリス菓子が普及して根強い人気を誇っており、日本人旅行者をビビらせてきました。「とんでもなく薬臭くてグニュグニュしてる」とか「古タイヤを三日三晩砂糖で煮含めたようなお味」とか「アンモニアの匂いにむせた」とか「2メーターもある紐状のグミ、マズイ!」などと賞賛されるリコリス菓子達は、パスティス同様に日本人の味覚習慣を蹴散らし続けています。お菓子ですが、納豆の様な存在かも知れません。北欧のサッルミアッキ、リコリッシュ、ドイツやデンマークのラクリッツ、オランダのドロッピェ(ドロップの語源です)、米英豪のレッドヴァインズなどです。特にサッルミアッキは塩化アンモニウムを添加してあり(何故?)、ダントツの味わいらしいですよ・・(参照)黒い色でドロッとして甘さが非常に強いリコリス酒などもあり、フィンランドの“ サッルミアッキ・コスケンコルヴァ ”は有名です。

    
左は英語圏タイプのレッドヴァインズ、中左は通常サイズと延ばすと2mにもなる巨大ラクリッツ!中左は普通の赤。
右の3×150cmの徳用超巨大ラクリッツはレジ横で売ってたそうです・・・左下に足が!どうやって持って帰るの?

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< Why 高アルコール濃度? > アブサンのアルコール濃度は現在でもかなり高めで,低くても45度から80度を越える物銘柄も珍しくありません。伝統的な基準値はPernod Fils社が設定したと思われる68度です。この数値には幾つか理由があるようです。ニガヨモギやグリーン・アニスの色素(葉緑素)や精油成分を保持するのに充分な濃度()が必要で、遠方への輸送経費的にも度数の高さは有利でした。税制も大いに関係していた事を示唆する記述もありました。様々な要素の絡み合いで68度に落ち着いたのでしょう。しかし、当時の安全管理や容器の密閉性(コルクや蝋栓)には問題があり、度数が高すぎると引火による火災の危険性(下写真)や過蒸発による不都合もあった様です。今もこの数値は再現アブサンなどには当然の様に反映されています。

68と言う数字を表記する事が重要だったのはPernod et Fils銘柄のブランド力が強力すぎたからでしょう。ベル・エポック期ヴィンテージ銘柄の多くが追従しており、後世でも実際の度数とは異なるのに68とラベル表記している例参照すらあります。高級品のシンボルの様な数字だったのかもしれません。逆に、Pernod et Fils銘柄をライバル視する生産者は68度という設定を避けており、独自性と自信の程をアピールしていました。

)現代の技術レベルにおいてもハーブ類の精油成分やクロロフォルム(葉緑素)を溶解・保持するのには、最低でもアルコール濃度45度以上が必要との事です。もちろん含まれるハーブにより条件は変化しますが、人工色着色料を含む場合は色素の分子が精油の表出を促す為、さらに濃い50度以上が必要になる場合もあるそうです。

・高濃度アルコールを最も効率よく生産できるコフィー式連続複式蒸留器は1830年から一般化しました。これ以前には単式蒸留器から発展した様々な蒸留塔や半複式蒸留器などが使われ、高濃度・高効率化を追求していた過渡期でした。多種の方式が混在していましたが小規模な高濃度アルコール生産は可能だった様です。しかし、最初期のベース・アルコールが低い生産効率だったのは確実で、さぞかし高額な原材料だった事でしょう。

<ペルノー・フィルスの大火災> ペルノー・フィルス社は1901年の大火災(下写真)で工場を焼失しました。落雷による惨事だったそうで、盛り上がっていたアンチ・アブサン勢からは「ついに神の鉄槌が打ち下ろされたか!」などと喧伝されます。しかし、400万フランの保険金を得てポンタリオ工場を最新設備で新設してさらなる増産体制が整います。再稼働を始めた1905年はペルノー・フィルス社創業100周年と言う記念すべき年でした。しかし、奇しくも反アブサン運動が本格化するきっかけともなったランフレ事件が起きたのも同じ1905年でした。その後、アブサンをとりまく社会状況は急激に悪化していきます。アブサン関係者や擁護派の必死の抵抗にもかかわらず10年後の1915年、フランスにおけるアブサンの生産、流通、販売、の禁止が可決されてしまいました。アーメン・・・

 

  
アルコール引火による工場火災で炎上するペルノー・フィルス社のポンタリオ工場と熱でドロドロに溶けたアブサンボトル

・機転が利く従事者がいたらしく、被害の拡大を防ぐためにタンク在庫のアブサンを排水槽に放ったそうです。流れ出した大量のアブサンにより傍かたわらを流れる ドゥー川は数マイルにわたって白濁しました。人類史上最大の「LOUCHE ACTION (いかがわしい動作)」で、魚類史上最大のアブサン大宴会でした。

<O・P・F> この事故の後に設備を刷新し近代化して生産効率を上げたため、ペルノーアブサンの味は変わってしまったそうです。従って「1901年までが本来の味わいを誇るオリジナルのペルノー・フィルス(O・P・F)であり、洗練を極めた1901年のボトルこそが最高峰のアブサンだ。」と語られ、アブサン愛好家の妄想を掻き立て続けています。コレクター諸氏的には、どんなに珍しい“ Vintage Absinthe from the Pre-ban Era”が手元にあったとしても O・P・F の無いコレクションは<画龍点描を欠く>感じらしいです。スーパー・マスト・アイテム!価格もスーパーなので庶民には縁の無い話ですが・・・・

・1870年代から稼動していた焼け残りの旧式蒸留器は売却されました。その内の1100g器2台が「Combier Distillery」のメインボイラーとして稼動しており、T.A. Breaux氏がプロデュースする「Jade Liqueurs」の初銘柄“PF1901”の命名由来になっています。8台のサブボイラーの由来も古く、創業した1894年から使われ続けている古武者だそうです。この蒸留所はトリプル・セック(ホワイト・キュラソー)のイノヴェーターとして有名だそうですが、ベル・エポック期にはアブサンも生産していた事でも知られています。(参照

・Jean-Baptiste Combier founded his distillery in Saumur in 1834, and was the inventor of the world-famous orange liqueur, Triple-Sec (which the firm still makes). Later in the 19 th century, the Combier distillery became famous in Europe for its “hygienic” liqueur, L'Elixir Combier , and is also documented as having produced absinthe.

「アブサンはアルコール度数が異様に高い強い酒だから、やめておこう・・」と思われてしまうのも無理はありません。68度とか書いてあったら逃げ腰になってしまいますよね。でも、水で薄めて飲むのを大前提に造られてきた珍しいタイプの酒類なんですよ。とりあえず、カルピスと同じ処方の飲料だと思って頂ければ感じがつかみ易いかもしれません。大まかですが、3〜5倍の水を加えるのが通常で、他の蒸留酒などよりは実際のアルコール摂取量はかなり弱めになります。皆さん、御安心下さい。よほどの経験や確信がある人以外でも、チャレンジが信条の人、誰かに○○と思われたい人などはロックやストレートも良いか、とは思います。楽しみ方は個人の自由ですから。(後述の<水はどれ位入れるの?>もご覧下さい。)

・「As you blend an Absinthe with cold water, a prepared Absinthe contains approximately 14%. 」と明確に希釈度を示している記述もあり、メーカーの最終テイスティングなども15度前後に割水した状態で行う事が多いそうです。(ヴェルサントの試験室の様子はこちら)この位で美味しくないと×なんですね。やはり、ワインの度数がフランス人の適正濃度なんでしょうか?

・かなり個人的な見解ですが、良いアブサンは「伸びが良い」、つまり、多めの水で薄めても味のバランスが崩れにくいのでは?と思います。安いアブサンを薄めすぎると明らかに味のコンポジションが崩れ落ちて捨てたくなりますが、良いヤツは薄いなりにも楽しめます。これは蒸留酒全体にも言える事かもしれません。と言う訳で、メーカーのサイトに3〜5倍までの希釈率を推奨してある銘柄はなんとなく信用してしまいますが、今までハズレた事がありません。逆に、HPなどでアブサン・カクテルを多く記載している生産者は疑ってしまいます。私権ですが、真剣に作ったアブサンに混ぜ物を望む蒸留職人がいるとは思いたくないからです。

・良いアブサンは「伸びが良い」と申しましたが、100年以上前のビンテージ物となると事情が異なる様ですね。ほとんどの古銘柄が2〜3倍希釈で最高のパフォーマンスを演じるそうですが、ほんの少しでも水が多すぎると台無しになる事例が多発しているとか・・・フランスのベテランからこんなアドバイスをもらいました。『 If you add a little too much water it will become flat and loose all its strength. That's the key thing with most vintage absinthes, they are very fragile and can be easily over-watered.』 ビンテージ・アブサンは長年の瓶内熟成を経ています。加水時の希薄な状態を支えている鮮烈な芳香は、大きな整合感の中に取り込まれてしまうのでしょうか。そして、時を経た古酒だけが持つ、深遠な熟成味を演出する不思議な要素に変貌するのかもしれません。

<ビンテージアブサン>ついての記述はこちら当店で御提供可能なビンテージ・アブサンはこちら

<グレープ・スピリッツ> 当時のトップ・ブランドだったペルノー・フィルス社を筆頭に、高級な銘柄は高価なグレープ・スピリッツ(透明なブランデー)をベースとして使っていたそうです。それに対して、安価なアブサンを作っていた生産者が粗悪なアルコールを使用していた事は容易に推測できますね。しかし、貧困層である芸術家や一般庶民が日常的に口にできるアブサンが後者だったの疑いようがありません。数々の悪名と伝説を彩ったのは、むしろ粗悪品の方でした。

<当時の事情> ペルノー・フィルス社“Extrait d'Absinthe ”の様なアブサンは高級グレープスピリッツ、高品質のハーブ原料、(ほぼ)無添加、職人の手作業によるDistilled法、長期熟成など、<スイス的技法参照>による高額商品なのでブルジュアジーしか飲めません。対して普及品は、ビーツ、穀物や廃糖の工業用アルコールかメタノール(超有害)にハーブエキスを溶かし込んだMixed & Macerated法で大量生産されていただけでなく、緑色にするための銅酢酸塩、白濁を促進する塩化アンチモンなどの有害添加物がテンコ盛りの粗悪品がほとんどだった様です。もちろん、商売上手な大手高級銘柄生産者達も別ラインで普及銘柄を手掛けていた事は間違い無いと思います・・・当時の等級による品質格差や値段などについてはこちら

・と言うわけで、今でも高級アブサンでは<高品質のグレープ・スピリッツ(透明なブランデー)使用>を強調する事が多いです。他には、<スターアニス未使用>とか<上質で新鮮なハーブ使用>とか<職人による完全な手作業>とか<○○年のレシピで再現>などの表現が多すぎて食傷気味になってきました。そんな謳い文句の割には安価すぎる怪しい銘柄も出没し始めており、等級分けなどの統一規格が必要になるのではないでしょうか?2009年からアブサンティアーデのコンテスト・カテゴリーが変更され、Mixed & Macerated タイプが対象外になったのもその一端かもしれません。スペイン勢がヤバいですね・・・・(参照

<スペインの事情 > 最近、「大衆銘柄も含めたスパニッシュ・アブサンの多くはグレープ・スピリッツを使用しているらしい」と聞いて驚きました。「現地では最も安価な醸造アルコール原料は余剰ワインだから」との事です。最近問題の<産業廃棄物としての余剰ワイン>に頭を抱えているスペインの事情を考慮すると納得できる話です。もちろんグレープ・スピリッツ自体の品質差はあるにしても、Mixed & Macerated法が使用されることが多いスペイン銘柄に割りとイケル奴が多いのはそんな理由があるからでしょうか?“NS”、“Serpis”、“Montana”、“La Salla”などはOK牧場ですもんね・・・あっ、“La Salla”は蒸留法でした。

<スイスの事情 > 「スイスのアブサンがグレープ・スピリッツを使わない傾向にあるのは、輸入するにあたって税的に不利な非EU国だからのでは?」という話を伺いました。国内消費量(世界第五位)が生産量を上回るスイスでは他の国と異なり余剰ワインの問題はなく、グレープ・スピリッツの国内供給は難しい様です。比較的高価な<アルテミジア>シリーズに上位ヴァージョンとして“La Clandestine Wine Alcohol”が設定されているのはコレが理由の様です。6ユーロ程高いです・・・・

<霊数・68> アブサンにとってシンボリックな68という数字は、漢易などでは特別な意味を持ちます。10の68乗 を「無量大数」と言い漢字圏の数字で表現できる最大数値で、別名を「不可思議」とも呼びました。同様の扱いをされる事もありますが「無限大」とは別の概念です。東洋思想に影響されていた当時の西洋知識人やオカルティスト達にとっては気になる霊数だった事は間違いありません。キリスト教的世界観で長らく否定され続けていたー(マイナス)や0(零)とは逆に、不可知数の象徴でもある∞(無限大)とは神そのものを示す概念だったからです。そして「人(1)と神(∞)の間に立つ、神の子キリストを示す数字こそコレ(下)ではないか!」と閃いた超鋭い勘違い学者がいたのも無理はありません・・・

( 100,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 )

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< Why 白濁 ? > アブサンを印象づける魔術のような現象があります。水を垂らしていくとモワモワと白い濁りが生じ、最後にはカルピスのようになるんですね。白(黄)濁するのは、アルコール濃度が水によって低下し、溶解していたアニス由来の精油成分が不安定になり周囲に膜を形成し、微粒子状に表出して入射光を乱反射するからです。水を加えるだけで起こるこの錬金術的な現象は、私達の幼心を刺激し引き付けて止みません。これを楽しむための面白い道具達が考案され、いまでもレプリカが入手できます。アブサン・ファウンテン(給水器)、アブサン・ブロウラー (Absinthe Brouilleurs) などのファンタスティックな古式器具達(後述)はモ〜堪りませんです。(ランボーが「琅奸の円柱、緑なす」と詠んだ、美しい白濁の変化の様子はこちら

・濁化しないタイプの銘柄も比較的多く、カクテル用に造られている銘柄や、コアなマニア向け、チェコ製アブサンなどに多く見られます。スター・アニス特有のリコリス風味を回避しており、ニガヨモギ風味が強く苦めの銘柄が多い様です。わざわざ< who do not like the licorice flavor.> な人ために<without anise>ページが設けてある海外の販売サイトが印象に残っています。

・アニス酒のほとんどは、アブサン同様に濁化します。フランスのパスティス、ギリシャのウゾ、トルコのラク/ラキ、地中海沿岸のアニゼット(アラブ世界でも原理主義が台頭するまで は主要な酒でした)、オリエント以西のアラック(インドや東南アジアの同名酒は別物)、などアニス入りの蒸留酒はラテン、イスラム圏で広く親しまれています。ヨーロッパ人だけが白濁現象にココまで拘こだわり楽しもうとするのは錬金術的伝統やエキゾチズムからくるのでしょうか?

<いかがわしい動作 of ABSINTHE> アブサン評価サイトでは白濁度や白濁色の変化や美しさにまで評価ポイントを点けています。これを「LOUCHE ACTION」と呼んでいますが、直訳すると「いかがわしい動作」になるんですね。ちなみに、いかがわしさ満点(10/10)銘柄は、アブサン作法の実演映像でよく見かける“Belle Amie/美貌の淑女というフランスの銘柄で「Vert d'Absinthe」という有名なマニア向けショップの特注品です(中央)。左の写真は“1870”と呼ばれるいかがわしさ満点のグラスで、白濁の変化を楽しむためだけにアブサン・リザーバー部(バブル・ステム)と上部の間を極端に括くびれさせてあります。で、「The blown bubble in the stem gives a unique slow-motion louche of surpassing beauty. 」との説明がグッとくる上に、「An essential item for any absintheur.」とダメ押ししてあります。う〜ん、全てのアブサン愛好家の基本アイテムか・・と、思わず購入してしまいましたが、洗う時はどうすんの?って疑問は解決していません。ひたすら水で洗い流すしかないんですかね。(“Belle Amie”と、この”1870”による最強コンビが行う、「恥ずかしくていかがわしい共同作業」を見たい方はこちら。梨オヤジはスケジュールが合わず不参加ですが、代理で可愛いトラ猫君が登場しています。一分過ぎたあたりに注目!当店でもトラ猫君抜きでなら実演?可能です。)

      
いかがわしいさ No1グラスと、いかがわしいさ No1銘柄と、いかがわしいさ No1梨オヤジ

・「LOUCHE ACTION」による評価と、味わいの評価は比例する傾向があります。一般的に美しい白濁は品質の証でもあり、その奥深さには森林の濃霧を思わせる神秘的な吸引力すら感じます。まるで、別の世界が目の前に現出したかの様で、普及銘柄の平凡な白濁とは全くの別物です。この差は両者の作り方の違いから来るものと思われます。つまり、一般的に高級品は職人技的な「Distilled」で造られ、普及品はより容易で工業的な「Mixed & Macerated法」による事が多いからです。精油成分に対して蒸留という過酷な行程がもたらす魔法なのでしょうか?

< 悪魔 と 美神 > アブサンは向精神作用による幻覚や錯乱を引き起こす上、強い習慣性を持つと信じられていました。厳しい社会情勢に翻弄され現実逃避傾向が強くなりがちな貧困層の安易な選択肢(悪魔)となる一方、貧しいながらも希望と志に燃える革新的な芸術家や文化人などにとっては美的霊感を呼ぶミューズ(美神)として賛美の対象にもなりました。不安に満ちた転換期に生きる人々の足元を、怪しげな緑色の明かりで照らす<決してたどり着けない灯台>の様な存在だったのでしょうか。

    

<ツヨン(Thujone)>はツジョン、又はティンヌとも読み、ニガヨモギ、ヨモギ、セージなどに特有の精油成分。アブサン特有の苦味を演出するだけでなく、薬用酒としての効用を担になう必要不可欠な要素です。19世紀後半、異常な過飲環境が呼んだ悪しき風評から中毒作用の原因成分と断定された後に規制の対象として糾弾されました。魔女の証と言われた<悪魔の体内を逆流する緑色の血液>の様に、美しくも怪しくマガマガしい世紀末の象徴として斬首台(ギロチン)に送られました。それ以前はニガヨモギと共に超マイナーな存在だったんですけど・・・

・The value of 260 mg/l was determined on the basis that 100 l of absinthe employed 2.5 kg of dried Artemisia absinthium (1.5% oil, of which 67% is thujone; corresponding to 251 mg/l of thujone in the final product) and 1 kg of dried Artemisia pontica for coloration (0.34% oil, of which 25% is thujone, corresponding to 9 mg/l of thujone in the final product)

・ツヨンについて詳しく知りたい方へ、決定的なサイトはこちらです。

<EUとWHO> 1973年、EU(欧州連合)の前身とも云える欧州諸国共同体は、「一般食品・飲料は0,5ppm以下、25度以下の酒類は5ppm以下、25度以上の酒類は10ppm以下、ビター類は35ppm以下」というツヨン含有量規制基準を設けました。しかし、ほとんどの国でアブサンと云う名称の酒類の製造は禁止されていたので、生産再開にまでは至りません。もちろん、スペイン、ポルトガル、アンドラなど非禁止国では生産されていた様です。しかし、1981年に前記のEU基準をWHO(世界保健機構)が承認した為、禁止国でのアブサン再生産が現実味を持ってきました。その後、各国で合法化されていきます。

・1973年は事実上のEU元年とも云える年です。オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、西ドイツ、フランス、イタリアの6国に、デンマーク、アイルランド、イギリスが加わったばかりでした。まだ欧州の一勢力にすぎず、現在の様な存在感や影響力はありません。欧州連合としての形が整ったのは1990年でした。

<〜35ppm!ビター類アブサン>35ppmまでの含有が認められているビター類アブサンですが、各国で表示言語が異なり分かり辛いです。フランスでは仏産「Amer aux Plantes d'Absinthe」、輸入品「E'xteait d'Absinthe Spiritueux amer」など、ドイツやスイスでは「Bitterspirituose」、チェコでは「Horka Lihovina」、英語では言うまでもなく「Bitterspirit」と、ラベルのどこかに書いてあります。しかし、全てのビター類アブサンが35ppmではありません。10ppmを超えて35ppm以下という規定なので10,1ppmでも「Bitterspirit」との表示が許されるんですね。実際にはほとんどのビター類アブサンが30ppm前後なのが現状で、日本で人気の“Versinthe La Blanche”などは28ppm位だそうです。知る限りでは「Cami」の“L`extrait de fee”、“Songe Vert”の二銘柄が34,074ppmの限界ギリギリ市場最強含有量が確認されており、チェコ物の面目躍如って感じですね・・

・ちなみに、フランスでは2010年12月17日まで「 absinthe 」という単語を銘柄名に使用する事が禁じられていました。それ以前の製品には、上記の様な「Amer aux Plantes d'Absinthe」ではない〜10ppmのアブサンでも 「Spiritueux aux plantes d'absinthe (Wormwood plants based spirit)」と由来表記されています。仏産以外の銘柄でこの表記があればフェンコン規制以前に処方されたフランス仕様の可能も高く、一見同銘柄でもレシピが異なる事もあります。

<マリファナの親戚?>近年でも「ツヨンはマリファナの主成分テトラヒドロカンナビノール(THC) に似た化学構造 を持つ二環式モノテルペンで、両者は中枢神経(つまり脳)内の共通の受容体に作用する(Nature誌)」という有名な論文があります。しかし、数10Kg分のニガヨモギ含有量を摂取しての効果作用なのが事実の様で、10ppm(1ppm=0.0001%)のアブサン750mlで約400本に相当します。19世紀末のアブサン中毒と思われた症状は、むしろ普及品にありがちの低品質なアルコールや有害な添加物の実害の方が主だったと考えるのが自然なのでは?と言われています。

・海外にはキャナビス(大麻)リキュールもたくさんあります。個人消費なら特に違法ではないんですが、日本ではあまり見かけませんね。<○ary ○ane>という角田ヒロ的な隠語を見かけたら可能性が高いです。知る限りでは20銘柄以上は流通しているらしく、ジン、ウォッカ、パスティスなどに浸透させている様です。アブサン+キャナビスという社会性ゼロの強力極悪イメージ銘柄もあったりします。念のため申し上げますが、清廉潔白な当店に期待するのは無駄ですよ・・・・

<その他のワルども>アブサンにはツヨン以外にも向精神作用や有害な副作用を伴う物質が含まれているのも確かです。鎮静作用のあるアネトール(アニス、フェンネル)、幻覚性のあるアサロン(カラムス)、覚醒作用のあるカルボン(ディル、スペアミント、キャラウェイ)、 麻痺、てんかんを引き起こすピノカンフォン(ヒソップス)、その他にも抗鬱作用や殺菌作用のあるケトン類を含む芳香性植物が使用されています。しかし、どんな食品でも極めて微量な有害物質が含まれているのはご存知の通りです。ビタミンCですら過剰摂取は避けねばなりません。アブサンで問題視されがちな成分も微量すぎて無害なのも確かですが、酔い心地が他の酒類とは違うのも確かかと思います。ご確認ください。

    

<それでもツヨン含有率が気になりますか?> アブサンが実際に復興してからまだ10年ほどです。今だに怪しげな成分への関心は衰えず、高ツヨン銘柄をありがたがる傾向がありますね。暗い顔のゴッホ・ラベル“ King Of Spirits(1)なんかは「スッゲー!ヤッバー!モ〜、イックぅ〜」のスゥート・スポット→ズッポリの大注目アイテム!沈殿しているニガヨモギから成分が浸出して、規制値よりツヨン濃度が上がっていくらしですよ(チェコ銘柄は売り方を考えてますね)。でもボトリング時は10ppmなので大した事ないんですけどね・・・・ツヨンの効果に対して、夢見がちな方々がギルティーな効果を期待するのは無理もありません。でも、実態を知ってしまったら瞬時に興味を失うのは間違いないと思います。アブサンという未開拓ジャンルにおいては、その独特な味わいへの理解や文化的存在感への興味などの方が大いに重要なのではないでしょうか?

・真面目な生産者側の姿勢にも、それが表れています。クロード・アラン氏の<アルテミジア>シリーズは [Bitter Spirituose] の表示があるので高ツヨンのはずですが、それに関するアピールは一切無ありません。逆に、復刻アブサンの雄 「Jade Liqueurs」 などはテイスティングの結果なのか比較的低いツヨン濃度でリリースしている様で、再現性への信頼感が高まった感じがします。ノーツヨン銘柄 (“Absente 55”の立場は?)をアブサンと呼ぶ訳にはいきませんが、高濃度ツヨンというだけで歓声があがるロマンティックな時代は終わったのではないでしょうか?

<でもでも、ど〜うしても高ツヨン体験したい!>って方にはアブサン・エッセンス(下2)という裏技もあります。これはエッセンス法に使うハーブ精油を通販(海外での話ですよ)している闇アイテムで、北欧の精神的ヒッピー国の製品という点が妙に納得・・35ppmを遥かに超えた55ppmのアブサンが瞬時(実際は2〜3日)に調合可能で、直に飲めば3000ppm以上の<見果てぬゲロ夢>に突入ですよ。でも、こんなに特殊な配送法を採用してるんですね・・・万が一の事故が起きた時に誰も責任をとってくれないのは言うまでもありません。苦労して個人輸入した割りには美味しい訳でもないのでスグに飽きると思いますし、「妄想の花は枯れやすい」ので全くお勧めいたしません。自宅で蒸留したい人向きの支援サイトはこちらですが、日本では違法なのをお忘れなく・・・でも、参考にするだけなら蒸留過程などの勉強になる良いサイトです。

・50ppmを超えていたのが発覚!流通制限されて逆に評判?なのが、クロード・アラン・ブニヨン氏のSapphireサファイアです。実際に、EU内の全有力サイトではsold out扱いになっていました。ドイツの「LogisticX GmbH & Co.KG」なる会社から外注された銘柄ですが、ブニヨン氏が関わっている事がラベルの記述では分からない様になっています。確信犯的な感じですね・・・極一部では入手可なので、危険な橋を渡らずとも?禁制品を手にする事が出来ます・・・・

<100ppm!> “Logan Absinthe 100(3)、“Century Absinth(4)などはEU規制無視の100ppm外道アブサンとして有名です参照。チェコのクセ者“ King Of Spirits(1)の上位銘柄“King of Spirits GOLD (=Absinth King GOLD)”も100ppmツヨンを謳っており、現時点では最も入手し易い銘柄かもしれませんが180jもします。“Maktub absinthe(5)もボトルがチェコの“Fruko Schulz”(6)だし値段的(145j)にもプンプン匂いますね・・・・・

・基本的にEU以外の国では製造/販売に対しての厳密な規制は無いので、こんな外道達にも普通にアクセス出来るんですね・・当然の様に内容を偽って送って来るはずなので、法を犯す気があれば可能です。念のため言っておきますが、私はツヨン濃度に興味無いので置いてありませんよ・・そもそも、この様なサイトにはウイルスが仕掛けられている可能性が極めて高い事は言うまでもありませんし、こんな業者にカード情報を渡したいと思いますか?

・もっとゴツい奴は330ppmもの含有率を誇る“ Absinthe 330”という都市伝説的アブサンの噂ですが、本当にあるんですかね?そういえば、どこまで本気かは不明ですが、チェコの某生産者が“your Absinth”のオーダーを受けるとオファーしており「何でも希望の通りにするよ」と書いてました。

・基準値を超えたアブサンの検索をしていると、アチらコチらで○ェ○・マフィアの影がチラついています。フォーラムの中でも言及されており、非合法品だけに闇世界の方々が絡んでいるのは不思議ではありません。チェコ・アブサンの立役者として有名な故Martin Sebor氏の死因についても不明瞭な点があるそうです。ソ連の例を挙げるまでもなく、崩壊後の共産国には共通の問題が生じてしまうのかも知れません。上記の規制無視銘柄のサイトから○○ッ○天国のタイやベトナムへのリンクが貼られている事にピンと来る人がいるんでしょうね・・

1)2)3)4)5)6)
やっぱ、とりあえずゴッホかよ・・(×2) と、幻の“Logan100”、“Century”、“Maktub”、ついでに “Fruko Schulz”

・The value of 260 mg/l was determined on the basis that 100 l of absinthe employed 2.5 kg of dried Artemisia absinthium (1.5% oil, of which 67% is thujone; corresponding to 251 mg/l of thujone in the final product) and 1 kg of dried Artemisia pontica for coloration (0.34% oil, of which 25% is thujone, corresponding to 9 mg/l of thujone in the final product)

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「いいとこなんだから邪魔しないでよ。」「でも、今からアブサンの歴史のお勉強よ。」

さて、ここからはアブサンの歴史についての紹介です。

ここにアブサン史最初期の文献資料が集めてあって面白いです。

< アブサンの起源 中世以前 > アブサンの祖先とも言えるニガヨモギの薬用酒は中世以前にも存在していました。ニガヨモギ自体、古代エジプト人、ギリシァ人、ケルト人の間でも薬用植物として使用されており、現存する最古の本草書として知られる「マテリア・メディカ 」(歌う皇帝ネロの軍医だったディオスコリデスによる1世紀頃の植物誌)にもニガヨモギについての記述があります。強壮・食欲増進・解熱などの薬効が広く知られ、中世までの薬酒商人にとっても重要な薬草だったそうです。近代医療以前の中世においては、薬草類の効用を生かし保存性の確保に有効な薬用酒は欠かせない存在でした。ニガヨモギの生息地域でアブサンの前身といえる酒類が身近だった事は容易に想像できます。中世のレシピは浸透後に発酵させるワイン・リキュールだった様で、今のヴェルモットに近い酒類だったそうです。

・ニガヨモギに関しての現存する最古の記述は、およそ紀元前1552年に書かれたと推測されるパピルス文書の中にあります。このパピルス自体が紀元前3500年の元本の写しだと推測されており、トト神で知られる都市国家ヘルモポリス由来と言われています。エジプト古代統一王朝以前の小国家時代に遡る古い知識ですが、内容は害虫駆除の効用について述べたものです。ワインの前身といえる飲み物が登場したのもこの頃です。

・有名な哲学者で数学者のピタゴラス(紀元前582年〜496年)は、ワインに浸されたニガヨモギを出産時に服用することを勧めました。中世医療の祖と云われるヒポクラテス( 紀元前460 年〜377年)は黄疸、リウマチ、貧血、および生理痛に同様の調合を処方したそうです。古代ローマの博物学者大プリニウス(23〜79年)も著書『博物誌』の中でニガヨモギの効用を説いています。

・旧約聖書ではニガヨモギの苦味が、呪い、災難、不正の譬たとえとして登場しています。エデンの園から追放されたヘビ(worm)の這った後に生えた草であるという逸話も有名らしく、Worm Wood(ワームウッド)の名の由来との説もあります。『ヨハネの黙示録』8章には,「悪しき星が落ちた河の水はニガヨモギのように苦くなり、その水を飲んだ人々は次々に死に絶えた。人々に英知は無く、ただ神に祈るのみだった。」という聖文があります。聖書の中でニガヨモギに関する記述は12回以上登場するそうです。特有の苦味がネガティブな要因の象徴になっていた時代は長く、薬用以外の目的で生活を彩いろどり始めたのは中世が終わってからでした。

"And the third angel sounded, and there fell a great star from heaven, burning as it were a lamp, and it fell upon the third part of the rivers, and upon the fountains of waters; And the name of the star is called Wormwood: and the third part of the waters became wormwood; and many men died of the waters, because they were made bitter." ( Revelation 8:10-12)

ある種類のヨモギ(Artemisia vulgaris)はロシアではチェルノブイリ(黒い草)と言うとか。聖文のからの連想で、例の原発事故が起こった時には「ついに世の終わりが来た」と観念した聖職者は多かったと伝わります(アブサンに使う品種とは違います)。又、北欧のスカンジビア半島では雑草として自生しており、バイキングの間では死の象徴とされていたそうです。禍々まがまがしい話が多いですね。

・ギリシャの苦くて飲みづらい飲料 apsinthion は、おそらくニガヨモギをワインに浸透させた薬用酒と思われます。ローマでは戦車競争のチャンピオンを讃えて apsinthium (ニガヨモギ・ワイン)を振舞う習慣がありました。

・アブサンの起源は明確ではありませんが、上記の様にニガヨモギを使った飲料は早い時期から存在していました。しかし、近代アブサンの基になる概念が生まれるには蒸留技術が必須条件です。この最先端技術が十字軍遠征を契機にアラブ世界からヨーロッパに伝播し始めたのは11〜13世紀以降。門外不出の秘法として洗練され定着し始めたたのが14世紀頃から、と考えるのが妥当な気がします。この技術の普及に一役買ったのは錬金術師達で、彼らが追い求めた至高の霊薬酒「エリクシル(elixir)酒」 こそがアブサンの精神的な起源ではないでしょうか。

< 錬金術による蒸留技術の発展 中世からルネッサンス以降 > 古代エジプトに端を発しアラブ世界で発展したヘルメス的神秘思想錬金術的科学は古代から連なる叡智えいちのエッセンスとして形而上(精神面)と形而下(現実面)を象徴する存在でした。十字軍遠征(1096〜1272年)をキッカケとして後進地域だったヨーロッパに伝わります。かつてない先進的な世界観を提示された西洋世界は根本から覆り新たなる価値観を確立する時代が始まりました。これに伴いルネッサンスが始まった14世紀以降には蒸留技術が定着したと思われ、それまで浸透法で造られていた薬用酒の世界にも革命的な変化が起こります。錬金術師達が蒸留法普及の重要な担い手となった事が知られており各地の宮廷や修道院などで門外不出の秘法として洗練を重ねていきました。

・アブサンの魂とも言えるニガヨモギはルネッサンス期以降にも薬草として重宝されていました。下記の資料にも記述が残されています。中世期には浸透法を主体に薬用酒を造っていた修道院でも蒸留法が一般化し薬草の効用を引き出す試みが続けられてきました。アブサン関連では始原地クーヴェ村から15Kmほど北にあるフランスのMontbenoit修道院にもニガヨモギ薬用酒のレシピが伝えられていたそうで、蒸留法や薬草の効用などを民間に広めたと思われる記述もありました。民間での使用は記録に残る機会も少なく不明な点が多いですが後の普及度から一般的な薬草として使われていた様で消化促進作用や健胃作用 で知られていました。又、虫除けとして使用される例などは頻繁に見かける事ができます。

 1469年の本に、ニガヨモギに関する記述があります。  こちらは1667年のニガヨモギに関する本でラテン語。

・チューダー王朝期(16世紀頃)のイギリスで活躍したシェークスピアの『ロミオとジュリエット』で、乳母がジュリエットにニガヨモギの離乳作用を説明するシーンがあります。又、ニガヨモギ入りのワイン'eisel / eysell が『ハムレット』や小編にも登場しています。この頃のイギリスではニガヨモギで風味付けしたビール(purl)が労働者階級に人気だったそうで、後の17世紀に書かれた有名な「サミュエル・ピープスの日記」にもこの飲み物について記されていることから長く親しまれていた事が分かります。

古い資料が集まっているページを見つけました。こちらです。

<アブサンと神秘学> 今も昔も、アブサンを取り巻く人々が共感する精神傾向としてグノーシス的世界観を基にしたヘルメス神秘学があります。エジプトを発祥としたイスラム系の秘儀を発端とし、ほとんど全てのヨーロッパ系神秘学の根幹になったと言っても過言ではない大きな思想体系です。蒸留法を担にない広めた中世の錬金術師達だけでなく、近代のユングやシュタイナーなどの思想家、秘密結社、魔術集団などに大きな影響を及ぼし続けてました。キリスト教的価値観を動脈に例えるならば、ヨーロッパの精神的深層面を支えてきた静脈的な存在で、西洋文化を理解する時に外せない必須概念と言えるでしょう。

・多くの芸術家、神秘思想家、魔術師、アウトサイダー達がアブサンに魅了されてきたのは、その特異な存在感がヨーロッパの地下水脈的な精神性を象徴してしまったからではないでしょうか?禁制期間中にも忘れられず潜在し続けたアブサンの有様からは、ヨーロッパ文化の精神的深層部におけるヘルメス神秘学を連想せざるを得ません。って言うか、アブサンこそ唯一とも言えるヘルメス的概念を体言した飲み物なんですね・・・既成概念を根本から覆しかねない<黒い真実>が緑色の薫る液体の姿で日常生活の隙間から滲にじみ出してくる・・・それは、鈍く輝くシミとなって消える事はありません。

・錬金術、神秘思想、蒸留技術の発展などに関しては別項にまとめてあります。ヒマな(あ、間違えた)興味のある方はこちらをご覧下さい。

・ベル・エポック期に流行った作法のバリエーションとして、<グラス・イン・グラス>なる手法もありました。大きめのグラスの中に立てた小さなグラスにアブサンを入れ、水を注ぎ溢れさせると、大グラスにて乳白色の水割りの出来上がり・・・と、???な感じですが、手軽に出来る見た目の面白さで流行っただけのお遊びなんでしょうか?それとも日本人には分かりづらい、深い啓示が・・・んっ!ヘルメス的基本概念の<神霊の流出>を表現していると見えなくもないんじゃないですか?つまりヘルメス神秘学の教義を現出させた小宇宙を、自ら飲み干さんとする「壮大にして厳粛かつ神聖なる行為」ってこと?まさかね・・・

    
砂糖は使わないタイプの作法です。グラスの脚までお揃いでカワイイですね。

・しかし、透明な液体が何の変哲も無い日常的存在である水を加えるだけで白濁する・・・その様は錬金術師が目指した「元素変換」を強く連想させます。一般に科学的視点が浸透していなかったベル・エポック期は、迷信と科学が同じ皿にゴチャゴチャと盛り付けられていた時代でした。手元で起きる不思議な出来事に神秘性を感じない人は少なかったのではないでしょうか?この魔法の様な出来事が当時の人々にどの様に映ったのか、現代の我々が推し量る事などできるはずもありません。

< 産業革命、1760年代〜 > <最後の大いなる錬金術師>とも言われるニュートンが出現し近代物理学の基礎が築かれます。その成果として機械工業が発達しかつてない時代の変わり目を迎えました。この出来事は近年のパソコンの登場による情報の在りかたの変化など可愛いらしく思える程の決定的な大変革でした。中世・ルネッサンスから続いてきた混沌とした旧世界が産業革命が起こした構造変革に耐えらる訳がありません。正に疾風怒濤しっぷうどとうの時代と言え、慌あわただしくも期待に満ちた変化の連続に翻弄されます。この凝縮された時期の残り香は禁止されてタイム・カプセル化したアブサンの中に保存された様な気がします。他の酒類には決して見られない特異な作法が錬金術師達が行っていた呪術的な儀式を思い起こさせるのも偶然ではありません。

・産業革命は資本主義が本格化する契機にもなりました。また、それまでには起こりにくかった深刻な労働問題が発生し民主主義への意識を高めます。そして、工業と交通網の発達により人口と文化の都市集中化が始まり地方の過疎化が急激に進みました。ベル・エポック期におけるパリの隆盛は産業革命が起こした社会偏向の賜物たまものでもあります。

・家族のあり方にも決定的な変化をもたらしました。農業が中心で家族みんなで働く生活から夫の賃金労働が主となり、賃金を得られない家事労働は低く見られる様になります。それまでは宗教的な女性区別が主でしたが、ついに社会的女性蔑視が始まってしまいました。「俺が食わせてやってんだから、文句ゆうなっ!」って暴言の始まりですね・・・産業革命による様々な変革によはそれまで明確だった階層の区別が曖昧になり始め各種の差別意識を生むきっかけとなりました。

・また、人間の生活が時計によって縛られるようになったのも産業革命以後です。<勤務時間>という新しい概念と相対する様に<自分の時間>という価値観も生じ、さらに<自分の存在意義>について考える事が一般化し始めます。「私って生てる価値があるのかしら・・・」って泣き言の始まりです・・・まぁ、『とある人間はたまたま生きてるに過ぎない』のであってそこに意味や価値を無理矢理こじつけ様とすると答えの見つからない自己矛盾に陥る訳です。それまで生存する事だけで手いっぱいだった庶民層までもが人類史上初めて自分自身の事を考える時間の余裕が出て来たんですね。

<最後の大いなる錬金術師> 万有引力の発見?で有名なアイザック・ニュートン(1642〜1727年)は、「最後の魔術師」、「中世と近代を自由に行き来する人に」などと評されています。大変革を迎えつつある時代の狭間に近代物理学という核弾頭を放り込んだ稀代の神秘家です。キリスト教や錬金術の研究でも知られており、<三位一体>を否定する異端教徒でもありました。これは二元論を基本とするグノーシス派に特徴的な価値観と言えニュートンのヘルメス的側面が伺うかがえます。成し遂げた科学的偉業のほとんどが神秘学的視点から着想されたもので、『私が遠くを見る事ができたのは巨人達の肩に乗っていたからですよ。』という奥ゆかしい言葉に表現されています。他の神秘家達と決定的に異なるのは検証において科学的な姿勢で臨んだ近代的姿勢でした。しかし、錬金術の実験の一部は禁止されており、その罰として絞首刑などが執行されている時代です。当然、錬金術に関するニュートンの著作は出版されず原稿の多くが焼失して全貌は不明のまま・・・しかし、遺髪から水銀が抽出された大ニュースは話題を呼びました。体を張って錬金術実験を行っていた事が証明されて「近代物理学の父」ニュートンのオカルト的側面が明らかになります。社会的地位を勝ち得ながらも異端者にして錬金術師という二重の業罪を隠し持つダーク・サイド・ヒーローだったんですね・・・そんな訳で?終生独身でした。参照

『目の前には手も触れられていない真理の大海が横たわっている。私はその浜辺で貝殻を拾い集めているにすぎない。』

<現代の錬金術師> かなりの余談ですが、<最後の錬金術師>として名が知られ1983年に亡くなられた C・ルイ・ケルヴラン(C.Louis.Kervran)と言う科学者がいます。現代物理学では解析不能とされる様々な現象に着目し、『自然界では、原子核物理学とは異なるプロセスを通じて、酸素や水素や炭素といった基本的な元素をやりとりする元素転換の現象が普遍的に存在する』という視点を確立しました。つまり、生体内でも核融合・核分裂に相当する転換現象が起こっている!って事らしいです。彼の主張は現代科学の基盤を根底から揺るがせる着想でした。元素転換に類似する概念は原子に関する知識が確立されていなかった中世の錬金術に遡さかのぼり、 危険を感じた批判者達は<現代の錬金術師>と言うレッテルを張って葬り去ろうとします。そして、彼の論文と議論の全容はフランス農学アカデミーの公式記録からは抹消されました。しかし、彼は町の変てこ疑似科学者なんかじゃありません。1975年のノーベル賞(医学・生理学賞)にノミネートされている程の人物でもありました。

< 近代アブサンの始まり、18世紀中頃 > トラヴェール渓谷のアンリオ姉妹とオルディネール医師  

<アンリオ(Henriod)姉妹ヌューシャテル > 何世紀にも渡って各地の薬用地酒に過ぎなかったニガヨモギ酒に新しい時代が訪れます。 スイスはジュラ山脈トラヴェール渓谷(Val-de-Travers)の湖畔に佇たたずむヌューシャテル(Neuchatel)の町こそ近代商業アブサン発祥の地です。有名な小アンリオ姉妹の母親 la Mere Henriod (母アンリオ /1756-1843) が地域伝来の薬用酒のレシピを基に"Bon Extrait d'Absinthe"なるニガヨモギ酒を作って販売していました。記録に残る最初の近代商業アブサンだと云われており、ニガヨモギ、アニス、レモンバームなどを使用した万能薬用酒だったそうです。商業的にも成功していた様で1769年の新聞広告という物証も残っています。なんと言っても商品名に d'Absinthe の文字が使われている事実は大きく、『近代商業アブサンの祖』として讃える信頼性の高い根拠になっています。

<新聞広告>に関しては「In a newspaper ad of 1769 the two Henriod sisters from Neuchatel, Switzerland, advertised their remedy "Bon Extrait d'Absinthe" which consisted of alcohol, wormwood, aniseed, lemon balm and other herbs. 」 という記述があります。他の記録には"Bon Extrait d'Absinthe"は20年以上も継続して販売された地元の人気商品だった事も記されていました。

la Mere Henriod (母アンリオ ) には三人の娘がいました。Suzanne-Francoise (1791-1843)、 Charlotte-Justine (1793-1866) 、Cecile (1796-1868) です。何故か長女のSuzanneの名はあまり出てきません。最近までのアブサン史研究では次女と三女の小アンリオ姉妹を主体に語られており、母親の家伝レシピを基にして事業を始めたと言われてきました。しかし、実際には母親から家業として引き継いだ事が判明してきたそうです(参照)。

la Mere Henriod (母アンリオ ) についてはSuzanne-Marguerite HenriodMarguerite-Henriette HenriodHenriette Henriod などと???な名前で書いてある事が多く様々な解釈を招いてきました。加えて、小アンリオ姉妹の叔母Suzon Guyenetという人が大いに絡んでいるとの記述もあります。名前の表記法が分からないのですが、一つの可能性としてSuzanneSuzon だとしたら結婚してセカンド・ネームが変わる前には大アンリオ姉妹Suzanne-Marguerite Henriod などと表記した文献があった可能性も・・・一世代前の元祖アンリオ姉妹って感じだったんでしょうか?そうなると古い資料に表記された <Henriod sisters> がどちらの姉妹を指しているのか?という疑問すらわいてきますね。ひょっとしたら、母親の代の大アンリオ姉妹Suzanne-Marguerite-Henriette Henriod の三姉妹だったりして・・・ココまで来ると完全に個人的推測/妄想ですが・・・

< 矛盾点 > この項目の判明?している時系列を追うと不自然な点が生じます。la Mere Henriod が13歳の時に新聞広告を出した事になりますから・・・これはアブサンのフランス起源説を主張する人達にとって最適の攻撃目標になっていますが、生年数字が正確だとしても先代からの事業と考える方が自然でしょう。それ以前に87歳という長寿は当時の平均寿命を考えると魔女的な長さですが、健康ハーブ酒の薬効って事?いやいや、この頃の出生/死亡届の正確さが破壊的だったのを考えると不思議ではありません。かなり有名な人ですら不明の人が多く、田舎などでは届け出が遅れるのは基本だった様です。何故かアブサン文献に登場しない長女のSuzanne-Francoise (1791-1843)と死亡年が一緒なのも気になります。何らかの都合で届けを同時に出したのかもしれません。ひょっとしたら、重労働であるニガヨモギ採取を依頼していた農家との口約束的契約を継続するために、母親の死亡を隠匿していたのかもしれません。そして長女が表に出ない状態で原材料の調達を担当していた?Suzanne-Marguerite Henriod との表記も別の形で気になります・・・いくらなんでも考えすぎですかね。しかし、1769年の新聞広告と1797年のレシピ譲渡は動かし難い事実です。

< "Bon Extrait d'Absinthe"とは > しかし、アンリオ家の"Bon Extrait d'Absinthe"は次項オルディネール医師の“Cure-all (万能薬) ”と同様に近代アブサンの基本的な形態を備えるには至っていません。この時点では完全に薬用品としての需要のみだったので嗜好品としてのアブサンに必須の「聖なる三草」が出揃っていないからです。近代アブサンが成立するには姉妹からレシピを譲り受けたデュビエ公爵と娘婿の御大アンリ・ルイ・ペルノーが創業した初のアブサン企業「Dubied Pere et Fils」の登場(1798年)を待たねばなりません。

・下のラベルには"Extrait d'Absinthe Qualite Superieure, de l'unique recette de M'elle Henriod de Couvet."と書いてあります。最後にクーヴェ(Couvet)村の文字がありますね。販売が軌道に乗った後は販売窓口としてヌューシャテルにl'auberge(食堂旅館)を経営していた様です。事業が拡大するにつれて「浸透法」から「蒸留法」に移行したとの見方もありますが、定説はありません。下図のラベルを見る限りでは単式蒸留器を使用していた時期があった事は確実でしょう。少なくとも前述の様な新聞広告を出すくらいだったので家内生産小企業的な規模にまで成長していたと思われ、ラベルの存在も商品として流通していた事を証拠立てています。参照

・下中央はアンリオ姉妹の名が付いたスプーンです。[This eccentric "Henriod spoon" is a tribute to the legendary Henriod sisters and their Bon Extrait d'Absinthe, which they invented and sold as a herbal remedy in Neuchatel, Switzerland in 1769. Theirs was the first absinthe ever made.]ですって・・・「herbal remedy」とは ハーブ療法の意味です。このスプーンだけ他とはデザイン概念が根本的に異なるな?と思っていたら、こんな由来があったんですね。古い時代の医療器具の形を継承しているのでは?と思われます。下右は17世紀の病院用スプーン“pap boat”です。病人や幼児に食事や薬を与える時の道具だそうです。

   

< やっぱ!クーヴェ村なんだ・・・ > 最近知った重要な事実・・・なんと、アンリオ家はクーヴェ村の出目だったそうです。となると、副業的な家業がニガヨモギ薬用酒の製造/販売だったとしても全く不思議ではありません。二代目の小アンリオ姉妹はヌーシャテルで事業を拡大させた後にクーヴェ村に移り住んでいたと言う記述も見掛けますが、実家だったからなんですね。

・ここで気になるのは同時期にクーヴェ村で酒類販売/蒸留業を営んでいたAbram-Louis Perrenoudとの関係です。御大アンリ・ルイ・ペルノーの父親で、最初期アブサン関連の裏キー・パーソンなんですね。そうなんです、後にアブサン帝国として君臨するペルノー家もクーヴェ村の出目なんですが、この時点ではアンンリオ家に一歩先を許していた様です。そして、Abram1794年に残したレシピは高度に洗練されており、近代アブサンの原型を成しているといっても過言ではありません。しかし、重要なレシピにしては不自然と思われる日記の中の走り書きメモ的な形で残されているのは何故なんでしょうか?いらん妄想が膨らんできちゃうんですが・・・ 

< レシピの譲渡 >1797年、小アンリオ姉妹は初のアブサン企業「Dubied Pere et Fils」を起したデュビエ公爵にレシピを譲渡(後述)していますが、かなりイヤイヤだったとの記述もあります。どんな事情だったのかは不明なんですが、企業家による搾取的な取引だったんですかね?譲渡を望まれる内容だった事を考えると、デュビエ公爵側とも言える Abram のレシピには欠けていた「重要な何か」があって、多少の金銭を払ってでも得る必要があったのかもしれません。又は、レシピと云うよりは量産化可能なオペレーション・メゾットだったとも考えられます。どちらにせよ、作業的にも資金的にも家庭事業規模では手に余る状態だったのでしょうか?

小アンリオ姉妹はアブサン販売の窓口を兼ねた l'auberge (食堂旅館)を経営していた様ですが事情で手放していました。事業を拡げすぎたのでしょうか?その食堂旅館を買い戻す資金を得るためにレシピを売却したらしい、との記述を見つけました。

< 他の産業 > 近代アブサンが成立するキッカケと成り得た薬用地酒は、ニガヨモギが自生する各国各地に点在した事でしょう。その中で、土壌が農業に向かないため副業を得ねばならず、懐中時計の部品造り(☆)以外には目ぼしい産業が無い・・・しかし、その土壌がニガヨモギの育成には向いていたのがジュラ渓谷のトラヴェール地域です。近代アブサン発祥の地としての必然的な命運を秘めていたのかも知れません。この地域に今となっては名も残っていない幾多のニガヨモギ薬用酒生産/販売者がいたと思われますが、その中でも最も商才にも恵まれていたアンリオ姉妹だけが新聞広告という物証に名を残したのかも知れません。

(☆) ジュラ山脈一帯の時計産業は有名ですね。当時のスイスでは市民層が政治と文化を担っていたため、普及品の懐中時計の生産が中心でした。他国では富裕層向けか船舶用が主だったのとは事情が異なります。量産の為に規格化された部品がイギリスやフランスにも輸出されていた程で、冬の間は時計部品を製作していた兼業農家が多かったそうです。世界でも最も古い時計ブランド「ブランパン」が創業したのが1735年、ジュラ渓谷で作られる部品をジュネーブの職人が組み立てる分業スタイルが確立されたのが1755年と、時計王国スイスへの地盤を固めつつあった頃がアブサンの生誕前夜でした。アブサン名産地として知られるフルリエやヌューシャテルなども有力な部品生産地だったそうです。特にヌューシャテルは時計史上に大きく名を残しているんですね。 「時計の歴史を200年早めた天才」と称えられるアブラアム・ルイ・ブレゲの生誕地だったからです。もし時計部品産業が地域全体を支えるほどの規模に至っていたら・・・この地がアブサン聖地として名を成す可能性は薄かったのかもしれません。

・現在においても、スイスで主要と思われる10のアブサン生産者の内9軒はヌューシャテル州 ヴァル=ド=トラヴェール郡にあります。つまり、ドイツ語圏に含まれるベルン州カルナッハ村の「Distillery Matter-Luginbuhl」を除くと、スイス・アブサンの9割以上は今でもトラヴェール渓谷周辺で作られている事になります。圧倒的な集中度なんですね。

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< ピエール・オルディネール(Dr Pierre Ordinaire)・クーヴェ村 > フランス革命前夜の1771年、クーヴェ(Couvet)村に移住して来たオルディネール(1741〜1821年)は、長らく <アブサンの創始者> と勘違いされていた有名な医者です。しかし、アンリオ姉妹の前例が史実として確認されていますし、一個人がそれまでに存在しなかった普遍性のあるアルコール飲料を発明できるなんて夢の様な話は在り得ません。彼の功績は、地元民がニガヨモギなどを蒸留して造ってきた伝統的な民間薬用酒を軽んじず融通性のあるレシピにまとめた1792年という事に尽きるのではないでしょうか?しかし、レシピの内容から推測すると近代アブサンの基本構成には至っておらずアンリオ姉妹の"Bon Extrait d'Absinthe"同様に近代アブサン直前の薬用酒の一つだった事が伺えます。

<オルデネールの薬用酒> は、薬理効果として、抗炎症作用、解熱作用、鎮静作用などを謳っていました。ニガヨモギの他に コリアンダー、ベロニカ、カモミール、アニス、ヒソップ、 ハナハッカ(dittany) 、カラムス(sweet flag)、メリッサが効用ハーブとして使われていた様です。それに加え色付けの為のホウレンソウ、パセリなどの使用も記録されているので、無色透明ではなく色が着いていた事も分かります。

・1821年(1793年説もあり)に亡くなった時には“Cure-all(万能薬)” として地元では良く知られた存在だったそうですが、商品として販売されていたかどうかについての情報は発見できませんでした。つまり、商品として流通する際に必須の領収書や納品書などが見つかってない感じなんですね・・・その割には使用ハーブが比較的明快なのが不思議。医療的に処方されて処方箋の様な感じで残っていたのでしょうか?この辺の資料をコレクターが所有していたとしたら現物を公開しない事も・・・

< アブサン起源に関する争い > 商的な優位性を持つためにアブサンの起源をフランスとスイスが争ってきた歴史は長く、現在でもこんな感じで決着は着いてません。<アブサンの創始者オルディネール> と言う怪しい定説は、フランス派の希望的資料解釈が長年に渡って語られ続けてきた結果なのかも知れません。しかし、包括的に見るとアブサンのフランス起源説は根拠が薄い感じがします。そんな訳で、医師オルディネールの存在はアブサンの起源をフランス人に求めたい人達にとっては <最後の砦> となっている様です。

・この事情は海外のサイトを見ているとスグに分かります。フランス派のサイトではアンリオ姉妹に好意的な解釈をしている例が少ないどころか記述が全く無い事も珍しくはありません。そしてオルディネール氏がアブサンを発明した事を大前提に話が進んでいきます。スイス派の場合は全く逆で、オルディネール氏を貶おとしめる様なニュアンスが強く感じられます。そして<真のアブサン創始者> としてアンリオ姉妹の存在をアピールし、地元ならではの瑣末的資料を基に自信にあふれた論調で展開しています。個人的にはスイス起源の方が納得なんですが日本ではアンリオ姉妹の名はほとんど知られていない感じがします。輸入経由の都合でフランス派の情報が主体だったからでしょうか?

・フランス派の解釈として、「オルデネールの死後、レシピは家政婦?兼愛人だったGrand-pierre嬢から従妹のHenriod姉妹の手に渡り、アンリ家に売却された」と云う出来すぎた話はよく耳にしますよね。しかし、彼がクーヴェ村に登場する数年前にアンリオ家がアブサンを商品化し成功していたのは史実です。しかし、御大アンリ・ルイ・ペルノーの父親で極めて重要なレシピを残しているAbram-Louis Perrenoud 後述の存在には全く触れていません。クーヴェ村在住のスイス人だからでしょうか?判明している情報だけを都合よく選択して無理やり関連付けた結果、上記の様な話になっていったのかも知れません。

・フランスの有名な生産者フランソワ・ギー氏の言葉は以下の通りです。「世界に有名なアブサンはスイスで生まれた訳じゃない。ここ、ポンタリエで生まれたんだ。最初に作られた場所はスイスだったにしても、発明者はフランス人だったんだ。」もちろん、オルディネール氏の事です。

・スイスの重要生産者イブ・キュプラー氏によると「アンリオ姉妹が霊薬の処方箋をオルディネール医師に売って、これをぺルノー家が商品化した」と云う伝説を祖父(初代)から聞いたそうです。オルデネールをレシピの内容とは無関係の仲介商人の様にあつかっており、極めてスイス寄りの疑わしい話ですね。しかし、皆が勘違いしがちな事実を強調することは忘れません。すなわち 「ペルノー家はスイス人だ。」 これに間違いはありません。

・どちらにせよ、アンリエット姉妹とオルデネール博士の逸話がルーズに交錯して伝聞解釈で広まった、と考えるのが自然ですね。すぐ近所に住んでいた同業者?なので、姉妹とオルディネール、そしてAbram-Louis Perrenouの間に何らかの交流があったのは間違いないと思われます。お互いに情報を共有しあったとは考え辛いですが、家伝のレシピで商う姉妹、ニガヨモギ薬用酒を研究している医師、酒も商う蒸留業者・・・三者は完全に競合する関係ではなく、ある部分では協力しあっていた可能性を否定できるでしょうか?女子二人に男子二人・・・プチ合コンもバッチリな組み合わせには妄想を刺激されますね。ちなみに、クーヴェ村はアンリオ姉妹の出身地のヌューシャテルから20Kmほどの山間やまあいにある小さな村で、豊富なハーブを求めて姉妹も移り住んで来ていた様です。参照

・アンリオ姉妹のレシピを盗み出しアンリ・ルイ・ペルノーに売り払った小悪党だったというヨタ話(下)も・・・たぶんスイス過激派によるテロ行為的解釈ですね。もちろん、完全に否定できる訳ではありませんが・・・・・

・According to one Swiss version of this legend, it was the Henriod sisters who were the original inventors and Ordinaire was a scoundrel who stole the formula, selling it to a Major Dubied, who in turn employed Henri Pernod, who would later become Dubied's son-in-law. 参照

< Who? >・オルデネールはヌーシャテル州とは国境を挟んだフランシュ・コンテ地方(Franc-Comtois)の出身者なので完全なヨソ者と言う訳ではありませんでした。むしろ、同じ文化圏の人と言っても良く、医者として地元の薬用酒についての知識は事前に得ていたであろうと思われます。蒸留行程は古いジンの様な造り方ですが、もちろん彼の考案という訳ではありません参照。つまり、オルデネールの功績は地元民が各個人で処方していたレシピを重用した点につきると思いますので、<アブサンの創始者>という程の存在ではなかった様です。

・オルディネールがクーヴェ村に流れてきたと言われる1771年はフランス革命前夜ともいえる微妙なカオス期です。動き始めた産業革命による社会機構の変貌や相次ぐ戦争やアメリカへの過剰投資による財政難はかつて無い危機感を煽り、啓蒙思想という新しい視点が生まれて旧体制の抱える矛盾を次々に暴露していきました。この様な時期に、故郷を捨てて隣国へ移住する動機は何だったのでしょうか?とは言え故郷と同じ文化圏、しかも国境近くのフランス語エリアなので超シリアスな事情があったと言う感じがしません。破廉恥な事件を起こして故郷に居られなくなったとか・・・つまり、追放ですね。良い方で考えるとルソーの『社会契約論』の様な個人の自由意志を主張する民衆よりの思想に応呼して行動した進歩主義者だった・・・しかも、家政婦を雇っていたらしいので特権階級。でも、それなら自分の故郷でやれよな!って思いますよね・・・やっぱ、一身上の都合で身をかわしていた富裕層の放蕩息子だったんでしょうか?

・ちなみに、18世紀末の医者は現代の我々から見ると微妙な存在でした。当時の医学は生活に根ざした体験的特殊技術だったので、意外と科学的視点の獲得が遅れていたんですね。ヒポクラテス以降の瀉血治療が継続して行われており、体液を入れ替える?事が内科医の主な目的だった様です。悪い血液?を抜きすぎて出血死する例は日常茶飯事・・・薬用酒の使命は体内の血液を交換?しないで浄化にする事だったんですね。近代科学に基づいた医学体系が築かれ始めたのは19世紀半ば以降の事だそうです。もちろん、医師免許などは整備されておらずニセ医者が横行していた事は言うまでもありません。しかし、医術の心得がある富裕層知識人が人々を助けようと尽力していたのも事実で、オルデネールはそんな感じのエライ人だったのではないでしょうか?多くの記述によると、高い背と異様な服装が目を引くエキセントリックな人物だったそうで、周辺住民の冗談ネタや子供達の興味の対象として目だった存在でした。しかし、地域の医療には貢献した良い医者だった様です。

 ちなみに、オルデネールの曾孫にあたるルイ・ディオニス・オルデネールはポンタリオ地区選出の国会議員に選出(1880年)され国会で勢力をのばしつつあった反アブサン勢力と戦いました。その息子もドゥー地区の上院議員として活躍したそうで、ピエール・オルデネールの子孫は亡命先のスイスで名家を成した様です。

< オルディネール以前 > もちろん、オルデネールより前にアブサン製造の原型とも云える蒸留処方は知られており出版物も残っています。例えば、1677年の書物 『Hiera Picra, vel de Absinthio analecta,』は、蒸留法によるアブサンに類似した酒の造り方を記述した最古の資料として有名で、当初はラテン語でしたが後に翻訳版も出たそうです。その後にも、1731年にイギリスのG,A,Smithが『Complete Body of Distilling』なる著書の中で「Dried leaves of wormwood were infused in proof-spirits, distilled, and sweetened with sugar as prescribed.」、つまり、「乾燥したニガヨモギの葉をアルコールに浸透して蒸留し、規定の砂糖を加えて甘くする」などと記述しています。オルデネールがレシピを書いた時から100年程前にもハーブを浸透したアルコール・ベースを蒸留する手法は特に珍しい技術ではなかった事が伺えます。

< 砂糖!> 上記述で目を引くのは砂糖の使用ではないでしょうか?アブサンの伝統的な飲み方としてポピュラーな方法が、苦い薬用酒を飲みやすくする知恵からの由来である事を暗示しています。アブサンという存在が近世以前の忘れ形見的な飲み物である事の証の様に思えます。

<チェコのにニガヨモギ薬用酒>、チェコの古典的な薬用リキュール“Luzicka Bylinna”の処方も興味深いですよ。1787年にJ. Archlebなる人が遺のこしたレシピに因ると、ニガヨモギ、アンジェリカ、リンドウ、コリアンダー、マジョラム、カモミールなどが使われています。このリキュールに、チェコ地産ではないアニス、フェンネルなどを加えると典型的なアブサンになってしまいますね・・・錬金術師が徘徊したハーブの豊富な地域においては、アブサンの前身になり得る各種のエリキシール(霊酒)が存在していた事は当然の事と思われます。この“Luzicka Bylinna”は浸透法ですが、故Martin Sebor氏がノー・アレンジで再現しています。氏亡き後は終売/稀少品となりましたが、当店には少しだけ在庫してありますのでお試し頂けますよ・・・参照

・アンリ・ルイ・ペルノーの父親 Abram-Louis Perrenoud1794年に残したレシピも発見されており、「Extract of Absinthe」と表記されています。 蒸留後の処理なども含めると極めて完成度が高く、Abramを商業アブサンの父と讃える記述も少なくありません。同じクーヴェ村の住民で蒸留/酒販業を営んでいたそうです。前述しましたが、この二人の間で情報交換が行われた可能性は残されており、オルディネールの医者としての視点を参考にしてAbramが家伝レシピを改善したなんて事はありそうですね。この場合、Abramはプロなので企業秘密は保守すると勝手に想像していますけど・・・小さな村の中ですから、アンリオ姉妹との交流も無いと考える方が不自然ですね。どちらにせよ、アンリ・ルイ・ペルノーが「Pernod et Fils」を興した時には父親のレシピから大きなサジェスチョンを得た事は疑い様がありません。

・後の19世紀に入ると、アブサン処方についての印刷物は多く残されました。中でも有名なのはPierre Duplais'1855年に著した酒類史上の決定的蒸留技術研究書『Traite de la Fabrication des Liqueurs et de la Distillation des Alcools (1855年)』です。これは蒸留技術全般を研究した学術書で、その内の一章がアブサンに充てられています。これと対を成すのがJacques de Brevans『La Fabrication des Liqueurs』です。1897年に書かれた技術書で、極めて具体的なマニュアル形式の分かりやすい内容。この二冊こそ、現代フレンチ・アブサンの手引書とも言える最重要資料なんですね・・・・参照

・他にも有名な手引書が幾つか残っています。J.Fritsch の『Nouveau Traite de la Fabrication des Liqueurs 1891年)』A.Bedel の『Treatise On The Abrication Of Liqueurs 1899年) なども強い影響力を持つ重要資料です。記載されているレシピ群も多数に渡っており、現代の生産者達に強いインスパイアを与えているに違いありません。

・ Typical historic recipes are given in the books of Duplais , Fritsch ,Bedel and Brevans .

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<創始者などいない?> アブサンの生まれ故郷とも言えるトラヴェール渓谷周辺では、豊富な自生ハーブを使った伝統的薬用酒がそれぞれの家庭でも作られていたのは前述の通りです。この地の修道院などでも昔から同様の酒が造られていたそうで、いわば地域文化的土壌が近代アブサンを産んだと言えます。当時、アブサンの前身となり得る個人レシピは各地に多く存在していたのも確実で、重要な人物やレシピが記録に残っいないと考える方が自然です。アンリオ(Henriod)姉妹やオルディネール医師は記録に残り、ジュラ山脈の無形財産を商業化するキッカケを担った他の人達は歴史の狭間に消えてしまったのかも知れません。

クーヴェ村から15Kmほど北にある、フランスのMontbenoit修道院にもニガヨモギ薬用酒のレシピが伝えられていたそうで、蒸留法や薬草の効用などを民間に広めたと思われる記述もありました。この地域で薬用酒を作る習慣が定着するキッカケになった可能性が濃厚です。

・1737年の時点で近代アブサンが存在していた、と示唆している幾つかの資料があるそうです。でも、出来のよい自家製アブサンをお金にしようと試みた人は多かったんでしょうから、それを言い出したらキリがないんですよね。だって、ヨーロッパで蒸留器が定着し始めた14世紀以降なら、ニガヨモギを使った蒸留酒が存在した可能性はいくらでもありますから。やはり、量的にも質的にも安定した商品化が可能な生産性、多数に受け入れられる普遍的で洗練された嗜好品としての味わい、などが近代アブサンとしての最低条件ではないでしょうか?

< 近代アブサンの始まり > 以上の事や他の事情をを踏まえると、アンリオ(Henriod)姉妹や医師オルディネールを含む地域の人々が育んできたきた薬用酒を嗜好品としての近代アブサンに結実させたのは次項のデュビエ・ペアー・フィルス社だったと言えるのかもしれません。そして、産業生産品(商品)としての商業的基盤を確立したのがアンリ・ルイ・ペルノーで、洗練へと続き得る普遍的な基本的処方を案出したのがフリッツ・デュバル(Fritz Duval)だったのではないか?と思います。(個人的な意見です。)

<謎> Henriette Henriod(la Mere Henriod)、Grand-pierre、Suzon Guyenet、Dr Ordinaire、Jean-Jacques Petitpierre、major Daniel-Henri Dubied、以上の6人が、本場スイスのサイトで見かける近代アブサン誕生のカギを握る重要人物らしく、登場する順番もこんな感じです。傍線の名前はお馴染みですが、残りの3人は何者なんでしょうか?フランス語の翻訳ソフトが×なので、謎のままなんです。Mere Henriodが姉妹の母親、Suzon Guyenetが叔母さんの様です。母親か叔母さんのレシピを姉妹が引き継いで小さな商売にしていたら、Dr Ordinaireの助言を得て効率の良いレシピが完成したが、何らかの理由で姉妹がデュビエ公爵に譲渡した?って感じですかね・・ちなみに、Jean-Jacques Petitpierreは、デュビエ公爵(major Dubied)と並び称せられた初期アブサン業界のパイオニアらしいです。公爵とレシピを取り合ったんですかね?途中からは、かなり勝手な想像ですよ・・・参照

・クーヴェ村から2Kmほど西にあるボバレスという町で、毎年6月に『La Fete de L´Absinthe』というお祭りが催されています。フランスはポンタリオの『アブサンティアーデ(absinthiades)』が国際的なフェスティバルを指向しているのに対して、極めて地域性の高いトラヴェール渓谷内のお祭りって感じらしいです。かつての密造者達の集いかな?と妄想が膨らみます・・アブサンが "milk from Boveresse(ボバレスのミルク)"と呼ばれた時代もありました。

< アブサンの量産化へ、19世紀初頭 > スイス・クーヴェ村からフランス・ポンタリオ市  

<デュビエ・ペアー・フィルス社(Dubied Pere et Fils) > 1797年、基本的には自家製造規模だったアンリオ姉妹のレシピはフランスのレース商人だったデュビエ公爵(major Daniel-Henri Dubied/1758〜1841年)に売却されます。そして1798年、実子マルスラン(Marcellin)と娘婿のアンリ・ルイ・ペルノー(Henri Louis Pernod/ 1776-1851年)により、初のアブサン企業と言える「Dubied Pere et Fils」が創業します。もちろん、クーヴェ村です。最初は4×8m程の狭い蒸留所でした。記念すべき初の銘柄“Extrait d'Absinthe de Fritz Duval”のラベルにフリッツ・デュバルの名が大フューチャーされている点に注目して下さい。

<ポンタリオへ進出> 1805年、先見の明に溢れたアンリは、スイス〜フランス間の関税を回避する必要を感じてクーヴェ村から20Kmほど離れたフランスのポンタリオ市に工場を新設。ポンタリオはトラヴェール渓谷に連なるエリアなので原材料の調達にも事欠きませんし、労働賃金もスイスに比べて安かったそうです。しかし、この時点でアンリは独立・・・遂にアブサン界のシンボル企業とも言える「Pernod et Fils/ 'Maison Pernod Fils'」が始動します。その後の勢いはご存じの通り・・・デュビエ公爵と息子のマルスランはクーヴェに戻って「Dubied Pere et Fils」を再開したそうです。どの様ないきさつがあったのでしょうか?この後、アンリ・ルイ・ペルノーは離婚してますから・・・

・ちなみに、クーヴェ村の工場「Dubied Pere et Fils」はアンリの長男 Edouard Pernodが祖父のデュビエ公爵から買い取り(1827年)自分のアブサン会社を興しました。アンリが亡くなったのは1851年ですから独立心のおおせいな息子だったのでしょうか?本家「Pernod et Fils社」の方は後妻の義理の息子達(Fritz and Louis-Alfred)が継いだ事から親子間の不仲説も囁かれています。実子Edouard Pernod の銘柄 “Edouard Pernod”は南仏のリュネルに支社工場を進出させるほどの大躍進を遂げています。女性的で華麗な本家「Pernod et Fils」の銘柄に対してハーバルな力強い味わいと評され評価も上々で孫の代には業界三位の有力生産者になっていました。

アンリ・ルイ・ペルノー(Henri Louis Pernod)と結婚したデュビエ公爵(major Daniel-Henri Dubied)の娘の名は Emileだそうです。しかも結婚したのは記念すべき?1797年・・・符牒が合いすぎでビックリですが、タマタマでしょう、たぶん・・・・

 
左はエポックメイキングなクーヴェ村発“デュビエ・ペアー・フィルス”のラベルです(右は拡大画像)
< フリッツ・デュバル>の名、<1798年創業>と<クーヴェ>の文字が確認できます。

<フリッツ・デュバル(Fritz Duval、1758〜1844年?)>は近代アブサン最初期のプロデューサー?で、「デュビエ・ペアー・フィルス」のアブサンラベル((上)や企業広告(下)などに名前が大フューチャーされてる程の重要人物でした。デュビエ公爵の従兄弟いとこか甥だと思われます。彼の提案でグリーン・アニスが主要ハーブの一つとして使用され始め(★)、白濁を伴う近代アブサンの其根が成立したとの説があります。これが事実なら、フィリッツ・デュュバルこそ<近代アブサンの創出者>に限りなく近い人物と言えるかもしれません。この改良が効を成してアニス酒を好んでいたフランスでの需要を掘り起こして大躍進に繋がり、薬用酒から嗜好品への決定的な転換を成功させたと言えるのではないでしょうか?

<近代アブサンとグリーン・アニス> アニスの使用に関しては、オルディネールの有名な処方やAbram-Louis Perrenoud が1794年に遺したレシピにも記載されています。しかし、量はかなり少なめで、34gのベース・スピリッツに対してニガヨモギは大きなバケツ?一杯なのにグリーンアニスは二つかみ・・・清涼感や白濁を得るには程遠い量で、まるでドメスティックな本格ボヘミアン・アブサンの様な処方ですね・・・19世紀後半のレシピ参照では下例の様にアニスの比率が多い処方がほとんどです。アニスの量こそが嗜好品としてのアブサン商業化の肝になった事が容易に推測できます。

Absinthe de Montpellier.
<Distillation>
Dried large absinthe-250grm.  Green anise-600grm. Fennel.-400grm.  Coriander-100grm.  Angelica seed-50grm.
with Alcohol (85")ー91.500cc.
<Coloration>
Dried hyssopー75grm. Dried balmー75 grm.  Small absintheー100 grm.

(★) 昔も今もグリーンアニスの生産はスペインとフランス南部が主である事は、「スイス・クーヴェ村などの最初期アブサンに、アニスはさほど使用されていなかったのでは?」という推測の根拠となります。フェンネルもプロヴァンスやイタリアなどの地中海沿岸が名産地なので、ポンタリオ以降に主要ハーブになったのではないでしょうか?原材料の遠距離輸送は企業レベルの資本とビジョンがないと成り立ちませんから・・・アニスとフェンネルの組み合わせは、南仏のアニス酒では定番のカップルですから、フランスの需要を狙うとしたら、とても有効で自然なアレンジに思えます。

<レース商人が果たした役割>  フィリッツ・デュュバルに関しては詳しい情報が出てきません。少ない記述によるとデュビエ公爵と同じレース商人だった様です。高級レースを扱っていた商業ルートがベルギー経由でイギリスまで伸びていたのは当然で、フリッツ・デュバルの名は富裕層に名が通っていたのではないでしょうか?ラベル(下1〜4)や看板(下)などに個人名が表記されている例は少なく、何らかのブランド性が確立されていなければ不自然だと思います。ちなみに、デュバル家は靴下の製造も行っていた様ですが、紡績工業は産業革命の肝とも言える程の重要産業でした。ここからの利益が潤沢な資金となり、商業アブサン始動への投資が可能だったのでしょうか?

ベルギーのブリュッセルは18世紀半ばまで英国向けのレース産業で栄えていました。19世紀以前のヨーロッパではレース自体が生活に密着した必須日常品で、イギリス議会は国貨の流出を防ぐためにレースの輸入を禁止(1662年)した程です。しかし、膨大な国内需要を賄いきれずブリュッセル・レースの密輸は暗黙の必要悪として黙認されていました。しかし、インドのモスリン地の登場(18世紀末)やフランス革命の勃発(1789年)などでレースに需要も低迷し始め、レース商人達は各自の流通ルートを用いて様々な商品も扱う様になっていきます。18世紀中頃から始まった産業革命の進展はレース業界にも決定的な変革をもたらし、1809年に機械織りレースが登場。レース商人達は新たな活路を模索せねばなりませんでした。

・「Dubied Pere et Fils」の広告看板にも前出ラベルと同様にデュバルの名と1798年創業の表示があり、左下の部分(右の拡大画像)にはクーヴェとポンタリオに加えてBRUXELLES(ブリュッセル)の文字が確認できます。生産地ではない地名が重要拠点として表示されているんですね・・・そして、赤文字でKirschwasserrとあり、後に<アブサン第二の地>と言われたフジュロルとの深い関係が分かります。キルッシュワッサーはドイツ西部の名産品でしたが、16世紀にはサクランボの育成に適したフジュロルにも伝わり定着しました。19世紀前半には高度な蒸留技術と圧倒的な生産量を誇っていたそうです。この看板にはベルギー経由の流通の確保とフジュロル由来の技術の獲得が示唆されています。

 

<デュバル系の流れ> 「Dubied Pere et Filsは、クーヴェ村(1798年)からポンタリオ(1805年)へ移動して正式に登録。1841年にデュビエ公爵が亡くなった後も継続くしました。アブサンの需要が増加し始める直前の1872年にはデュバル家も経営に参加して「Dubied et Duval」に名称変更。そして息子のHenri-Francois Duvalが独立して作った「H.F. Duval(1879年)が Parrot兄弟の「Parrot Freres」に吸収されると同時に、フジュロル出身のEmile-Ferdinand Pernotが参加。ポンタリオに「Emile Pernot et Cie」を創設(1889年)して“Emile Pernot”という銘柄を世に出しました。。現在のNo1生産者「Les Fils d'Emile Pernot参照」の前身です。同時期、フジュロルに「L. Lemercier & Duval(1890年)という会社が創設されており、二つの名産地を?ぐ補給ラインとして強い関連性を感じさせます。

1)2)3)4)5)

・(1)(2)はポンタリオ時代で、度数が変更になっていますね。ペルノーフィルス社は68度・・・異なる設定なのはメラメラな感じで面白いです。(3)はクーヴェに戻ってから・・・アンリ・ルイ・ペルノーとの家内紛争が基で「Dubied Pere et Filsはクーヴェ村に本拠を戻したとの説もあり、元祖としてクーヴェの優位性をアピールしたかったのでしょうか?(4)は時代に合わせて幅広レベルに・・・(5)はデザインの大幅な変更と印刷の精細さから推測すると、「Dubied et Duval」と名称変更する前の後期ラベルかと思われます。

)産業革命の進展で機械による紙の生産や印刷が始まると、紙のサイズは規格化されていきました。裁断効率を追求した結果、それ以前には不揃いだったアブサン・ラベルも似たような形になっていった様です。(1)(2)(3)の縦横比率が微妙に異なっているのが分かりますか?

<ペルノー・フィルス社Maison Pernod Fils / Pernod et Fils) > アンリ・ルイ・ペルノー(Henri Louis Pernod/1776-1851)は商才に恵まれ入り婿として表面上は理想的な人物でした。義父のデュビエ公爵が入手したアンリオ姉妹のレシピを基にDubied Pere et Filsに貢献し初の近代アブサン“Extrait d'Absinthe de Fritz Duval”の誕生(1798年)に尽力します。しかし、1805年のポンタリオ工場新設を機に独立して「Pernod et Fils社」を創始・・・必要な情報やコネクションを得るための政略結婚だったのかもしれませんね?後に祖父のデュビエ公爵からクーヴェ村の旧 Dubied Pere et Fils蒸留所を譲り受け自分の会社を興した長男 Edouard Pernodとの確執もこの辺に原因があるのかもしれません。

 ちなみにこの「Pernod et Fils」という屋号?は「ペルノーの息子」という意味です。あまり語られる事の無いアンリの父親 Abram-Louis Perrenoud の現地での知名度と重要性が読み取れるのではないでしょうか?陣頭指揮をとったに違いない広報戦略などは今見ても洗練されておりフリッツ・デュバルから学んだ事も大きかったに違いありません。特にアニスを多めに処方するデュバルのアイデアと思われる革新こそは近代アブサンが完成する決定的な要因になったのではないかと思います。

<Abram-Louis Perrenoud > 語られる事の少ない人物ですが、アンリ・ルイ・ペルノーの父親Abram-Louis Perrenoud は重要な役割を果たした可能性が大です。始原地クーヴェ村に住む蒸留業者だった様で商業アブサンの最重要人物として扱っている記述も少なくありません。彼が遺した日記の1794年頃と思われるページにアブサンの処方が残されていますが、基本的な要素に全く不足無し!の驚くべき完成度です。現代アブサンに類似したハーブ構成で、入手が困難だったと思われるアニスやフェンネルの使用量が極端に少ない位の違いですね。オルディネールやアンリオ姉妹のレシピよりも格段に洗練されているのは一目瞭然で薬用から嗜好品への過渡期のにおいも感じます。しかし、既に使用しているレシピだとしたら日記に走り書きするのは不自然で、「この瞬間にインスピレーションが湧いた」、又は「他から入手してメモった」などの可能性もあります。この父親の元で育ったアンリが商才をも兼ね備えていたのですから、後の大躍進は納得ですね・・・・。この処方を基に<LdF & Les Fils d'Emile Pernot>が近年リリースしたのが“1797、“Roquette 1797”という銘柄で最初期のアブサン再現に挑んだ妄想的意欲作です。

Extract of Absinthe

For 18 pots of eau-de vie, (approximately 34 litres)
a large bucket of grand wormwood,
2 handfuls of lemon balm
2 of green anise
same amount of fennel.
some calamus.
some mint,

Colour:
1 handful of petite wormwood
same amount of hyssop.

 アンリの死後、 本家「Pernod et Fils社」は後妻の息子(Fritz and Louis-Alfred)が継いで業績を伸ばします。1871年、 パリ郊外東部のモントルイユに「Distillerie Hemard」、1872年にはアビニヨンに「Societe Pernod Pere & Fils」を始動。1901年のポンタリオ工場火災後には最新設備の新工場を建て直して増産にも拍車がかかりました。アブサン禁止後の1926には三つの蒸留所を統合した「Les Etablissements Pernod」となりリキュール企業としての再起を図りました。1936年には非禁止国スペインで操業していたタラゴナの 「Pernod SA」 を「Edouard Pernod」から買収して“Pernod et Fils”の生産を再開するなど躍進を続けます。ペルノー社はパスティスの時代も含めてアブサン系やリキュールなどの代表企業として君臨してきました。

 今では「ペルノー・リカール社」の名で世界第1位(2008年3月)のワイン・スピリッツ企業としての成功を勝ち取りました。しかし、商業銘柄の元祖とも言えるペルノー・アブサンが、解禁後に輝きを失ってしまったのは周知の事実です。某有力販売サイトでは「一応あの会社の銘柄だから試してみるのも一興かも・・・・でも、どうせなら○○のほうが・・」的な言い回しで、<お勧め度ゼロ>かつ<正直度満点>の紹介文でした。本家なのに高度なDistilled 法ではなく Mixed & Macerated 法による造り方だと知った時はさすがに驚きましたが、グリーンアニスを全く使ってない上に人工着色?という徹底した手の抜き方には爽さわやかささえ感じますね?それでアノ値段とは名義料が高すぎですね・・・きっと、アンリは泣いてます・・・

・各フォーラム内でも期待を裏切られたアブサニスト達の怒声で満ちています。「They shouldn't be allowed to use the name Pernod for this absinthe! (ペルノーの名をこのアブサンに使う事は許されない!)」とか「 It cannot be called authentic in any aspect. (どの様な観点からも、本物という訳にはいかない)」、「An absinthe to suit pastis amateurs !(パスティス初級者とかにはいいんじゃない?)」 などと、呆あきれ果てた末での評価を下しています。

・「ペルノー・フィルス(Pernod et Fils)社」は、当時のフランスでも最も成功した近代企業だと言われました。 1873年に導入された年金制度を皮切りに、事故補償、失業手当などをも確立した最初期の民主的企業としても評価されています。ペルノー社が起した模倣者に対する商標権訴訟も絶えた事が無く「近代フランス著作権法の基盤を築いた。」といわれる程です。今の企業とさほど変わらないレべルの先進性と民主性に驚きを禁じ得ません。

  
1900年頃のペルノー社ポンタリオ工場

・ちなみに下左はポンタリオ・グラス命名のきっかけになった Pernod Fils 社の広告額で、ほとんどのバーやカフェに掛けてあったそうです。この手の広告額はキャンパス地に印刷されており、裏は相嵌あいばめの木枠になっていた様です。右から二番目は残存率の低いオリジナル額で、Pernod Fils のエンボスが誇らしげに付いていますね。右端のBourgeois の広告もそうですが手前にポンタリオの新聞が(わざとらしく)さりげに置いてありますね・・・権威あるポンタリオの銘柄である事を強引にアッピール!発祥地と言えるスイスのクーヴェ村からお株を奪おうと印象情報の操作を目論んでいた様子が伺えます。ちなみに、左のPernod Fils 額でキャンパス・サイズは45×55p、ヴィンテージ価格は上物だと400〜500ユーロだそうです・・・

   

<追従者達 > 「ペルノー・フィルス(Pernod et Fils)社」の成功は、「C.F.Berger(ベルジェ or ブルジュア/1830年〜/下1)」、「Kubler & Romang(キュプラー/1863年〜/下2))」など地元追従者の登場を促し、スイスでのアブサン産業が高らかな産声うぶごえを挙げます。ポンタリオやフジュロルなどの北東フランスに生産の主力が移行した後でもスイス産は高級手工銘柄として珍重された様で、スイスのシンボルとも言える赤字に白い十字のアイコンは多くの銘柄のラベルを飾っていました。もちろん、フランスでも数多くの追従者達が続々と登場し始めアブサン全盛期には戦国状態どころじゃない高密度のカオス界になっていきました。

C.F.Bergerはマルセイユにも工場を進出(1874年)させ、ペルノー社と業界を二分する時期もありました。下記の様に、女性的な“Premier Fils”に対して、男性的で力強い味わいを持っていました。“C.F.Bergerの再現銘柄があります。「Jade Liqueurs」のT.A.Breaux氏は貴重な未開封の1898年の“C.F.Berger”を基に“VS 1898 (旧名Verte Suisse 65)という復元銘柄をリリースして話題になりました(参照)。状態の良いヴィンテージ・ボトルと経験豊富な舌を持つ分析者の出会いがあってこその成果と云えるでしょう。しかも、規制以前の色が付いたスイス・アブサン再現版は貴重で、恐らく唯一の例です。

If Premier Fils was the light feminine brand, Berger is the heavy masculine marque. You could imagine smoking cigar with a glass of this.

・“Kubler”はご存知の様に創始者の孫の手で復興されスイス国内の最大シェア(7割!)を誇っており日本国内でも入手可能な唯一の La Bleue 的銘柄として貴重な存在です。しかし、現行銘柄は禁制以降に独自の発展を遂げたスイス密造タイプなのでベルエポック期の“Kubler & Romang”とは全く異な事はいうまでもありません。

1)  2)

Home  <アブサン番外地>

< アブサンの一般化、19世紀中〜後期 > 当初はブルジュア向けの高価な薬用酒だったアブサンがポピュラリティーを獲得するのには、1830年から始まったアルジェリア侵攻が大きなキッカケになりました。これを機とした戦争需要の爆発に応え生産量()も急増、同時に価格も急下降した事で1870年代に庶民の酒としても定着した様です。最後のフランス皇帝ナポレオン三世の時代でした。

)当初ペルノーのポンタリオ工場では日産16リットル程だったそうですが、周囲のアドバイスを無視して強気の工場増設を続け、すぐに日産400リットルになりました。ルイが亡くなった1850年頃にはアルジェリア侵攻の軍隊需要もあり、26台の蒸留器をフル稼働させて20,000リットル、需要が急激に高まった1896年には125,000gという数字を叩き出します。アブサン業界は大いに盛り上がってフランス中にアブサン工場が(キノコのように)乱立し、その数は200を超えたそうです。フランスでの規制直前の1914年には、ポンタリオにあった25!の工場だけで一日で15万リッター以上の出荷があったそうです。1910年の時点でポンタリオの人口は9500人でした。

<アルジェリア侵攻> 1827年から進められていたアルジェリア支配は、フランス対外侵略最後の輝きでした。ロスチャイルド家の策謀に端を発した事も知られています。完全領有化直前の1844年、兵士たちは消化器官不全やマラリアの予防薬としてアブサンを携帯する事になります。飲料に数滴加えるだけで効果があると言われていたからです。彼らはフランス本国に帰国すると英雄扱いされ、常に人々の注目を浴びていました。エキゾチックな作法として自慢げにアブサンを飲む士官達の姿が印象的だった事から、<フランスの繁栄>を象徴するスタイリッシュな飲み物として富裕層からの流行が始まります。

  
1930年、フランス軍の帆船がアルジェリアを砲撃! 戦争と害虫(後述)がアブサン流行の原動力でした。

・映画にもなって大ヒットした『ジャッカルの日』という有名な小説があります。フォーサイス先生の名作ですね。アルジェ返還に反対する国粋主義者(OAS)の残党が暗殺者ジャッカルを雇い入れ、ド・ゴール大統領の抹殺を計画し政府転覆を狙う様子が克明に描かれています。アルジェリアというフランス領(実質的には植民地)はフランスにとって、かなり重要な存在だった様で、現地を支配していた軍部勢力と中央政府の権力闘争の歴史を担っていました。OAS(秘密軍事組織)による激しいテロ行為も空しく、1830年から続いたアルジェ支配は1962年に終わりを遂げ、政府が軍部の押さえ込みに成功します。フランスが近代国家としての安定を得たのはこの時だとも言われたそうです。日本人にはピンと来ない感じで、何か思っていたより遅れてたんですね?と思うのは平和ボケなんでしょうか・・でも、戦後の話ですよ!フランス語が単一公用語となったのが1992年だと知った時には、もっと驚きましたが・・・ちなみに、ジャッカルのモデルになったテロリスト、カルロス・ザ・ジャッカル(通称)は、1972年の日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件にも関与したことでも知られています。ブルータスと並ぶテロリストのヒーローで、海外の小説での引用も多く登場する事さえ珍しくありません。

<フジュロル(Fougerolles) >  ベル・エポック時代には、フジュロル村(ポンタリオの北、ドイツ国境近く)でも大規模な生産が行われ、<フレンチ・アブサン第二の地>と云われたそうです。この地には16世紀にドイツ経由でキルッシュワッサー(サクランボのブランデー)蒸留技術が伝わっており、現在でも名産地としても有名です。フィリッツ・デュバルの項で紹介したデュビエ・ペアー・フィルス社の企業広告にはアブサンとキルッシュワッサーがアッピールされていますね。関連性が気になるのは私だけでしょうか?クーヴェ、ポンタリオと並んでブリュッセル(bruxelles)の文字も読み取れます。あ〜、これも気になる・・フジュロル村では毎年、「チェリー・フェスティバル」というお祭りが開催されています。アブサンの品評会も同時に催されるそうで、地域全体の特産品として定着している様です。

・全盛期にはポンタリオでの生産が追いつかなくなり、フジュロルから多量のアブサンを樽買いをする技が習慣化したそうです。どこの国でも似たような事が行われているんですね。この地域の有力なプロデューサーとして、たぶんペルノー家系列と思われる J.Francois Pernot という名が記述されているのを見かけます。買い付け要員だったのでしょうか?同名の銘柄 “J.FRANCIS PERNOT”もあります(下左)。又、1890年にL. Lemercier & Duval(フジュロル)なる会社(下右)も設立されており、前年に新設されたデュバル系列の「Emile Pernot et Cie(ポンタリオ)との濃厚な関係が想像されます。この会社は、名前から分かる通り、現「Les Fils d'Emile Pernot」の前身でもあります。

 

・上記、ポンタリオの「Emile Pernot et Cie」が創設(1889年)する際、フジュロル出身のEmile-Ferdinand Pernotが参入し、社名に名を残しただけでなく“Emile Pernot”という銘柄を世に出しました。ポンタリオがアブサン聖地として栄えたのはトラヴェール渓谷に最も近いフランス側の街という地理条件によるもので、他には商業的な酒類製造に関しての優位性は持ちません。この様な事から、蒸留技術のレベルはフジュロルの方が上だった事が推測できます。Emile-Ferdinand Pernoに参入で、より高度な技術が伝えられたと考えるのは不自然ではありません。現在、ポンタリオのアブサン生産者がキルッシュなども生産しているのは、その名残なのかも知れません。フジュロルの方は、ブドウ以外のフルーツブランデーとしては唯一のAOCを取得したキルッシュの名産地で、フルーツ・ブランデー全般に関しても有数のエリアです。

・下は現行フジュロル銘柄のラベルです。この地のアブサンはワインスピリッツをベースに使用してハーブ別に蒸留してブレンドするなど、手の掛かった高級品が多く、安価で手軽な銘柄(“Coulin”など)でも充分な品質を維持しています。独特の血統と存在感を感じさせる生産地です(参照)。

   

前述の“Belle Amie/美貌の淑女/640本限定”と同様に中央左の“La Coquette/浮気女/300本限定”と右の“ L'Enjoleuse/誘惑する女中/300本限定”は、パリのマニア向けセレクトショップ<VdA>の特注限定品(PB)の様です。さすがに、エスプリ満載の小粋な銘柄名ですね。「ベル・エポック期のレシピによる」という触れ込みの再元アブサン銘柄の数は枚挙に暇いとまがありません。しかし、完全な再現などは不可能なのは当然で、??? なモノが多いのも事実の様です。これに不満を抱いていたアラン・ドロン似の店主リュック・サンティアゴ・ロドゥグェ(Luc-Santiago Rodriguez)氏が企画した<Les Parisiennes>シリーズのラインナップ達です。「Paul Devoille社(北仏の雄)」と「Emile Pernot社(ポンタリオの名門)」に特注依頼するなど、かなりの気合と信頼性を感じます。しかし、VdAの近所にある「Les Caves du Roy(フランス国内のみ配送)」と自店のみで販売している超限定生産品(おそらく1ポットのみ蒸留)がほとんどなので入手は困難です。(詳しくはこちらこちら

  

・ちなみに、上記“La Coquette/浮気女”に限り、下記の<LdF>とその関連サイトで販売されていました。<VdA> によると「 The batch of Coquette sold on LdF was not approved by us.」とあり無許可?蒸留したのは確実な様で、チョッと憤慨している様子が漂っていました。両者の間で何らかのトラブルがあったようです。上記の二つの蒸留所を<VdA>に紹介したのは<LdF>なのは間違いなく、<Les Parisiennes>シリーズも<LdF>の取り扱いだったりと協力関係にあったはずなんですけどね・・・

・海外のアブサン評価サイトなどを見ていると<LDF>とか<LdF>なる暗号に出くわす事が多いのですが,「Liqueurs de France」の略でした(参照)。こちら<VdA>と同じフジュロルの「Paul Devoille」やポンタリオの「Emile Pernot」からオリジナルアブサンをリリースしています。英国の「Oxygenee Cusenier社」傘下で輸入業者相手の流通企業なので、最初に注文しようとした時には個人のアカウントが取れませんでした(現時点は可)。でも、意外なモノが驚きの安値だったり、多めに買うと送料無料になるなどのサービスが充実しています。ラインナップも非常に厳選されており、自社開発のオリジナルアブサンや間違いの無い優良銘柄しか扱っていません。やけに取り扱い数が多かったり、アブサンに対して妙な思い入れを感じる販売サイトが多い中、一味違う現実的な経営方針です。さすが英国の流通業者は違うな〜と思いました。ちなみに<VdA>の方は「Vert d'Absinthe」の略です。

< アブサンの大流行19世紀末 > アブサンが大ブレイクするのには、フィロキセラ(油虫の一種)が一役買っていたんですね。この、やっかいな害虫はヨーロッパのブドウの樹を壊滅状態に押しやり、アルコール飲料としてのワイン供給が激減し価格も高騰します。ワインに代わる安価でアルコール度数も高い(=お得な)酒としてアブサンの需要が爆発し、「紳士淑女のミルク」などと呼ばれる程に大流行(と言うよりはアルコールなら何でもよかった?)しますが、アブサン中毒?患者も大流行します。それと供に異常犯罪も急増したそうですが、他の要因の方が多かった事は無視されていました。殺人・傷害事件の加害者や不可解な自殺者などから、アニスの香りに加え沼地の雑草を思わせる爽やかで若く青い香りが漂ったと伝わります。その正体がツヨンによるものだったかどうかは「藪の中」です。

)当初ペルノーのポンタリオ工場では日産16リットル程だったそうですが、周囲のアドバイスを無視して強気の工場増設を続け、すぐに日産400リットルになりました。ルイが亡くなった1850年頃にはアルジェリア侵攻の軍隊需要もあり、26台の蒸留器をフル稼働させて20,000リットル、需要が急激に高まった1896年には125,000gという数字を叩き出します。アブサン業界は大いに盛り上がってフランス中にアブサン工場が(キノコのように)乱立し、その数は200を超えたそうです。フランスでの規制直前の1914年には、ポンタリオにあった25!の工場だけで一日で15万リッター以上の出荷があったそうです。1910年の時点でポンタリオの人口は9500人でした。

) 残存するアブサン・ラベルから地名を拾い出すと、ラベルを作る必要があったであろう中〜高級クラスの生産地?の幾つかは確認出来ます。MARSEILLELYONFOUGEROLLES、BLANZEY、 Drome、 LA CHATRE、 CHAMBERY、 NIMES、 VOSGES、 Monistrol、 CASTRES、 ROANNE、 TULLE、 LIMOGESAveyron、 Toulouse、 Saint Etienne、 NICE、 Donnemarie、Clermont-Ferrand、 BORDEAUXMontpellierALGER、 MONTBELIARD、 SOULAINES、 LUNEL、 BALE 、 MARSEILLAN、 ETAMPES、Pezenas、 Beaurepaire、 Gap、 Clermont-Ferrand、 Tourronde-Lugrin、 ILE-ROUSSE、 Romaneche-Thorins、 CHAMP-LE-DUC、 FIRMINY、 BOURGOIN、 Fourchambault、 LUCON、 Gannat 、 Chalon-sur-Saone、 Fourchambault、 Ile Rousse、 Moirans、Ornans 、Billancourt、 Villeneuve-sur-Yonne、・・・アンダーラインは個人的に聞いた事のある地名・・・でも、Saint Etienne とか ALGER みたいな領有地もありますね。疲れたので、これ位で勘弁して下さい。

・1915年の「The Tmes」によると、フランスのアルコール消費量全体の内、アブサンを含むスピリッツ類の消費量は1876年に155万gでした。しかし、1908年には2395万gにも増えているそうで、国民一人あたり60gに相当します。別の資料によると「アブサンの消費量は1875年から1913年の間に15倍に増加した」とあります。ワイン不足による消費移行が相当に極端だった様子が伺えます。

<フィロキセラ渦> 19世紀後半、ヨーロッパのワイン業者は前代未聞の悲運に見舞われます。アメリカから実験移植したぶどうの苗にフィロキセラというアブラムシが付着してたのが事の始まりでした。この異常に繁殖力が強い害虫は 耐性のないヨーロッパの固有種の殆どに対して壊滅的な打撃を与えました。 1863年、先ずローヌ河畔の葡萄畑に被害が出はじめ、後はまたたく間に各地に伝播しフランスは約20年間に100万ヘクタールの葡萄畑が破壊されます。1880年頃にはフランスのワイン生産が半減してしまった程の大被害を生みました。1870年にはオーストリアヘ、1883年にはイタリアヘ、さらに1896年以降には北国ドイツにまで拡がり ヨーロッパのブドウ畑の2/3が何らかの被害を受けたと言われています。

・最後に見出された解決策はフィロキセラに対して抵抗力の強いアメリカ系の台木にヨーロッパ系の葡萄を接ぎ木する方法でした。1874年に発見された唯一の対応策でしたが「野卑なアメリカのブドウの血が高貴なヨーロッパ種の血を汚す」と信じる人が多かったため迅速な対応が遅れてしまった様です。特にブルゴーニュでは1887年まで事態の深刻さに余儀なくされた場合を除いてはこの接木を公式に禁止していたそうです。

<パリの実情> 産業革命は人類史上最大の打撃的な経済偏差を生み、貧困・過疎化がジワジワと進む全国の農村(参照)には希望の欠片もありませんでした。そこから逃げ出して来たものの新天地アメリカ大陸に移住するほどの思い切りまでは持てない人々はパリの下町に滞り、低賃金労働者の大部分は地方出身者だったそうです。食い詰めた人々がなけなしの職を争い、明日への希望などは持てない不安なその日暮らしを送っていたのが実情の様です。我々のイメージする華やかな<花のパリ>は極一部の富裕層だけの物であり、ドン底の生活に一生を終える人達の絶望と涙の上に咲き誇る<散り行く花>に過ぎませんでした。1876年に書かれたエミール・ゾラの有名な小説『居酒屋』などに当時のパリ下層階級の雰囲気が描かれています。又、20世紀初頭の無声映画などでも(かなり美化されてはいますが)その一端が伺えます。

・この頃のヨーロッパにおける下級層の貧困ぶりは想像を絶する過酷な状態だった様です。NHKの某特番で、「当時のスウェーデンの人口中1/3が生活(生命)を維持するため海外への移住を余儀なくされた」とのアナウンス(字幕ですが・・・)には我が耳(目ですが・・・)を疑いました。しかも移住先は「地獄の新天地」アメリカ大陸だったそうですから、ヨーロッパ内での移動じゃないんですね・・・日本人のブラジルやハワイへの移住ですら「意味わかんない」私たちは「脳天気ぬるま湯系平和馬鹿」としか言いようがありません・・・・先進国の豊かな生活が確立されたのは最近の事で、100歳の御老人が生まれた頃の状況は別世界だったって事です。そして、フランスについての我々の印象はファッション、料理、芸術、ワイン程度に限られ、それすら中途半端すぎる知識しかありません。知っていてもおかしくない量の1/1000にも満たない耳障ざわりの良い素敵でお洒落な情報のみで「日本人のフランス観」が構成されているようです。

    
左イラストでは左端のオッサンがポタってます、写真の方は真ん中に給水器が・・・ 右は1907年のパリ。

<緑の時刻> 仕事を終え疲れきった労働者達が安価な逃げ道(アブサン)を求めてカフェなどに集う時間(午後5時からの数時間)は、「緑の時刻 (Heure Verte)」と呼び習わすほどの繁盛ぶりでした。少なすぎる日給では丸ごと一本を買うなんて夢の様な話で、日銭の中からカフェでの今日の飲み代を捻ひねり出すのが精一杯です。仲間と酔い語らい悲しい現実を忘れて過ごせる「緑の時刻 (Heure Verte)」は、寝て疲れをとるためだけの部屋に帰るまでの唯一の救いだったのでしょう。当時、貧困な労働階級が住める安アパートは狭い上にノミやダニの巣の様な不潔な部屋がほとんどで、ゆっくりと寛くつろげる代物しろものでは無かったそうです。下は当時の新聞投稿詩です。作者不明で何故かラテン語・・・かなり教養のある人だったのでしょうか?絶望に満ちた悲しい詩です。

あの部屋に帰ると、「憂鬱」と「悲哀」がベッドに横たわって、そっと私に話しかけてくる
小さな小さな声で、ボソボソ、ボソボソと・・・
ウトウトし始めると、「不安」と「諦め」が交代に戸を叩き、ずっと私を探し廻っている
いつまでもいつまでも、コンコン、コンコンと・・・
早く、眠らないといけない
早く、眠らないといけない
早く眠らないと迷って帰れなくなってしまいそうだから
でも、帰れる場所など無いのかもしれない・・・
この黒く冷たい部屋しか

・1933年なので時代と国はズレますが、「暗い日曜日」というハンガリーの歌の事を思い出しました。初めてラジオで流れた日に自殺者が何百人も出たという有名な逸話をご存知の方は多いと思います。後にフランスでシャンソン歌手のダミアがヒットさせましたが、人々の不安を促すという理由で放送禁止になりました。平和な日本人には理解し難い、ヨーロッパ諸国底辺層の悲惨な状況が伺えます。しかし、何故か日本国内でも<呪われた歌>として発禁になったんですが全く意味が分かりません・・・フランス語の歌で自殺を考える日本人がいたら他国の文化を深く理解していたスゴイ人で救いがたいペシミスト(悲観論者)だとは思いますけど・・・

・「夜のパリでアブサンの匂いがしない場所を見つけるのは一苦労だった」そうで、我々の想像を超える普及度が想像されます。ワインの供給が途絶え始めた1870年代のフランスでは、食前にリキュールを飲む習慣が定着しました。衛生上の問題から加熱消毒してない水を飲む事はほとんど無く薬用リキュールを混ぜる事で水の安全性が高まると信じられたからの様です。アルコール分と薬草の解毒効果に期待したんですね。1500種もあったリキュール消費の内、90%以上をアブサンが占めていたそうですが安かったからに違いありません。その頃の圧倒的な普及ぶりを考えると現代日本の生ビール以上の存在だったのではないでしょうか?

・当時のパリには33000軒の飲み屋(カフェ、バー、ビストロなど)が林立していました。禁酒法のせいでキノコの様に乱立したニューヨークの闇酒場と同じくらいの数字ですね・・・路地に一軒はあった感じなんでしょうか?この数字には酒類販売店は含まれていないそうです。パン屋の数は17000軒だったそうなので、その倍近いアルコール補給基地が必要とされていたんですね・・・・

<庶民のアブサン> さて、下層階級の労働者や街の芸術家達が飲んでいたアブサンはどんな代物だったんでしょうか?もちろん高級品の訳がありません。ペルノー社“Extrait d'Absinthe ”の様なアブサンは高級グレープスピリッツ、高品質のハーブ原料、(ほぼ)無添加、職人の手作業によるDistilled法、長期熟成など、<スイス的技法参照>による高額商品なのでブルジュアジーしか飲めません。対して普及品は、ビーツ、穀物や廃糖の工業用アルコールにハーブエキスを溶かし込んだMixed & Macerated法で大量生産されていました。もちろん、商売上手な大手高級銘柄生産者達も別ラインで普及銘柄を手掛けていた事は間違い無いと思います・・・そうでないとアノ数字参照は在り得ません。

<緑の妖精>の命名者オスカー・ワイルドを虜とりこにしたのは安価なアブサンだったに違い有りません・・・高価なアブサンの方だったら<黄の妖精>になってたはずだと思いませんか?私達が思いを馳せる「ベル・エポック期の芸術家達に霊感を与えた<緑の妖精>」は安価な劣悪品の方ですよ、きっと・・・

・残存しているビンテージ・アブサンはちゃんとラベルが貼ってある瓶で販売されてた超高級銘柄のみ、と言っても過言ではありません。禁制時、アブサン破棄命令が出されて結構厳しい罰則が科せられた事からほぼ全失状態になりました。密かに保有するとしても法的リスクを犯す明確な意志が必要なので他のビンテージ・リカー類とは状況が全く異なります。又、良好な保存状態を保つセラーなどの環境が必須なので残存率は極端に低くなります。高級銘柄の発見ですら稀な現状から考えると無銘柄の量り売りだったであろう庶民の安アブサンが出土する可能性は限り無く皆無に近いのではないでしょうか?本当の<緑の妖精>は未だに実態が謎のままなんです・・・

<アブサンの等級> 当時の慣習的な等級分けは、最高級品 「Absinthe Suisse」、それに次ぐ高級品の「Absinthe Superieure」、位までがトップ・クラスの富裕層向けアブサンです。「Extrait Absinthe」はブランデーの <ナポレオン> 的存在で玉石混交のトワイライト・ゾーン。庶民の味方「Absinthe Fine」、「Absinthe Demi-Fine」でいきなり怪しくなり、最下層御用達の「Absinthe Ordinaire」ともなると大変な事になっていた様ですね。アルコ−ル度数にも格差があった様です。前三者が72〜65度、後者は55〜45度で提供されたとの記述がありました。値段と共に度数も低くなる傾向があり、「酔いが足りねえから,お代わりくれ!」したくなるシステムが自然と構築されていたんですね。

Mixed & Macerated法で造られた最低価格帯のアブサンでは、緑色にするための銅酢酸塩や白濁を促進する塩化アンチモンなどの有害添加物がテンコ盛りの粗悪品がほとんどだった様です。最悪の場合、メタノール(超有害)の混入もなされました。

・有名なアブアン指南書の一つ 『 Nouveau Traite de la Fabrication des Liqueurs (J.Fritsch/1891年)』によると、「Absinthe Fine」、「Absinthe Demi-Fine」、「Absinthe Ordinaire」に関してはく安易で危険な<エッセンス法>のみなならず<蒸留法>のレシピも掲載されています。つまり、このランクですら普及品と高級品?が混在していたんですね。後者が庶民にとっての<良い酒>で、最下層の健康を害したのは前者に違いありません。

<ラベルが暗示する流通状況> 「Absinthe Fine」で72度ボトリングのラベル(下左)が残存しています。無銘柄で“普通酒”ってデカデカと書いてある日本酒みたいな感じ・・・フジュロルにも近い スレーヌ-デュイス産と小さく記述してあります。中央は度数表示の無いポンタリオ産「Absinthe Fine」です。Fineクラスのラベルはこの二例しか見かけた事がなく、上の下って感じの際きわどい銘柄だったのでしょう。Fineクラス以下の「Absinthe Demi-Fine」や「 Absinthe Ordinaire」などはラベルが作られていた気配すらない様で、今のところ未見です。安い量り売り用なので必要なかったのかも知れません。

・幾つかのアブサン指南書に記述されている「Absinthe Fine」、「 Absinthe Demi-Fine」、「Absinthe Ordinaire」などのレシピでは、少なくとも作業終了時には72度のアブサンを製造する事を前提にしています。製造時の作業や運搬の経費を考えるとアルコールが度数が高い方が有利で、出荷時には72度でも店頭での提供時には薄めて原価を稼いでいたと考える方が自然です。

・右端の様な「Extrait Absinthe」表記の無銘柄ラベルは「Absinthe Fine」よりも多く見掛けますが、生産者名どころか度数表示すら無い例が多いので汎用か店頭詰め替え用などの可能性が高いです。ペルノー・フィルスも使用している「Extrait Absinthe」表記なのでインチキ吸引力があったのでしょうか?しかし、「Extrait Absinthe」という文言もんごん自体には中身の品質を保障する法的根拠などはありません。いわゆる企業倫理なんて概念は馬に喰わせたくても見当たらない時代の話です・・・名の通ったっ高級銘柄以外のアブサンは生産者や提供者の都合による様々な形態で流通していた状況が推測されます。

    

<アブサンが暗示する経済状況> 前記述で、提供時のアルコール度数に関して「前三者が72〜65度、後者は55〜45度で提供された」と書きました。 65〜55度の間はどうなってんだ!?と思った方もいらっしゃるでしょう。高級品や良心的な商品はDistilled法の無着色品です。当時の技術では、自然な色素(葉緑素)の保持には高いアルコール度数が必須でした。ちゃんとしたラベルも設定されボトルでも売られており、富裕層は高級店や自宅などで愛飲していたと思われます。片や Essences Added 法で造られる方は庶民系飲食店への卸売り前提で、納入時は輸送利便も考慮して72度くらいだったと思われます。多分、樽などで運ばれていた事でしょう。しかし、飲食店に配達される前に卸売り商の手で希釈されていたのは確実・・・この時点で55〜45度になったんですね。「どうせ着色だから薄めても分かんない(濁らない)し原価を稼ごうぜ」って感じ?この場合に使われるのが便利な無銘柄ラベルに違いありません。有害物質テンコ盛り安売りアブサンの出来上がりです。まっ、さほど有害じゃないヤツもあったとは思いますが・・・要するに65〜55度は、品質差、需要層、提供法、などが反映した空白エリアです。真ん中が真空状態って事は当時の経済状況を暗示していますね。中流階級が少ない世情でしたから。

<アブサンの卸値おろしね> 残存する領収書や納品書などから業者間の相場が判明しています。1g当りですと、トップブランドの“Pernod Fils”、“Cusenier's Oxygenee”などが2フラン、“ Berger”、“Edouard Pernod”、“Premier Fils”、“Junod”、“Terminus” などで1,6フラン、“Parrot”、“H.Bazinet Jeune ”、“Vichet”あたりで1,3フランが卸値の相場。この辺までは庶民には縁の無い高級銘柄です。それ以下の普及〜下級クラスになると相手次第の変動相場?がまかり通るメチャクチャな世界に突入・・・領収書にも銘柄名(無い?)など書いてありません。どん底銘柄ともなると1g当り0,5フラン以下の卸値だったそうです。ちなみに、酒販店での店頭販売価格は“Pernod Fils”のボトルが5フラン位でした。

・ Founded in 1880, H.Bazinet Jeune were an important Pontarlier-basd producer whose absinthe commanded a premium price in the 1900's. Like other top-quality producers, they used an entirely natural chlorophyllic coloration process.

<1フランはどれくらい?> エッフェル塔ができた当時(1889年)の展望台エレベーター料金は、 1階までが1フラン、2階までが2フランでした。しかし、最上階の3階までは5フランと急に高価で、この階だけは臭い匂いもせず香水の香りが漂っていたそうです・・・当時の労働者の平均日給が5フランでした。ちなみに、金の価格で換算すると1フラン=233円となりますが、そんなに単純な事ではありません。他の日用品の価格や小麦相場などを考慮すると1フラン=1000円位と考えるのが妥当な様です。参照

<ムーラン・ルージュでの値段> 飲食店での売り値はどれくらいだったのでしょうか?こちらはメニュー表や値段が表記してあるソーサーが資料になります。当時のトレンディ・スポットだったレビュー・キャバレー「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」のメニュー(下左)が残っています。1894年版の4列目(拡大した画像/下右)の上から二番目に“Pernod Fils”が50サンチウム・・・つまり、0,5フランでバカ安ですね。これは同じメニュー中、ウィスキーの半額、ドラフト・ビールよりチョィ悪(あっ、間違えた)チョィ高って感じでした。おっ、“アメール・ピコン”は同じ値段・・・でも、「ムーラン・ルージュ」で遊ぶにはレビュー演目で変動する入場料(1〜5フラン)に加え席料(0,4フラン)も必要だったので、特殊なサービス価格かもしれません。

  

・ちなみに、上述の「ムーラン・ルージュ」を題材にした映画に名作 『フレンチ・カンカン(1954)』があります。監督のジャン・ルノワールは、あの有名な印象派画家ルノワールの息子!で、フランス映画界を微妙に代表する巨匠でもあります。「ムーラン・ルージュ」の初代小屋主シャルル・ジドラー(ジドレ)を演じるジャン・ギャバンが、さりげにアブサンをキメる超クールなシーンは必見ですよ。歌姫エディット・ピアフも出演してる超サプライズな一本!大好きな映画です。

<一般的な飲食店での値段> 「1Franc75centimes, that was the bistro price for two glasses of Absinthe back in the 19th century.」と言われています。つまり、富裕層御用達のちゃんとしたビストロでは一杯0,9フラン位って事でしょう。ちゃんとしてない庶民的なビストロや路上のカフェでは、一番安く飲めるハウス・アブサンが0,25フラン。いきなり安いですね・・・当店にもこの値段が付いたレプリカのアブサン・ソーサーがあります。さらに、町外れの立ち飲みアブサンともなると0,05フランのどん底価格にまで下がったそうですが、たぶん皿無しのキャッシュ・オン払いだったと思われます。

・「町外れの立ち飲みアブサン」で思い出すのがエリック・サティです。モンマルトルの文芸酒場 『ル・シャ・ノワール(黒猫)』でピアノ弾きとして生計を立てていたサティは、32歳の時にパリ郊外の町アルクイユに移住して魂の安寧を得ます。しかし、ピアノの仕事は続けねばならず、毎日2時間あまりの道のりを散歩通勤をしていました。この地に死ぬまで住み続けましたが、死因は飲酒過多による肝硬変だったそうです。サティが通勤途中でアブサンを飲んでいた可能性は高く、それは間違いなく0,05フランのヤツですぜ・・・若い頃、魔術的秘密結社「薔薇十字団」に所属していた時期もあり、神秘学的な素養を持ってたサティがアブサンの神秘性に惹かれない訳がありません。ずっと貧乏だったので財布の都合もありますしね・・・ちなみに、1866〜1925年の生涯はアブサン流行期に重なっています。

・ 当時、パリ市内でお酒を飲むと課税されて高くつきました。市外だと無税で飲めたので、郊外型のダンスホール兼居酒屋のガンゲットが流行します。鉄道の発達が後押しをして、セーヌ川やマルヌ川沿いのガンゲットは大賑わいだったそうです。「町外れの立ち飲みアブサン」と言う記述の由来はこの辺の事情か絡んでいるのかもしれません。

・有名な画家ロートレックもアブサン愛好家として名が残っています。『ムーラン・ルージュ』や夜のパリを題材としたポスターで絵画の世界に静かな革命を起こしました。ウォーホールなんかより50年以上は先んじて、さっさとポップ・アートを始めてたんですよ。精神的自由解放区だったモンパルナスにおいても際立った奇人として知られていた様です。1885年、ロートレックが21歳の頃、即興詩人にしてシャンソン歌手の先駆者アリスティード・ブリュアンに出会ってモンマルトルの歓楽街に出入りし始めた・・・シャンソンには特別な思い入れがある私にとっては鳥肌物の逸話でした。と言う訳で、下は個人的趣味丸出しのロートレックのブリュアン三連作です。おまけに、シャンソンの創始者とも言われるイヴェット・ギルヴェールのデッサンも・・・そう言えば、数年前にロートレックがデザインしたと称するアブサン・スプーンが発見?されて話題を呼んだ事があります。最近では、チェコのNo1生産者Ales Mikulu-Cami」からロートレック借名のアブサンがリリースされました。“Toulouse Lautrec”って名前そのままの銘柄が四つのバリエーションで展開しており、世界に認められた初のチェコ本格アブサンとして名を馳せています。

   

<当時の人気銘柄> 玄人衆に評価が高かったのは、当然の様に“Pernod Fils”、“August Juno”、そしてフリッツ・デュバル(Fritz Duval)系銘柄達だったそうです。これらの高級銘柄達はバーやビストロなどでも高価で提供され、庶民にとっては<高嶺の花>だった事でしょう。当時でも数多くの銘柄が百花繚乱の様を呈していました。某ミニチュア・ボトル・コレクターのサイトにてご覧下さい(こちら)。

<Absinthe Suisse> スイス産ではないのに「Absinthe Suisse」と表記されたビンテージ・ボトルがあります。「"Absinthe Suisse" is an absinthe of the very highest possible quality, not necessarily one made in Switzerland,」とか「'Swiss-style' absinthes (a term used to describe the manufacturing technique and not necessarily the origin) became the standard for quality,」などの記述から、<スイス的技法>による最高級銘柄には<Suisse>のお墨付きが付けられる習慣があった様です。「Absinthe Suisse」の表記がないセカンド・クラスのフランス産でも赤地に白十字の<スイス・クロス>マークが付けられる事は珍しくはありませんでした。産地偽装と言う訳でもなく、職人的手法による高級アブサンのシンボルマーク的な扱いだったのでしょう。「Couvet」などのスイス地名も同様の使われ方をしました。下図(4)は禁制直前にスペイン/タラゴナに進出したEdouard Pernod 系 “Pernod S.A.”(1912〜36年)のラベルですが・・・COUVET(Suisse)との記載で<スイス的技法> をアピールしつつ、下にはMaison a Tarragone の赤い文字があります。

・このクラスの高級アブサンでは各社独自の手法を開発して差別化を図っていました。特に、完成後の熟成工程は重視されており、最低でも六ヶ月、長い物では数年のオーク樽長期熟成が成されました。これは、当時の酒税が保有量ではなく出荷量を対象に課税されていたからの様です。効率/品質向上を目指して様々な熟成促進法が試みられました。有名な例として、高圧下の熟成で強制的な酸素(Oxygenee)溶解を試みた“Cusenier's Oxygenee”などがあります。当時は酸素と生命エネルギーの関係が注目されており、 ほとんどすべての疾患に有効な万能薬とも考えられており、酸素系アブサンは超トレンディーな高級品でした。

・運よく良い状態で保管されてきた'Swiss-style'ヴィンテージ・アブサンのほとんどは緑色と云うよりは赤っぽい黄色や茶色です。ひょっとしたらオーク樽からの溶出成分が瓶内熟成によって色変化したのでしょうか?稀にピンクに近い色もあるようですが、“Rosinette”の訳はありません。(1)は1890年代前半の "Grande Distillerie Lyonnaise"、(2)は1865年の銘柄不明ポンタリオ産でイイ感じに桃濁していますね。

1)2)3)4)
1)は “Absinthe Lyonnaise” 2)は謎の銘柄、3〜4)は“Pernod S.A.

<模倣者達 > アブサン全盛期に絶対的存在だった「Pernod et Fils」の模倣者は数え切れないほど多く出現しました。“Permier Fils”、“Pierrot”、“Pere Noe”、“Parrot Fils”などはモロですが、他にも“J.Francois Pernot”、“Perrenod et Cie”とか、立場が微妙な“Edouard Pernod”、”Emile Pernot”、”Gempp Pernod”、“Legler Pernod”、“Jules Pernod”などの銘柄があり、ラベルを見ただけだと「ペルノー・フィルス社」の製品と勘違いしてしまうデザインや銘柄名です。当時の“Pernod et Fils”がドンダケ突出していたかが良くわかりますね。ペルノー社が起した商標権に対する訴訟は絶えた事が無く、近代フランス著作権法の基盤を築くほどでした。数々の訴訟の中には親者骨肉の争いもあったんでしょうか?よく見かける<un pernod>の表示は、これらの訴訟の結果です。

・この事が分かるまでは、ラベルのデザインや配色も似てるので全部親戚筋とかがやってる銘柄かな?と思っていましたよ・・・でも、本家「Pernod et Fils」 は後妻の息子(Fritz and Louis-Alfred)が継いだらしく、“Edouard Pernod” はルイの長男Edouardが起こした銘柄、その娘(Caroline Pernod)の夫Otto Leglerの銘柄が“Legler Pernod”、“Gempp Pernod” は“Edouard Pernod”のリュネル支工場が1880年に売却されて起された銘柄、“Emile Pernot” はデュバル家系の銘柄です。アビニヨン市の“Jules Pernod”はペルノー家とは遠縁ながら袂を分かった会社でしたが激しい訴訟合戦の末にPernod名を使う権利を勝ち取りました。しかし、アブサン禁止後に“Pernod et Fils”に吸収合併されたそうです。

・とある資料によると以下の蒸留者達が活躍していたそうです。Franche-Comte: Berger, Pernod fils, Edouard Pernod, Legler-Pernod, Kubler & Romang, Henny; Ammann, von Almen, Dornier-Tuller, Bolle, Sandoz, Giovenni, Bovet & Cie, Duval, Borel-Pettavel, Haag, Loup, Bader, Roessinger, Besson fils & Cie, Rosselet-Dubied, Dubied pere et fils, Lecoultre, Yersin, Fraissard, Oxygenee. etc.

・もう一つの引用では、A Junod, Legler Pernod, Jules Pernot, Emile Pernot, Pierrot and Gemp Pernod,---- Cusenier's Oxygenee, Terminus, C.F. Berger, Absinthe Suisse, Premier Fils, H. Bazinet, Dornier-Tuller, Lanquetin Fils, Georges Putois, Kubler & Romang

・関係ない話ですが、“La Meme"というトボケた名前の銘柄がありました。英語だと “The Same”です。とあるアブサンを飲んでいた人がウエイターに「同じヤツをくれ」って言うと、この“La Mene (同じヤツ) "が出てくる仕組みになっていて、ウエイターにはマージン(おこずかい)が入ったんですね。なかなか、トンチの利いた話だなぁと思いました。

<反逆者 Edouard Pernod > アンリの長男Edouardはクーヴェ村で祖父が経営していた「Dubied Pere et Fils」の工場を購入(1827年)して自分の会社を興し“Edouard Pernod”の生産を始めます。アンリ在命中(1776-1851年)の事であり、後に本家「Pernod et Fils」を後妻の義理の息子達(Fritz and Louis-Alfred)が継いだ事から親子間の不仲説も囁かれています。“Edouard Pernod”は本家とは異なるハーバルな香りと力強い味わいだったそうで決して模倣者ではありません。むしろ反逆者と言った方がいいかもしれません。後にグリーン・アニスやフェンネルの産地に近い南仏リュネルに支工場を進出させる勢いでしたが1880年に売却。しかし、息子のEdouard U世が1897年にポンタリエ工場を増設して盛り返しました。8器の蒸留器をフル稼働して禁止直前には業界三番目の生産量(年間3万g)を誇っていました。ヨーロッパ以外への輸出も膨大な量で、品質的にも “Pernod Fils”、 “A.Junod”、“Fritz Duval”と並び賞される程の存在でした。スイスで全面的に禁止(1910年)された後、Pierre Pernod (孫?) は非禁止国スペイン/タラゴナで「Pernod S.A.,」を創業(1912年)して輸出分の生産を始め存続を図りましたが、1936年に不仲だった本家「Pernod et Fils」に吸収されました。それ以降は「Pernod S.A.,」の工場でタラゴナ産“Pernod Fils”が生産されます。そんな訳で、“Pernod Fils Tarragonna”には、ラベルの一番下の文字列には『Pernod S.A 』の文字が確認できるんですね。

・初期“Edouard Pernod”は紛れも無いスイス産だったんですね・・って言うか、この頃はスイス物とフランス物の違いはほとんどなく、<スイス物=高級手工品>的な等級分け位の感じでした。クーヴェの文字が目立つ有名なラベル(右から二番目)の下に小さくポンタリオ製と書いてあるのも、スペイン/タラゴナ産(右端)にもクーベの文字を忘れないのも、始原地クーベのブランド力が欲しかったからなんでしょうか?エドワーがクーベ村の出目なのを誇りにしていたのかもしれませんが・・・ちなみに、スイス・アブサンが透明無色でアルコール度数が低いスタイルを確立したは禁制後の密造時代からです。

    
左から、初期ラベル。珍しい中期?モノ。リュネル支工場製。COUVETがガツンと目立つポピュラーなポンタリオ・ラベル再登場の禁制後スペイン/タラゴナ製。

右から二番目の拡大、 本当はポンタリオ製。

ボトルのエンボスにもしっかりとクーヴェ、ポンタリオとあります。

<アブサン in アメリカ > アブサンは19世紀のアメリカでも人気を博しました。1834年にニューオリンズで<absynthe>の広告が登場。"Green Opal" "Milky Way" などという名の銘柄達でした(ダサい名前ばっかですね)。その後、サンフランシスコ、ニューオリンズ、シカゴ、ニューヨークでは「アブサン・ハウス」と呼ばれるニュースタイルのカジュアル・レストランが流行したそうです。1878年には800万gものアブサンが輸入されていました。1885年にサンフランシスコで製造された事を示す新聞記事も残されています(参照)。1912年の規制時には、ほとんどの高級バーでもアブサンと云う名のアルコール飲料が提供されており、様々なカクテルも考案されました。(ちなみに、下の”Pernod Fils Green” のヴィンテージ価格は約50万円ほどでした。苦難の禁酒法時代を潜り抜けてきた古強レア者の割には安いの?

    
アメリカ輸出仕様は、ラベル下に“GREEN”や“WHITE”の文字があります(US labellings)。右はボストン産の“BUTTERFLY”

<オールド・アブサン・ハウス>下の写真はニューオリンズはバーボン・ストリートにある有名な「オールド・アブサン・ハウス」で、アンドリュー・ジャクソン(後の第7代大統領)と海賊ジャン・ラフィットがイギリス軍を撃退するために作戦を練ったという酒場です。現存するアメリカ最古(1806年創業)のバーと言われており、禁酒法時代(1920〜33年)はモグリで営業していました。2008年5月の時点では解禁直後のせいかアブサンは3銘柄しか置いてなかったとのこと・・(ラフィットが米英戦争の後、略奪品売買用に経営していた「ラフィット鍛冶屋」もバーボン・ストリートにあり、建物が現存しています。1772年以前に建造され、フレンチクオーターに残る数少ないオリジナルのフランス建築だそうです。海賊ラフィットは漫画「ワン・ピース」にも登場してますね・・)

      
左から1903年の店内風景、ほぼ100年使用の現役給水器、1890年の外観(今も変わらず)。そして、もと「ラフィット鍛冶屋」です。
オールド・アブサン・ハウスはアレイスター・クロウリーが "Absinthe - The Green Goddess"を書いた場所としても有名です。

<Herbsaint> 実際にはアブサンと云うよりはパスティス系なんですが、禁酒法が廃止された1934年から現在まで継続して販売されているニューオリンズを象徴するアメリカ銘柄です。全盛期アブサンへの憧憬が産んだ前身銘柄“Legendre Absinthe”(1)にもニガヨモギは使用されていませんでした。アブサンの名称が禁じられて“Legendre Herbsaint”(2)に変更した後、1948年に「Sazerac Co.」が買収して“Herbsaint”(3)に落ち着きます。現在のラベル(4)は普通になってしまいました。グラスとブロウラー(5)は1950年代に販売された専用品で、アメリカにおいては本場では忌み廃すたれていた参照アブサン的作法だけは継承されていた様です。フランス物かと見まがう様な美しさですね・・・復刻して欲しいです。参照

1)2)3)4)5)

・アブアン関係のSP盤を発見!「Absinthe Frappe」という曲が1905年に録音されていました。犬のニッパー君で有名なビクターの10インチで、数百もの曲を残している20世紀初頭の大スター、Billy Murray と言うアイリッシュ系シンガーが吹き込んでいます。ジャズ、カントリー、ブルースなど御馴染みのアメリカン・ミュージックが定型化する前の揺籃期ようらんきですが、マウンテン・ミュージックとかオールド・タイム・ミュージック的感覚からは脱却した都会的なホーム・コミック・ソング。右端は1904年に出版された楽譜集「ItHappened in Nordland」で、この頃は楽譜こそが最大の音楽メディアでした。曲調は異なりますが、この頃のアメリカ音楽で我々が連想できるのはスティーブン・フォスターの曲くらいでしょうか?ラジオが実用化される15年ほども前、蓄音機も一般家庭には99%縁のなかった時代の古き善き忘れ形見です。でも、こんな音源がメジャーなレーベルから出ていたなんて・・・この頃のアメリカではアブサンがかなり一般だった事が分かりますね。ちなみに、この盤は113,61jで落札されました。

    
この資料を見るとマスター?はエジソン管(蝋管)で録音された様です。円盤による再プレスなのでしょうか?

<アブサン in 占有・領有国> アメリカ、カナダ、イギリス以外でも、フランスやスペイン,ポルトガルなどの駐留白人による需要が多かった支配国、アルジェリア、キュ-バ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ベトナム、マダガスカル、タチヒなどは重要なマーケットでした。輸出だけでなく現地でアブサンの生産を行っていた国もあります。ペルノーはもちろんの事、ベルジャ(Berger)、エドワー(Edouard Pernod)、キューゼニア(Cusenier/Oxygenee)などの有力銘柄による海外戦略でした。

・ゴッホと袂を分かった後、タチヒに移住したゴーギャンはゴッホなど比較にならないくらいの真性アブサン狂いでした。そんな彼がなぜ南太平洋の島に・・・何と、地球の反対側の島にもアブサンが普通にあったんですね。タチヒ島は当時もフランス領ポリネシア諸島に属していました。アブサンの入手は日常レベルで容易だった事情が友人への手紙などに記されて残っています。世界各地でアブサンが普通に飲まれていた様子の一端が伺えます。

・そんな事情を知って「なんでブラジルに現行アブサン銘柄が?」って疑問が氷解しました。現在ブラジル産は一銘柄だけ正規輸入されています。ちなみに、ブラジルではニガヨモギ、アニス、フェンネル、メリッサなどはポピュラーな植物らしいですが、「重要なヒソップスだけは生えて無い・・」と当地のアブサニストが嘆いていま した。

・フランスの現代作家クリストフ・バタイユに『アブサン・聖なる酒の幻』という小説があります。その中で、19世紀後半に戦場から帰還した登場人物ジャンがアルゼンチンに出稼ぎに行き、その地に定住してアブサンを醸造した、と書いています。私も長らく勘違いしていましたが、 『眼球譚』とか『マダム・エドワルダ』で有名な耽美者にして神秘主義者ジョルジュ・バタイユとは別人・・ジョルジュがアブサン小説を残していたなんて「さすが〜っ!」って思ってましたが、考えてみたら出来すぎですもんね・・・

1)2)3)4)
・(1)はブエノスから北へ300キロ離れたロザリオの町で作られたアルゼンチン産アブサンンのラベル。
スペイン人オーナーの孫の証言から、1902〜1914年の間に生産が続けられたと思われています。
・(2)はアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイに輸出されたペルノー・ラベル 。下から2行目に記述あり。

・(3)は1930年頃のキューバ銘柄。未開封で驚きの発見だったそうです。現存数一本のみの超レアひん。
・(4)はe-Bayで見掛けた
比較的新しいと思われるアルゼンチン産“La Fee Verte"のミニチェア・ボトル。

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< 緑の美神 芸術家達 ベル・エポック > アブサンと共に<美の迷宮>をさ迷い、美神の微笑みを授かった人々は多くに渡ります。 ピカソ、ゴッホ、ゴーギャン、マネ、ドガ、モネ、ルソー、ロートレック、ドーソン、バタイユ、モーパッサン、ヴォードレール、ゾラ、ヴェルレーヌ、ランボー、アポリネール、などが「世紀末の緑美派(サイケデリア)」でした。耽美傾向の強い人が多いですね。幻視者オスカー・ワイルドは「足にチューリップが生えてる様な酔いだ」とキュートな表現をし、「The Green Fairy/緑の妖精」という名の啓示者として知られます。 アブサンが華やかに彩ったのは、いわゆるベル・エポック(良き時代)と呼ばれた頃のパリです。 (この時代のパリの映像はこちらです。ついでにこちらこちらこちらこちらに当時の面白い芸能各種をリンクしてみました。)

産業革命による急激なパラダイム・シフト(価値観の転換)を迫られた旧然たるヨーロッパ社会にとって、19世紀末は「頽廃の時代」の到来と言われていました。パリにはハッシーシュ(大麻)とアブサンが、ロンドンにはオピウム(阿片)とジンが甘美で危険な夢と毒を撒き散らしつつ蔓延し、行き詰った「旧き善き時代」に終焉のラッパを吹き鳴らし廻っていました。逆に19世紀末から第一次世界大戦勃発の1914年まで、耽美都市パリはかつて無い程に繁栄した華やかな時代を享受します。その頃の文化・芸術を回顧して後にベル・エポック(良き時代)と称され憧憬の対象にもなりました。1900年の第5回 パリ万国博覧会やアール・ヌーヴォーなどはその象徴と云えます。

<アール・ヌーヴォー>は、急激な社会変革に混迷して自己喪失した西洋文化の揺り戻し現象とも解釈できます。完全に粉砕された旧世界価値観への喪失感・・・人工的要素を回避して自然の中に逃げ込むしかなかったのでしょうか?ぱっと見には順当にも見える流れですが、しょせん一部の富裕層だけが手に出来る贅沢で目新しい量産工芸品に成り果ててしまいました。「人々の周りにあり人々が使うもののフォルムの真正性」を取り戻す、という本来の主張とは矛盾した歪ひずみを露見します。個人的に、アール・ヌーボー工芸品はワザとらしさが鼻につき、逆に不自然な感じ・・・自然回帰なる贅沢品には見識のみならず経済力こそが必須とされる現実はいつの時代もかわらず、現代においてはオーガニツク盲信者の戯言たわごとにて明白です。この欺瞞に満ちた緩衝期を経、モダン・デザインの発露とも言うべきアール・デコの登場を迎えました。置き去りにされた《芸術?》なるモノが産業革命に追いついた瞬間です・・・一世紀も必要だったんですね。

・ 19世紀末のパリに集まった芸術家や文学者達は、古いモラルやアカデミズムに対する反発から、自由な生き方に憧れてボヘミアン的な生活を夢見ていたそうです。彼らが集うカフェでは、アブサン(安いから)を酌み交わし語り合うサロン的な慣習が流行しました。今にも破裂しそうな芸術的衝動と社会的圧力に対する行き場の無い不満を抱え、必要以上に熱い議論と高すぎて届かない理想をぶつけ合う、血沸き肉踊る楽しい場だった用です。どんな会話が交わされていたのでしょうか。ここで得られたインスピレーションを美的霊感として敬ったのかもしれません。参照

・残存するヴィンテージ・ボトルの多くは、セラーなどに保管されていた高級品がほとんどです。つまり、私達が目に出来るベル・エポック期のアブサンは、上流階級向けの銘柄だと思って間違いありません。庶民が実際に飲んでいた普及品の姿は見えてきません・・・貧乏な芸術家や文学者などが飲んでたヤツは、多分こんな感じの代物だったのではないでしょうか?

<ヴェレーヌとランボー> 優柔不断で利己主義者かつ醜男コンプレックスでも有名な印象派詩人ヴェルレーヌが、恋人で美少年の天才詩人アルチュール・ランボーに別れ話を持ちかけられグチャ揉もめになりました。2回発砲、手首を負傷させた罪で2年間の投獄生活へ・・・そしてランボーは「地獄の季節」を出版し、20歳で永遠に詩壇を去りました。フランス文芸史上、最も有名な痴話事件も二人のアブサン愛好家によって引き起こされた様です。この二人のお話は1995年に 『太陽と月に背いて(Total Eclipse)』と言うエグい映画にもなっています。美少年からは程遠いイケメン男優のディカプリオがランボー役なんですけど・・・100%興味なし!

・完全に関係ない話ですが、ここ数年<イケメン>なる言葉を耳にします。世情に疎い私は、問答無用の<抜群にいい男>とかオーラ出まくりの<超美男子>を指す今時語いまどきごだと思い込んでいました。その割に、テレビなどで拝見する<イケメン>諸氏は全然イマイチなんじゃないの?って感じで釈然としなかったんです。先日、どうでもいい謎が氷解しました。「まあまあイケてる男子」の意味だって教えてもらったんですね。人によっては、手が届きそうで「私でもイケるかも・・・」の意も含むそうです。つまり、親しみが持て、身近にも居そうな、クラスで二〜三番目前後くらい・・・適度にいい男って意味なんですね。?確かに「イケてるじゃん!」って言葉には期待薄感と妥協感が含まれており、安全賛美って感じじゃありません。とても納得してスッキリしましたよ・・・

・下中央の画像は、スウェーデンに旅行中のランボーが友人に送ったイラスト自画像付き手紙の一部です。防寒具に身を固めてパイプを燻くゆらせつつ山の景色のに目をやるランボー、その手のビンにはアブサンの文字が・・・スウェーデンでアブサンが売っていた!のか、わざわざ持って行った!のか、「イラストはイメージです!」だったのか真相は不明ですが、友人に何かをアピールしたかったのかも知れません。わざわざ、○BSINTHE って書き込んでるくらいですから・・・

   
17歳の美少年ランボー、友人へのラブレター?、カフェでアブサンを飲む醜中年ヴェレーヌ 、この二人が恋人同士だったなんて・・・

「喝きの喜劇」
来たれ
酒は大河となって海へと流れ、万波寄せり
天来の「苦味酒」、滝の瀬と山より来る
行かん、賢明なる行路の人よ、琅奸の円柱緑なす「アブサン」国へ
<アルチュール・ランボー>

<ゴッホとゴーギャン>アブサンの闇を象徴するアイコン、それは何故かワイン好きと言われるゴッホです。彼が起した事件は有名ですね。ある日、アルルのカフェでお互いをモデルにして書いた絵を見せ合った後、興奮した(何故?)ゴッホはアブサン(たぶん)の入ったグラスをゴーギャンに投げつけたそうです。当たったんですかね?翌日、散歩中のゴーギャンを背後からカミソリで襲いましたが、睨みつけられて退散・・・なすすべも無く部屋に戻ったゴッホは自分の耳たぶを切り落とし、娼婦ラシェルの元へ届けて再び部屋に戻り失神・・・戻ってきたゴーギャンに発見されました。二人はラシェルを取り合っている恋敵だったとかで、これもまた痴話事件的な側面があったのかも知れません。絵が気に入らなかっただけでココまでしたとすれば、相当アブサンにヤラれちゃってたんですかね。(真性アブサニストの ゴーギャンが切り落としたと言う怖い新説もあります)

私は
夢の入り口に腰を掛け、
煙草をくゆらせ、アプサンのグラスを傾けよう
外の世界を気にかけることも無い
この時を愛している
私は
<ゴーギャン>

    
後期印象派のゴーギャンゴッホの靴、幻視者ワイルド、先駆者セヴィニエ夫人ヘミングウェイのワインを盗み飲みする愛猫は六本指(参照)!

はじめの一杯のあとで、そうあってほしかったことがらを見、
次の一杯のあとで、君はそうでないことがらを見、
最後に君は現実を見、
それがこの世で最悪であることを見るのだ
<オスカー・ワイルド>

人生にはアブサンの残酷な苦みが混ざっている
<セヴィニエ夫人>

<セヴィニエ夫人>は17世紀フランスの伯爵夫人です。機知に富んだ書簡が書き写され皆に回し読みされるほどの評判を呼びました。鮮やかな時代風景と豊かな心情を書きつづった女流エッセイストのハシリとも云える才媛です。日本でも 『セヴィニエ夫人手紙抄』(岩波文庫)という本が出ている程で、さしずめフランスの紫式部?って感じでしょうか?パリ3区のセヴィニエ通りに名前が残っているそうです。1626年に生まれ1696年に亡くなった夫人が引用したアブサンとは近代以前のニガヨモギ薬用酒に違いありません。しかし、その苦みに人生の真実を象徴させた輝くようなインスピレーション・・・後のアブサニスト達の心をワシ掴みにした数少ない女性アイドルです。長女フランソワーズに送った手紙に「私のアブサンはどんな病にも効くのよ。」と勧める記述もあるそうです。

<アーネスト・ヘミングウェイ (1899〜1961年)>は「午後の死 ( death in the afternoon )」 と言うアブサンカクテルを考案した事で知られており、意外と見逃されがちですがノーベル文学賞作家でもあります。彼が活躍した時代にアブサンは禁止されており、リアルタイムの人ではありません。しかし、スペインや南仏を舞台にした小説にシンボリックな脇役として登場させています。ご存知の様にスペインでは禁止されませんでしたし、南仏のパスティスとアブサンの違いは外見だけでは判りづらいと言う事情もあります。リアルタイムでは無い事と本場ではないアメリカ人というスタンスが効をなし、アブサンというアイテムを有効な小道具として使い易かったのかもしれません。アブサン断絶期における数少ないアジテーターの一人で、「禁断の酒・アブサン」というアイコンを確立した重要人物です。

<黒色火薬>・ちなみに、「午後の死 ( death in the afternoon )」の正式?なレシピは、「黒色火薬をシャンパンに入れて軽く混ぜる」が正解です。本当ですよ・・・ヘミングウェイの戦場体験から生まれたのでしょうか?アブサンの香りが比較的似ている?らしいので、平和なエリアでの代用品だった様ですね・・・黒色火薬が甘みを持つ事は知られており、さほど有害な成分は含まれていません。つまり、カクテルに使ってもOK牧場って事でした。しかし、進歩した現代火薬には有害なニトログリコールが含まれているそうで、あまり気軽に舐めたりしない方が良いみたいですよ・・・

・2008年に茨城・古河駐屯地で起きた「自衛隊員の火薬摂取事件」では、十数人が吐き気や目眩めまいを訴えたそうです。家庭内では子供に手が届かない所に保管しましょう。言うまでもありませんが、信管は別の場所に隠しておいた方が安全です。

<理想の男> 50歳前後の男子達は80年代男性情報誌の影響力を覚えておられる事でしょう。そう、やっぱ「男として生きる術を心得た、あらゆる男たちのために」がコンセプトだった 『ブ○ー○ス』ですよね。上昇志向という名の新興宗教が流行っており、「男らしさ+知性+お洒落=まともな一人前の男」なんて無理難題を煽あおってたんですよ。そして、ヘミングウェイを<理想の男>として神の様に祀り上げていました。なんせ、No,4が「ヘミングウェイ特集」(1980/9/15)ですから・・・彼の著作に触れてみた夢見る男子は多かったと思います。その中に登場する男の酒“アブサン”に強い印象を受けた事は想像に難くありません。"フローズン・ダイキリ”や“モヒート”とかじゃマッチョ度低めですしね・・・さらに「世紀末芸術家達の霊酒!」とか「麻薬成分で禁止!」なんてダボラを吹かれたら気になって当然です。

・しかし、バーなどで探し歩いても本物に出会うのは奇跡に近い時代です。Absintheというラベルを見つけたとしても日本の“ヘルメス”・・・舶来品のステイタスと信頼性は今とは比べ物になりません。「えっ・・・本当にこんな味なの?本物はどんな感じ?」と納得出来ない宙ぶらりん状態で終了・・・「一人前の男が傍らに置くべき幻の酒」への想いは増すばかりですが、決着の着かない妄想ほどヤバいものはありません。酒の席でも話題になりやすく、伝言ゲーム的な拡がりで次の世代へ伝わったのではないでしょうか?漫画「バー・レモンハート」のマスターが“アブサン”を探す旅に出る話や野球漫画「あぶさん」なども名を伝える大きな役割を果たした事でしょう。しかし、アブサンの名称を知っているだけでなく、かなりの興味を示す方の多さは不異議なくらいです。そんな吸引力のあるイメージを決定付けたのは、男性情報誌によってクローズアップされた<理想の男>からの影響も大きかったのではないでしょうか?

<The Garden of Eden> 下の文は、ライフル自殺する3年前(1958年)に脱稿、死後25年も経ってから日の目を見た「The Garden of Eden/エデンの園」からの引用です。ハメットチャンドラーと同じマチズモ・カテゴリーで語られていたヘミングウェイ・・・「男だけの世界 (Men without Women)」などという短編集の題にも顕あらわでした。そのマッチョなイメージを覆くつがえし、隠されていた「両性具有願望」が表出したとも騒がれた問題作。題名からからも伺える様にジェンダーが大きなテーマです。古い価値観が潰ついえて女性の時代が迫っている事への恐怖感を含んでおり、急激に変化し始めた性意識への違和感と共感が入り混じって描写されています。同時代作家フィッツジェラルドの名作「夜はやさし」への回答とも言える晩年の異色作です。同じビート感を持ち、行き場の無い社会を千鳥足で彷徨さまよい歩く「失われた世代」の真の姿・・・設定は南仏のレストランで、フランスでアブサンが禁止された直後の1920年代です。

 彼はひどく細い筋状にしながら水を注ぎ,彼女はアブ サンが乳白色に濁っていくのを眺めていた。グラスを握っていると指が温かく感じられた。そうして黄色い色合いが消えてミルク色になり始めると急に冷たくなり,若者は水を一滴ずつ垂らしはじめた。 「どうしてそんなにゆっくり入れなきゃならないの?」彼女は尋ねた。「水を急いで入れすぎるとばらばらになって分解してしまう」若者は説明してやった。「そうすると味が抜けてちっともうまくないんだ。本当は氷を入れた小さな穴の開いたグラスを上に置いて,水がしたたるようにするものなんだ。でもそうすると何を飲んでいるのかばれてしまうからね・・・」 

・上記の引用文からは、四つの事象が読み取れます。(1)アブサンに少しづつ水を加える作法の根拠を経験的に認識していた事。(2)グラス・トップ・ブローラーが意外と普及してたらしい事。(3)禁制後、少なくとも南仏においてはアブサンを内緒で飲める場所が普通に存在していた事。(4)アブサンを飲む事が相当リスキーな行為だった事。などです。ヘミングウェイの作家としての傾向から、数年にも渡るフランス滞在時の体験に基づいた記述と思われます。しかし、比較的裕福な外来滞在者だったのは確かで、一般庶民とは異なる視点からの記述だったかもしれません。同じ作品からのアブサン系引用は下の通りです。

 彼女は狭いカフェの隅のテーブルに座っていた。前には濁った黄色っぽい酒のグラスと小さな皿。皿の上には赤黒い小さな川海老が一匹・・・食べ終えた何匹分かの殻もあった。 

三人のスペイン人を相手にしていた給仕が、グラスを一つと、極ありふれたペルノーの瓶と、口細の小さな水差しをもってきた。水差しの中には氷が浮いている。「同じのを旦那様に?」「うん、頼む・・」 二人の背の高いグラスに、給仕はいやな色をした黄色い酒を半分注ぎ、続いて彼女のグラスにゆっくり水を注ぎ始めたが、「僕がやろう」と彼に言われ酒の瓶を持っていってしまった。瓶を引っ込める事ができてホッとした顔である。 

 「ごめん、間違ったっけ・・・がぶ飲みしたら言葉がでなくなっちゃった。」 「注意しないとアブサンは危ないぞ。」 「でも、これをやると気が楽になるもの。」 「ほかに気楽にしてくれるものが無いってことかい?」 彼女用のアブサンを作り終えたが、口当たりが良い程度よりも薄めにしておいた。「お先にどうぞ・・・僕のを待たなくていいよ。」 彼女が深く一口やったところでそのグラスを取り、自分で飲んだ彼は、「ご馳走様、奥さん。これを頂くと、男はズンと気合が入りましてな。」 「なら自分用のを作りゃいいじゃない、この切抜き気違い。」 「今,何と言った。」 「言わなかったわよ。」

 テーブルではキャサリンがグラスを揚げ、アブサンを注意深く一口味わうと、続けて少しずつ味を確かめながら飲んだ。 

〜 「二日前までは、私、何もかも分かっているつもりだったけど、アブサン飲んだら虫が収まらなくなっちゃって・・」 「分かるよ・・押えようがなかったんだろう?」 〜

〜 「こういう暑い日にしては君の話は面白いし話し方も上手だよ。ワインを飲むとおしゃべりになるのかい?」 「アブサンとは違ったおしゃべりね。ワインだと危険な感じにはならないの。」 〜

〜 「本物のペルノーは好きかな?」 キャサリンに大佐は訊いた。「ええ、私はにかみ屋だから、人に会う時など助かるわ。」 「良い酒だ、あれは。おつきあいしたいところだが、昼飯の後、仕事がひかえとるんで・・・」 

〜 「『私にとって目に見える世界は、目に見えるもの』と人は言うのでな・・・さぁ、そのニガヨモギ入りの自白強制剤をもう一口お飲みなさい。」 「もう、要らなくなったの」 「はにかみ屋さんじゃなくなったのかね?」 〜

〜 「父はどうでした?」 「小生が見た中でも最高のはにかみ屋だった。それでいて最高にチャーミングにもなれる人物」 「父もペルノーの助けを借りて?」 「ありとあらゆるものを使っていたな・・・」 〜

〜 キャサリンが来た時には二杯目のアブサンを飲み終えるところで、後悔はもう消えている。「様子はどうかね。悪魔ちゃん。」 「あなたのものよ、この悪魔ちゃんは・・・」そして、給仕に呼びかけた。「私にもアブサンを一杯下さい。」 

<映画、文学、漫画などにも登場している例はこちら>

<アレイスター・クロウリー> 自らを<大いなる獣666>と名乗った近世の神秘主義者で、20世紀最大の魔術師アレイスター・クロウリー(1875〜1947年)もアブサンの持つバイブレーションに共振した一人です。『La Legende de l'Absinthe (アブサンの伝説)』という詩(1907年)や『The Green Goddess essay 』と呼ばれるアブサン賛美の論文(1908年)など残しました。神秘儀式にセックスとドラッグを多用した彼が妖艶な「緑の妖精」を見逃す訳がありませんね。ニュ-オリンズの「オールド・アブサン・ハウス」にて書かれた『The Green Goddess essay 』の生原稿はクロウリー信者のジミーペイジ(レッドツェッペリンのギタリスト)が所有しているそうです。

・そういえば、オスカー・ワイルドが20歳下のクロウリーについて「私の尊敬すべき人です。」と言ってたそうですね。夫人のタンス・ワイルドは、クロウリーと同様にイギリスの魔術結社「黄金の夜明け」に属していたオカルティストだったので、そのイケイケ振りが気になっていたのでしょうか?

・クローリーは<007シリーズ>の著者イアン・フレミングの紹介でイギリス軍情報部に関わり、ナチスに対抗する呪術儀式(魔女集会)などを行っていました。ドイツ軍のイギリス上陸の阻止やナチス副総統ルドルフ・ヘスの奇行(イギリスへの単独飛行!)などは自分の魔力の成果だと喧伝しています。そして、「Vサイン」=「アポフィスとタイフォンのサイン」を生み出したのも自分である、とその著書で強く主張しています。シルエットが悪魔を暗示する「Vサイン」はペンタグラムの魔力 を応用した悪魔返し的な意味を持ち、ナチスの繰り出す呪術戦法に対抗する護符だった様です。公の場で初めて「Vサイン」を使ったのはチャーチル首相だった、という話には驚きました。勝利 (Victory)の V じゃなかったんですね・

  
若き日のクロウリー。中央左下端の写真は手の向きが逆でヤバくないですか? 悪魔のV・・

・ワイルドが名付け親だと云われる「The Green Fairy(緑の妖精)」はフランス語だと「La Fee Verte」で、この名は今も生きています。最初に海外のサイトを見始めた時、すごくよく出てくるので下の現行銘柄 “La Fee ”と混同して混乱しました。それにしてもラベルデザインが錬金術的と云うか秘密結社のシンボルを彷彿とさせますね・・

    

・上記の銘柄は、パリ北部郊外のオヴェール・シュル・オワーズにある私設アブサン博物館( Musee de l'Absinthe)の監修でリリースされた銘柄の様です。この地はゴッホが最後の時間を過ごした場所として有名。館長のマリー・クロード・デゥエラは、アブサン・ルネッサンス最初期(1983年)に画期的な初のアブサン歴史書 " L'Absinthe , histoire de la Fee verte"を世に問うた女傑で、それまでは学術的見地からのアプローチは皆無だったそうです。ラベルに見開かれた<叡智の眼>は、彼女がアブサンの可能性に閃いた先見の明を表しているかの様ですが、やはり怪しげなエリアからの興味がキッカケになっている事は間違いないな・・とも思わせます。

魔術サイトへのリンク集

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”アブサンの文化史”という訳本について、

 さて、以上でこの項は終わりにしますが、2016年12月にアブサン関係では日本初ともいえる翻訳本が出たので紹介いたします。バーナビー・コンラッド三世(Barnaby Conrad V)というアメリカ人記述家の”アブサンの文化史”という著作ですが、本書以降 “葉巻の文化史”、“マティーニの文化史”、など類似の図版本を出している様でアブサンの研究家と言う訳ではない様です。フランスでアブサンが解禁された1988年初出と言う事もありアブサン解禁以前のロマンチックな想いとこれから訪れるであろう新しい時代への期待が伝わってきます。アブサン自体に関する具体的な記述は少ないので歴史的背景や芸術関係に興味のない方は肩すかしをくらうかもしれませんが、この本をきっかけに興味を持って頂ければ・・・と思います。

 前半はアブサンを軸にした当時の芸術家達周辺のゴシップ的逸話が満載! マネ、プルースト、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、ワイルド、ドガ、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、ヘミングウェイ、などキラ星のごとき時代の寵児達・・・彼らの人間臭いアブサン裏話こそがこの本のトピックと言えるのではないでしょうか?<美の女神>と持て囃されたアブサンの存在が我々の想像をはるかに超えた重要なアイコンだった様子が克明に伝わってきます。個人的には通常名前の上がる事が少ない周辺の人々の逸話に興味を覚えました。特に前衛劇作家アルフレッド・ジャリの中毒ぶりは半端ないですね・・・

 後半は(うって変わった)真面目?な内容です。出版から30年近く経った今となっては比較的知られた研究や統計値で構成されていますが、この手の資料的記述を日本語でちゃんと読めるメリットは非常に大きいと思います。アブサンの、科学的側面、政治的側面、社会的側面、経済的側面、がコンパクトにまとまっていて時代変遷が分かりやすい!アブサンが禁止になる過程において多くの要因が絡みあい混迷を極めていた様子などががよく分かります。読者に基礎知識がある事を前提とした専門書ではこうはいきませんから・・・作者が本職のアブサン研究家ではなかった事がいい結果として現れているのではないでしょうか?この後半部ゆえに硬軟とりまぜた面白い本になっていると思います。と言う訳でお勧めですよ!日本語で読める唯一のアブサン本ですし・・・

 一か所だけ「あれっ?」って思った記述がありました。17世紀の文筆家セヴィニエ夫人に関してです。母親のクーランジェ夫人が娘マリー(セヴィニエ夫人)に送った手紙に「私のアブサンは万能薬なのよ」と書いてあったそうですがクーランジェ夫人はマリー(セヴィニエ夫人)が7歳の時に亡くなっています。この直前には夫のシャンタル男爵も戦死しており孤児となったマリー(セヴィニエ夫人)は祖父母に引き取られたそうです。この一文はセヴィニエ夫人が娘のフランソワ嬢に送った手紙に書いてあったのではないでしょうか?我ながら細かい事すぎますが・・・

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< アブサンの禁制化へ > 1884年にフランス軍がアブサンを解熱剤として採用した折、服用者に異常が認められ使用禁止になった例(★)があります。大量摂取すると、麻酔作用、嘔吐、幻覚、錯乱、痙攣などに陥いり強い習慣性もあるという説が流布し始めました。ツヨンの持つ麻薬的要素が取り沙汰され、庶民の疲れを慰めてくれる安酒から諸悪の根源として大いにクローズアップされる様になっていきました。近年ですら<飲むマリファナ>なんて代名詞が平気でまかり通っているくらいですから19世紀においては無理もないですか。「人は真実より、異な事柄を好む」という情報に対する好みは変わりません。

(★)この事件の真相については諸説ありますが、「悪質な業者と軍部の癒着による粗悪な商品の納入」が原因だったとの説が有力な様です。そして「その悪評を酒造業界と癒着していた政府側広報官が情報操作して印象拡大し、アブサンへの攻撃材料に活用した」との記述もありました。癒着まみれのフランス上層部のイジメの対象になっていたんですね・・・

  
悪徳神父(左)、汚職に満ちた官僚(右)などど同列に告発されていたアブサン君(中)です。

<ランフレ事件>として知られる有名な事件があります。1905年に、ジーン・ランフレというフランス語圏スイス人の日雇い農夫が妊娠中の妻と二人の幼児を銃殺した後、自殺を図りました。彼を長く知る人には信じられない事件だったとの事です。残されていたアブサンの匂いがするグラスに全ての罪が被せられ凶行直前に飲んでいた大量のワインやピケット酒については語られませんでした。この地域は安いワインの生産地らしいですしね・・・絶妙のタイミングで起きたこの事件は政治的意図も働きアブサン撲滅へのスケープ・ゴードとして当時の新聞などで大いに喧伝されました。ランフレを突き動かした要因が他にも沢山あった事実は無視されます。そして、多くの人が知る好材料として後のアブサン禁止法案を推進する最適のアイテムになります。

    

<禁制化への政治的背景> フィロキセラ禍から回復し始めたワイン業界にとってアブサンなどの安価な酒は邪魔な存在となり、政治力を借りた本格的な麻薬性・反社会性キャンペーン(Anti-Absinthe)が本格化します。当時でもツヨンの毒性に対しては疑問の声もあった様ですが当然の様に無視されてしまいます。アルコール中毒による社会被害の責任をアブサンだけに被せようという意図も働き、フランスの酒類業界全体が敵に廻った感もありました。特にビール業界は積極的に加担したそうです。ワイン生産量が回復し余剰貯蓄の増加に危機感を感じ始めたワイン業界の政治家への圧力(献金)は急激に増していき、アブサンに対する世間的評判は悪化の一路をたどります。そして当時の世界的な政治状況も不安感を誘い、ほとんどの先進国で「アブサン」に対して振り下ろす鉄槌てっついの準備が整っていきました。

・1907年、1200組を超えるワイン生産者組合を代表して中央組合連合がアブサンの禁止令を要求、4000人もの組合員がパリに集結して政府に圧力をかけました。アブサンの大流行は都市部に限られていましたが、生産過剰による不良貯蓄に困っていたワイン業界にとってアブサン市場は<こじ開けやすい扉>でした。しかし、本当に重要だったのは全ヨーロッパで急激に広がりつつあった反アルコール運動をかわすのに丁度良いスケープゴードとしての存在だった様です。当時のアンチ・アルコール運動の勢いは、でっち上げられたアンチ・アブサン運動の比ではありません。アルコール禍の全てをアブサン負わせる事に(なんとなく)成功したフランス酒類業界は北欧や北米などとは異なりアルコールの禁止を免れ、とりわけワイン業界はフィロキセラ禍に続く史上最大の危機を乗り越えました。

<フランスの実情> 20世紀初頭の禁制化以前、つまり第一時世界大戦前のフランスは我々の想像とはかけ離れた状況だった様です。当時の仏政府の最優先課題は「フランスに住む人達に自分がフランス共和国に属するフランス国民である事を自覚させる」・・・だったそうです。基本的に農業国であるフランスでは各地域間の交流が極端に少なく、各地方の独自性が強かったのが理由の様です。それぞれの文化・言語・宗教・生活様式に決定的な異差があったため、フランドル人とブルターニュ人を見間違える事などは有り得ませんでした。当時の地方の写真(ex, アルベール・カーン)を見ると人々の服装は民族衣装さながらで、顔立ちからも血脈の違いが感じられます。ちなみに、フランス語が単一公用語となったのは1992年!です・・・ほぼ単一民族である我々日本人には分かりづらい事情ですね。

・当時のフランスは、基本的な経済基盤を農業から工業へ移行しようと試みている最中で、地方の過疎化=貧困化が急激に進みました。食い詰めた余剰人口は都市部に集中していた様です。その結果、フランス史上初めて各地域人の交流が実現し始め、国民意識の均一化が進み始めたそうです。軍隊の中でも同様の現象が起こりました。フランス国民によるフランス共和国の幕開けです。しかし、<花のパリ>と幾つかの都市以外は枯れ地も同然だったようで、アブサンの消費も大都市と生産地域周辺に限られていたのは疑いようがありません。

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< 禁制化 > 1898年に コンゴ自由国(ベルギーの植民地)で禁止されたのが最初です。その後、第一次大戦(1914〜8年)前夜の政治的混乱をキッカケに各国でアブサンの禁止がドミノ倒しのように可決されていきました。1905年のベルギーを皮切りに、1908年スイスの一部、1909年オランダ、1910年スイス全国、1912年アメリカ、1913年イタリア、1914年モロッコ、1915年フランス、1923年戦後ドイツ・オーストリアなど主な西欧先進国(英国、スペイン、ポルトガルは除く)で非合法化されます。

 本場フランスでの規制が遅かったのは、アブサンが確実に生み出す莫大な酒税(約4500万フラン)とワイン業界の要請・圧力とが鬩せめぎ合い、その落とし所が難しかったから、との事です。消費傾向も復興したワインに戻る人が予想を裏切る少なさだったそうでフランス人の味覚に合っていたのかもしれません。1874年で70万g、1910年で3600万g フランス禁制化直前の1912年には2億2千gを超えたる途方もない消費量の増加でした。ワイン業界が政治的謀略に訴えてでもこのマーケットを我が物にしたかったのは当然かと思います。アルコール度数で変換すると約5倍の液量ですから・・もちろんアブサン業界も猛烈な抵抗戦を繰り広げましたが長年に渡るワイン業界の政界へのコネクションと事実とは異なる風評被害には太刀打ちできません。政府が重い腰をあげ禁止令を施行した1915年には第一次世界大戦に参入し世情はそれどころではなくなっていました。

・「ペルノー・フィルス社」は救済処置として政府から多額の資金を勝ち取ったそうです。訴訟/裁判はお手の物ですからね・・・1928年?に有力な「Jules Pernod」を吸収、その他の幾つかの生産者も吸収したそうです。アブサン禁止後のリキュール企業として将来への地盤を固める余裕があったんですね・・・1936年にはスペインのタラゴナでアブサンを生産していた“Edouard Pernod ”系「Pernod S.A.」を買収して輸出用“Pernod Fils”の生産を再開、1970年代年まで生産を続けました。

1908年にヌーシャテル州とジュネーブ州で販売・輸出が禁止され、1910年にスイス全国での製造も禁止されました。全盛期のトラヴェール渓谷周辺には15もの蒸留所が稼動していました。40以上のハーブ専用農園と数え切れない程の乾燥ハーブ用保管倉庫もあり、この地域の大きな収入源だった様です。地元民にはさほど功徳のない時計産業以外にはコレといった収入源のない地域ですから、密造アブサンの聖地になってしまうのも無理はありません。スイスで合法化されたのは2005年と遅いです。

・ In 1914, there was a total of 25 distilleries in Pontarlier (France), whereas in 1910, there were only 13 in the Val-de-Travers (Switzerland). This shows how famous absinthe had become in France. Indeed, although absinthe was born in the Val-de-Travers, it is in France that it really rose.

  
こ、恐いんですけど・・・・こんなイメージだったんですかね。

<アメリカの禁酒法 > 1912年のアブサン禁止のみならず、1920年から14年間施行された禁酒法(ヴォルステッド法)はアメリカ人のアルコール類に対する社会概念を変えてしまいました(今でもドラッグとしての側面を過剰に意識している人が多いそうです)。禁酒法施行前、ニューヨークには15000軒のバーが営業していましたが、禁酒時代には32000軒もの闇バーが乱立したそうです。これを機に、マフィア(アル・カポネが有名ですね)を筆頭とするアメリカ闇勢力が、酒の密造や闇バーの仕切りなどによるアブク銭で地盤を確立したのはご存知の通りです。あまりにも説得性の無い禁酒法の施行により、正義に対する概念がブレまくってしまった警察菅や裁判官の買収などは容易になった末に長らく習慣化するなど、アメリカ社会の公的モラルも滅茶苦茶になってしまいました。(アブサン解禁後のアメリカでの、他国と異なる状況はこちら

・ピューリタン(清教徒)の影響が強かった当時のアメリカでは、アルコールに対する嫌悪感が根強く、1851年にメイン州で最初の禁酒法が制定されたのを皮切りに、20世紀初頭までに(当時47州の内)18州で禁酒法が実施されていました。第一次世界大戦の開始に伴い戦時の穀物不足を予防するという経済的な動機も出現し、全国的な禁酒法制定への機運が盛り上がります。しかし、そこには酒造・酒販業界を牛耳るドイツ・東欧系ユダヤ人への反発感情があったそうで、ロックフェラー家を代表とするWASP(アングロサクソン系アメリカ人)の政治的策略との説が定着しています。財閥の創始者である石油王ジョン・D・ロックフェラーは、この頃の人です。(参照

・アル・カポネの年収は全盛期には1億ドル!を超えていたと推定されています。又、民間人で初めて(1945年)ペニシリンを投与された人物としても有名だそうですよ。梅毒治療のためだったそうですが、症状が進みすぎていて効果が無かったとか・・・2年後に亡くなりました。

  
地球儀や葉巻の中に隠してまでして、お酒を楽しむ禁酒法時代、でも 違反者は初犯でも罰金1000ドル、禁固6ヶ月という大重罪でした。

・メイン州がアメリカで初めてアルコールの販売を禁止すると、店主たちはクラッカーを五セントで売り、そのオマケとして無料のラム酒を一杯付けました。酒を売ってはいないのだから犯罪にはなりません。禁酒法が施行されるとシカゴだけでも5700軒の薬屋が「医療用」のアルコール販売免許を申請し、すぐにウィスキーは痛風から腰痛までありとあらゆる病気に欠かせない万能治療薬として販売されました。中でもナパ・バレーのワイン醸造業者が編み出したアイデアは秀逸です。彼は干しぶどうやレーズンケーキを作り、食料品店にいる宣伝係は客にわざとらしく、コルクでふたをしたジャグの中で水に潰けてそのまま三週間ほうっておいてはいけないと説明したそうです。発酵が始まってしまうかもしれないから、と。さらにもう一押しが必要な者のために、ケーキにはこんなラベルがついていました。「注意:発酵するとワインになります」

 

・フィロキセラ禍が呼んだ時代のアダ花は地下深く潜入することになり、ある種の人々にとっては<深層意識下に秘かに眠る大切な種>として、忘れられない存在になりました。フランス語で「absence」が、「存在しない」という意味なのも象徴的ですね。

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< パスティス・アブサンの代用品 > ロミオとジュリェットの時代から、禁じられればこそ求めてしまうのは人の常です。なんとかアブサンの味わいや雰囲気を楽しもうとする欲望が生み出したのがパスティスという一群のアニス系リキュール達です。se pastiser(似せる)という言葉由来の悲しい名前は、他人事ながらカワイソすぎませんか?<まがい物>って意味ですよ・・・。旧来のアニス酒まで、この中に放り込まれてしまい、やるせない想いをした事でしょう。それでも光のあたる時もあります。近年「南仏プロヴァンズの12ヶ月」と言うベストセラー・エッセイで紹介された事がキッカケとなり、オシャレな日本女性の間でパスティスのプチ・ブームが起こります。そして、憧れのヨーロッパ味覚文化との深い溝に直面し、「やっぱり自分は日本人なんだ」と再認識させてくれたそうです。

・1932年、ポール・リカールが発売した銘柄“リカール”が後にパスティスと呼ばれた酒類の始まりと言われています。意外と歴史は短いんですね。大量にあったであろうアブサンの裏在庫が切れ始めた頃だったんでしょうか?旧来のアニス酒が「代用品」の役目を果たせなかったのは、アブサンの流行で変化・洗練された嗜好要求を満たせなかったからと推測されます。そして、安価ながらもお洒落で複雑な新しい風味が求められ、マーケットを完全に失った幾つかのアブサンメーカーが必死に応えたのも要因ではないでしょうか?

アニス系の香りや味わいは日本人の味覚感には馴染みづらい様で、海外の食文化を理解するうえで一つのハードルになっています。タイのパクチー、中国の八角(スター・アニス)、香菜、ヨーロッパのフェンネル、コリアンダーなど、同じ芳香成分のアネトール(anethole)を持つセリ科の植物は世界中で愛されており、ギリシャ時代より前からの最古のハーブに属します。アニスを使った伝統的リキュールは地中海周辺を中心とした香草系リキュールの大勢力になっていますが、確かに日本では人気の無いモノばかりですね。とは言え、世界中で愛されている味覚要素に、馴染みがないという理由だけで白旗を揚げるのもモッタイナイというかシャクにさわる感じもしますョ。味の好みこそ安住的偏見の最たるものなので、なんとかクリアしたいですね。

・上記の通り、アニス系の酒は地中海沿岸の国に多く、スペインのアニス・デル・モノ、アニス・マチヤキート、イタリアのサンブーカ、ガリアーノ、アニゼツタ・ステラータ、フランスのアニゼット、オクシー、オクシジュネ、スカンジナビア半島のアクアヴィット、ギリシャのウゾ、トルコのラキ/ラク、など辛口から甘口まで数多くあります。

・実際にはアブサンの製造が禁止されている間、パスティスの風味向上は著しく、<まがい物>の汚名を脱ぎ去るほどになりました。日常的に楽しめる気軽なアルコール飲料としての別ジャンルを確立しています。特に理由のない人にとって、アニス酒でサッパリしたい時には安価なパスティスがあれば充分な感じで、選択できる味の幅もより広いようです。


お洒落さんなパスティス達 左から2番目は カナビス入りでヤバイ・・・

・ちなみに、日本ではパスティス の代表的銘柄と思われている“ペルノー”ですが、今は間違いの様です。EU(ヨーロッパ連合)の定めた規格よると、「アニス、スターアニス、フェンネルなどを使いアルコール40度以上で製造されたものをアニス酒。リコリス、アニス、ディルなどを使いアルコール40度以上のものをパステイスと呼ぶ」という厳密な規定が設定されています。“ペルノー”は成分や風味的にパスティスとアニス酒の中間的な存在ですがリコリスを使用していない為、EU規定的にはアニス酒、フランス国内では習慣的にパスティスとして扱われている様です。(ちなみに40度以下のアニス酒はアニゼットと呼ばれるそうです)

・フランスのマルセイユで作られ、アルコール分45度以上かつ、アニス成分のアネトール(anethole)が1リットルあたり2グラム以上含まれるものは「パステイス・ド・マルセイユ(PASTIS DE MARSEILLE)」という原産地呼称の表記が認められています。御当地料理として有名なBouillabaisse(ブイヤベース)の隠し味としても使われており、この地の名産品としてブイブイ云わせてますよ。

・マルセイユはフランス第二の都市で最大の港湾都市です。地中海に面した有名なリゾート地域の要でもありイタリア国境にも近いので、『ボルサリーノ』、『フレンチ・コネクション』、『マルセイユ特急』など、ギャング映画の舞台に使われる事が多いのは納得ですね・・ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの『地下室のメロディー』も、すぐ近くのカンヌが舞台でした・・・

・パスティスの清涼感は暑い時期の南フランスには欠かせない夏飲料で、カクテルも多彩です。グレナデン・シロップで「トマト」、アーモンド味の「モレスク」、ミント味の「ペロケ」などは、本場マルセイユ、プロヴァンス、ニース、カンヌなどで人気の飲み方だそうです。水で割るときは1:5が標準との事ですよ。

・アイスランド(アイルランドの誤植じゃないですよ)のお酒で「ブレニヴィン/Breni(焼いた)vin(ワイン)」というアニス酒があります。スキっとした爽やかな香りとほのかな甘みを持つ40度程のハーブ・スピリッツとの事。ジャガイモ原料でキャラウェイも使ってるとくれば、文化圏的にも<アクアビットのプリミティブな姿を残す酒>と思って間違いないんじゃないでしょうか?「歴史的にアイスランド人が生き延びてこられたのは、この酒のおかげだよ!」と熱く語る島民の映像が、朝の『めざましテレビ』で放映された事があるそうです。こんなに普及し親しまれている酒なのに別名は「Svart dod」、なんと「黒死(病)=ペスト」という意味なんですね。なんかヤバくないですか?12世紀のヨーロッパ人口を1/2に減らしてしまった凶悪な伝染病と同じ異名を持つ理由とは何なんでしょうね?(ついでですが、アイルランドには「ポチーン」という地域特有の密造蒸留酒(1997年に製造販売解禁)がありますね・・・ poitin, poteen, potcheen, potheen などと綴りが様々なのも15世紀から続く密造酒の歴史が理由の様です。下右端がそうですが、両者とも当店には無いです・・話だけですみません。)

    

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< 非禁止国 > 英国、スペイン、ポルトガル、アンドラなどでは一度も製造禁止にはならず、共産圏の国々や北欧・中欧・東欧などには存在すらしていなかったのが実情の様です。禁止国へこっそりも持ち込まれていたアブサンもあった様ですが、劣悪品、ツヨン0%のまがい物、まがい物ですらないインチキ商品も多く(参照、アブサン愛好家には受難の日々でした。しかし、数少ないながらも偉大な密造家が禁止国内に点在し、「緑の妖精」に対する執着心には理解しがたい凄みを感じます。アブサンと言う吸収体は西ヨーロッパ文化の隠された精神性(神秘学的、又は民族的な側面)を象徴するアイコンとして潜在していました。

 チェコ共和国 (absinth) は、ドイツやスペインと並ぶ多産地ですが、ベル・エポック期にはアブサンの生産は無かったと思われます。1866年から「Ales Mikulu-Cami」が(★)、1898年からは「Fruko-Schulz」が操業していた様ですがアブサンの生産に関しては不明との事。つまり、非禁止国と言っても禁止する対象のアブサンが無かった様で、極一部の富裕層や数寄者達が舶来品を楽しむ程度だった様です。1940年代に「Hill's Liqueurs(1920年〜)」が独自のレシピでアブサンをリリースしていた、と主張しています参照が物証が一切残っておらず疑問の声が上がっています。って言うか、誰も信じていません。出荷票や取引先の領収書すら出てこないんじゃね・

チェコの複雑なアブサン事情についての精細はこちらをご覧下さい。

(★)最近リリースした“Cami's Gold Absinth”に関して「1866年創業時のレシピを基にしている」とのインフォメーションがあります。この銘柄はラインナップ中では珍しくミンティーな風味を持つ変り種ですが、当時この生産者がアブサンの生産をしていたという情報は一切ありません。古の薬用リキュールの処方をアレンジして、新機軸のアブサンに反映したと見るのが妥当かと思われます。

Viktor Oliva はベル・エポック期のパリに移り住んで(1888年)数年を過ごしたチェコの画家です。緑の妖精をシンボリックに描いたPijak absintu ”(1901年)という壁画をプラハの有名な Cafe Slavia(カフェ・スラビア) に残している事で有名。この絵は当時のチェコにおけるアブサンの特殊性を示す数少ない物証でもあります。彼はパリ滞在時にアブサンの魅力に取り付かれレシピを持ち帰ったという話が伝わっており、それを基に処方された“ABSINTHE OLIVA” が「Delis」からリリースされました。彼のイラストを使った可愛らしい陶器製のボトルです。ハーブ構成はグリーン・アニスも含まれる典型的なフレンチ系で、チェコではアブサンの生産が無かった事を暗示しています。

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<初のチェコ・アブサン>は共産政権が崩壊した翌々年(1991年)にリリースされた擬似アブサン“Hill's”からの様で 、都市部のディスコに集う若者向けのオシャレ飲料として需要を伸ばしまた。後の1995年にイギリスの先進的(ドラッグ好き?)な若者達により輸入された“Hill's”は大きな話題を呼び現代アブサン流通の走りとなりました現在は「 Hill`s Liquere North America」としてカナダにも活動拠点がある様で、商売には抜け目がありませんね・・

<低価格帯チェコ・アブサン>一般的には「Czech Absinthes have their own category. They do not have an herbal taste like typical French Absinthes.」などと言われています。アニスよりはメリッサの使用を好む傾向があり、着色による鮮やかな色とキャンディを思わせるノン・ハーバルな味わいの“Hill's”的銘柄が普及しています。アブサンならでは白濁も複雑なアロマも無く対外的なセールス・ポイントに欠ける事から、営業パフォーマンスとして火を付けて飲む<ヘミアン・スタイル>が編み出されました。少なくとも低価格帯銘柄に関しては「伝統的なバックボーンが欠如した擬似アブサン的近代アルコール飲料」という姿が本質の様です。

<チェコ本格アブサン> 一方、Martin Sebor(〜2003年)の登場(1998年)で花開いた独特の価値観を持つ本格指向の高級アブサンもリリースされ始めており、意外な伏兵になる気配に目が離せません参照。少量生産・強ツヨン・アニス少なめの銘柄が多く、チェコNo1の「Ales Mikulu-Cami」を筆頭に、ZUSY s.r.o」、「Milan METELKA a. s.などは「Distilled法」による高品質アブサンをリリースしています。近年では、対外的評価を考慮してアニスを使用した高級銘柄も目だってきました。しかし、個人的に一番気になるのは、Martin Sebor氏の意思を継ぐBairnsfather Family」です。チェコ高級銘柄の多くが蒸留法によるフランス的アブサンを模倣し初める中で、「浸透法」を洗練させる事に拘るのは名人の遺産なのでしょうか?

<チェコ・アブサンと言えば>一昔前に日本のアブサン業界でもてはやされていた“Czech Absint Strong (丸ビン)”を最近は見かけませんね。100%ナテュラルとか25種のハーブ使用などという珍しくもない能書きより35ppmの高ツヨンのみが評判の銘柄でした。この銘柄の本家はMartin SeborがプロデュースしていたKrasna Lipa Sebor Distillery」のSebor Strong (角ビン/下左端)”ですが、HPでセブロ氏との協力関係を主張しているチェコの「CZECH ABSINTH s.r.o.」ががリリースした旧“Czech Absint Strong (丸ビン/下左からニ番目)”はなぜかSebor Strong (角ビン/下左端)”とほぼ同じラベルでした。しかし本家“Sebor Strong (角ビン/下左端)”自体がセブロ氏本人の意向で2002年に終了、その時点で新しいラベルの現行“Czech Absint Strong (丸ビン/下左から三番目)”に変更されていますが、同社はこの時に独立したとHPで主張、、どういう関係だったのでしょうか?二つの銘柄を繋ぐのは共有したラベルのみ・・・

・考えられるのは、イギリス市場を拡大するのにチェコのアブサン業者同士が話し合って「強ツヨン、いけるんじゃね?」と協力関係を一時的に結んで各銘柄のラベルを統一する感じで進んでたのにセブロ氏と他の意識の違いとかで嫌な形の中途頓挫になっちゃった、とか?これなら、人気だった“Sebor Strong (角ビン/下左端)”をなぜか止めちゃった理由も、“Czech Absint Strong (丸ビン/下左から三番目)”が新しいラベルになった理由も、分かりますが・・・

しかしSebor氏の各種権利関係訴訟沙汰にとりあえず決着がついた頃、“Chech Absint Strong (丸ビン)”の日本への入荷が途絶えてしまいました。現在でも「CZECH ABSINTH s.r.o.」が現行“Chech Absint Strong (丸ビン)”を販売していますが流通が限定されていて同社のサイト以外では見かける事もありません。新旧“Czech Absint Strong (丸ビン)”の生産はPetra Skalicka Likerka Delis」に託されている様で、当たり前ですが味の方はセブロ氏の筋とは関係ありません。

ちなみに、Sebor氏がツヨン強度を重視していなかったのは他のSebor銘柄の低いツヨン濃度から明らかです。本来はアニスを使わない事が多いチェコ物にとって調和が崩れる要因になりがちなニガヨモギの強い風味を控えたかったのかもしれません。真っ当な蒸留家としては当然の配慮に思えます。“Sebor Strong (角ビン)”は強ツヨンに惹かれがちな当時のイギリス市場向けの戦略商品だったのかも知れませんが心ある飲み手達の高評価も得ておりSebor氏の手腕の冴えが伺えます。しかし、日本でお馴染みだったPetra Skalicka Likerka Delis」のCzech Absint Strong (丸ビン)”となると・・・

・旧“Czech Absint Strong (丸ビン)”に関しては「格段に味が劣る」とか「引き継いだのはラベルだけ、中身はニセ物」などかなりの酷評を目にします。現行“Czech Absint Strong (丸ビン)”に至っては「あぁ、アレね・・」って感じでほとんど興味の対象外に・・・今となっては〜35ppmのアブサンはさほど珍しくなくなり存在価値が無くなったからでしょうか?いずれにせよ、Sebro氏が処方した本来のSebor Strong (角ビン/下左端)”の味を知るには現地のデッド・ストックかコレクターを手繰たぐるしか手が無い様なので絶望的です。

  
本物の“セブロ・ストロング”に対して、Delis製の旧“ストロング”、現行“ストロング”、“ストロング・ミニ”、“リメオン(ライム)”、“プレミアム(8年熟成)”、“Souvenir(お土産用ビン?)”などのマガイ物達

・ちなみに、オリジナル“Sebor Strong”に使われている平たい角ビンは一部で「Sebor Bottle」などと呼ばれています。 “Krasna Lipa”、 “Sebor Export”、 “Have`s Absinth”、“Have`s Alpen Absinth”など、“Havel 's Gold”を除くSebor系銘柄の全てに使われていました。そして何故か現在のチェコNo1生産者といえる「Ales Mikulu-Cami」が、ドメスティックな処方が特徴の<Cami>シリーズにも使用してるんですね。不明ですが、何らかの関連性を感じさせます・・・こちらで検証してみました。

・チェコと云えばボヘミアン・ガラスが有名ですが、アブサン器具達にもスラブ的美意識が大いに反映されています。グラスやファウンテン(給水器)など、チェコ製品独特の繊細かつ優美なラインにはシビれますね。国勢が弱く職人さん達の人件費が安いのか、極めてコスト・パフォーマンスの高い美品揃いですよ。底の部分に波状の模様を持つ、チェコ脚が目を引きます。おっ、スプーンは<Holy Eye>タイプですね。“La Fee”などと由来動機は同じなんでしょうか?って云うか、チェコにもシュガー的概念があるんですかね・・・そんな訳ないんですが・・・もちろん、チェコ的なアブサン・グッズは近年に創作されたスタイルで、ベル・エポック期の美意識や伝統とは無関係なのは言うまでもありません。中央画像のファウンテンを購入しましたが、軽すぎて使いづらい感じがしました。放射する雰囲気にも違和感を感じたので、現時点ではお蔵入りです。

    

 
Czech distillery L‘or

 スペイン (Absenta) やポルトガル、後述のアンドラ(非EU)など、フィロキセラ被害の少なかったイベリア半島のワイン生産国も規制されませんでしたし、この頃(1870年〜1930年代)の政治状況の混乱も要因だと思われます。共和制→王政復活→スペイン革命→内戦、その後はフランコの独裁政権ですから・・・・アブサン自体の需要があったのかも疑問です。しかし、1915年のフランスでの禁止直前、1912年に“Edouard Pernod ”系「Pernod S.A.」はタラゴナにアブサン工場を新設し、1936年まで稼動しました。しかし、ペルノー・フィルス社に買収され、需要が無くなる1970年代まで“Pernod Fils Tarragone”の生産を続けます。これが契機になりスペインでアブサンが一般化したのか、ペルノー亡き後には他の生産者が稼動を始めた様です。フランス直系ながらも含有量規制(参照)されていた本場物よりフェンネル強めの傾向も特徴ですが、大衆向けの銘柄が多い為か消費者主導の嗜好傾向を持つカジュアルな味わいがスペイン風。そんな訳で「エッセンス法」で造られる普及品がほとんどですが、生産者/銘柄数ともにチェコを抜いて一番多い国なんですね。競争が激しいせいかレベルは以外と高いんですよ。片や「蒸留法」の銘柄は極端に少ないですが、今後のスパニッシュを期待させる名品揃いです。

スペインの特殊なアブサン事情についてはこちらをご覧下さい。

・ スペインでアブサンの生産が盛んな地域は、バルセロナ、タラゴナ、レェィダなどの県で、フランスとの国境沿いに走るピレネー山脈周辺のスペイン東北部地中海側です。このエリアは歴史的にも独立心が強く、スペイン内乱では人民戦線の拠点になりました。2006年に<カタルーニャ自治州・西>として独自の税制や司法権などを確立し、スペイン語よりもカタルーニャア語が優先されて公文書などにも反映されているそうです。GNPの約20%を産出する国内有数の商工業地帯でもあり、文化的にも南仏との繋がりは強い様ですね。なんとな〜くですが、カナダ/ケベック州やアメリカ/ルイジアナ州などと似た、フランス文化圏の一部であるかの様な印象を持ちました(参照)。

・ベル・エポック期のビンテージ・スパニッシュ・アブサン発見!なんて話を聞きませんから、当時のアブサン生産は無いに等しかったのでは?と思います。一部でフランス向けの安物を造っていた可能性はありますが・・・地元のハーブ酒でアブサンに極めて類似した飲み物についての記述はある様です。スペインとアブサンの関係は「Pernod S.A」がタラゴナに工場を建設した時からだったのでは?と推測しています。この時以降に浸透して行ったのではないでしょうか?稀に見かける「Pernod S.A.Tarragona,」の銘柄は“Edouard Pernod ”系だった様ですが1936年にぺルノー・グループに吸収されたそうです。

・最近、「大衆銘柄も含めたスパニッシュ・アブサンの多くはグレープ・スピリッツを使用しているらしい」と聞いて驚きました。「現地では最も安価な醸造アルコール原料は余剰ワインだから」との事です。最近問題の<産業廃棄物としての余剰ワイン>に頭を抱えているスペインの事情を考慮すると納得できる話です。もちろんグレープ・スピリッツ自体の品質差はあるにしても、「Mixed & Macerated法」が使用されることが多いスペイン銘柄に割りとイケル奴が多いのはそんな理由があるからでしょうか?“NS”、“Serpis”、“Montana”、“La Salla”などはOK牧場ですもんね・・・あっ、“La Salla”は「蒸留法」でした。

・下は「タラゴナ・スタイル」と呼ばれるセクシーなラインを持つグラスと、柄の末端がイベリア半島っぽくイスラム的な装飾のスパニッシュ・アブサン・スプーン( Lehmann社)です。

   

 アンドラ公国はスペインとフランスに挟まれた人口7万人程の小国家です。面積は金沢市と同じくらいの 468平方km。非EU国でもあります。 第一次世界大戦の際には士官1人、参謀4人、兵士6人と全員でも11名と余りにも小規模すぎる軍隊?で参戦?しましたが、ヴェルサイユ条約の調印式の際、フランスがアンドラの存在を忘れてしまって招待されず!形式上は第一次世界大戦を継続したまま第二次世界大戦に突入する結果となった位の小さな国です。現在では敵対する国家も存在しない為、軍隊すらありません。しかし、軍事力は無くてもアブサンは存在しています。

<Huguet> 販売サイトなどで良く見かける“Huguet 68(1)はベルリンにある「Huguet / Lohmann」のドイツ産OEM製品です。アンドラ国内やフランスの一部で流通している「Huguet Distillery (1930年〜)」製の“Pure Huguet 68(2)の方が本物のアンドラ産。外見上の違いはラベル下部の緑色の帯に書いてある表示くらいで、本物には「Pure Absinthe」と書いてあります。でも、価格には驚くほどの差が・・・・利益を生む目算がないとドイツでOEM生産する意味がないんですね。もちろんドイツ産OEM“Huguet 68(1)の方が高いです。

<Larsand> より困難な蒸留法で造られている「Larsand Distillery (1920年〜)」の“Larsand(3)という重要な銘柄もありますがあまり知られていません。古い履歴によると 「This absinthe has been very praised in the absinthe forums.」などとマニア間で異様に評価が高かった様ですがほとんど情報を見つけられませんでした。購入しようとかなり探索しましたが今ではweb流通してない様です。完全地アブサンですね。この点はアンドラ産の純正“Pure Huguet 68(2)も同様で入手の手立てがありませんでした。偶然見つけたスペインの某サイトだけが取り扱っていましたが海外には対応していません。しかし、当店には現地を訪れた知人に買って来てもらった“Larsand(3)があります。今思うと奇跡的な出来事でかなりの希少品って事ですね。特徴的な枯れ草色から分かるようにヘビー目の本格フレンチ系ですが微妙なゲルマン風味も感じさせる独特な味わいが個性的。アブサン好きを自認する方がドギーで飲むべき銘柄の筆頭です。

 Larsand Distillery のHP(の様なもの?)によると創業時に引き継いだレシピは変更しておらず当時の味わいを残しているそうです。どこから引き継いだんでしょうか? 1920年創業と言えば“Edouard Pernod ”系の“ Pernod S.A. ”が既に操業していた時期でもありスペインにも本格アブサンの技術が入ってきています。又、南仏近辺にも有力な蒸留所が操業していましたが1915年の禁止令直後だけにこちらからの技術導入も有り得ます。歴史的にみると実に期待できる流れなのがお分かりでしょうか?アンドラ公国という特殊な事情の小さな国でフレンチ・アブサンのDNAがさほど変わる事なく継承されてきた可能性は否定しきれません。先述の現地を訪れた知人が某家庭でファウンテンによるアブサンの歓待を受けた土産話なども気になります。普通の家庭にアブサン・ファウンテンが置いてある国・・・買って来てもらった“Larsand”がスーパーで普通に置いてあったという話にも驚きましたが・・・フランスでもアブサン自体がめったに売ってないらしいんですよ。アブサン界のロスト・ワールド?

 「Larsand Distillery (1920年〜)」は“Lar`s(4)なる新銘柄も出しており、こちらは浸透法のようでヨモギの枝が浸かっています。この手法もゲルマンっぽいですね。こちらは稀にweb販売してる事があります。『 Wonderful !The wonderful Larsand Absinthe seems to be dead. The following is the Absinthe Lar`s... Outstanding taste from Andorra... In the bottle is a small tree, which gives this Absinthe its special taste.』 

1) 2) 3)4)

・ちなみに。2011年1月9日の時点で、在日アンドラ人は1人だったそうです。日本にたった一人しか居ないアンドラ人・・・いったい何をしに来てるんでしょうか?方や、在アンドラの日本人は4人も?居るそうですが、この人達もなにやってるんですかね?対アンドラ外交はフランスの日本大使館が兼業してるそうなので、一般人だと思うんですけど・・・さらに、ちなみに、 郵便物はフランスおよびスペインの郵便局が配達してくれてるんですって!

 英国はワインを生産していないに等しい国なのでフィロキセラ禍による産業被害は皆無でした。逆に良い結果を招いた様です。1880年代に入って,フランスからのブランデー供給が激減し、イギリス上流階級の間で新しい熟成ブラウン・スビリッツへの要求が高まります。それまでは見向きもされなかったスコッチ・ウイスキー以外には選択肢が無く、愛飲者が増えるにつれて洗練されて高級嗜好品としての品位を獲得し始めました。おりしも、連続循環蒸留器が実用化(1830年頃)されてグレン・ウイスキーの生産が容易になり、バランスの良いブランデッド・スコッチが登場して間もない頃です。そして、アメリカをも含むイギリスと関わりのある国々にウイスキーの輸出が始まり、ワインとブランデーの流通が再開するまでの間に世界各地に市場を確立する事に成功・・・1890年代は最初のスコッチ・ウイスキー繁栄期と評され、今でも隆盛が衰えないスコッチ・ウイスキーの消費基盤はこの時期に築かれました。そうなんです、アブサンだけでなくスコッチ・ウイスキーもフィロキセラ禍のお陰で大舞台に出る事ができたんですね。

< ジンとアヘン > 当時のイギリスは大きな社会問題を抱えていました。18世紀中頃からジンの引き起こすアルコール中毒被害が深刻だったそうですが、症状を緩和する(誤魔化す?)治療薬として大量に投与されたのはアヘン・・・ 酒税が税収の30〜40%を占める状況で禁酒法的な対策は問題外でした。その結果、ヤク中が蔓延すると言う悪循環に陥っていたのが19世紀イギリス下層階級の実態です。大量に出回っていた全盛期ても全輸入額の0.05%ほど・・・トルコ商人によりバカ安で輸入されていたとか・・・庶民でも容易に買える値段で普及しており、むずがる赤ん坊にも与えていたとの記述すらあります。国際的にアヘンが完全に禁止されたのは1928年と驚くほど遅く、それまでは民間薬として一般的な存在だったんですね。そんな訳でアブサンに対して規制を掛ける根拠など全く無かった、って言うか、アブサンなんか気にしてる場合じゃ無い!って状況でした。

< 栄華の名残 > 国勢を誇った頃からフランスを含む各国の高級品(ワイン、ブランデー、レースなど)を輸入してきた歴史は長く、嗜好品流通に関する知識/経験の蓄積とコネクションの強さは相当なものです。博物学の隆盛でも分かる通り、各国の珍奇物を自国に持ち込もうとする国民性はDNAの様な性さがなのでしょうか?現代アブサンの流通もイギリスから始まりました。そして、最初期に珍重された <非真性アブサン> をでっち上げたのは商売っけタップリの某イギリス企業・・・しかし、熱意と愛情と経験を併せ持った随一のアブサン企業も同時に存在しています。現時点でも最大指針国としての影響力は無視できず、アブサン業界は<Liqueurs de France> を中心に回っていると言うのは過言ではありません。

<Liqueurs de France> イギリスにはアブサン販売サイトの数も意外と多く、英ポンド(GBP)表示のサイトはよく見かけます。しかし、何といってもリキュールの名門、Oxygenee/Cusenier社が運営している<Liqueurs de France/LdF>こそは業界への影響力が最も強い販売/企画サイトです。幾つかの有力な生産者とタッグを組み、業界を先導してきた功績は計り知れません。本来は卸売り業だったのか、個人のアカウントが取れない時期もありました。同系列の「ヴァーチャル・アブサン・ミュージアム」の存在も、アブサン流通における英国の特殊なスタンスと歴史を象徴しています。さすがは博物学の総本山です。精細な知識の蓄積量には驚くしかありません・・・Oxygenee周辺の他の販売サイトもクセもの揃いの個性派集団を成していて、数多くのヴィンテージ品(アブサン、グッズなど)の購入も可能です。

・<LdF>の企画で、初のブリティッシュ・アブサンが登場(2009年10月)しました。“Nemesinthe”です。バカルディ社の超プレミアム・ジン“Oxley”で有名なロンドン西北部のTimbermill Distilleryが生産元の様です。ついに出てしまいましたか・・・臥竜窟の様な存在だった英国が動き出すとはヤバいですね。しかも<LdF>とスイスの某有力業者(たぶん「Matter-Luginbuhl」 )による共同企画の低価格帯銘柄と聞くと、どんな思惑おもわくでリリースされたのかが気になります。(古代ギリシャの女神ネメシスは復讐と報復のシンボルだと聞くと、つい深読みをしたくなりますよね?)

) 同時期に“Matters London Dry Gin”のリリースも発表されたので確実です。<LdF>系のショップにアップされてますしね・・ジンとアブサンには以外と共通項が多く、製造過程も似通っていますし、オルディネールがクーヴェ村で近代アブサンの前身を試行した時もオランダ・タイプ・ジンの蒸留法を参考にした事は良く知られています。それにしても Matter Oliver がジンを手がけるとは・・・・衝撃的なニュースです 。

<ロンドンの夜、炎上す!>1991年にリリースされた“Hill's Absinth”はチェコの擬似アブサンですが、解禁後にアブサンという名称で流通した最初のリキュールです。長年途絶えていた「禁断のアブサン」が復活した!というニュースは衝撃的だったのでしょう。触手を刺激されたロンドンの先進的(ドラッグ好き)一派の手で輸入され(1995年)、夜の街のアンダーグラウンド地帯を炎上させました。アブサン流通の発火点がイギリスだったのは、いろんな意味で納得できる出来事です。この流行をロンドンの「Slaur International」が機敏に察して、“Hapsburg”、“Pere Kermanns”、不可解な“ユニコーン(通称)”など、アブサン黎明期を曇らせた安易な銘柄達が出現します。今でも流通していますが、初めてアブサンを飲む人が巡り合わない事を祈るばかりで、“ペルノー・アブサン”の方が多少はマシです・・・カクテルには使えますけど・・・

)ここで疑問なのは、当時でも生産されていたはずのスペイン/ポルトガル物がクローズ・アップされなかった理由です。EU規定を考慮せねばならず輸出を自主規制していたとか?チェコがEUに加盟したのは2004年からで、関係ないし・・・又は、大衆銘柄が多いイベリア半島物は膨らみ過ぎた妄想を満足させる程の刺激感にも乏しく、ヒップ(自称)なロンドンっ子達にはピンとこなかったのかも・・・片や、Hill's のケミカルな風味と毒々しい色は、怪しげなアイテムを求めていたロンドン・ナイト気分にピッタリの違和感を備えていた・・・遂に、登場!みたいなサプライズ感も押し出しが強いですもんね。加えて、子供インテリ君たちは「ボヘミアン」と言う響きに弱いですし・・・以上の記述は個人的推測です。

・細長い“Hapsburg”シリーズは日本でも御馴染みですね。72,5〜89.9%もの高いアルコール濃度が目を引きますが味は??で、アブサンに対する正しい理解(そんな都合の良いものがあるのか?)の妨げとなり続けています。あたかもブルガリアの伝統的銘柄のフリをしてますが、当初はロンドンの「Slaur International」社の企画銘柄でした。同社の依頼でMr. Helfrich(オランダ人)がニュージーランドで造っているらしい“ハプスブルグ・ゴールド・ラベル”などもあり、内情はオブスキャー(よく分からん)な状態・・・現在は「Wine and Spirit International Ltd」というロンドンの会社の扱いで、主にイタリアやフランスで生産している模様。個人的にはどうでもいい銘柄で、カクテルにも使いづらいです・・

・ちなみに、上記のオランダ人Serge Helfrich氏 は、ニュージーランドで自分の蒸留所「The Helfrich Distillery」を立ち上げて本格的な“Absinthe Helfrich”をリリースしました。ドラッグ解放区で有名なオランダでは、アブサン解禁が2005年までずれ込んだ為に移住した様です。彼の銘柄は評価が高く、ダッチ・アブサニストのレベルの高さを証明しました。2009年、「今までの活動を停止する」と言うニュースにアブサン愛好家達がショックを受けた事件は記憶に新しいです。しかし、弟子?のTon Akveld 氏がオランダに「Akveld's Artisanale Absinthe」を立ち上げ、“Absinthe Helfrich”と同じレシピの後継銘柄“Akveld's Artisanale”をリリース。初のダッチ・アブサンとしても注目を集めています。

・ついでですが、ベルギーにある最強アブサン・バーの様子メニューをご覧下さい。300銘柄近いラインナップ!かつてイギリスへの流通拠点でもあったベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)は、昔から密接な関係を保っており、ヨーロッパ文化のメルティング・スポットとしての微妙なスタンスを持っています。アブサン関係でも気になるエリアなんですね・・・特にブリュッセルは、近代アブサン黎明期に重要な役割を果たした都市です。あの、フリッツ・デュバルが絡んでました・・・

 日本は無論カヤの外でしたが規制が全く無い事から60年代以降にサントリーの“ヘルメス”シリーズから良質なアブサンがリリース(▼)されていました。供給率も良かったらしく当時の本格的なバーなどではさほど珍しくなかった様です。初ヴァージョンは当然の様に68度。その後、日本人の体質にあわせたのか税的な問題なのか58度に変更。「60度を超えると発火危険物扱いになるからでは?」との推測もありました。

(▼) フランスなどヨーロッパ主要国のアブサン禁止令をうけ「Pernod Fils」社は非禁止国スペインのタラゴナに製造拠点を移し輸出用アブサンの生産を続けていました。“ Pernod Fils Tarragona ”(1936〜1965年)です。日本にも少量ながら輸入されていました。しかし主な輸出先の領有地や植民地の減少や世の趣向の変化などで需要も衰えてきたのか生産量も減り60年代に入ると供給が危ぶまれてきた様です。

 これこそが1960年代初頭ににサントリー・アブサンがリリースされた要因なのではないでしょうか?西欧に対する強い憧れが近代日本文化の基幹になっている事実は否定できません。特にフランスに対する想いは狂おしいばかりでした。芸術のミューズ(美神)とも持て囃はやされたアブサンが日本の文豪/芸術家達が集う高級な酒場に不可欠だった事は容易に想像できます。少ない需要ながらも生産に踏み切ったサントリーの姿勢は高度成長期の日本の勢いを象徴している様にも思えます。

 サントリー“ヘルメス”アブサンの黒ラベル4種は、「なかなか良い!」、「意外な美酒」などと評価はかなり高いです。私も同感で他の現行アブサンンでは得られない独特の優しい馴染み感が素晴らしいと思います。経験豊富なベテランのお客さん達にも好評なんですよ。 黒ラベルの時期に合法的に製造/販売されていた本格的な蒸留アブサンは世界的に見ても、スペインの “Philippe Lasalla” 、アンドラ公国の“Larsand Absinthe” 、日本の“Hermes Absinthe”黒ラベルくらいしか無いんですね。驚くべき事実なんじゃないでしょうか?このレア物を世界中のコレクターが狙ってるのは無理からぬ事です。

)当時の“ヘルメス黒ラベル・アブサンがどんな味だったかのか?は謎に包まれています。黒ラベルに限れば少なくとも30〜50年位の古酒ですから必ずや瓶内熟成をしているはず・・・本来の味は分かりません。時の魔法で不要なカドが取れてバランスが整った可能性は大です。ハーブ精油や糖分など不安定な要素も多いですが高いアルコール濃度が劣化を妨げたのではないでしょうか?古酒としてはやや深みに欠ける印象は捨て切れませんが単一材料の古酒とは異なる鮮やかな飛翔感は類を見ません。分かりづらい例えですが「散文の多弁な文章が韻文化してより強い印象を残している」感じではないでしょうか?本場から遠く離れた極東の地でいきなり造られたであろうアブサンが優秀であるとはえづらい?とは言え、妙に説得力のある美しさと独特の存在感を持っているのも事実です。やはり、「何処からレシピと原材料を得たのか?」が鍵になるのではないでしょうか?

しかし、80年代末の分割・白ラベルからレシピが変更された様で最終バージョンの白ラベル・括くびれボトルに至ってはただのアニス酒になってしまいました。一部の原理主義者からは「日本の恥!」なんて罵声も・・・国内最大酒造企業の銘柄だったので利潤追求を優先せねばならず矜持きょうじを守る事が難しかったのはペルノー・リカール社と同様です。白ラベル・括くびれボトルの頃には日本でもごく限られた人達だけのマイナーな飲み物になっていた様子(★)も伝わっています。

)『Absinthe is not an alcohol of mass consumption,』 the Suntory man said. 『Sales are very small, yet they are very steady ? no growth, but no decline. It meet everyone's taste, but there are a steady number of people who drink the spirit regularly』(2005年6月の沖縄在住アメリカ人ブログに記述されていたサントリー広報担当者の言葉)

<サントリー以外の日本アブサン>、山梨のモロゾフ酒造/モンデ酒造(72年に社名変更)が70年代前後に短期間ながらアブサン名義のリキュールをリリースしていました。ニガヨモギを使っていたかどうかは不明ですが、超レア品!でも、お味の方は???だそうです。東洋醸造の“ドルフィン”という銘柄も現存しており蓮根の「BREAD LINE」さんが所有なさっています参照。その他では太平醸造(山梨)の“アリス”シリーズ(ブランデー/ウイスキー/リキュールなどで微妙に有名)からもアブサンがリリースされていました。こちらは協和発酵の傘下の洋酒部門でしたが後にアサヒ・グループに吸収された様です。アブサン“アリス”に関しては印刷物の活字資料(1968年初版の「カクテル教室」からの抜粋/下画像)のみですが発売元として旭興業の名が記録されています。

 この資料によるとサントリー以外の日本アブサンには68度だけでなく45度という低い濃度のバリエーションがありますね?その事からサントリー以外の銘柄は蒸留法ではなく浸透法かエッセンス法で造られていたと推測されます。「サントリー・アブサンだけが蒸留法で作られていたであろう。」と思う根拠は、サントリーが使い勝手の良い45度のアブサンを一度も出していない事(●)、そして「Hermes Absinthe has been made by the distiller.」との当時の広報担当の発言が残っている事、の2点です。しかし、何と言っても前出の(▼)に記述した事情が一番大きいのではないでしょうか?陽の出の勢いの大手生産者が日本で最初のアブサンを作るとしたら “ Pernod Fils Tarragona ”の代りになり得る国内最高品質のアブサンでなくてはなりません。高品位な蒸留法以外には考えられないのではないでしょうか?

(●蒸留法のアブサンに関しては45度もの低濃度でハーブの特定成分やアブサン特有の色を演出するクロロフォルム(葉緑素)を保持するのは極めて困難です参照。現在の技術においても極一部の生産者しかリリースしていません。しかし、浸透法かエッセンス法なら容易に可能です。

 この資料に『その後大茴香を主体にした代用アブサンが生まれ、これが現代のアブサンである。』 とがあり,ここに記載されている銘柄全ての事を指しているかの様に読めます。しかし、これは大茴香(スター・アニス)を使った代用アブサンとしてパスティスが登場したフランスの事情を一般論的に記述しているにすぎないのではないでしょうか?当時(今もですが)、日本にはアブサンに関する法的規制は一切なく各生産者が各自の方向性で造っていたのは間違いありません。それに筆者が各生産者の企業秘密である処方(レシピ)を熟知しているなんて事は有り得ないからです。文章も<借りてきた○○>みたいですしね・・・そんな事より興味深いのは、“ヘルメス黒ラベル68度は少なくとも1968年にはまだ存在し、他の知られている日本のアブサン銘柄も揃い踏みしていたって事ですね。1968年の時点ではアブサン需要が意外と多かった事が伺えます。

 
左から、サントリーの黒ラベル(×2)、モロゾフ、モンデ

ヘルメス・アブサンの大まかな変遷 (外観上、目安となる変化は太字
68度 金栓カバー   緑瓶 旧黒ラベル 1962年7月〜60年代末  日本初のアブサン・一代目
58度 金栓カバー 従価 緑瓶 旧黒ラベル 60年代末〜70年代中期  度数が低くなる・二代目
58度 金栓カバー 従価 茶瓶 旧黒ラベル 70年代末〜80年代初頭  (たぶん)紫外線対策で茶瓶に・二代目 ver2
58度 白栓   新茶瓶(新形状) 新黒ラベル 80年代  瓶の首が短くなり白栓に・二代目 ver3
58度     スリムボトル・緑瓶 分割白ラベル 80年代末〜90年代初頭  10ppm以下にレシピが変更か?・三代目
58度     くびれボトル・緑瓶 白ラベル 90年代半ばまで  四代目の最終ヴァージョン、ノーツヨンで×

★ 『A few days later, a public relations spokesman for Suntory in Tokyo said Hermes Absinthe has been made by the distiller since July 1962.』

二代目緑瓶に関しては1978頃まで流通したと推測できる記述もあります。(付属していたサービス券の使用期限による判断)

レシピ変更?> WHOのツヨン濃度規制(1981年)に気付いてレシピを変更した?のが90年前後との噂があり「それ以前の黒ラベルは規制値より高いツヨン濃度だったのでは?」と言う推測の根拠になっています。当時の技術で効率良く作ると自然に規制以上の高濃度になってしまうのは頷うなづけます。時期や装丁を顧慮すると分割白ラベル(スリムボトル)からレシピの大幅変更(ツヨン濃度減?または排除)があった可能性は高いです。味はマアマアなんですがラベルにはニガヨモギではなくアニスと思おぼしき植物のイラストが・・・・・そして、その次のくびれボトルのイラストも同じですが、こちらは全然×でタダのアニス酒になってしまいました。どちらにせよニガヨモギ未使用の単なるアニス酒をアブサンの名で国内販売する事は法的には問題無いとしても文化モラル的には×なのは言うまでもありません。

・サントリー広報担当者の言葉として下の様な記述も残されています。沖縄在住アメリカ人のブログで、2005年6月の記述なので「our Absinthe」とは四代目縊れボトルの事を指していると思われ「no wormwood is included in our Absinthe at all.」と説明しているのでしょう。文面からは黒ラベルも含まれる様にも取れなくもないですが「our Absinthe」と単数形なのもポイントでしょうか?広報の公的立場として禁止薬物に厳しい国の人に「前のには使ってたけどね!」なんて口が裂けても言えないでしょうし・・・WHOのツヨン濃度規制(1981年)以前である事とサントリーが60年代にアブサンをリリースした事情(前述の▼)などを考えると黒ラベルは“ Pernod Fils Tarragona ”の味を基準にしたであろう事は間違いないと思います。仮にそうでなくてもアブサンを処方するに主要ハーブのニガヨモギを使わない事自体が不自然です。黒ラベルがちゃんとしたアブサンの条件をクリアしていた事を疑う理由はありません。

『 Wormwood is not an ingredient of our Absinthe, Using wormwood was banned at the start of the 20th century because it was said to cause health problems. Therefore, no wormwood is included in our Absinthe at all. We use anise and other spices to make the flavor as close as original absinthe. 』

・<58度・ver2・金栓>と<58度・ver3・白栓>のレシピは同じなの?って点も気になりませんか?同内容の可能性も高いですがなぜボトル形状を変える必要があったのか・・・通常は、商品の普遍性と信頼性を確立する為に戦略的な根拠がないと変更しません。その事自体に大きな経費も掛かりますしね・・・国内生産だったとしたら長期に渡る原材料の安定供給は困難だったと思えますし原価率や変化する市場(◎)に合わせたレシピの変更に伴うボトル形状のマイナーチェンジが必要とされたのかもしれません。いずれにせよ、全く同じ条件で保管されていたボトルで比較検証できる可能性はほとんど無いでしょう。あ、そんな細かい事どうでもいい?すんません・・・・

(◎) 黒ラベルとしては最終バ-ジョンである事を考慮しても58度・黒ラベル・白栓の出土率?は10倍ほど高く、生産量が相当多かった様に思えます。折りしもバブルに突入する直前の経済上昇期で、バー的な飲み屋が目新しいアイテムを導入する事に躊躇ちゅうちょなど無かった頃でした。上記の変更は右肩上がりの消費傾向に合わせた生産量の増加が前提だった可能性もります。この頃から私はバー・カウンターに立っておりバブル期直前の妙な高揚感は記憶に残っています。ほとんどの御客様が人とは違った新しい飲み物を競い、何かに乗り遅れるのを恐れている様な慌あわたただしい雰囲気でした。

<従価とは?> 58度・金栓(黒ラベル)のキャップカバーには「従価税率適用」と表記されています。よくオークションなどで<従価>と表記され古酒?の証となっているのが「従価税率適用」の文字です。 1953年(昭和28年)から1989年(昭和63年)までの制度です。当初は品質による従価税でしたが途中でアルコール度数を基準に等級分けされる様になるなど小さな変更が相次ぎます。表記義務も曖昧あいまいな様で68度と58度白栓には「従価税率適用」表示がありません。しかし、<従価>と表記されてある物は確実に施行時期に出荷された事になり最低でも27年前のボトリングである事を証明しています(2016年時)。初代・68度・黒ラベルにいたっては瓶熟成ながらも泡盛古酒(クースー)もタジタジの50年古酒という貴重な存在です。高いアルコール濃度が熟成に向いている事は言うまでもありませんよね。

・1989年4月に「消費税」と言う税金が新たに発足すると共に酒類に対する「従価税」が全廃されて「従量税」が始まりました。つまり、昭和以前ってことですね・・・でも昭和は1989年1月7日までですから、四ヶ月弱は平成の酒も 「従価税率適用」です・・・あ、そんな細かい事どうでもいい?すんません・・・・

・当店にはヘルメス・黒ラベルが4種全て揃っており、それぞれ複数本ありますのでお試しいただけます。古い日本アブサンの品質ラベル(あ、間違えた・・)レベルに興味のある方はどうぞ・・・“モロゾフ”は開封品とミニ・ボトルが、“モンデ”は菱形の小ペンダントラベル欠品ながら未開封レギュラーサイズを入手しました。“モロゾフ”の方はOK牧場ですが一本のみの“モンデ”銘柄は残念ながらお出しできません。でも、社名変更に伴う銘柄名変更なので中身は同じですよ。たぶん・・・

 ドイツは非禁止国ではありません。しかし、第一次世界大戦後の混乱期に規制が掛けられたという外的事情の為か、他国とは意識が違う様です。ドイツ、オーストリア、チェコ、スイス主要部(ドイツ語圏)、などのゲルマン気質は、フランス、スペイン、スイス西部(フランス語圏)のラテン系とは全く異なりますから・・・・今では、スペイン、チェコと共にアブサン界「キャンディーズ」の一員としてブイブイ云わせており、本場スイス、フランスの「ピンク・レディー」にも迫る勢いで玄人筋の評価も高い様ですよ。ドイツ人らしく、気軽でポピュラーな需要などは全く狙っていないシリアスな銘柄が注目されています(隣国のオーストリアも同様です)。意外と多いドイツの販売サイトを見ると、細やかなサービス、豊富な品揃え、詳しいインフォメーションなど、どれをとっても充実!お勧めです。(ただ、梱包が雑なのには閉口しましたけど・・・こちら

ドイツの深遠なアブサン事情についてはこちらをご覧下さい。

・ ドイツのディープなアブサニスト達が集まる、<Guide.de>という情報サイトがあります。そのフォーラムでの度重たびかさなるデスカッションの結果、「現時点(2006年)、ドイツで市販されているアブサンのほとんどが賛するに値しない」というシリアスな結論に達しました。この事がキッカケになり、意識を高める目的でアブサン研究・処方のコンテストが行われたそうです。ドイツ人らしい発想ですね。入賞した15種類のレシピは小ロット(30g)ながら実際に蒸留されて会員に配布されました。その成果は世界に認められ、蒸留作業を請け負ったバイエルンの「Eichelberger Distillery (ドングリの森蒸留所)」にて商品化されるに至っています(1)。コンテストの目的は大きな成果をあげた様で、その後のドイツ・アブサンは目覚しい品質向上を遂げました。“Eichelberger(1)、“Neuzeller(2)などの高級銘柄も注目ですが 、世界でも有数のショップ「ALANDIA」が繰り出すオリジナル商品の展開は凄まじく、ドイツ・アブサン業界の存在感は大きくなってきています。

・「Eichelberger Distillery」 は上記<ALANDIA>のオリジナルラインナップ<ALANDIAシリーズ(3・左2本がEichelberge製)>も請け負っており、その突出した品質の高さで注目が集まりました。クロード・アラン・ブニヨン氏(アルテミジア)との共同作業による<Clandestineシリーズ>と共に「強力に響く2台のターンテーブル」を構成し、うねり続けるグルーブで世界中のアブサニスト達を躍らせまくっています。「えっ、ドイツ産?」という偏見を蹴散らすのも時間の問題と思われ、影のプロデューサーとも言えるHans-Peter Fussの圧倒的な力量には脱帽せざるを得ません。

<ドイツの裏番長> Hans-Peter Fussはハンブルグにあるアブサンの流通/企画会社LogisticX GmbH & Co. KGを取り仕切っています。HPの企画受注ページによると、貴婦人ラベルのAngelique”、マニアックな限定銘柄“Partisane”、<ALANDIA>名義の“Moulin Vert”なども手がけており、ブニヨン氏に依頼した<宝石シリーズ/ Diamond Line>の“Sapphireサファイア”と“Opalineオパール”でも知られています。2001年からアブサンの卸売業を営んでおり、14ヶ国から250銘柄を扱っているそうです。関連リンク先には有名な販売サイト「Absinthe 1001」や「Absinthe De」などが貼ってあり、ドイツの実動隊って印象を受けますね。2010年<アブサンティアーデ>において金賞を勝ち取ったMaldoror (4)は、フランス、スイス、チェコの既成アブサンのブレンド銘柄として業界初の試みでした。Sapphireでも問題を起こしたHans-Peter Fussならではの反則技とも言え、当然ながら賛否両論が沸き起こりました。 

1) 2) 3) 4)

< Hausgemacht (Honemade) > ドイツの特殊な状況には理由があります。規制が始まってアブサンの供給が途絶えてから、ハーブ大国でもあるドイツの愛好家達の自家製造(密造)が盛んになりました。それらのアブサンは< Hausgemacht (Honemade) >と呼ばれ、個人消費レベルでは連綿と作り続けられてきたそうです。小規模自家製造ではハーブの自由な選択や蒸留ごとの試行が可能になり、個人的な発想を実現化できます。特殊な環境や歴史などに縛られたスイスとは異なり、広い地域で各自の処方が洗練されて多くの優れたバリエーションが確立し、高い意識を得ていたであろう事は容易に推測できます。つまり、本来の意味でアブサン密造の先進国だったんですね。って云うか、ライバル国はほとんどありません。コンテストで競い合った処方は、長年作り続けてきた自慢の<俺レシピ>だったのでしょうか。

Home  <アブサン番外地>

< La Bleue ・ 密造アブサンの王者 > アブサンの発祥地スイスのジュラ山脈周辺は優れた密造アブサンの産地として有名でした。フランスとの国境付近という地理条件や民族意識の強さなども背景にあり、規制中も半黙認のかたちで生産され続けた歴史を持ちます。この地の密造品はLa Bleue(青)の通称で知られ高い評価を得ていました。無色透明ながら加水すると青みレイリー散乱?)を帯びたミルク状に白濁(bluish milky louche)するのが特徴で、特にトラヴェール渓谷(Val-de-Travers)の銘柄は特別扱いされていたそうです。規制解除後の今、新鮮な地ハーブを使用した職人的作業の少量生産品としてスイス銘柄の代名詞になっています。WHOの基準を守ってるんだし、原産地呼称認定してもらうのは無理なんですかね?(後で分かったんですが、アニス、フェンネルなど地産ではないハーブが必須なので無理な様です。という事はフランス産アブサンのAOC認定も無理って事ですかね・・・)

<La Bleueとは>1910年にスイスでアブサンの製造が禁止された後、伝統的な飲み物に対する愛着(=アイデンティティー)を諦めきれない人々の手で密造が始まりました。いつの頃からか、取り締まりを避けるために無色透明なアブサンの作り方が工夫されていったそうです。色さえ付いていなければ「アブサンでは無い別種の酒だ」と言い張る事ができます。幼馴染でもある現地の下級税務員達は見て見ない振りがし易く、アブサンは色付きの酒と思い込んでいるヨソ者に対して無色透明は有効な隠れ蓑みのでした。100年にも渡る家庭の台所や地下室での隠れた非合法作業は、大量生産品では不可能な個人的で職人的技法(traditional artisan methods)の発展・洗練の源となりました。

・当時、飲用に向いた無色透明な酒類は日常の安酒として珍しくはありませんでした。スイスで一番ポピュラーだったのは安ウオッカです。今のスイス物にも良く使われている1gボトル(下)は、日常的で目立たないウォッカ用で、今のペット・ボトルの様な存在だったのでしょう。他は、ジン、キッルシュワッサー、ミラヴェルなども偽装対象でした。(1)は某マニアが所蔵している本物の密造品コレクション・・・ビンは流用なので同じだし、金属栓を瑕疵目

1) 2)3)4)

・(2)はアブサンの禁制に反対したプロバガンダを表すポスターです。スイスの密造品ラベルに使われることが多く何銘柄も見かけました。ウォッカと一緒に並んでいても顧客が判別し易い有名なアイコンだから?現行の合法品にも継続して使われています。クーヴェのクロード・アラン・ブニヨンによる <ALANDIA>の“Suisse La Bleue Clandestine”シリーズ、フルリエの“Interdite Distival”、などです。事情を知るまでは、何で同じラベル・デザインなんだろう?親戚?なんて思ってました・・・(3)は恐らく非合法時代、(4)は現行の“Interdite Distival”です。下の画像の密造品も使用していますね・・

『The famous label of the "Interdite Distival" bottle was designed in 1910 by Gantner to mark the abolition of absinthe in Switzerland. Many clandestine absinthe producers chose to use this label for their bottles during Prohibition. 』 (B・A・M)

    

・上左の画像は、合法化された頃(2005年)のスイスの飲み屋?に並んでいた Clandestines(密造酒)の写真だそうです。解禁以前は、撮影どころかボトル自体を見せてもくれなかった様な記述もありました。ラベルは雑にペロ〜ンと貼ってあり、超適当なデザインもイイ感じ!とりあえず、Fee Verte(緑の妖精)って書いてはありますが、当然ながら無色透明ですね・・どんな味だったんでしょうか?合法化された今となっては見ることも難しい光景かと思います・・・

・ついでなんですが、右三枚は南仏のコート・ダジュールにあるアブサン専門のバー!2007年10月の様子だとか。アンティーブ旧市街のオリーブやジャムを売っている名産店の地下?で密やかに営業しているそうで、解禁以前から営業していた可能性は高いですね。上からぶら下がってるのはポンタリオUグラスですね・・メジャー・ポートにひっくり返ってるのは全部アブサンのボトルだそうですよ。カウンターの左側にはファウンテンが普通に置いてありますが、それぞれのテーブルにも砂糖とファウンテン・・・って言うか、さりげに並んでるファウンテンが半端ない数っ!さすが、本場ですね。で、右端のアブサンを売っているそうですが見たことが無いラベル・・・色も濃い〜くて、浸透法の密造品にありがちな雰囲気です。「宅の坊や」もコンな感じですし・・ちなみに、アンティーブはイタリアに程近い地中海沿岸の観光地・・・マフィアの薫り、仄ほのかに漂う素敵な町です。

<Blanche (白)> 蒸留後に一切手を加えないシリアスなタイプのアブサンも無色透明ですが、こちらはBlanche(白)と呼ばれています。現代Blanche(白)のほとんどLa Bleue(青)の品質や評価をキッカケにした派生品ともいえる存在ですが、無色透明である理由が全く異なります。もちろんLa Bleue(青)の持つドメスティックな美意識と制約は持ちません。しかし、「アブサンは緑(黄)色でなくてはならない」という呪縛を断ち切ったLa Bleue(青)を基にしながらも、そ問題点を超えた新たなる価値観を展開しようとしています。禁制以前のベル・エポック期に存在したオリジナルのBlanche(白)とも異なる全く新しいジャンルだと言え、次世代アブサンの大潮流を成す可能性も高く目が離せません。誤魔化ごまかしの効かないBlanche(白)をリリースするからには高い技術と深い見識が求められ、結果的に品質は保証されたも同然といえるかも知れません。当店にあるBlanche(白)は全てが素晴らしいです。

)私の知る限り、最初の現代Blanche(白)銘柄と言えるのはMartin SeborHavel`s Alpen Absinth”ではないでしょうか?リリースされた年は不明ですが、<Havel`s>シリーズのバリエーション展開の多彩さから推測すると2000年以前の可能性が濃厚です。故Martin Sebor氏は、フランスでアブサンのリリースが始まる以前の1998年に初の本格チェコ銘柄 “Krasna Lipa”を出した業界の先駆者でした。唯一のBlanche(白)銘柄“Havel`s Alpen Absinth”は、Sebor氏の最初で最後の「蒸留法」による銘柄なので気軽に試した感じではなく、この銘柄を契機に家伝の「浸透法」とは別のラインを模索しようとしていたのかもしれません。その後、フランスから2001年に“Un Emile La Blanche”、そして“Blanche de Fougerolles 74”などが続きました。辺境の地におけるSebor氏の先駆的試みは忘れ去られて久しいですが、現代アブサン史の裏ページにはシッカリと刻まれています。

・先日、某アブサン専門サイトからBlanche(白)に興味のない愛好家に向け『That's a pity because you are really missing out on a whole absinthe experience! (あなたが真のアブサン体験をしていないのは残念で悲しい事だ)』とのアピールがありました。同サイトの全Blanche(白)銘柄を10%offで販売するそうです。ビギナーが訪れる事が少ない一番洗練されたサイトなのに・・・と驚きました。やはり、消費者側の<緑(黄)色のアブサン>に対する親和(神話?)性は侮れず、苦戦を強いられている様が伺えますね。

<謎のビンテージ・Blanche> ベル・エポック期には存在する根拠が薄いBlancheですが、出土品が無い訳ではありません。下のボトルはクーヴェ村近くで営んでいたワイン商のセラーから発見された稀なる一本。Vシェイブのコルク形状から19世紀の瓶詰めと推測されています。複雑ながらも調和のとれた強靭なアロマ、コリアンダーの要素が強いフレンチよりの味わい、ウッディで長い余韻、とのテイスティング結果。ワインアルコール・ベースなのは確実なので、密造品などではなく大手生産者の高級アブサン由来の可能性が濃厚です。しかも、ボトルが有名な“C.F. Berger”ですから、謎が深まるばかり・・・熟成による色変化が独特で、ほとんどのビンテージ・Verteでは見られない抜けた透明感から稀なるBlancheであろうと結論付けられました。特注品、試験品、特殊バージョンなど、様々なケースが考えられまが、封蝋が無い点は不可解・・・出土地がクーヴェなので、ラベル通りに同地で操業していた“C.F. Berger”から色付け前の蒸留原液を分けてもらった可能性もあります。いずれにせよ、かなりのレア品である事は間違なく、とても興味をそそられたので60mlの小分け瓶を注文してしまいました。当店初の19世紀物は、何故か稀なる珍品に・・・お出しできるのは多分一杯だけです。下の引用英文は取引先からの注意書きと精細です。

  
A mysterious clear absinthe bottle discovered in Switzerland near Couvet,

・One advice for the Berger Blanche: Please do not add too much water in it. Start with 2-3 doses of cool water for one dose of Berger and taste, If you add a little too much water it will become flat and loose all its strength. That's the key thing with most vintage absinthes, they are very fragile and can be easily over-watered. ( M、Thuillier)

<C.F. BERGER.>   A mysterious clear absinthe bottle discovered in Switzerland near Couvet, in a very old cellar previously owned by a wine merchant who made his pile from the alcohol business, hence a well supplied cellar with very old and renown wines, champagnes and spirits.
 No wax or foil, but the cork is eaten away and in a "V" shape, like on all 1900 absinthe bottles. The opinions after tasting it are unanimous: an exceptional absinthe, of which you can't even tell if it's a 'blanche' or a 'verte' because of its high complexity, balance and aromas strength, notably from the wormwood, anise and coriander. It also has a very woody aftertaste, indicating the ageing of a wine alcohol base, so not coming from a Swiss clandestine absinthe but from a large distillery, C.F. Berger for instance? This famous distillery established in Couvet just close to where the bottle was discovered? What a coincidence... An incredible surprise for the taste buds! ( M、Thuillier)

・もう一例。1870年からフランスのサヴォア県の首都シャンヴェリーに「C, Comoz」という蒸留所が稼動していました。ジュラ山脈の南端にあたるアルプス山岳地帯で、アブサン聖地のポンタリエから南に下ったイタリア国境沿いです。vermouth blancを主体に生産していましたが、"Absinthe des Alpes"という地域性の強い処方によるアブサンも造っていました。初めて出土した二本のボトルの色から、稀なるBlancheではないかと推測されています。濃厚で完璧な白濁、花の様な芳香、独特のフェミニンなキャラクターを持っているそうです。

  

<酸素系アブサン>例外として酸素系アブサンがあります。強制的な酸素(Oxygenee)溶解を試みた驚きの超高級特殊アブサンです。当時は酸素と生命エネルギーの関係が注目されており、 ほとんどすべての疾患に有効な万能薬とも考えられていました。つまり、かなりなヘルシー・トレンド?だったんですね。各蒸留所が様々な方法で試したと思われますがアブサンに酸素を溶かしこむのは並大抵の技術ではありません。有名な“Cusenier's Oxygenee”は噴出法か…廃れた手法は失敗の証なので実際に化合してるかどうかは怪しいですね。でも、通常より経費の掛かる特別処理?をアピールするため酸素のイメージの無色透明な銘柄もリリースされてました。銘柄数が少ないので画像を探すのに苦労しましたが(1)のリモージュ産Blancheではトレード・マークの右側に OXYGENEE の文字が確認できます。 (2)は“Cusenier's Oxygenee”のBlancheですがラベルのみ現存。(3)の色つきバージョン Vrete と対を成すラインナップでした。

・(4)は広告用と思われる金属性のコブレット?ですが、小さい文字列の最初にBLANCHEとあります。 BLANCHE・APERITIVE・ANISEE と記されているので禁制後のアニス酒系アイテムが可能性も高いです。しかし、何故か本体は緑色なのに BLANCHE の文字が筆頭に来ているのかが気になるんですね・・・

・(2)に関してはラベルのみ・・・と記しましたが、完封ボトルの現存が判明しました!フランスのコレクターが秘蔵していた様ですが、遂に小分け販売に踏み切るとの事。もうすぐ<O・F>のサイトにて販売されるそうです。(2011/04/27)

1)2)3)

<> あっ、もう一つ例外かもしれないヤツを思い出しました。アメリカ向け輸出用ペルノーのラベルに“GREEN”と“WHITE”の二種類があった事をこちらに記述しました。ただの等級分けかもしれせんが、“WHITE”表示のバージョンがBlancheだった可能性は充分にあります。18世紀以降のアメリカでは、氷の普及やライフ・スタイルの多様化に伴ってカクテルというトレンディーなジャンルが発展中でした。ドレスの色に合わせたカクテルなども考案されており、鮮やかな色は重視された様です。精細は不明ですが、色の創出を邪魔しない無色透明の特殊バージョンが“WHITE”だったのかもしれません。ちなみに、後の禁酒法(1919〜1935年)で場を失ったバー・マンの多くが大西洋を渡り、アメリカの新しい概念とヨーロゥパの伝統的な価値観が融合して近代・カクテルが成立していきました。

<Verte(緑)> Bleue(青)、 Blanche(白)に対して、 Verte(緑)と呼ばれるのが「The Green Fairy」の名にふさわしい色付きのアブサン。蒸留後の最終段階に天然ハーブで色づけされる高級フレンチ・タイプに使われる敬称です。ベルエポック期の手法を継承しており、フレンチ・アブサンの、と言うよりは現代高級アブサンの基準形態として一般化しています。人口着色料を使わない為、黄みがかった薄緑や薄い黄色とか限りなく透明に近い緑や黄色ですが、全てVerteに分類されている様でJaune(黄)という名称は見たことがありませんね・・・・やっぱ、薄くても緑でしょ!って感じなんですかね?これらの呼称は法的な規定の無い習慣的な愛称らしく曖昧な使い方をされる事も多いので要注意ですが、今のところVerte(緑)の呼称で人工着色されたものは見かけません。しかし、市場が拡大した後にはどうなるかわかりませんが、La Bleueに関しては間違いはないと思いますけど・・・

・ ヨモギ類、ヒソップ、ほうれん草、パセリ、イラクサ、ベロニカ、の葉が持つクロロフォルム(葉緑素)が天然の色素としてVerteを彩っています。

・ちなみに、鮮やかな緑色の銘柄は間違いなく人工着色料使用だと思われますが、必ずしも×ではありません。本格的な味わいは望めないにしても、それなりの美味しさを楽しめる銘柄も少なくないからです。お酒に限らず何かを楽しめる切り口には様々な要因があり、それぞれが複合的に絡み合って奥深く広がっていきます。一番分かり易い要素とも云える<品質>や<美味しさ>だけを追い求めて窮屈な<○○道>に迷い込んでしまい、狭い価値観(=権威)に縛られてしまった人を見たことありませんか?決まりきった本物(=権威)を追い求めるのは割と簡単です。本筋を押さえた後、初めてスジ者をも楽しめるのでは?と思います。ワザとらしいくらいの華やかな色彩や嘘くさい人工的な味わいも楽しみましょう。清濁併せ持った感覚を持てる様になれば楽しみの幅も飛躍的に拡がります。

・現在使用されている人口着色料はコンな感じらしいです。「 For the coloring artificial dye is used, especially mixtures of tartrazin FD&C Yellow No.5 (E102) and patent blue V (E131) or brilliant blue FCF (E133).」 で、アンドラの“Huguet”は裏ラベルにコンな表記がありました。「Contains colours E102, E124, E131」

La Bleueは地域への愛情と意地が支える特別なアブサン達です。一例ですが、トラヴェール渓谷のモティエ( Motiers)という小さな町にLa Valoteという名の協同組合(distiller community)があるそうです。数人のLa Bleue職人が各自独独のレシピで自分の銘柄を生産していますが、小さな単式蒸留器(25〜90リッター)3器を共有しているそうです。様々な事情があるとは言えスイスならではの珍しい形態で、密造時代から続く仲間意識の賜物でしょうか?(下左)。

現時点で密造時代のLa Bleueに最も近いであろう銘柄は何でしょうか?La Valote系でも充分なのかもしれません。いかし、生産量を増やすと何かが変わる感じがするので積極的に対外展開している生産者は除きます。そして、解禁以前から地元向けの商売をしてLa Bleueタイプのみを手掛ける生産者となると・・・最も入手が容易なのは、ギリギリの境ですが“Interdite Distival”ではないでしょうか?他にはL'interdite、“La Fine”、“La Troublante”、なども販売サイトで見かけることがあります。クーヴェ村にある「Distillerie Distab Sarl」の“55 de"などは自社サイトを開いており、日本への発送を交渉する気がある人なら可能かもしれません。

・では、入手困難な範囲では・・・・?私見ですが、クーヴェ村の在村家系と思われる「Chris Julmy」の“La Philosophe (p)”が最有力だと思えてなりません。根拠を問われると困りますが、様々なサイトを見てきた末の妄想的なインスピレーション(思いつき)に過ぎません・・・すごいラベルですね。あと、フルリエで地味に操業している<妖精とお友達>の「Absintherie Celle a Guilloud」爺さんの銘柄“Celle a Guilloudo”も妙に気になります。でも、両方とも売ってるのを見たことがないんですよね・・・しかし、あまりにも怪しすぎる“La Vraie”とか“De Bemont”みたいなヤツを見つけると「ヒョットしたらコッチか?」なんて気もしてきますね・・・・(参照

    p) d)k) c) 
かわいいラベルのLa Valote銘柄4種と、アブサンの白濁を想わせるトラヴェール渓谷の霧、例のヤツ、可愛いラベルのデュバロン、伝統的デザインの“キュプラー”、今風の“クランディスティーヌ”

<デュバロン> 「Absinthe Duvalloni」の“Duvallon”という銘柄も、別の意味で有力なのではないかと思われます。有名な密造者ラ・マロットのレシピを引き継ぐ姪娘、という血筋の良さは見逃せないですね。生産量も取り扱い店も少なく入手が困難な上に生産者の名前が表に出て来ない点も○○気分。web上の記述を見る限りでは本人の意識もかなり高いようです。しかし、残念ながら解禁後に創業した新規参入組なんですね・・“Duvallon (d) ”、“Blandine”、“Veuve Verte”の三銘柄がありますが、典型的なLa Bleueタイプが“Duvallon (d) ”だけという点でも新潮流に属しています。いずれにせよ、かなり特殊なマニア向けの存在なのは確かです。

では、日本で容易に入手できるスイス銘柄の実態はどうかと言うと・・・

<キュプラー> 密造系ではありませんが、日本で購入できる唯一のLa Bleue的銘柄は“キュプラー・53 (k) ”のみです。1863年に創業され規制中はリキュールなどの生産を行ってきた歴史ある蒸留所でスイス国内のシェアが70%近い生産量(ここが微妙な点ですが・・)を誇るメインブランドとの事。お金の掛かっているHPを見れば分かりますが個人密造者という訳ではなく小企業規模の様なので厳密には La Bleue と扱っていいのかは???と思います。しかし、本当のLa Bleue職人の銘柄は生産量も少ない上に流通しにくく日本への正規輸入は極めて困難・・・残念ながら、日本で合法的に La Bleue 的な雰囲気を体験するには“キュプラー・53 ”しか手は有りません。

<アルテミジア> WHO規制解除以降の1989年からアブサン製造を試行し始めたクロード・アラン・ブニヨン氏の<アルテミジア・シリーズ>(c)も国内入手可です。彼の銘柄の傾向からはLa Bleue的美意識に対してはほぼ否定的と言ってもいい方向性を感じます。世界市場をターゲットにしたドライで近代的な味わいを打ち出しいくつかの突出した名品を生み出してきました。特に “Angelique” シリーズの貴婦人ラベル2種は彼の最高傑作ではないでしょうか?昔ながらの密造系とはほとんど無縁の新規参入者ですが革新的生産者としてのカリスマ性を確立するのに成功しているのはご存じの通りです。

 かなり私見ですが、スイスでの合法化をビジネス・チャンスととらえ周到に事前準備していたと思われる点などはべンチャー的スタンスを感じます。少なくとも1989年以前の石油関係の技師としての経験から他の生産者達に欠けたグローバルな視点は得ていたと思われます。わざわざ始原地クーヴェ村に移り住んだのもまだ無名だった頃の彼の銘柄にネーム・バリューを得る為?「まさかそこまで・・・」と思うかもしれませんがちゃんとした企業家ならそれくらいの考え方が出来ないと×ですからね・・・最初の蒸留許可を申請、直後に規制のあいまいなドイツのディラー(出資者の可能性あり)と取引して深い関係性を築いた事、最初の<アルテミジア・シリーズ>)の後は販売に有利なフランス系銘柄のみをリリースしていた事、特別なフェンコン規制があったフランス専用銘柄の設定、外注を受けた依頼銘柄の多さ、名前の出づらい依頼銘柄の2度の(おそらくツヨン過剰による)自主回収、「Absinthe Duvalloni」との微妙な関係性、など単なる蒸留家の枠を大きくはみ出たイケイケの企業家的姿勢ではないでしょうか?念の為くりかえしますが、かなりの私見です。

・上記に関しての記述は、あたかも否定的な意見に聞こえるかもしれません。しかし、La Bleue とはどんな存在なのか?という点だけを優先した過剰でロマンティックな見方での私見です( ピエール=アンドレ・ドラショー氏の様に・・参照。つまり、La Bleue と言い切れる銘柄は今までには正規輸入されていません。とは言え、上記どちらの銘柄も世界トップクラスの味わいを誇る極めて優れたお勧めアブサンです。しかも、両銘柄とも「Bitter-spirituose」なのでツヨン濃度が高めです。純正のLa Bleue銘柄よりコチラの方が好みの方が多いかも・・・是非、お試し下さい。

<現代のスイス銘柄とフランス銘柄の違い> ほぼ完全に禁止されたフランスと違い、密造という流れながらもスイスでのアブサンは継続・進化していました。時代の経過に伴い、かつて同根だったフランスとは異なる系列を生み、La Bleue(青)と呼ばれる美意識にまで洗練されました。密造時代以降のスイスで無色透明で50〜60度くらいの銘柄がほとんどなのは密造向けの造り方を模索した結果の様で、「アブサンは緑(黄)色でなくてはならない」という呪縛から放たれて進化したのがスイスアブサンです。

 <スイス> ある時期から蒸留後の浸透行程( colouring step) を省き、無色透明になっていった理由は前述の通りです。高いアルコール濃度は色素(葉緑素)保持の為でしたが必然性が無くなり、低い濃度に移行しました。その結果、より扱い易くなった蒸留原液に個人的で自由な試行がなされ洗練の度合いが高まっていったと想像されます。それに伴い、ハーブのコンポジション(処方構成)も低いアルコール濃度や現地で調達可能な原材料に適合していきました。小規模生産者には手に入れにくかったと思われる(参照 )グリーン・アニスとフェンネルが減り、スター・アニスの使用量が増えてリコリス的甘味が増します参照。そして、狭いエリアならでの近似的な嗜好性を基にした消費者からの直接的フィードバックも積み重なって普遍性をも兼ね備えたLa Bleue(青)的美意識が構築されたのではないでしょうか。

 <フランス> 片や、フランスでのアブサン製造は完全に断絶していました。そのため継続・進化などは望むべくもなく、古いレシピを基にモデファイする手を取らざるを得ません。原材料由来の甘味などを充分に引き出せない低価格帯の銘柄には、糖分・人工着色料などを加える事が多い様です。高級銘柄でもVerte(緑or黄)でアルコール度数・68度基準のアブサンが多い点にも100年前のスタイルの影響下にある事が伺えます。現代のフレンチアブサンは次への展開を睨にらんだ模索期にある様に感じます。しかし、トラヴェール渓谷に近いポンタリオ市は微妙なスタンスを持つためか、一般的なフレンチアブサンとは異なる独特の美意識が感じられます。そして、アブサン第二の都市と云われていた北仏のフジュロル村も個性的な存在観を持ち、一味も二味も違う優美な銘柄を輩出し続けていて目が離せません。一方、南仏のプロヴァンス周辺からはパスティス的な価値観を基にした新しいタイプのアブサンが評価を得ており、一大勢力を成しつつあります。

・復興後のフレンチ・アブサンを特徴付けてきた最大の要因として、フェンネルとヒソップスの製油成分含有量に対する法規制がありました。この二つの重要ハーブを自由に処方できないのは致命的な障害で、2010年3月までのフランス銘柄達は仮の姿とも言えるでしょう。そんなハンディを負いながらも素晴らしいフレンチ・アブサンをリリースしてきた幾つかの有力な生産者達がおり、その飛びぬけた実力が浮き彫りになりました。Les Fils d'Emile Pernotや「Distillery Paul Devoille」に対しては賞賛の言葉しかありません。

・ついでに、各国アブサンの特徴を簡潔に記述してあったので紹介します。「For example, in the Czech Republic, peppermint was added, but neither anise nor fennel. In Switzerland, melissa, hyssop or angelica root were added to the Swiss alpine wormwood, which was a valued ingredient due to its strong aroma , while in France, coriander was added.」

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・そう言えば、プロヴァンスタイプの人気者“ヴェルサント・ラ・ブランシェ”ですが「最初期のアブサンである18世紀スイスのオルディネール博士のレシピを再現!」、「全く砂糖を加えていないナテュラル・アブサン!」などとの謳い文句を良く目にしますね。???と思った方は多いのではないでしょうか。製造元の<リコリステュリ・ド・プロヴァンス社>は南仏マルセイユ近郊にあり、社名のリコリスからも分かる通りパスティス/アニス系リキュールが得意な企業です。地理・歴史的な動機や根拠に欠けるだけでなく味わいもアニス甘味が強く、苦かったはずの初期スイスアブサンのイメージからは程遠いのではないでしょうか?深く考えなければ、無色透明な事と蒸留法(Distilled)の採用がスイスタイプとの一致点の様に思えます。

・しかし、オルディネール博士のアブサンには色付けのためと思われるホウレンソウやパセリが使用されており、無色透明ではなかったのは確実です。それに、スイスのアブサンが透明になったのは規制後の密造時代からで、少なくともベル・エポック期は緑(黄)色でした。この頃のスイスアブサンを再現した珍しい例が「Jade Liqueurs」のVS 1898 (旧名Verte Suisse 65)です。“C.F.Bergerベルジェ (参照”1898年未開封ボトルの現物をサンプルにしていますが、もちろん色が付いています。

・スタンダード銘柄の黄色い“ヴェルサント”はパスティスと同じ浸透法(Mixed & Macerated)です。無色透明の新銘柄“ヴェルサント・ラ・ブランシェ”に高級品の証でもある蒸留法(Distilled)を採用した事は大きなセールスポイントと言えます。しかし、自ら公開している映像参照を見る限りでは古い蒸留法の再現というコンセプトなど全く感じられません。各ハーブを分別蒸留してクロマトグラフィーやスペクトル・アナライザーなどによる分析を基にブレンドしており、極めて科学的な作業を行っている様子が伺えます。

・前出の謳い文句の出所は全く不明ですが、専門的な情報が曲解・拡大されて定着してしまったのでは?と想像しています。そもそも、18世紀のレシピを基にしていないフレンチアブサンや低価格帯でもないのに人工着色や加糖された銘柄が如何いかほどあるのでしょうか?

・な〜んて、ケチつけてたみたいですけど“ヴェルサント・ラ・ブランシェ”、“ヴェルサント”の両銘柄はとても優秀で美味しいです。<夢の様な本格アブサン>とは言えませんが、南仏独特のパスティス的なアニス風味傾向を代表する銘柄だといえます。この価格帯ではトップクラスの味わいを誇り、怪しげな謳い文句などは無くとも十二分に楽しんで頂けること請け合いなんですよ。だって、国内で合法的に入手可能な数少ない<まともなフレンチ・アブサン>ですから・・・あとは“Grande Absente 69”、“Absinthine”くらいしか残らない期間が長かったですね。でも、2010年から本格フレンチ・アブサンも国内流通し始めました。ポンタリオのLes Fils d'Emile Pernotがリリースしている“Vieux Pontarlier Absinthe Francaise Superieure”と“Perroquetペロケ/オウム”の二本!

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<La Bleueの問題点> スイスの名産品とも云えるLa Bleue銘柄の名声は<揺るがぬ岩の様に堅牢>ですが、一つだけ問題があります。特殊な状況での洗練の末、ほとんどのLa Bleue銘柄の味が似通っています。狭く密接した地域(※)で作られている為か、原材料や手法が均一化してしまうのかもしれません。有力販売サイトでも「 You may not notice a big difference between brands, but you will not be disappointed in any of them.(どれを選んでも満足感が得られるだろう。でも味は似た感じだよ・・)」って書いてあったりするんですね。もちろん、微妙な違いはあるんですが・・・大吟醸の味が似てくるのと一緒なんでしょうか?この様な状況に一石を投じようとしているクーヴェ村の新しい生産者達(参照)の動きからは目が離せません。

(※) La Bleueの蒸留所は、クーヴェ(2755人)、ボバレス(392人)、モティエ( Motiers/825人)、フルリエ( Fleurier/3518人)など、全ての町?村?が半径10km以内に凝縮して集まっています。一枚の写真に収まっちゃうほど狭いエリアなんですね。同業者同士全員が顔見知り(ヘタすると幼馴染)なのは間違いありませんね。ちなみに(人数)は2007年12月時点での人口です。この地域は歴史的に時計産業の方で有名だったんですが、クウォーツに押されてかつての勢いはありません。

<公然の秘密>ですが、La Bleue銘柄のなかにはスターアニスを併用している銘柄が意外と多いです。高級品のグリーン・アニスは地産種ではなく合法化以前は入手は困難だったでしょうし、それを前提とした処方の発展・洗練がLa Bleueとして結実したとも言えます。そして、スターアニスならではのリコリス的甘味を好む人もいるので程良い使用は必ずしも×ではありません。しかし、安い材料で代用品のイメージが強い為なんとなく内緒で、自ら公言したりはしないらしいです。

< アブサン魂 > 規制によりアブサンの存在はフランス語圏スイス文化の象徴になった様です。ドイツ語圏スイス勢力の政治・経済的な優位性がアブサンを通じて垣間見えてきます。

『我々はレジスタントなんだ。そして我々のレジスタンスは一つのキーワードで表現することができる。アブサンだ。アブサンは静かに黙って地下にもぐった。そして私が興味があるのはこの抵抗だ。私達にとって、アブサンは法を犯す喜びであり、意気を示す喜びなんだ。』

・上記はトラヴェール渓谷(Val-de-Travers)住在のアブサン史家 ピエール=アンドレ・ドラショー氏の言葉です。虐げられたフランス語圏スイス人の心意気を極端なまでに表していますね。彼はアブサンの合法化に心情的には反対なようです。その地域的な精神性が低下することを危ぶむあまり対外的に成功した同地の蒸留者を非難する事も厭わない過激な姿勢でも知られています(参照)。しかし、地元の目線で考えると一点の真実を代表している人物なのは間違いありません。地域文化のグローバル化と希薄化は裏表一体のコインですから・・・

(注:国家・宗教・民族が入り乱れた歴史観を基に成り立つヨーロッパでは、日本とは法に対する感触は異なっています。比較的多くの人達にとって、自らのアイディンチティや家族を守るための戦いにおいて法を犯すことは勇気ある行動であり許容または尊重される場合が多いのは当然かと思われます。ほぼ単一民族で異様に平和な日本に生まれたのは幸運以外のなにものでもありませんね。)

<スイス・アブサンを支える民族意識> スイス国内においてフランス語圏スイス人(19%、7州)とドイツ語圏スイス人(64%、21州)の関係には微妙な民族意識のズレが大きい様です。トラヴェール地域がスイスに正式統合される際(1815年)にもフランス語圏住民の多くはフランスへの帰属の方を望んでいたそうです。フランス語圏の人々に独立性の高い小さな自治州だった頃の意識が残って染まったのは無理もありません。1910年の全面禁止に先立ち、ヌーシャテル州とジュネーブ州(共にフランス語州)でアブサンの販売・輸出が禁止(1908年)された際、ワイン産業を重視するドイツ語圏の意向が強く反映した事は潜在的な民族的遺恨を残す事になりました。今でも「あっち側」と「こっち側」的対立意識が根強いそうですが、同じ国内で言語や価値観が違う感覚は日本人に分かるはずがありませんよね。

スイスの言語分布

 紫:フランス語、黄:ドイツ語(アレマン語)、緑:イタリア語 赤:ロマンシュ語、青:湖

<ドイツ語圏の生産者> 私見ですが、この民族意識のズレを逆の方向から象徴していると思われるのが「 Distillery Matter-Luginbuhl 参照」の存在。トラヴェール渓谷と同エリアながらもギリギリ両語圏境界のドイツ語圏側にある蒸留所です。La Bleue的価値観の呪縛が少ないせいか、英国<LdF>のプロデュースを抵抗なく実現できる柔軟な姿勢と自由な発想での斬新な展開を見せる特筆すべき生産者です。ヌーシャテルから僅か50kmしか離れていない微妙な位置関係と語圏文化の違いが生んだ稀なる感性。過激で個性的なアブサンの数々は高評価を勝ち得て業界にインパクトを与え続けています。特に、スイス解禁最初期にリリースした<Duplais>シリーズは決定的な存在感で現代スイス・アブサンの方向性を示唆しました。特に、有名なクロード・アラン氏の<アルテミジア>シリーズなどは、明らかに<Duplais>シリーズの影響下にある様に感じます。でも、この作り手の個人的な一押しは“Kallnacher”というユルイ銘柄なんですけど・・・ノホホンとした懐古的味わいが逆に個性的です。お試しください。

・他にもドイツ語圏スイス人生産者は多い様で、多数の銘柄が確認されています(参照)。しかし、web上での販売はほとんど無く、あっても近隣にしか配送しない感jじでアカウントがとれません。個々の情報が無いに等しく、暗黙の非合法品ではないか?とすら思ってしまいます。非EU国のスイスでは国内だけの法的枠組みでもあるのでしょうか?

<女流密造家 ラ・マロット> トラヴェール渓谷のフルリエ(Fleurier)に名物的な女流密造家がいました。有名なラ・マロットです。彼女の美味アブサンを目当てに大勢の地元民が訪れ、評判になりすぎてしまった事から裁判所に送検されてしまいます。この時期(1960年代)、酒類審査官がフランス系スイス文化に理解のない出世欲満々のドイツ系官僚だったからだ、という説もあります。国境付近で捕まる密輸・密売人ならイザ知らず、地元消費の個人レベル密造者が告発される事は極めて稀だったそうで、地元の裁判官も大いに困惑した事でしょう。3000フラン(20〜30万?)の罰金支払いを命じられたラ・マロットが、小さな声で判決を下した顔見知りの裁判官に言い放った言葉は今でも語り草になっています。「この罰金は今払うのかい?それとも、アンタが次にアレを買いに来た時に払えばいいのかい?」 この時、彼女は80歳を超えていたそうです。1969年6月6日に亡くなりました。ちなみに、ボバレスのアブサン祭りは彼女の誕生日に行われているらしいですよ・・

 

・右の画像はLa Bleueをフランスへ密輸する為の容器!お腹に隠す為にベルトを通す部分がチャンとありますね。これなら大丈夫でしょう・・・こんな発明品が残っている事から厳しい罰則があった事が分かります。通常、個人密造の国内消費は黙認されたそうですが海外持ち出しには相当厳しかった様です。特に名産地のトラヴェール渓谷からフランスへ抜ける道は限られている上に監視が厳しく、大量に持ち出すには覚悟と度胸が必要でした。救急車の荷台に隠してフランスへ運びこんでいた大物が捕まってしまった時、毎月50フランを300年!払い続ける罰金刑を課せられた記録が残っています。

<女流生産者の重要性> 密造時代以前から、山岳地トラヴェール渓谷の労働は非常に過酷なものでした。男手は全て農作業に取られ、家庭と台所を守る女性達によって密造アブサンは守られてきた側面は無視できません。創始者の一人でもあるHenriette Henriodを筆頭に、その二人の娘であるアンリオ姉妹、叔母と思われる Suzon Guyenetなど、自家蒸留では女性が主役だった様です。近年でも、ラ・マロットから姪のMarta に連なるレシピは、姪娘Jaquet Charrereの手で極少量のみ作られ続けています(Duvallon)。また、<アルテミジア>のクロード・アラン氏が、友人の家系に伝わる叔母 シャルロット・ヴォティエ(Charlotte Vaucher)のレシピに触れて開眼した話は有名ですね。同じクーヴェ村のGaudentia Persozは小規模生産の現代女流蒸留家です。

・ 英語でabsenceは「不在」という意味ですが、仏語でもabsenceは「存在しない」という意味で使われます。この事から規制中のアブサンを「まるで名付けられた時から運命が決まっていたようだ」と暗喩をした人がいるそうです。とてもオシャレな表現ですね。誰の言葉なんでしょうか?

< アブサン用小型蒸留器 > 密造の歴史が長かったヨーロッパ各地では、小規模のアブサン蒸留所や家庭などで幾多もの手造り小型器が秘かに活躍していました。1981年、WHOによるツヨン(※)の含有量限定での「アブサン」名称使用解禁に伴い、そのうちのいくつかはweb上で画像を見ることが可能になりました。(参照

  
家庭の調理ストーブで蒸留可能な小型器、簡単に分解でき気軽に持ち運べる小型器、テーブル・トップの超小型器

Home  <アブサン番外地>

< 解禁?規制緩和!> 1981年にWHO(世界保健機関)が、ツヨン残存許容量10ppm以下(ビター類は35ppm以下)なら承認するという画期的な基準を承認し、徐々に禁止国での規制緩和が始まりました参照。ちなみに、1ppm=1mg/1kg=0,0001%です。しかし、小規模な生産者(元密造者)の銘柄やチェコ、スペイン産が表舞台に出た(多少買いやすくなる)のみという有様で、こんな状態は20年程続きます。

<お楽しみはこれからだ!>1988年に解禁になったフランスでも、需要が無いためか企業レベルでの生産が始まったのは2000年頃からです。スイスで販売が解禁されたのはかなり後で、2005年でした(本家だけに複雑な事情があったのでしょうか?(参照。いかに時代の流れから置き去りにされ忘れ去られてしまっていたかが良く分かりますね。長年培ってきた?ダークなイメージも邪魔になった事と思われます。しかし、今では十分に満足できる銘柄も出揃って「お楽しみはこれからだ!」ですよ。

・とは言え、規制緩和されて30年近くたった今でも、(本場のフランススイスにおいてさえ)モラルに反する非合法品だと思い込んでいる人が大多数だそうで認知度はまだ低いそうです。パスティスの方は普通のカフェなどに置いてあるくらいポピュラーなので「庇ひさしを貸して母屋を取られ」ちゃったんですか?一度でも忘れられるとスポットライトから遠くなるのは芸能界といっしょの様ですね。

<御願い> 現実的に考えると、合法の復活アブサンが最初に流通し始めてから10年しか経っていません。主要生産国スイスで合法化されてからは僅か5年くらいしか経っていないんですね・・名前だけはなんとなく知られている割には始まったばかりで、期待できるジャンルと言えるのではないでしょうか?今後は我が国でも普及し拡がっていくのかもしれませんが、あまりにも多くの偏見や誤解が渦巻いています。特に、目の前にあるアブサンを美味しく頂く方法などは昔の作法だけでは魅力を損ねる事が多いでしょう。しかし、私自身も色々と勉強してみて初めて分かった事です。調べた結果をメモ代わりに書き連ねていったら(一本指打法ですよ)知らない内に以外なボリュームになってしまい、自分でも驚きました。知らなかった分だけ量が増えてる訳ですからドンダケ無知だったんだよッ!て感じですね・・そして何より心配なのは、このページの記述にアホらしいくらい大きな勘違いが点在するのは確実と思われる事です。今までにも何度、致命的なミスや勘違いを直したことか・・・冷や汗もんです。と言う訳で。もし間違いや疑問点、事実に反する事などを発見なさった方がおられたら御指摘下さる事を心から希望しております。お手数ですがこちらがメールへのリンクですので宜しく御願い致します。

< 厳しいアメリカの状況 > 80年以上経ってようやく果たされた欧州での解禁にもかかわらず、ドラッグ王国アメリカの対応は厳しかった様です。2007年3月に合法(輸入可能)となるまで、さらに25年もの年月が必要でした。そして輸入販売するとなると厳しいので有名な政府機関TTB(Alcohol and Tobacco Tax and Trade Bureau)の審査を通過する必要があり、400銘柄以上もあるアブサンの内、許可が降りたものは数銘柄だそうです(2008年2月)。初めての通過銘柄はスイスの“キュプラー”だったとか・・州により事情は異なりますが、個人輸入でなら基本的に可能の様です。

<秘密のシステム>ドイツの某サイトではアメリカにアブサンを内緒で送るための<CAMOUFLAGE SYSTEM>なるオプションを設定していました。ラベルを剥いで(ニセの)ハーブリキュールのラベルを貼って送付し、後に郵便で剥いだラベルを送るそうです。手が込んでますね。規制の厳しい州では必要なんでしょうか?4,20ドルなので良心的?です。

・私が体験した同様のシステムは、北欧のサイトが採用していました。某商品を注文した5日後に封筒が届き、開けてみると商品のラベルが・・・事前に知らされていなかったので???となりましたが、同封されていたインフォメーションに「後からサンプルのふりをした商品が届くから安心してね!」と記されていました.具体的にはコンな内容です。そんな気ないのに、道を踏み外したヤバイ人の気分が味わえました。でも、届いた商品の箱を開けるとバッチリ液漏れしており、ハーブの香りが一面に広がりましたけど・・・闇のシステムのお陰でラベルは汚れずにすみました。

<罪悪感も味の一つ?>規制が長かったリアクションか、タブーを破って飲んでいた人々の中には、ギルティ・プレジャー(罪悪感を伴う楽しみ)が無くなったとアブサン離れする人も目立つそうです。一方、アメリカ製アブサンの生産も始まっており、知る限りでは数銘柄(※)が確認できました。でも、何故かは不明ですが、アメリカのアブサン販売サイトではグラスや器具のみの取り扱いで、今だにアブサン自体の販売はされていない事がほとんどです。2008年10月から、ニューヨーク、カリフォルニア、イリノイ、ルイジアナ、ケンタッキー州などでは販売可能なはずですが通販となると扱いが違うのでしょうか?web上で見つけたのはここ位です。しかし、時間の問題かと思われます。

(※) 現行のアメリカ産アブサンとしては、ニューヨーク州の“Delaware Phoenix”、カリフォルニアの.“St,George”、コロラドの“Leopold Bros”、 オレゴンの“Marteau”、ワシントンの“Pacifique”、ペンシルバニアの“Vieux Carre”など各州からのエントリーがあります。アメリカのアブサンフォーラムでは、自国のニューカマーに対して期待と不安が渦巻く中で熱く語られており、「ついに、この時がきた!」って感じがムンムンです。(2009年10月)

 
左から記述順に勢ぞろいの新大陸アブサン達。

・今世紀になってやっと動き始めた新しいマーケット(アブサン市場)に対して、伝統に縛られる必要の無いアメリカの生産者が革新的な発想の基に大躍進を果たし得ないと誰が断言できるでしょうか?ただでさえ基準が曖昧なジャンルの上に、カルフォリニアワインの例もありますし・・・先端醸造技術には全く問題がないでしょうし、右図の様に北米でのニガヨモギ(Artemisia absinthium)分布状況はきわめて良好です。

<アメリカ市場の重要性>色々なサイトを巡っていると、今後の動向を左右するのはアメリカ市場なのは間違いないと思えてきます。今だ未開拓の巨大市場の上、アブサンに対する(良い悪いは別にして)認知度や興味も高く、輸入制限が緩む可能性も見えてきました。流通業者のロビー活動なども成果を上げているのか、マスコミの喧伝も以外と活発なんですね。対して、ヨーロッパ諸国の先進的なアブサン生産者達もアメリカ市場を明らかに意識した銘柄を続々とリリースし始めています。おこぼれ的にですが、アメリカでの厳しい審査を通った銘柄は日本での正規輸入許可も取得し易くなるとも思われ、国内でのアブサン銘柄充実にも期待が持てますね。アメリカ認可第一号銘柄の“キュプラー”なんかはお馴染みですし・・・・アメリカの状況はこちらを参考にして下さい。

<今でも輸入が禁止されている国々> アブサンの輸入(個人輸入も含む)が禁止されているか事実上不可能な国は今だに多く、とあるサイトで配送不可となっている国は以下の通りです(2009年10月)。先進国では、アメリカと同様に英語圏の国が厳しいようですね。飲酒に厳しい<ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント>が多いからでしょうか?カナダではフランス色の強いケベック州(※)のみOKでした。しかし、(特定の銘柄だけで多少のリスクはありますが)困難で複雑な規制をクリアした画期的なサイトが最近出来たようです。オーストラリアは複雑怪奇な規制と高い関税があり、個人輸入は現実的ではありません。500mlのキュプラーが99$(日本の3倍)もします。参考

オーストラリア、カナダ、ベナン、ブラジル、コスタリカ、グアム、ガイアナ、イラン、ジャマイカ、クウェート、リベリア共和国、モルディブ、マーシャル諸島、モーリタニア、メキシコ、モロッコ、ネパール、ナイジェリア、ノーフォーク島、オマーン、パキスタン、パラグアイ、プエルトリコ、ペルー、フィリピン、カタール、セントビンセントグレナディーン諸島、サウジアラビア、スーダン、スリナム、シリア、ウクライナ、アラブ首長国連邦、米領バージン諸島などですが、イスラム圏などのアルコール飲料の輸入自体が困難な国も多く含まれます。

(※)ケベック州は北米最大の保守的なカトリック教文化圏で、カナダで唯一フランス語のみを公用語とする州です。カナダ連邦政府への反感も根強く、<ケベック解放戦線>によるテロ殺害事件なども起きています。1980年、そして1995年にカナダから独立するか否かの住民投票!が行われ、反対票が約50,6%でギリギリ否決されました。もし3回目の投票が行われたら、新しい国として独立する可能性も高いそうですよ。州都モントリオールでは万博(1967年)やオリンピック(1976年)が開催されているのに、独立を望んでいる人が多いなんて宗教・人種異差などに鈍感な我々日本人には理解しづらい状況ですね。ちなみに、教会の飾りつけが派手で神父(結婚不可)がキリストや聖人を崇めたミサを行うのはカトリック、シンプルな教会で牧師(結婚可)が(キリストが張り付いていない)十字架のみに対して礼拝を行う方はプロテスタントだそうです。

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< ビンテージ・アブサン > 規制以前の本物?のアブサンは入手可能か?というと、お金に糸目をつけない方なら可能です(こちら)。でも100年前後も前の、しかも禁止されていた酒類が手頃な値段な訳ないですよね。“ Vintage Absinthe from the Pre-ban Era” と呼ばれる本物達には値段が付いてない「要、お問い合わせ」品が多く、物によっては信じられないない値段になっていると思われます。

・出土するビンテージ・アブサンは飲食店や富裕層のセラーにおける奇跡的に良好な保管状態で発見される事がほとんどです。つまり、高級銘柄って事ですね。しかし、もっともポピュラーだったと思われる安いカフェやビストロのハウス・アブサンは詰め替え可能な大瓶で納入され、グラスに直接か小瓶(ティペットなど)にて卓上に提供されたのではないでしょうか?そのクラスのボトルの出土例は見たことがなく、1gの小売用ボトルは設定されていなかった可能性も高いです。仮にあったとしても、そんな安物をよい環境で保管する様な酔狂な御仁がいたとは思えません。高級銘柄よりも度数が低く長期の保存に耐えにくい上、法的なリスクも大きかった様ですし・・・ゴッホやランボーが飲んでいた<庶民のアブサン>の残存率は、絶望的な低さではないでしょうか。

    
発掘?されたヴィンテージ・アブサン達の晴れ姿と、50mlで320ドルの1910年 P・F。

<庶民の味方・量り売り> 一例ですが、1890年の初期“ Edouard Pernod ”が50ml (50ccですよ!)で325ドル(約3万円ですよ!)で売っていました。有名な“ Edouard Pernod ”ですから相当お買い得ですが、やっぱり高いですね。貴重な1890年代の初期“Jules Pernod ”は30mlで325ドルと、やや高め。他では1910年の後期“Pernod Fils”が50ml で320ドルなんてのは、かなり安い・・・この銘柄は出土率が比較的に高いからでしょう。比較的容易な“Pernod Tarragona (スペイン工場産)”でしたら50ml で70ドル位という激安オファーもありましたが、一瞬で終売・・しかし、一般庶民が間違いの無い本物を味わえる方法は「量り売り」だけなのかもしれません。

・当店にて保有するビンテージ・アブサンはこちら。もちろん、小分けにて入手しました。

<夢のフルボトル>ならビンもラベルも入手できますが、当然高価です。1950年代(禁制以降)の“Pernod Tarragona (スペイン工場産)”ですら、保存状態が良いと3000ユーロ!です。同銘柄のフルラベル空きボトルはビンだけで350ユーロ!有名銘柄はメールで交渉が普通なので不明ですが、当然の様に50万円超え・・・が多かったです。純アメリカ産で空きボトルだけが現存する“ Butterfly Absinthe”なんかが未開封で見つかったら幾らするんでしょうね?(規制以前の本物についてはこちらこちらこちらこちらです。あと偽造ヴィンテージ・アブサンはこちら

・上記述は2009年頃の状況です。近年(2011年10月)ではeBayなどの影響か相場が崩れ、適正価格に近づいてきた模様・・・以下は値段を公表しており現時点で最も手頃なサイトの最新価格です。“Pernod Tarragona (スペイン工場産)”の外装難ありボトルで828〜452ユーロ。ちなみにこの銘柄は前期、中期、後期に分かれていおり、それぞれ価値が異なります参照。“Pernod Fils”になると、完全ラベル欠損品でも1500ユーロ、ラベルやや欠損でも2500ユーロ。“Jules Pernot”、“Gempp Pernod”などの有名銘柄で2700ユーロでした。しかし、所有しているはずの極上品はアップしておらず、メールで相談的な感じ・・・本来はネット販売する様なアイテムではないので、いささかでも可能性が広がったのは嬉しい限りです。しかし、高い事には変わりなく、飛び降りてもいい清水寺の舞台が用意されたって感じですね。

) 2010/8/3に<ALANDIA>から届いた新着アブサンの御知らせを見てビックリ!アメリカン・アブサン“Butterfly(下右端)”の復刻版ですって・・ Brian Fernald というアブサン愛好家がかつての生産者「P,Dempsey & Co.」のレシピを発見したそうです。しかし、Fernald氏が依頼した先がスイスのクロ−ド・アラン・ブニヨン氏 だったという点には???ですね。現在のアメリカには優秀なアブサン生産者がいるので、そちらに委ゆだねるのが自然な気がしませんか?本国人にやらせろよ・・ピーター氏の手廻しですかね?とは言え、本格的な、ビンテージ・アメリカン系はJadeの“Nouvelle-Orleans”しか有りませんでしたから、貴重な存在なのは確かです。・サンプル品が届いたので試してみたら、下地がしっかりしたミンティーな味わいの個性派です。中身は気に入りましたが復刻ラベルが超ダサいんですよね・・・

        

・ Based in Couvet and in Pontarlier, Edouard Pernod were a first rank producer, the sister company of Pernod Fils. Their absinthe is similar to Pernod Fils in character, but with an additional underlying spiciness, reminiscent of Berger and other Swiss marques.

・ On the nose, anise and the classic Berger "baby-powder" aroma are present, while on the palette the absinthe is warm, rich and spicy. If Premier Fils was the light feminine brand, Berger is the heavy masculine marque. You could imagine smoking cigar with a glass of this.

・Original bottles of Absinthe Premier Fils are far rarer than the equivalent from Pernod Fils and the absinthe itself is completely different - paler, with a wonderfully subtle olive green colour (still amazingly well preserved), with a warm perfumed quality and a hint of violets on the nose.

・ Founded in 1880, H.Bazinet were an important Pontarlier-basd producer whose absinthe commanded a premium price in the 1900's.

<ビンテージ・アブサンの飲み方> 通常の現代アブサンは3〜5倍の加水が推奨されています。しかし、100年以上前のビンテージ物となると事情が異なる様ですね。ほとんどの古銘柄が2〜3倍加水で最高のパフォーマンスを演じるそうですが、ほんの少しでも水が多すぎると台無しになる事例が多発しているとか・・・フランスのベテランからこんなアドバイスをもらいました。『 If you add a little too much water it will become flat and loose all its strength. That's the key thing with most vintage absinthes, they are very fragile and can be easily over-watered.』 ビンテージ・アブサンは長年の瓶内熟成を経ています。加水時の希薄な状態を支えている鮮烈な芳香は、大きな整合感の中に取り込まれてしまうのでしょうか。そして、時を経た古酒だけが持つ、深遠な熟成味を演出する不思議な要素に変貌するのかもしれません。

< Pernod Fils Tarragona > 最もお目にかかる機会が多いビンテージ・アブサンは“Pernod Fils Tarragona(スペイン/タラゴナ・産のペルノー・アブサン)です。主要ヨーロッパ諸国で禁止された後もイギリス、アメリカ、カナダのみならず各国の植民地/領有国参照に居住する白人からの需要は多く、非禁止国スペインで輸出用として製造されていました。1936年〜1970年くらいまで流通していたそうです。日本へも輸入されていた事は各種の資料/カタログなどで確認できますが、第一次世界大戦以降に日本で飲まれていた舶来物アブサンの99%以上が中期以降の“Pernod Fils Tarragona”だったと思われます。

・“Pernod Fils Tarragona”は、「Pernod Fils」が買収(1936年)したタラゴナのEdouard Pernod系「Pernod S.A.」の工場で生産されました。この事は、“Pernod Fils Tarragona”ラベル下の文字列(下画像)に明記されています。輸出用の高級品として造られていたので品質的にも優秀で、現存するボトルのテイスティング評価も高いです。特に第一次世界大戦までの前期“Pernod Fils Tarragona”は禁止以前のレシピで造られており、ちょっと頑張れば味わえる「エポック期アブサン最後の輝き」とも言える貴重な存在です。

< 1912〜1936年 / Pernod S.A.期 > アブサンに対する社会的な圧力が強くなり生産者側の危機感もピークに達していた頃、スイス/クーヴェ村で「Edouard Pernod」を運営していていた Perre Pernod は決断を下しました。スイスで全面的に禁止された1910年に工場が停止した後、1912年にスペイン/タラゴナに「Pernod S.A.」を設立して“Pernod S.A.”をリリースします。「Edouard Pernod」はヨーロッパ以外にも大きな海外市場を持っており、その分を確保する為でした。同じ血筋(Edouard Pernodは御大Henri Louis Pernodの長男)とは言えフランス/ポンタリオの本家「Pernod Fils」社とは袂たもとを別っており、ペルノー家全体の方針とは無関係の独自展開だった様です。旧“Edouard Pernod”のレシピを使用し、男性的で力強い味わいが魅力。広告によるとニガヨモギはスイス産を使用していたそうです。(画像1)

・1930年に就任したジェネラル・マネージャーの Jose M. Banus (ホセ・M・ヌース)氏は1936年の吸収以降も1965年まで工場に在籍し、ラベルに名前が掲載され続けるほどの重要人物でした。この事は、“Pernod SA”の前期/後期、“Pernod Fils Tarragona”が生産を停止した時期を判断する根拠になっています。名前から推測すると恐らくスペイン人ではないでしょうか?35年間も工場を取り仕切っており、この人が後のスパニッシュ・アブサン隆盛に影響を与えた可能性は大きいです。

・24年間も造られていたはずの“Pernod S.A.”ですがビンテージ市場で見かける事は異様に少ないです。分散しがちな輸出専用銘柄とは言え相当数を造っていたと思いますが、知る限りでは出土数5本にもなりません。恐らく、禁止直後の微妙な時期、スペイン内戦による国力の極端な低下、第一次世界大戦によるインフレと輸出先の弱体化、世界大恐慌(1929年)が引き起こした世界的大不況、そして何より最大需要国アメリカの禁酒法(1919〜33年)、など不利な要因が重なり過ぎたのかもしれません。銘柄名の違いによるブランド力の低下も考えられます。そして、アブサンの本場とは言い難い非禁止国の愛飲者達にとって、比較的入手が容易だった銘柄だったと思います。慎重な保管を心がける根拠も薄かったのでしょうか?

・銀座のバー「Y&M Bar KISLING」には“Pernod S.A.”のラベルが展示されている様です(参照。このお店は 「東京會舘」系の老舗名店「よ志だ」と「毛利バー」が合体?した一流店で、巷ちまたに蔓延まんえんしている <自称オーセンティック・バー> とは無関係の正真正銘の正統派バーです。文学/芸術家が闊歩かっぽしていた頃の銀座でシェイカーを振っていたベテランお二人の事ですから、実際に提供していたのでしょう。時系列的に正規輸入していたかは疑問ですが、昔の銀座バーの特別なルートは強力だったと思います。ちなみに、当店には全く普通のルートで小分け入手した数杯分がございますのでお試し頂けます。

1)2)   3)4)5)

< 1936〜1939年 / 前期 > ついに「Pernod Fils」による吸収合併が行われ“Pernod Fils Tarragona”が登場します。やはり、「Pernod S.A.」では輸出のみの運営が厳しかったのかもしれません。当然、この時点から旧“Pernod Fils”のレシピに変更されましたが、50年代からは戦後事情で大幅なマイナー・チェンジが余儀なくされます。つまり、禁止以前の“Pernod Fils”の味わいを楽しめるのはこの時期のボトルだけ・・たった3年間しか生産されてないんですね。最も貴重なタラゴナだと言えるでしょう。ボトル形状は“Pernod SA”から継承された様で、底もグイッと持ち上がっています。(画像3左)

・ちなみに「Pernod S.A.」が稼動していた時期はスペイン史上最大の政治混乱期で、買収された1936年にはフランコ将軍によるスペイン内戦が勃発しました。つまり、「終わりの始まり」であり「不安定な安定」の時期を迎えます。1938年の独裁政権樹立後は深刻なインフレ不況に悩まされ続けてきました。“Pernod Fils Tarragona”が存続した時期(1936〜70年頃)はフランコのファシズム的独裁期(1939〜75年)とはぼ一致しています。今の北朝鮮ほどではありませんでしたが、弱体化した上に国際社会から孤立していたフランコ政権は外貨獲得の為に長期に渡って輸出品への優遇措置を採っていたのかもしれません。

< 1939〜1945年 / 停止 > 第二次世界大戦により輸出が見込めなかったのか稼動停止。ちなみに、フランコ将軍はヒットラーの要請を蹴って中立の立場をとり参戦しませんでした。要請の時期が遅すぎた事や地理的な微妙な位置が要因と言われています。しかし、戦争特需とは無縁になった事から工業技術の進歩が遅れ、結果的に国力の低下を加速しました。

< 1950〜1960年頃 / 中期 > 戦後の荒廃した世界事情は中立国スペインの経済をも直撃し、前期“Pernod Fils Tarragona”の復活を許さなかった様です。ビンは戦時中に生産された物の流用なので色が薄くエンボスもありません。底面もフラットになっていますね。レシピも変更され、より清涼感のある味わいだそうです。ハーブの供給元も以前とは異なっており、ビンテージ市場で最も人気の薄い時期です。(画像3中央)

< 1960〜1965年頃 / 後期 > 最終期にはボトルのエンボスも復活(4)していますが底面はフラットなママです。この時期にもレシピ変更があった様で50年代に比べると以前の味に近いとの事。(画像3右/5) しかし、本格的な蒸留アブサンの需要は激減して行きました。時代の流れには逆らえず前述の Jose M. Banus (ホセ・M・ヌース)氏が工場を去った1965年に実質的に閉鎖となった様です。1805年から連綿と続いた「Pernod et Fils」のアブサンが160年の歴史を閉じました。その後しばらくは各地の卸業者が保有していた在庫品が70年代中頃まで流通していたそうです。

・除々に軟化してきたフランコは「経済安定化計画 (1959年)」を打ち出し、独裁政権にありがちだった統制経済に終止符を打ちます。インフレ抑制、ペセタ(スペイン、アンドラの通貨)の交換性の回復、外国貿易の自由化、国内経済活動の自由化、などアッと驚くほど普通すぎる自由経済を目指しました。新たな経済政策は効を成し1965年から74年までの10年間で平均成長率6,3%を成し遂げ国民所得はほぼ倍増・・・「奇跡の成長」と呼ばれましたが、単に早くやれば良かったのに〜って感じですよね。(参照

< 当時のスペイン・アブサンの状況 >・当店のお勧め銘柄Philippe Lasallaは「スペイン内乱後に最初に復活したアブサン」として有名・・・つまり、最低でも1936年以前に複数のスパニッシュ・アブサンが存在していた事になります。赤いアブサンでお馴染みの「Licores Sinc S.A.」の創業が1964年で、“Pernod Fils Tarragona”存続時にもスペイン国内のアブサン市場が存在していた事が分かります。

< 日本の反応 >・“Pernod Fils Tarragona”の生産縮小で60年代に供給不足気味になった日本においてサントリー・ヘルメス・アブサンの生産が始まったのは1962年7月からでした。日本の文豪や芸術家にとって西洋文化の美のアイコンだったアブサンは他国に比べてもかなり特別な存在で憧れの対象だったのはご存じの通りです。“Pernod Fils Tarragona”の不足に慌てた先進国は日本だけだったのではないでしょうか?

・後期“Pernod Fils Tarragona”は小分けで入手した数杯分がございますのでお試し頂けます。

・ヴィンテージ・アブサン・グッズなどの相場などについてはコチラを参考にして下さい。

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< アブサンの銘柄数?> 解禁後、各国の極々一部でアブサン熱が盛り上がってきている様ですが、販売されている銘柄数はいかほどなんでしょうか?(知る限りで)最も多くのアブサンを扱っている販売サイトには15ヶ国の項目があり、容量のバリエーションも含みますが、スペインだけで99種が購入可能です。フランスが77種、スイスが58種、ドイツ51種、チェコ68種と主要な5ヶ国だけでとてつもない数で、数える気なんか即消滅ですね。一つのサイトで販売している銘柄だけでコノ調子ですから実際はこんなもんじゃないんですね。 AbsintheWiki によると2009年末の時点で400銘柄を超えているそうです。(このページの最下段に様々な銘柄をメーカーごとにリンクしてあります。ヒマな(じゃなくて)興味のある方はどうぞ・・)

・ついでですが、ベルギー/ブリュッセルにある「Floris Bar」は世界最強かもしれません。フランスのアブサン・バーなどとは異なり、オーセンティックな銘柄だけに拘こだわらない貪欲な姿勢・・・世界中から集めまくった圧倒的な量のメニューをご覧下さい。アブサンは300銘柄ものラインナップ!そこそこは揃ってる、と思ってた当店の3倍の量・・・パスティスも70銘柄くらい並べてますね。画像を見る限りでは、そんなに大きな店では無い感じですが・・・でも、ドラムセットが常備されてるみたいで、ライブもやってるんですね。楽しそう・・・他の画像を見ていると、ヨーロッパでは日常的なパブ的飲酒文化が伺えます。なんと.卓上におつまみ類が一切写っていません。飲み物と灰皿だけ・・・意外とハード・コアな指向性なんですね。しかし、店内のフレンドリーな一体感はとても良い感じ。多少は気取らざるを得ない日本のバーでは有り得ない空気感です・・・

   

Specialities to be tested, the Czech version that consists of burning and then sipping the absinth, or the traditional French version that comes with its famous fountain. In all, there are no less than 300 varieties on offer, some of which reach 80degree, In the kingdom of the absinth, the drinker is king.

ブリュッセルといえば、一番最初のアブサン企業 「Dubied Pere et Fils」の広告看板(上右)に、クーヴェ、ポンタリオにならんでブリュッセルの文字が記されています。画像の左下です。フリッ・デュバルの名やキルッシュワッサーの表示と共に、当時の状況を表す重要な証拠物件として見逃せません。イギリスへの輸出重要拠点だった様で、近代アブサン創世記に重要な役割を果たした都市なんですね・・・当時の事情はこちらです。今も昔も生産者は皆無に近いですが、このエリアにアブサン愛好家が多い地理/歴史的な要因かもしれません。同じベネルクス圏のオランダ生産者がかなり高品位なアブサンをリリースしている参照のも納得できますね。

< 新趣向 > 最近、見かけるのが新しい色のアブサンです。赤は珍しくありませんが、黒いのが国内でも2銘柄入手可能です。青とか紫のエグい色のアブサンはスペイン物に多い様ですね。成分の色というよりは色素による着色のようで<緑の美神>としてのアイデンティティーは何処へ?と思ってしまいますが、バーなどで話の種になるので便利なのかもしれません。海外ではリキュール産業の一分野として差別化戦略を考える必要が生じる時代にまでなった!という事でしょうか?個人的には<緑の美神>のままでいて欲しいんですけど・・・

・「Red Absinthe existed in the Belle Epoque as well. This Absinthe is naturally colored with flower extracts.」と言う記述を見つけました。赤系は昔からあったようです。でも、この頃は今と違って人工着色じゃなかったんですね。下の図は1900年頃のロ−ズ・アブサンの広告ポスターで<This is the only know historical reference to a rose absinthe.> との事です。バラの色素で色をつけてる様でオシャレですね。当時のパリジェンヌ達はワクワク気分でピンク色のドレスを買いに走った事でしょう。一枚上手の淑女はバラの香水を忘れません!

・現代のカラフルなアブサン達は着色しまくりですが、昔のロ−ズ・アブサンを無着色で再現した銘柄もあります。ハイビスカスの色素でナテュラルに赤い“La Maitresse Rouge”です。無加糖でも充分な甘味を引き出しており志の高さが伺えますね。さすがは「Emile Pernot」です。以前に出していた“Un Emile Rouge”のボトル違いかもしれません。共に限定銘柄で、今となってはA級レア・アイテムです。もう一つは、1589年に創業したドイツの「Neuzeller distillery」がリリースする<花のアブサンシリーズ>の一品、“Neuzeller Neue Liebe”です。バラの蕾つぼみを使用して深紅な色合いとホロ苦く甘い風味を出す事に成功しています。他にはハイビスカスとリュージョン(Worry flowers)版があり、ドイツならではの個性的な銘柄達ですね。

・他は人工着色がほとんどですが、いアブサンは意外に多く美味しい銘柄も少なくありません。当店にあるドイツのTabu Red"などは隠し弾的お勧め銘柄で結構人気があります。「赤いアブサンにハズレなし」との意見もありますが、本格アブサンとは違う筋の存在としてならば個人的には一票入れちゃいますよ。それにしてもスペインの「Licores Sinc S.A.」のアブサンが、当然の様にだけなのは何故なんでしょう?有名な<Serpis>シリーズの事です。“Serpis Yellow”なる黄色いヴァージョン(下左)や緑も青もあったようですが、今はのみ・・・なぜ?アブサン業界七不思議の一つです。それに加えてペルノー社のタラゴナ工場が生産を止めたと言われる1年前の創業(1964年)なのも、チョッと気になる生産者です。

・スペイン産のに関しては、もう一つ。日本でも比較的知られている“NS”シリーズなんですが、正式には“NS 55”という銘柄はいアブサンの方なんですね。緑色の銘柄はバリエーションで、“NS 55 Verde”、“NS 70 Verde”が正式名称の様です。しかし、多くのサイトでは緑の方がポピュラーなのでVerdeの文字を略し、逆に“NS 55”の方を“NS 55 Red”と呼んでいるんですね。上記と同様に、い方が基準銘柄名になっているのは何故なんでしょか?まさか、闘牛で使う布(ムレータ)の色がだから?ラテン的メンタリティーでは「男はだろっ!やっぱよ〜しか無えじゃん!」って事じゃないでしょうね・・・・参照)

・最近、ビンテージ・リカー専門店から1930年代後半のオールド・レッド・アブサンのオファーが届きました。オリジナル・ボトルの500ml入りで895ポンドでした。10万円超えですね・・「Red absinthes have a long tradition in Spain, one brand, called Serpis, is still made today.」との興味深い記述があります。

・そう言えば、19世紀にはバラを使ったローズ・ダイエット(何をしたの?)が流行したとか・・ ギリシアの女性詩人サッフォー、皇帝ネロ、クレオパトラ、ルイ14世、ポンパドゥール夫人、マリーアントワネット、ナポレオン皇后ジョセフィーヌなどバラの魅力に取り付かれたトレンド・ヒッターの数は限りがありません。なんと言っても、 愛と美の女神・アフロディーテ(ヴィーナス)が海の泡から出現した時、バラも一緒に生まれたと言われていますから超無敵です。さしづめ<ピンクの美神>と言った所でしょうか。(ボッティッチェリの有名な絵にもピンク色のバラが生まれ散る様子が描かれています。)

      
左は“Serpis Yellow”、次は“Rosunette"で可愛らしいラベルですね。それにしてもコルセットの締めすぎでは? さらにやりすぎはコレ・・・

< アブサンティアーデ > 近代アブサン発祥の地、ポンタリオ市では、2001年から毎年10月頃に『アブサンティアーデ(absinthiades)』と言うアブサン祭りが行われています。web上の画像を見る限りでは町起しのお祭りみたいな印象で、とても手作り感の強い身内乗りな催しの様ですね。タキシードを着た人なんかいません。大手企業介入の無い小規模イベントならではの良い雰囲気で、「皆で、アブサンを盛り上げていこうゼ!」って想いが熱く楽しく伝わってきます。即売会の映像を見るとポタポタ涎よだれもののアイテムが目白押しで、思わずワープしたくなります!(会場の情報や2009年のコンテスト・チャートはこちら・2008年までは浸透法を加えた3部門でした)

・『アブサンティアーデ(absinthiades)』のコンテストでは、専任審査員(10人)専業者・消費者から抽選で選ばれた希望者(24人)を加えた36人による2部門(Blanche/Coloree )の試飲選考が行われ、獲得ポイント上位4銘柄に、最高賞、金、銀、銅の賞(スプーン)が与えられます。優秀な小規模生産者の参加も多く、ヴァル・ド・トラヴェール周辺の価値観ながら水準値は相当に高い様です。しかし、地域性が強すぎるためかエントリー数も少なく、有力な高品位銘柄の多くが不参加なので国際的な権威づけの根拠は薄いかとも思いました。特定生産者の入賞が続くなど「気持ちでポイントを取る」傾向もある様です。< I・W・S・C(インターナショナル・ワイン・スピリッツ・コンペティション)>や <San Francisco World Spirits Competition>の様なシリアスさは望めず「愛好者達による品評会の域を出てはいないのでは?」と感じます。日本国内の販売サイトなどで権威付けの材料に利用されている事が多いのですが、狭い範囲の価値観を絶対視するのはどうなんでしょうか・・・(アブサンティーアーデの実態についてはこちら

<Blanche>は最後のカラーリング・ステップを行わない透明なタイプで、La Bleueや蒸留直出しのシリアスなタイプです。<Coloree>は蒸留後にハーブなどで色づけや香り付けをする造り方で、ほとんどのアブサンは<Coloree>に含まれます。

・その他の催しとして、スイスのトラヴェール渓谷(Val-de-Travers)にあるボバレス(Boveresse)という町で、毎年6月に行われるLa Fete de L´Absintheというお祭りがあります。コンテストは行われていないようですが地元や近郊のアブサン関係者の交流の場になっている様です。野外で開かれる展示会を兼ねたオープンなパーティといった印象ですが、つい最近まで○○だった蒸留職人達の間で交わされる会話はさぞかし深遠な内容かと妄想が膨らみます。かつての密造エリアの催しですからね・・写真ではLa Bleue(前述)のオンパレードで、こちらもポタポタ涎よだれ的な風景です。ボバレスは震源地クーヴェ村から2Kmほどの近所です。

・『Cherry Festival』は、<フレンチ・アブサン第二の地>として有名なフジュロル(Fougerolles)村で毎年7月に催される祭りです。ポンタリオの北でドイツ国境に近いキルシュ(サクランボ蒸留酒)の名産地としても知られる地域で、ブドウ以外の蒸留酒として唯一AOCを得る!快挙を成し遂げました(2010年5月5日公布)。4軒ある蒸留所のうち3軒がアブサンを生産しており、コンテストではアブサン部門も設けてある様です。グレープ・ブランデーをベースにした高級銘柄が目に付くのは蒸留技術に関しての独自の流れを持つからでしょうか?トップクラスの銘柄を排出し続けており、目の離せない生産地です(参照)。

< アブサン百科事典  > <ヴァーチャル・アブサン・ミュージアム>の監修で、アブサン百科事典とも言い得る 『A Guide to the Lost World of Absinthe and La Fee Verte』 が出されました(2008年末)。1000近くの図版を伴う362ページもの英語本です。今までの(フランス語の詳しすぎて使いづらい)研究本とは異なるアプローチの決定版的図鑑で、アブサンとその周辺の総合的な知識を「重箱の隅」まで穿ほじくり返した「マニアのマニアによるマニアの為の」必須本です。私はマニアじゃないので資格がありません。でっ、でも、買わねば・・・・

・やっ、やっぱ買いました!スゴイです!『ヴァーチャル・アブサン博物館』がそのまんま本になった感じで、とてつもない情報量にタジタジです。図版の量が多すぎて目が眩みそう・・・目くるめく錦絵巻。本の方が見やすくて良いですね。内容と構成はサイトとほぼ同じなので、気になる文章がweb上で手軽に翻訳できる点は他のアブサン本では有り得ない大きなメリットで助かります。赤線も引けるし・・・もったいなくて引けませんけど。

  

・他には、フランスの女流アブサン研究家 マリー・クロード・デゥエラ (Marie-Claude Delahaye)が著した『L' ABSINTHE,』という本もあります。300部限定とか・・・1983年に出版されました。現代アブサンが復活する以前、アブサンが幻の酒だった頃の研究成果ですから、大変な女傑ですね・・・学術的視点を伴った初のアブサン歴史書だったそうです。画像で見る限り、意外とボリュームのあるハード・カバー本に見えますね。今では簡易装丁で248ページの『L' ABSINTHE, histoire de la Fee verte 』として再販されているようですが、販売終了したのかアマゾンなどで100j位で売っていました。手下の画像はオリジナル本です。eBay などの出品では600jからのオークションだったので、相当なプレミアが付いてますね。その後も数多くのアブサン本を出版していますがフランス語なのでお手上げ状態・・・

・研究/執筆活動のかたわら、ゴッホが最後の時間を過ごした場所として有名なパリ北部郊外のオヴェール・シュル・オワーズで私設アブサン博物館( Musee de l'Absinthe )を運営しています。そして、博物館監修のアブサン銘柄には、神秘学的傾向を想像させる「叡智の目」が・・・彼女がアブサンに興味を持ったキッカケは、1981年に骨董店で入手した一本のアブサン・スプーンだったそうです。

  

< 昔の映画 >などでは、普通の人のふりをした正しいクセ者や信念を曲げない素敵な女性の愛飲酒として登場する事があります。ジャン・ルノワール監督(画家ルノワールの息子!)の作品『フレンチ・カンカン(1954)』冒頭で、ムーラン・ルージュの初代小屋主シャルル・ジドラー(ジドレ)を演じるジャン・ギャバンがさりげにキメるシーンは超クールですよ。歌姫エディット・ピアフも出演してて超サプライズな一本!しかし、なんといっても本場の信奉者に評価の高いサイレント映画の4本は、正に世紀末リアルタイムで撮影されており、アブサニストのバイブルと言っても過言ではありません。アブサニスト有志の手でDVD化され、4in1版が25ポンドで販売されています。『La Bonne AbsintheLes(1899)』、『Victimes de l'alcoolisme (1902)』、『Les Victimes de l'alcool (1911)』 、『Absinthe(1913)』です。

・後日、購入しましたがリュージョンが違うので日本のDVDプレイヤーでは見れません。PCなら可です・・・ジャケットも何も無い透明なプラ・ケースに入っている完全手作り仕様(盤面プリントはあり)で、友達がダビングしてくれた感じのブツが届きました。もちろん無声映画ですが、この手は私の得意ジャンルです。コマ間に余計な妄想を膨らませつつ震えながら見ました。字幕がフランス語なので全く理解できない点も飛翔力を授けてくれます。無声映画好きのアブサニストは必見!人数が少なそうなくくり方ですね。(一緒に頼んだアブサン資料のデータ集は、さらに一枚上手のスゴさて、ディスクにマジックで手書きしただけのCD-ROMでした・・・)

ABSINTHE - 1913
Produced by the Gem Motion Picture Company
Starring Glen White and Sadie Weston

・「エイリアン4」で有名な鬼才ジャン・ピュエール・ジュネ監督が1989年に撮影した、レトロ映像モノクロ短編 『FOUTAISES(僕のすきなこと、嫌いなこと)』 にも飲む場面 が出てきます。冒頭から2分半くらいのシーンで一瞬ですけど・・でも、これはパスティスかもしれませんね。ヌーヴェルヴァーグ風に撮っていてプチ面白いです。フランスの伊達者達には未だにコノ感じが継承されている事を感じます。題名をクリックして、約7分間のトリップをお楽しみ下さい。

・最近では、先述の レオナルド・ディカプリオ主演の『太陽と月に背いて』、他にはジョニー・デップ主演の『フロムヘル』や二コール・キッドマン主演の『ムーラン・ルージュ』が有名ですけど、コマ間の含蓄が無い現代天然色映画には興味が無いです・・しかし、ジョニー・デップがアブサンを飲むシーンは時代考証無視で、視覚効果のみを優先したハシタナイ演出にはあきれ果てました。こんな事が要因になって「アブサンは火をつけて飲むのがカッコいいんだぜ!」って人が増えちゃったなんて・・・歴史絡みのシーンには時代的根拠があると思うのは無理も無いので、観客側には責任はありません。提示する人達が持つべき品位の問題です。世界中で優秀なアブサンが燃され、台無しになっているかと思うと悲しいです・・・

<映画、文学、漫画などにも登場している例はこちら>  <古今東西のアブサン好き有名人はこちら> <最近のアブサン映画はこちら> 

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さて、ここからはアブサンの飲み方や器具についての紹介です。

「いろんな飲み方があるんだよね。」「今日は傘ポタでもやってみようかな。」

< 飲み方 > 基本的には冷水で割りますが、アブサンスプーン(1)と呼ばれる専用器具を使った由緒正しい飲み方はこんな感じです。アブサンを適量入れたグラスの上にスプーンを渡し、角砂糖を乗せます。この上から水を少しづつポタポタ垂らし(2)て、透明なアブサンがモワリモワリと白濁していく(3)のを楽しみながら錬金術師気分で呪文を唱となえ、角砂糖を崩し落とします。後は程良く掻き混ぜて下さい。これが本来のボンソワールでジャン・ギャバンかつエトワールな飲み方で、ラ・ルーシュ(La Ruche)と呼ばれる作法です。ラ・ルーシュとは「蜂の巣」の意ですが、アブサンスプーンの形状からの連想命名でしょうか?(「呪文を唱となえ」の部分はウソですよ。まさか信じた方はいないでしょうね・・・が、ついヤリたくなります。錬金術については、こちら

(伝統的作法の動画はこちらと、目がイッちゃってる飲み手はこちら

(1)  (2)  (3)

・しかし、アブサンの処方や嗜好性が大幅に変化した事を考えると、上記の伝統的な作法ラ・ルーシュが今でもベストなのかどうか疑問も残ります。つまり、甘くなりすぎる場合が多い様な気がするんですね。という訳で初めて試す銘柄には角砂糖を使わない方が良いかも知れません。甘味を加えるのは後からでも可能ですから。

・しかし、せっかくの機会に伝統的な作法を体験してみたい方もいらっしゃるかとも思います。その場合は、あまり掻き混ぜ過ぎない様にして味を確認する方法がいいかもしれません。下に残った砂糖は最後のデザートとして楽しみましょうか?いずれにしても、呪文を唱えるのは忘れないで下さい・・・あっ、下らないウソだって事はカミング・アウトしたばっかでした。

・古典的作法のバリエーションとして、<グラス・イン・グラス>なる手法もありました。大きめのグラスの中に立てた小さなグラスにアブサンを入れ、水を注ぎ溢れさせると、大グラスにて乳白色の水割りの出来上がり・・・と、???な感じですが、手軽に出来る見た目の面白さで流行っただけのお遊びなんでしょうか?それとも日本人には分かりづらい、深い啓示が・・・んっ!<神霊の流出>を表現していると見えなくもないんじゃないですか?つまりヘルメス神秘学の教義を現出させた小宇宙を、自ら飲み干さんとする「壮大にして厳粛かつ神聖なる行為」ってこと?まさかね・・(<神霊の流出>についてはこちら

    
砂糖は使わないタイプの作法です。グラスの脚までお揃いでカワイイですね。

ロックストレートでのご所望も少なくはないんですがその飲み方ではアブサン本来の魅力は絶対に引き出せません。単一材料の蒸留酒とは組成も由来も全く異なります。それ故に禁止される100年以上も前から独特な飲み方が確立していました。何と言っても水で薄める過程での香りや味のドラマティックな変化こそアブサンならではの得難い魅力だと思います。もちろんどんな飲み方でも完全にその人の自由ですしそれなりには楽しめるでしょう。習慣化した飲み方には安心感もあると思います。しかし、アブサンの様な特殊な飲み物に関しては正しい飲み方を体験したうえでの個人的選択である事が望ましいのではないでしょうか?

・スポーツ前のウォームアップを欠かさない慎重タイプの方にはアブサン・カクテルをお勧めします。「急がば廻れ」って言いますしね・・・当店お勧めの飲み方はアブサン・ソーダ・フロートの「エンジェルズ・フォグ」です。氷入りの炭酸にアブサンを浮かしてスプ−ンを添えてお出しします。見た目の楽しさと初めての方でも(比較的)wellcomeな飲み易さがポイント!安い価格帯の本格的ではない銘柄がソーダの酸味とのマリアージュ(はっ、恥ずかし〜)意外な美味しさを発揮してくれます。ソーダ以外でもジンジャエールトニックコーラも楽しいですよ。「オレンジ・ジュース割り」も比較的ポピュラーな飲み方です。

・「アブサン・ビヤ」も気軽なトライにはいいかもしれませんね。ちょっとだけ濁る感じも気分ですし、強引な清涼感も魅力だと思います。全然ポピュラーな飲み方ではないですが、試しに作ってみた「ミスト」は超お勧めです。同量の水で割ってシェイクしたアブサンをクラッシュ・アイスに注ぐと、美味しさを損なわずに清涼感と飲み易さが得られ本格銘柄の美点も活かせると思います。儀式は無しでも良い方、いかがですか?あと、×だと思っていた「お湯割り」なんですが、以外に◎だったのにはビックリしました。本当ですよ!

< アブサンを燃やしちゃうんですか?> ちなみに、角砂糖に染み込ませてを点けるやり方はHill's社(チェコのアブサン・メーカー)のセールスマンが1990年代後半に始めたパフォーマンスである事が確認されています。アニスを使わないため白濁がなく味わいも乏しかったチェコ製疑似アブサンの販売促進の為に考案されました。カフェ・ロワイヤルを真似て行なった様で、ボヘミアン・スタイルとかチェコ・スタイルとか呼ばれています。法規制以降どころかつい最近考案された伝統・風習とか味覚向上とは全く関係の無い営業用パフォーマンスに過ぎません。まぁ、安めチェコ系擬似アブサンの人工着色&甘味料バリコテ銘柄を飲む時になら逆にOKだと思いますが本格的なアブサンだったら台無しです。しかし、この冒涜行為は某クソ映画のワン・シーンで某有名俳優が行ったせいで無駄に広まってしまいました。良心的なアブサン業界者達の嘆きの種になっています。

 もし、web上でアブサンの着火儀式を推奨/肯定しているサイトやブログに出会ったら・・・アブサン関連以外の記述も信用には値しません。記述者の知識と見識の程度が露見しちゃってますから・・・今時なら簡単に調べられる程度の事です。まともな検証もなしに<気軽にコピペ&ホイホイ継ぎ接ぎ>して目を引く記事をでっち上げたに違いありません。少なくとも外部に発信するからには情報の是非を確認して内容に責任を持つ姿勢は最低条件ではないのでしょか?それにしたってジョニー・ディップ主演の奴なんか時代考証的には恥ずかしいくらい有り得ない内容なんですよ。どうせを着けるならならハートに火を付けて下さい。

・ハイ、「ハートに火を付けて/LIGHT MY FIRE」ときたら、このバンドですかね・・私が始めて買った外タレ(死語?)のレコードがドアーズのマトリックス・ライブ(1967年)海賊版でした。正規版がなかなか手に入らなかった大昔(70年代)の話です。後で知ったんですが初ライブだったらしく、ドロドロしたヤバいムードと幻聴感が満載で、超アシッドかつドン底ノワールな一枚です。この後に聞いた正規版の音は、スッキリまとまりすぎで物足りませんでした。この1967・マトリックス・ライブはCDでも何種か出ましたが、別マイクなのか、デジタル処理のやりすぎなのか、<大切な何か>が欠け落ちた×物。20世紀以降の音楽を決定づけた<録音>魔術の、例外的な好例かと思います。個人的にはドアーズはこの一枚があれば充分。彼らのリアルな存在感はこのアナログ海賊盤にしか入ってない!と断言しちゃってもいいくらい突出してると思います。それなのにコノ海賊版には肝心の「ハートに火を付けて」は入ってません、というオチなんですけど・・・

  
自分とシェフ所有の2枚しか見た事名無い海賊版と、永遠にお休み中のジム・モリソン

・ジムのロック的血脈を1%だけ継いでいると異様に評価の高いロック芸人でマリリン・マンソンという人がいます。演技の前にアブサンをボトル半分空けてからステージに臨むと豪語しているらしいですが、「今時のシナリオ・ロック・ショウなんだから酔っ払ってたら間違っちゃうよ。どうせバレバレなんだから2〜3本空けるぐらいの駄ボラは吹いて欲しいもんだ・・」と思うのは私だけでしょうか?でも、マンソン・ブランドのアブサンが出てるんですね・・・内容も素晴らしく、スイスNo1生産者と2年にも渡る試行を経てリリースされました。しかも、国内購入も可能なんです。本物のアブサニストだったんだね!マリリン・すまんソン・・・

  

・今後のアブサン業界の発展を担う<LdF>の様な流通業者などは、このボヘミアン・スタイルに対して当然ンの様に拒否反応を示しています。Q&Aのページには「危険なだけでなく不快な焦げたキャラメル味が好きな人以外には、何一つ良い効果を与えません。」との記述があります。

Q : I've seen people setting fire to the sugar on their absinthe spoon before plunging it into their glass - is that traditional?

A : No!
The French certainly never did this in the 19th century - can you imagine the results of several tens of thousands of Frenchmen setting fire to their drinks during the Green Hour? There would not have been any cafes left standing in Paris!
This 'ritual' was created as a marketing stunt in the late 1990's and has been unfortunately accepted by many as an historical fact, especially after being incorporated into some modern films about the Belle Epoque. It does not increase any 'absinthe effects' and only serves to add an unpleasant burnt caramel taste to your drink. Your glass may also break apart due to the heat, and send flaming alcohol across your table or down your arm - so be warned!

・有力なアブサン・フォーラム「The Wormwood Society」などは、わざわざ「アブサン着火、反対」のシールまで作ってアピールしています。フォーラムの投稿にも「幼稚なガキの遊びだよ!」とか「本当のアブサン好きなら、一回試したら恥ずかしくなるはず。オレはやった事ないよ!・・・ごめん、嘘です・・でも、一回きりだよ。」とか「野蛮人の侮辱行為」とか、なにしろ超拒否ってますね。でも、デザインは激ダサだと思いませんか?

'No Absinthe Burning' logo courtesy of Hiram: The Wormwood Society


試しに画像をクリック

それでも、どうしても、誰が何と言おうと、絶対に、アブサンにを点けてけて飲んでみたい方々がいらっしゃる事でしょう。まぁ、自分で購入したものをどう扱おうとその人の勝手ですから人に文句を言われる筋合いはりませんよね。とは言え、どんなにイレギュラーな冒涜行為であろうと上手なやり方が存在します。ちゃんと手順を守らないと友人が見守る中で大恥をかいてしまうくかもしれません。一応ですがこちらに必勝法を書いておきましたので興味のある方は参考にして下さい。

<角砂糖はお使いになりますか?> 一番最初に紹介しておきながら何ですが、伝統的な角砂糖を使った飲み方には少しだけ疑問があるんです。最初期のアブサンは無加糖の薬用酒で苦味が勝った味わいだったと思われますが、嗜好品として流通したベル・エポック期には無加糖の高級銘柄でも多少甘めに処方されていたはずです。しかし、昔の食料事情を考えると糖分の供給は十分とは言えず、甘味に対する欲求が現代人より強かった事は間違いありません。糖分不足は生存に関わる問題でもあり、健康を維持する薬の様にも使われていた程ですから・・・なにしろ甘くしたくて必要以上に砂糖を使ったのではないでしょうか?産業革命以降、砂糖が手に入りやすくなった事情も助けたのでしょう。

・恐らく、当時の苦過ぎる薬用酒を飲み易くしつつ糖分を補給する習慣があり、それが継承され定着したのかもしれません。あの形状のアブサン・スプーンが使われ始めた時期は何時頃なんでしょうか?医療用に似た器具があったのかも・・・各大手アブサンメーカーも角砂糖の使用を推奨していましたし、見た目の面白さや儀式性も手伝ったのでは?と推測しています。下左端は1910年に撮影された写真の一部ですが、大きい砂糖を3個も乗せててグラスの容量に対して多すぎ!右端の人も多すぎだろッ!無料だったんでしょうか?それにしたって牛丼屋の紅ショウガじゃないんだから・・・でも、こんなに乗っけたら砂糖は溶けきらないに決まってます。角砂糖が全まったく登場していない写真やイラストの方が多いので、そこまで苦かったはずがありません。当時を題材にした映画を見ると、砂糖越しにザッと水を垂らし適当にチャッチャッと混ぜてグイッ・・・エスプレッソ的にジャリジャリした砂糖を最後に楽しんでいたのかも・・・ 

・現代では低価格帯アブサンは加糖してある場合も多く、高級銘柄の多くは無加糖でも充分なバランスを持つので苦すぎません(参照。現代アブサンのほとんどは角砂糖を加えると甘すぎになるのでは?とも思いますがどうでしょうか・・・様々な事情を考慮すると、苦めのアブサンだけに小さな角砂糖を使うのが現代の作法としての正解?なのかもしれません。こんな記述も見かけます。

「Absinthe spoons aren't very useful anymore !」( アブサンスプーンって、あんま使わなくねッ!参照

     

・と云う訳で、当店では最初からは角砂糖を使わない方法で提供しています。初めて試す銘柄に砂糖を加えて甘くなりすぎたら取り返しが付きませんから・・・横にミント・シロップを添えてお出ししていますので、加水後の味を試してみてから加えて下さい。もちろん、アブサン・シュガーも用意してあります。お試しになりたい方は申し付けて下さい。苦い銘柄をお選びの方には自然と付いてきます。

<アブサン・シュガー> 専門品として売っているアブサン・シュガーは何が特別なのでしょうか?よく見るのは、普通の角砂糖を二分割したキャラメル型です。それを二個縦に並べ、オシャレな薄い紙に包んだドミノの様な形で売っています。普通の角砂糖一個の量では甘すぎる時には半分のサイズは意外と便利ですよ。形成時のプレス圧も弱めに設定されているそうで、水に溶け易いのも大きなポイントでしょう。でも、やっぱり専用のアブサン・シュガーを使ってるという小さな満足感があり、アブサン儀式がより楽しくなる事が最大の役割なのかもしれません。一回、10円しないくらい(当店では無料)のサプライズです・・・

・ちなみに角砂糖は、1841年南部ボヘミアの砂糖工場の指導官によって発明され、1843年に商品化に成功した、という説が有力です。意外な事にチェコなんですね。後の1870年代にドイツで量産可能になり、ヨーロッパに広まります。ちょうどアブサンの大流行と足並みを揃えるようなタイミングで、かなりオシャレなニュー・アイテム同士だった事が想像できます。写真やイラストなどで普通に描かれている事から、全盛期には使われていたのでしょう。それにしても、今の様に安価で日常的なな商品とは考えづらいですね。庶民がどのようなモノを使用していたかは分かりませんが、従来の岩砂糖(下記)を粉々に粉砕して使っていたのかもしれません。塊のままでは絶対に溶けきりませんから・・・

・18世紀の初頭、イギリスの輸入品のうち約4割が砂糖で占められるほどの重要なアイテムだったそうです。続く産業革命による砂糖の量産化は画期的な出来事で、18世紀から19世紀にかけての百年間に砂糖消費量は8倍に膨れ上がり人類の糖分不足がようやく解消され始めます。一般的に岩の様な塊で流通しており、ノミと金槌で粉砕したり専用のペンチ(下画像)で崩し取っていたそうです。角砂糖が登場した19世紀中頃、真空結晶缶の発明や遠心分離機の導入で精糖業界は革命の最中でした。

  

<はどれ位入れるの?> (もう一度同じイントロで失礼します。)一番最初にお勧めしておきながら何ですが、コレも又、難しい問題です。一言でいえば、カルピスを飲む時と同じ様に考えるのが分かりやすいのかも知れません。濃すぎるとうっとおしいし、薄いと物足らない・・本来は気軽な清涼アルコール飲料だったので思ったより薄めにするのが良いかも・・・無理なく飲める感じをイメージしてみて下さい。そう、本当の通はエッ!て感じまで薄めてゴクゴクなんです・・・ジャン・ギャバンで粋な飲り方ですね。海外の動画を見ていても、道具や設定に筋が通っていて動作が手馴れているベテランのほとんどが4〜5倍に薄めて作っている様な気がします。そんな人に限ってソーサーを当然の様に敷いており、あまり見た事ないグラスや草臥くたびれたスプーンだったりするんですよね・・・はい、明らかに全部が当時物です。あまりにも普通に使ってらっしゃいます。

・フランス人の日常的アルコール濃度をワインが基準だと勝手に仮定すると(参照)、68度のアブサンは大雑把に5〜6倍の水が適当なのかもしれません。やはり、専用グラスは良く出来ていて、特殊なグラスじゃなければ1doseに対して八分目までの水が適量なのではないでしょうか。メーカー・サイト上では3〜5倍を推奨している例が多い様に思います(例・ As a serving guide, mix with cold, still water at a ratio of 1 part absinthe to 2 to 5 parts water.)。

 ・しかし、当時とはアブサンを飲む理由や嗜好性が違うのも確かでしょう。アブサンに纏まつわる様々な逸話・妄想もツマミの内ですから、より強いインパクトを期待する方は濃い目で試されるのもOKですし、ストレートやロックで飲まれるのも、その方の自由です。今では、ロック専用の銘柄もありますしね。でも、標準的な濃度も試して頂きたいと思います。多分、その方がアブサン君が長く付き合ってくれるのではないでしょうか?

<氷は入れていいの?> 製氷技術自体は19世紀後半には実用化されていた様ですが、ベル・エポック期でも氷自体は日用品と言うほど安価ではありませんでした。当然、昔の作法に準じると不必要になりますが、氷が身近な存在だったら使ってたと思います。あんまり難い事は言わずに入れちゃいましょう。日本人は氷の清涼感を異常なくらい愛していますから・・・カキ氷なんて食べ物は他の国にはありません。だだ、加水以前だと製油分子の微粒化を妨げる様な気もしますし、冷たくなる事で香りの放出も弱くなります。ですから、濃い目に作った状態で香りと味を充分に楽しみ、満足したら1〜2個の氷を入れて飲み易くするのがお勧めです。逆に、香りを重視する方にはお湯割りを進めします。冗談ではありません。本気ですよ・・・ある種の銘柄を程よい温度で作れた時、力強い芳香オーケストラが現れて予想外の感動を誘います。「目からウロコが落ちる」驚きの美味さ!力のある銘柄に限りますが、本当なんです。

・冷蔵庫/冷凍庫/製氷機などの歴史についてはこちら

<彼らは何故 ポタる のか?> 「アブサンを水で割るだけなのに、なんでカッコ付けてポタポタ垂らす必要があるの?普通の水割りみたいに作っちゃだめなん?」という当然の疑問がわいてきますね。二つの理由があります。

・一つは「せっかく白濁するんだからアブサンならではのファンタジーを楽しみたい」ってことですね。少しづつ加えて白濁が渦を巻いていく様子を眺めるのは楽しいです。当時の人々が透明な液体が白濁していく様さまに、神秘的な世界が手元にある悦よろこびを感じていた事は間違いありません。科学と迷信が同じ皿に盛り付けられていた時代、この現象は特別な印象を与えた事でしょう。白濁の変化を楽しむ為の専用グラスも造られていました。下画像の左端はアンティークの本物で他はレプリカ品、こんな感じの風景が展開します。そして、現代では美しい白濁を伴う銘柄に対しては高い評価がなされ参照、高品質の証あかし)でもあります。

)「Distilled 法」で造られる高級品の中には神秘的ともいい得る美しい白濁を見せる銘柄があり、えもいえぬ色合いや霧の様な奥深さには引き込まれるような魅力を感じます。新しい銘柄を試す時のワクワクする楽しみの一つで、期待以上の美白濁には思わず「やられたっ!」と口走ってしまうんですね・・・「Mixed & Macerated 法」による普及銘柄とは違い、蒸留行程による精油成分の溶解なのでアルコール内での分布状態が異なるのでしょうか?

・代用品であるパスティスも白濁するのにアブサン独特の作法が継承されなかったのは何故なんでしょう。それは恐らく、白濁の質の違いが直接的な原因なのでは?と想像しています。浸透法で造られ度数も弱いパスティスには、本格アブサンの持つ深遠で濃霧の様な深みなど望むべくもありません。ただ濁るだけの安価な飲み物はウゾやラクなどと変わらないアニス酒の一種に過ぎず、神秘性など感じられなかったのではないでしょうか?アブサンに対するネガティブな印象が禁止令を生み出した直後、代用品として誕生したのがパスティスだった事も大きかったのかもしれません・・・下に引用したヘミングウェイの一文にアブサンの作法が継承されなかった理由の一因が示されています。設定は南仏のレストランでアブサンが禁止された直後の1920年代でした。

「本当は上に氷を載せたガラスを置いて,小さな穴から水がしたたるようにするものなんだ。でもそうすると何を飲んでいるのかばれてしまうから・・・」

      

・二つ目は科学的な根拠です。アブサンのハーブ精油成分は基本的には水には溶けません。目に見えないレベルでの事ですが、一度に水を加えると大きな製油の塊かたまりになって白濁してしまう様です。マヨネーズを作る時の失敗と同じ感じですね。味覚を感じる器官は上右図の様な構造になっている様で、成分の粒が大きいと×なのが分かり易いですね。少しづつ加水することで細やかな粒子状になったハーブ精油は味孔から味細胞の隙間に深く入り込み、より多くの味覚パルスを脳に伝えてくれるとの事です。ちなみに<余韻>とか<アフターテイスト>と呼ばれる感覚は、味細胞の隙間に残存しがちな成分が唾液の電解質や酵素などと反応して織り成す味覚現象だそうです。

・この事は体験的に知られていた様で、作家のアーネスト・ヘミングウェイは晩年の小説「The Garden of Eden」に下のような一文を残しています。上で引用した文の前の部分です。

「どうしてそんなにゆっくり入れなきゃならないの?」娘は尋ねた。「水を急いで入れすぎるとばらばらになって分解してしまう」若者は説明してやった。「そうすると味が抜けてちっともうまくないんだ。」

<ハイ・ポジション・ポタリング法> 昔は、なるべく高い位置から水を垂らした方が成分が散りやすく、細かく混ざって美味くなると思われていました。ハイ・ポジション・ポタリングな人々を揶揄やゆった戯画まで残っています。根拠がゼロとは言い難いですし、なによりも楽しそうで良いですね・・・って言うか、真ん中の飛行機は止まってんのかよッ?せめて気球にすれば説得力?があったのに・・・

    

・実は自分が飲む時にプチ・ハイポジション・ポタリング法を実践しています。その為に弱ポタ可能なカラフェ・トップを工夫したんですよ。こちらに説明してあります。なにしろ水が飛び散るので縦に長いグラスを使い、30〜40cm位に離した専用カラフェからハイ・ポタしてるんです・・・上空?にカラフェを保持するのは辛いですが、水の跳ね飛ぶ様子やピシッ、パシッという音も楽しく、さほど苦になりません。後半になると飛び散ったアブサンの雫からの香りが立って期待感を煽ります。試しに一回だけのつもりだったんですが・・・何故かチャンス(誰も居ない時)があると必ずハイ・ポタ・・・ちょっと怪しげな感じで、人様には見られたくない光景ですからね。

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<初めて飲む方へのアドバイス> 「じゃぁ、俺が飲む時はどうすればいいんだヨッ」って方へ、参考になるポイントを考えてみました。もちろん、銘柄ごとに個性があり個人の嗜好も様々ですが、それを言ったら始まらないので簡単なガイドラインです。購入時の参考にもなる様、正規輸入品(その他に関してはコチラを中心に記述してあります。僭越とは思いましたが<購入時のお勧め銘柄>も明記しました。もちろん、バーなどで飲む時にも役立ちます。しかし、正規輸入品以外の銘柄を扱っているお店ならそれなりの見識をお持ちだと思います。バーテンさんのお勧めでどうぞ・・・でも、チェコの擬似アブサン非真性アブサンなら問題ありませんが、良い銘柄にファイヤー・パフォーマンスを勧めたがる派手好きの人は疑がった方が・・・どんな事にも必ず通すべき筋すじってもんがあるんですね。

<銘柄のタイプは?> 目の前に複数の見知らぬ銘柄が並んでいて選択可能な場合、大まかなタイプ分けを知っておく事は重要なポイントになります。しかし、全体像を把握しておく事で味の見当が付きやすくなり失敗が少なくてすみますが、人と酒の出会いという喜びもあるので運に身を任せるのも一興です。失敗しても命を取られる訳ではないので、一杯を選ぶだけだったら必要以上に気合を入れすぎない事も大切かとも思います。<お付き合いする前の初デート>って感じですか?しかし、購入となると20杯以上は飲む事になり<お付き合い決定>みたいな決断なので慎重になりますよね・・・こちらを御覧下さい。

<カクテル向き> 国内購入可能で手頃な価格の銘柄に本格アブサンと呼べる銘柄はありません。個人的な意見と分かりつつも断言いたします。わざとらしい鮮やかな色や整合感に乏しい極端な味わいが特徴で、ほぼ間違いなく「Essences Added (Mixed)」で造られています。この手の銘柄で本格的な作法を御要望の方もいらっしゃいますが、味の品位が低いと意味がありません。美味しく出来ませんし、基本セットを用意する甲斐もないので御勘弁を願っております。しかし、ソーダ、トニック、ジンジャーエール、コーラ、オレンジ・ジュースなどで割ると別種の気軽な楽しみが得られ、アブサン・フレーバーをノー・リスク体験するには最良の選択ではあります。

<チェコ安物> 擬似アブサンの代名詞。アブサンの存在をキッカケに生み出された別種のアルコール飲料と認識した方が分かり易いです。ノー・アニスの銘柄がほとんどで白濁もしません。ケミカルでドライな味わいを持っており、カクテルベースとしては意外に魅力的。国内流通品では“ストロム(通称チェコ”がそうで、何故かフランス製の“カーマン”もこのタイプです。

<初期リリース物> 最初期にリリースされた銘柄達の中には真性アブサンとは言いがたい銘柄もありました。商業的リスクを考慮してツヨン対策をした銘柄達です。有害成分?を除去?した“アブサント55”、ニガヨモギではなく別品種参照を使用した“ユニコーン”系、“ハプスブルグ”系などには真性アブサン偽装の疑いが掛けられています参照

<ブラック> “ユニコーン・ブラック”、“カーマン・ブラック”などは、アブサンという括くくり関係なしに面白いリキュールだと思います。黒いアブサンはリコリス的な要素が強く、アニスが苦手な人でもOK!一番飲みやすいかも・・・コーラ割りなんか旨いです。このカテゴリーでは一番お勧め。

<Verte> ほのかに緑や黄の色が付いているのはフランス・タイプ。是非とも御体験頂きたいのはこの辺からです。今では各国でも造られる様になってきました。海外では百花繚乱で<夢の花園>状態ですが、日本には下記銘柄しか正規輸入されていません。現代アブサンはベルエポック期に比べ味のバランスが向上していると思いますので、基本的には角砂糖無しで試してみて下さい。

<南仏パスティス系> “ヴェルサント”、“アブサンティーン”、“グランド・アブサント”など。本格派とは言いがたい「Maceration (Macerated)」 による軽め傍流スタイルですが、それなりに優秀な銘柄達です。最初に購入する銘柄として、比較的安価な“ヴェルサント”が有望。強い苦味で個性的な“アブサンティーン”には必ず角砂糖、他は微妙にお好みで・・・“ペルノー・アブサン”はアブサンとアニス酒の中間に位置する中途半端な存在だと思います。そんな中、意外な伏兵”ミス・アブサン・トラディショナル”が登場しました。南仏物とは思えない本格的で力強い味わいが個性的!やはり、このエリアからは目が離せません。

<本格フレンチ> 華やかな芳香と深みある複雑な味わい。アブサンの王道とも言える「Distilled &Maceration法」ならではの魅力です。2010頃には、正規品の本格フレンチといえば“ペロケ”と“ヴー・ポンタリエ”しかありませんでした。この二つは古典レシピをベースにしてはいますが比較的モダンな要素をも併せ持っている対外的戦略銘柄と言えるでしょう。

・しかし、2016年の時点となると選択肢が増えています。なんといっても本道フレンチ銘柄“ラ・シャルロット”の登場は嬉しいニュースでした。“ブルジュア”も同様に古の名品の再現を目指した本道的銘柄です。この古典派2銘柄を軸に、古いアメリカのレシピを再現した“バタフライ”、現行頂上銘柄“ヴァルト・ド・ジュー”、など様々な選択肢が広がってきています。

・スイス物ですが“アンジェリーク”もこの<本格フレンチ>カテゴリーに入るでしょう。これもアメリカ市場を意識した典型的な対外的戦略銘柄で古典派とは言えません。しかし、そのクールでモダンな味わいは高品位な個性的魅力を持っています。マリリン・マンソンがプルロデュースした“マンサン”はスイスNo1生産者によるフランス的優秀銘柄で、前者よりはスタンダードな味わい。二者とも上記二銘柄より安いので、購入候補としては有力です。

<スポット輸入物> 以前、少量のみ国内流通した並行輸入銘柄達です。正規代理店の無い非正規輸入品を、検疫に通し易い少量のみ通関させて実験販売する場合があります。大きな手応えが無い限り正規代理店が立つ事も無く、ほとんどの銘柄が1〜2年で終売に・・・しかし、実際に国内流通し販売されていたのは事実なので、どこぞのバーが保有している可能性は大きいです。

<本格アブサン> “アン・エミル”は最初の本格現代アブサンと言える記念碑的重要銘柄で、その品位は今でも色褪せる事がありません。“PF1901”、“エドワー”、"VS1898”の「Jade Liqueurs」銘柄は、再現銘柄としては突出した存在の古典派としてアブサン店必須アイテムでしょう。以上の銘柄達は上記<本格フレンチ>カテゴリーに属します。

<その他> “NS”というスペイン物も流通しました。「Essences Added (Mixed)」による銘柄なので別枠ながら、意外と秀逸な味わいで侮れません。〜35ppmの高ツヨン物が珍しかった頃、カリスマ扱いされていたチェコ銘柄Czech Absint Strong”も「Maceration (Macerated)」なので別枠。しかも、日本で流通していたのは信頼性に乏しい丸瓶参照なので、内容に関しては「推して知るべし」ですね・・・

<La Bleue> 色が付いていない無色透明のアブサンで度数が低め(55度前後)のスイス密造タイプ。やや青みがかった白濁を伴うのが名前の由来です。非合法時代のスタイルを継承する甘やかで洗練された癒しのスタイルで、ほとんどの銘柄に砂糖はいりません。「純粋なDistilled 法」による造りです。正規品では微妙ながら“キュプラー”がそうです。角砂糖を使わない伝統的な飲み方か、クラッシュ・アイスで飲むミストをお勧めしています。

<Blanche> La Bleueの発展系で無色透明のアブサン。こちらも「純粋なDistilled 法」による造りです。各国で造られ、生産者の意向が反映して多様なスタイルを生み出しつつあります。アルコール度数やハーブ構成も様々。基本的にレベルが高く安心してお勧めできるジャンルですが、国内では少々軽めの“ヴェルサント・ラ・ブランシェ”しか流通していませんが、購入をお勧めできる優良銘柄です。本格派となると、かつてスポット輸入されていた“アン・エミル・ブランシェ”のみが頼みの綱、といった寂しい状況ですが、国内流通していたのは初期レシピの旧ラベルなので少し頼りないかもしれません。この銘柄に関しては現行品の品位向上が目覚しいです。角砂糖無しの伝統的な飲み方でどうぞ・・・

・ちなみに、La Bleueとして扱われる事の多い「アルンテミジア」の“クランデスティーン”、“マリアンヌ”,“カプリシューズ”ですが、新進の外来生産者でモダンなスタイルを持っており、伝統的なLa Bleueとは味の方向性が全く異なります。私見ですが、どちらかと言うとこの項に属するのでは?この生産者はドライな味わいが特徴で、角砂糖が効くかも知れません。

・その後、ブランカ系に“グサン・ジューン”という本格的な新銘柄が登場!となるとコレが決定打ですね。ちょっと高めの値段ですが仕方ありません。その美味しさの割に今一つ人気が盛り上がらないブランカですが行き着いた感のあるアブサン・シーンにおいて今後の伸びしろがたっぷりの期待出来るジャンルなんですよ。お忘れなく!

<ゲルマン系> チェコ、ドイツ、オーストリアなどの国々は、フランス/スイスなどのラテン系主流派とは異なる歴史背景を持ったクセ者揃いで、一筋縄ではいきません。ほぼ全ての造り方の銘柄が存在しています。しかし、日本で入手できるのは前述したチェコの擬似アブサンだけ・・・という有様なので「Distilled 法」による本格ゲルマンの国内購入はあきらめざるを得ません。しかし、本格派の中でもドメスティックな美意識も保持している稀な銘柄“Cami”に出会ったとしたら、迷わずロックで飲ってみて下さい。

正規輸入品以外の銘柄に関してはコチラをご覧下さい。又、<Verte>、<La Bleue>、<Blanche>の精細はコチラ

<購入時のお勧め銘柄> アブサンの一般的イメージを代弁する緑(黄)色のタイプは幅が広いです。浸透法の南仏パスティス系からは優良な“ヴェルサント”と苦味強い個性派“アブサンティーン”などはお値段もお手頃。スイス物ながら色付きでドライな“アンジェリーク”もお勧め!マリリン・マンソンがプロデュースした“マンサン”もかなりイケてます。本格フレンチ系としては“ラ・シャルロット”か“ブルジュア”が本命なのは間違いありません。

 無色透明なタイプでは、“キュプラー”が唯一の典型的スイス・タイプ。これしか選択肢はありません。“クランデスティーン”、“マリアンヌ”,“カプリシューズ”などの<アルテミジア>系はドライでモダンなスイス新潮流なので二本目以降が適切でしょう。南仏タイプながら蒸留法の“ヴェルサント・ラ・ブランシェ”は外せません。

・値段と品質の兼ね合いを考慮した条件無しの<初めの一本>は、色つきのスイス物ながら“マンサン”が良いと思います。クオリティーも高く使い勝手も良い感じですよ。甘すぎないので角砂糖を使うのも可ですし・・・

・条件付きとなると、値段重視の方は、色付きなら“ヴェルサント”、無色透明なら“キュプラー”ですかね。ツヨン濃度重視の方は、色つきなら“アンジェリーク”、無色透明なら“ヴェルサント・ラ・ブランシェ”になります。しかし、今後もアブサンを飲み続ける予感がして自分の舌に基準となる座標軸的味覚感を作っておきたい方は極端だったり個性的な銘柄は避けるべきですよね?迷わず本道フレンチの“ラ・シャルロット”か“ブルジュア”を選んで下さい。以上が国内で購入可能なお勧め銘柄ですが、一個人の私見に基づく選択なのをお忘れなく・・・

<自宅で飲む時のアドバイス> 自宅でアブサンを楽しもうとすると道具立てが問題になってきます。気分を出すには専用のグラス、カラフェ、アブサン・スプーンなどは欲しい所ですが、無い場合はどうしましょうか?

 とりあえず、アブサンに向いた形状のグラスが必要ですね。底が平たくない長めの感じで香りを取りやすい形状・・・縦長で大きめのワイングラスなら部屋で見つかるかもしれません。底が丸すぎないピルスナーやコブレットなども良いですね。要するに、白濁の変化と香りを楽しめる形がいいんです。

 お次はカラフェ。水を少しずつ垂らす<弱ポタ>の方が望ましい参照んですが、醤油差しや急須じゃ気分が出ませんよね・・・何かのビンなどを流用する時はカクテル用ポアラー(1)が具合が良いかも・・・空気穴をペンチで少し潰つぶせばヘタな専用カラフェなんかより<弱ポタ>に向いてます。ワイン用エリマケトカゲ型ポアラー(2)はトクトク行きそうなので×かな?なんと言っても<弱ポタ>が重要だと思います。身の回りで済ませたい方は、カッターなどでワインのコルク(今時の樹脂製がベスト)に縦長の細いV型の溝を二本切ってビンに付けるって手もありますね。コルクの差込具合でポタ加減が調整できます。

 加水用のに関しては、水道から出した直後は使いたくない感じです。それに冷たい水の方が美味しく出来るので、一晩くらい冷やしておいて下さい。ヨーロッパの飲み物ですから硬水系ミネラル・ウォーターも面白い選択ですね。氷も必ず用意しましょう。

 角砂糖に関しては下記の事情があるので後回し。使うとしたら一個分では多すぎるかも・・・甘くしすぎたアブサンほど哀あわれな人はいません。そんな訳で、アブサン・スプーンの代用品としてはアメリカ・タイプのエッグ・セパレーター(黄身と白身を分ける道具)が有望だと思います。中央の窪くぼみに砂糖が残るので、<弱ポタ>可能なら入れすぎは防げそうな形状なんです。ステンレスやアルミ製(3)なら安くて手に入れ易い!さらに、アンティークーのノベルティー品(4)だったりしたら、ヘタなレプリカ・アブサン・スプーンなんかよりイイ感じじゃないですか?一個だけ手元にあるヤツがピッタリのサイズすぎて驚きました・・・ポンタリオUグラスにキュコッとはまって、逆さにしても落ちません。まるで専用品みたい。

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〜 当店基本セットを使ってお飲みになる場合の実演画像集はこちらです。 〜

<とりあえずはノー・シュガーで> 初めて試す銘柄では最初からは角砂糖を使わない方が良いと思います。現代本格アブサンの多くは良好な味のバランンスを持っており、そのままで充分に楽しめるんですね。それに、先進国では甘みに対する欲求度が昔に比べると格段に低い傾向にあります。昔の糖分に対する生理的欲求は想像以上で、生存に関わりかねない問題でした。100年前の伝統的な飲み方では現代人には甘すぎるのではないでしょうか?目の前にある銘柄を少しだけ舐めてみて「苦ッ!」と思った時だけアブサン・シュガーを一片(普通の角砂糖の半分)を使うくらいが良いかと思っています。しかし、甘みをつけるのは加水後でも遅くはありません。なにしろ甘すぎたら台無しですよ・・・でも、無加糖で半分くらい飲んだ後に変化をつける為に使うのはオシャレな感じがしますね。

・当店で設定している基本セットは、アブサン・シュガーの代わりにミント・シロップを添えて提供しています。加水後のコントロールが容易で味の変化も楽しめるメリットがあるからです。しかし、せっかくの機会に伝統的な作法を体験したい方もいらっしゃるでしょう。アブサン・シュガーをご希望の方はお申し付け下さい。苦めの銘柄以外は途中で外す事をお勧めします。全部を溶かし落した場合、掻き混ぜる前に味を確認する方法がいいかもしれません。下に残った砂糖は最後のデザートとして楽しみましょうか?

・さらに、しかし、私が砂糖の可能性を完全には理解していない可能性もあり、少し不安なんですよ・・・日本人の病気と言えるピュア指向に陥おちいっているのかもしれません。適量の甘みが良好なアブサンの風味を格段に引き立てる事があるのかも・・・コーヒーなどで甘さを感じさせない微量の砂糖が魔法を起こす事は体験していますから。この点に関しては、今後の課題・・って事で勘弁して下さい。

<加水率> ポイントは濃すぎず、でも薄めすぎない事です。よく例えに使うんですが、カルピスと同じでなんですよ。つまり、濃すぎるとうっとおしい、薄すぎると物足りない・・・当店での基本セットでは加水率を失敗しずらい様になっています。最初はやや濃い目に作った後、氷を入れて薄めつつ冷やす過程を前提に設定しました。我々日本人は世界一の氷好きですし・・・本当の通はギリギリまで薄めてゴクゴク・・・ジャン・ギャバンで粋な飲り方ですね。海外の画像を見ても、道具や設定の整合性に筋が通っていて、動作が手馴れているベテランのほとんどが4〜5倍に希釈して薄めに作っている気がします。

・何故なのか分からなくはないですが、「酒は濃くなきゃ男らしくないぜ!ストレート&ノー・チェイサーが粋なんだよ・・・最低でもオン・ザ・ロックでしょ!」という信仰は根強いですね・・・無論、個人の好みの問題ですが、日本人のアルデヒド分解酵素の少なさはご存知の通りです。つまり、体質に合ってないんですね・・・それに、単独原料のスピリッツなどなら分かりますが、アブサンの様な複合原料の飲み物の場合は適切な濃度があるのではないでしょうか?特に高品位な銘柄の持つ豊かなハーモニーは濃すぎる濃度では発揮されない様に思います。個人的な意見ですが、アブサンという酒は室内楽に似ている感じがしてなりません。室内楽を必要以上に大きな音量で聞くと、特定の要素が突出して微妙なコード感を覆い隠してしまい、メロディーだけが耳に衝く単調な印象になってしまいます。室内楽にラウドなロック的要素を求めても仕方がありません。マッチョ派の方にもこそ、騙されたと思って4〜5倍希釈のアブサンを一度試して頂きたいと思っています。ごく一部の例外的現代銘柄はありますが、アブサンという酒は今も昔も薄めて飲むのを前提に処方されてきた事実を忘れてはいけません。

<火を点ける・・・> 良いアブサン、生産者の努力、アブサンの伝統的文化、などを否定するのにベストの手法です参照。そして、手元にあるアブサンの味を台無しにしたい時にも有効で、直射日光が当たる場所に数年放置するより100倍手軽な方法ですよ。又、お酒に弱い方が度数の強いアブサンも飲める事を証明する時にも良い方法です。かなりアルコール分を飛ばしてくれますからね・・・しかし、バーなどで真性アブサンに火を点けて得意げなバーテンさんがいたなら、その時点でのアブサンに対する知識や愛情の欠如を疑われても仕方がありません。もし、分かっているであろうバーテンさんに勧められたとしたら・・・あなたは完全にナメられています。さて、まともなアブサンに対する冒涜行為とも言える方法ですが、そんな事は気にもしてられない状況(大事な接待とか?背水の陣的デートとか?)が起こるかも知れません。本来、私はあまり細かい事に拘こだわらない人なので、価値観の異なる方々の為に効果的に演じるポイントも述べておきましょう・・・

<アブサン炎上作法の心得>

 まずは、アブサン絡みの怪しげな都市伝説を披露して観客の興味を惹きつけておかねばなりません。インチキ臭い内容ほど効果的なのは言うまでもありませんが、数種のネタを仕込んでおいて長い時間を割いた方が良いでしょう。テンポの緩急や声量の強弱jを意識しつつリズミカルに話に引き込み、そして観客全員と程良く目線を合わせる基本も忘れてはいけません。長めの説話は集団営業(羽根布団や健康食品)や新興宗教などで採用されている有効な暫時洗脳法です。しかも、その間にアブサン特有の香りが観客の冷静な心を惑わせてくれる可能性もあります。事の成否が決まるのはこの前段階・・・とお心得下さい。

 観客があなたの博識ぶりに感心して座が暖まったら・・・用意しておいたマッチを取り出しましょう。でも、喫茶店のマッチはやめて下さい。ましてや100円ライターなんて野暮も無しですよ。なんと言っても雰囲気が大事ですから・・・少し振りつつシャカッと置けばどんなに鈍い人でもすぐに気付くはずです。「何で、マッチが?」という訝いぶかしげな視線を集めたら準備は完了・・・

 着火の儀式に取り掛かる時が訪れました。手馴れた動作が説得力を生みます。カッコいいマッチの摩り方は習得できていますか?もちろん、事前のイメージ・トレーニングも必要です。鏡の前でのリハーサルを納得できるまで繰り返し行ってください。そして「こんな作法は飽きちゃってるんだけどな・・・」的倦怠感を醸かもし出せたら完璧です。ここで携帯の呼び出し音は最悪・・・電源を切っておくのを忘れずに・・・クライマックスは突然始まりますから、観客の集中力を極限まで高めておく事が最も重要です。できれば周りを暗くしてください。さあ、ダルげに始めましょう。

 青白く立ち昇る神秘的な炎と焦げ臭いイヤな茶色い芳香・・・遂にきました!しかし、ここでさりげない表情を崩してはいけません。「もう、やり飽きてんだよ・・・面白いかい?」って雰囲気が大事なんです。一方、観客の反応はどうでしょうか?あなたの魔術で異世界への扉を開くムードを演出できましたか?お目当ての女性やギャフンと言わせたい友人から喝采と賞賛を浴びて王様気分になれましたか?

 お、バッチリだったんですね!おめでとうございます。こんなにハッタリの効いたパフォーマンスを演じ上げた後ですからグラスの中身が廃棄物と化していても全く問題になりませんよね。全てOK!人生は順風漫歩で現在進行形ですよ。今後もこの調子で頑張って下さい。でも、純正なアブサンの扉が開く事は一度も無いんでしょうね。さようなら・・・

 と言う訳で、この方法は子供じみた派手なパフォーマンスに過ぎず<遊び心>と呼ばれる小粋な概念とも全く無関係です。かなりの危険も伴うので当店では絶対に行いませんので御了承を頂きたいと思います。それに、ジョjニー・ディップごっこは自宅でやる方がシーンに沿ってるんじゃないですか?

ここまで拒否る訳は< アブサンを燃やしちゃうんですか?>を参照してください。

< 飲み方の実演画像> 基本的な飲み方は前述の通りですが、ドギー風アブサン補給法を実演画像にて紹介いたします。当店でお飲みになる時の参考にして下さい。まずは、(1)(2)の画像が本格アブサンをお出しする時の、当店の基本セット・アップです。手前のアブサン・スプーンから右廻りに、専用ソーサーと空のアブサン・グラス、水のカラフェ、アブサンが入ったリキュール・グラス、氷とトングが入ったブローラーと受け皿、でトレイを一周します。スプーンの後ろには、ミント・シロップの滴ビンが置いてあるのが分かりますか?

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(3)アブサン・グラスに原液を入れますが、ほんの少しだけリキュール・グラスに残して下さい。後で、味や香りを思い出すのに便利ですよ。残す量は、もっと多めでもかまいませんし、半分づづ試すのも良い方法だと思います。注いだ後、広い液面からグラスの空間に満ちていく複雑で芳醇な香りを楽しみましょう。加水する前とでは香りのコンポジションが異なるので、これを忘れるとお支払いになるお金の半分を失ったも同然かも知れません。これが最初のパフォーマンスです。 
(4)ブローラーをグラスに乗っけます。不思議な事に下の受け皿ごと持ち上げてしまう事件が多発しております。ご注意下さい。
5)いよいよ、カラフェから水を注ぎます。ブローラーに水が溜まり過ぎない位、チョロッ・・チョロッ・・って感じが良いと思います。初めての方はブローラーの方に気を取られがちですが、少しづづの加水量なら余裕をもって白濁の様子を楽しめます。一番の見所であるグラス内の変化をお見逃し無く・・・ 
(6)とりあえずの加水量はこれ位が限度でしょう。(3)で入れたアブサンの量を前提にすると、だいたい3倍強の水を加えた状態です。ほとんどの真性アブサンは3〜5倍量の加水を推奨していますが、もっと濃い状態から様子を見たい方は早めに止めて味見して下さい。なにしろ、水の入れ過ぎだけは禁物なんです・・・あっ、お飲みになる前にブローラーを受け皿に戻すのを忘れない様に・・・今まで二回だけですが、信じ難い事件が起きてしまいました。ブローラーは必ず戻す様、重ねてお願い申し上げます。

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(7)トングが用意してあります。お好みですが、ブローラーから氷を入れると飲み易くなりますし、加水量を緩やかに増やす事も出来ます。 
8)甘み控えめのミント・シロップを加え、途中から一味変えるのも一興ですね。滴ビンに入ったポタポタ系ですので、入れすぎる方が難しいです。ご安心下さい。 
(9)シロップを入れたら、やっとアブサン・スプーンの出番。「混ぜるだけなら普通のスプーンでも良いんじゃないの?」なんて人とは友達になりたくないですね・・・当店で角砂糖を使わない方向性なのは、作法に不慣れな方の失敗を誘い易いからです。甘くし過ぎたアブサンほど救いようの無いものはありません。もちろん、慣れた方もいらっしゃるでしょうからアブサン・シュガーは用意してあります。、ご希望の方はお申し付け下さい。そ、そうです!そんな事態に備えてアブサン・スプーンの常備が必須なんですよ・・・な〜んてね。
(10)そして最後に、リキュール・グラスに残しておいたアブサン原液の出番をお忘れなく・・・完全に飲み干したアブサン・グラスに残りを入れてグルグル廻しましょう。中肌に万遍なく触れさせてから、最後の数滴を頂きます。ピシッと来ましたか?でも、これで終わりじゃありませんよ。グラスをしばらく放置して、程よい頃にを匂ってみましょう・・・アルコールが揮発して濃度が増した後、充分酸素に触れ変化したハーブ精油の香りが・・・これが最後の余韻的パフォーマンスです。特に複雑なハーブ・コンポジションのアブサンは思わぬ表情を見せてくれるんですよ。

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<アブサン・スプーン> 「角砂糖を乗っけてグラスに渡し、水でポタ溶とろかす為だけに作られた為、流用などは全く効かない」点が逆に愛らしい超キュートな専用器具です。多彩で魅力的なデザイン、レプリカ品の多さと手頃な価格、送料の激安ぶり(スプーンだけなら無料の海外サイトもあります)などが災いして、知らないうちに増殖?してしまう爆発キノコ系アイテムだと後で気付きます。しかし、時はすでに遅くスプーン・ホルダー(下中央右)の一つも(自然と)欲しくなってしまう・・・と云うジュテームな仕組みになっている様です。

・しかし、近年のアブサンは甘めの傾向が強く、角砂糖 が不要の銘柄がほとんどの様に思います。という事は、本来の役割を果たすためのアブサンスプーンは出番が減ってきているのではないでしょうか?当店でも加水後の攪拌用にお出しする事が多いです。前述しましたが、こんな記述(参照)も見かけます。

「Absinthe spoons aren't very useful anymore !(アブサンスプーンって、あんま使わなくねッ!)」

・とは言え、その特殊な専門性は他に例が見当たらず、決して外せない必須アイテムである事には変わりがありません。収集経験のある方は <手ごろな価格> で <多彩なデザイン> という条件をクリアしており、<まだ他人が気付いていない> 上に <収集根拠> が明確で <その辺にはころがってない><インパクトのある> <特殊な専用品> には極めてヤバい匂いを感じ取る事でしょう。さらにアンティーク界を覗いてみても、小遣いの範囲内で何とかなりそうな可能領域が広がっています。避難警報発令中ですよ・・・

・時代、地域、銘柄などで多くの異なる意匠を持ちますが、大まかには厚めの鋳物製(細首)と薄いプレス製(平首)があります。下右の画像は残存率が少ない鋳物製5本です。デザイン的には、ポピュラーなシャベル型(?)、丸いグリル型、先端にスプーン・ヘッドの付いた Cuilleres(スプーン)型に分かれます。下中央左のコレクト・ボードの写真に丸いグリル型5個、スプーン型が3本あり、後は全部シャベル型ですね(上列右から6本目と中列右から8本目などもグリル型の仲間に入れる場合もあるようですけど・・)。ちなみにスプーン型は背の高い大きめの「イースト(仏東部)・グラス」専用との事です。

   

・海外通販で入手し易いアイテムがレプリカのアブサンスプーンです。でも、仕上げの良し悪しの差が激しくてガッカリする事も多いんですね。値段が同じくらいでも、淵の処理が雑で手を切りそうなダメダメ品からホレボレするような美品まであり、荷を解くまで分かりません。web上では判断するのは不可能なので、買ってみて一喜一憂するしか無い様です。ステンレス製は○×ですが、銅に上掛け(メッキ)した物なら安くても大方○です。しかし、工業廃液の規制で良いメッキ物は減少傾向にあるのは他のジャンルと同じな様で、スナップ・オン(工具)の旧メッキが持つポッテリ感は失われて久しいです。

・全体に厚みがある細首(上右五本or下左)の鋳物製を再現したレプリカは見た事がなく、形が同じでも平たいプレス製で誤魔化しちゃってて寂しい気分です・・・細工が難しいんでしょうか?個人的には見た目が派手なシルバー製なんかより鋳物でレプリカして欲しいです。アンティークの鋳物スプーンを手にすると、「これ、これっ!」って感じの存在感がグッと来ます。でも、鋳物なので破損率が高いのか出物が少ないんですね・・・溶かして再利用された可能性もありますね。もちろん、当時でも工作が容易なプレス・タイプの方が多かったのでしょう。

 
“ Les Losanges Etires”、全体に厚みのある鋳物製は細首で超キュート!レプリカ(右)の平首はこんな感じに・・・


これも鋳物ですが、ストッパーとして突起が二つ付いてますね。めったに見かけない珍しいタイプです。


鋳物製スプーン・タイプの美しさの前ではレプリカなんか投げ出したくなります・・・もちろん、拾いますけど。

 
コレクター垂涎! 1900 World Expo model の“Grande Roue 1900”と、レアな “Absinthe Joanne” の本物・・・

  
か〜なり古そうな感じで、最初期のスプーンと言われたら納得しちゃいます・・・精細は不明です。 あっ、2本で3万くらいで落ちてました。

<アブサン・グラス> グラスも素敵です。ベル・エポックの香り漂うエレガントなラインは堪りませんぜ。時代や地域や銘柄などで独自のデザインがあり、今の名称に反映しています。Pontarlier、CordonEast、Tarragona、Versailles、Perigord、Lonchamp、Barnoud、Bistrot Egg、Yvonne-styleBistrot Swirlなどは良く目にするスタイルです。アブサン計量の目安になるマーキング線や底部に段差が付いていて、アブサンを計り易く工夫されているタイプをReservoir Glassと総称します。ステム部が丸く絞ってあるバブル・タイプのリザーバー・グラスなんか「ココに例のヤツ入れるんだぜ」って感じでそそりますね。正にアブサンを飲むためだけの独特の形状が、ドス緑色の存在感をかもし出しノワール感ムンムンです。(1900年前後のアブサン・グラス・カタログはこちら。このページで各カタログの画像をクリックすると内容の一部が見れます。)

) 下左から二番目や溜まり系グラスの幾つかに細い横線が彫ってあるのが分かりますか?これは、フエランス語で ligne de dosage 、英語では dose line と呼ばれる計量の目安線です。一杯分のアブサンは通常25〜30mlが適量とされ、これを1dose として扱っているんですね。lほとんどのグラスは30ml=1doseを基準に作られている様です。この線が彫ってあるビンテージ・グラスはアブサン専用と判断して間違いありません。他のグラスに線を彫ってe-Bayなどに出品している偽装例もありますが、アブサン・グラスしての整合性を持つ形状や適切な容量などで判断できます。

<dose> という単位は薬の単位服用量=一服いっぷくの意味なんですが、何故かアブサンの計量単位にも使われています。かつて薬用酒として扱われてきた経緯があるからかも知れません。そう言えばオーバー・ドースなんて言葉もありますしね・・・現在では、X線生体吸収線量を示す科学用語として使われる事が多いようです。

・お店でアブサンを扱っている方々も、他の酒類と同じ45mlで注ぐと多すぎますのでお気をつけ下さい。全体的に濃くなりすぎたり、最終的な量が多すぎて、飲み慣れていないお客さんに too much な印象を与えてしまいます。アブサン愛好家を少しづつでも増やすため、適量での満足感をご提供下さい。宜しく御願い致します。

      
アンティーク・グラスはこんな感じで美人揃いですね・・・左端は最も有名なタイプでポンタリオ・グラスと呼ばれます(由来はこちら)。右端はアメリカン・ビンテージ。

      
アンティーク・バブル・グラスの中でもトップ・クラスは応相談でした・・・怖くて相談なんかできません。

   
レプリカはこんな感じ。右三点は生産終了?で入手困難になった Simon Pearce の高級グラス・・・括くびれ王国ですね。(左端と右端のグラスをクリック!)

     
レプリカ(黒バック)では絶対に味わえない最大のシビれポイント!それは、底部のガラス溜まりだったりします。個人的好みですが・・・

<括くびれ派から溜まり派に・・・> 実は私、つい最近まで<括くびれ派>だったんです・・・分かり易い派手な形状にしか目が向かず「アブサン・グラスならリザーバーだろっ!リザーバーならバブル・タイプだろっ!」って感じ・・・そう、安直とも言える<アブサン・グラスならではの形状>を理想とする括くびれ原理主義に陥っていました。しかし少し大人になったある日、<溜まり>の美しさに強く惹かれ初めた自分に気付いたんです・・・そして、シンプルなライン・リザーバー(線が彫ってあるだけ)の奥ゆかしさにも説得力を感じる様になり、飾らない普通の佇たたずまいにも目が向く様になってきました。今や私は穏便的<溜まり派>に転向させてもらいましたが、怖い総括は免れた様でホッとしています。身も心も改めて前回の反省を生かし、溜まり至上主義者にならない様に気を付けなきゃ・・・あっ、でも、つい、<溜まり>の方に目が言ってしまう〜!いか〜ん・・・・

上画像の二点と下画像の左端は当店在住の溜まり美人達ですので実見可能です。。


と言う訳で、溜まり美人に集まってもらいました。う〜ん、堪らん・・・シビれます!あっ、あきれてる人が数名いらっしゃいますね・・・どうして引いちゃうんでしょうか?

・上画像の右から二〜三番目を御覧下さい。同じタイプのグラスなんですが、溜まりだけでなく全体の形状が微妙に異なっているのが分かると思います。形成技術が完成する以前の量産吹きガラスは、治具じぐなどは使わない完全手作業も多かった様で形状が不安定でした。明らかに斜めに立っているグラスも見かけます。レプリカ品にも<溜まり>などを復元したグラスがあるにはありますが、完璧に同じ形状なので面白くもありませんし妄想も掻き立ててはくれません。

・下のグラスなんか、あまりにも異常な溜まり具合、でっかすぎる気泡、クイッと傾かしいだボウル部、滑ぬめった感じのセクシーな肌面、太く無骨でドスコイなステム、などビンテージ・グラスの旨みが凝縮した美人さんです。それにしても、かなり重そう・・・このグラスで何を飲んでいたんでしょうか?

 
知らない異界からじっと覗のぞかれている・・・そんな気すらしてきます・・・

<アブサン・ソーサー> 専用の受け皿もあります。水をポタる時、スプーンを伝ってグラスの外に漏れるの受けたり、使用後のスプーンを置いたりもします。水を逃がす溝が切ってある皿はグラスの底に張り付かない様になってるんですね。通常はリム(縁飾り線)の色が一杯の値段を示していますが、値段が書いてある皿も多いです。皿の数で何杯飲んだかが分かり(回転寿司みたいですね)、支払いを皿に乗せておく習慣でした。他の飲み物の銘柄名が刷ってあるアンティーク・ソーサーも多く、(1)の"Soleil (sun) "タイプは“Biere du Faucheur (Reaper Beer) ”、つまりビール用の皿です。値段と供に店の名前が刷ってあるモノも見かけます。(2)は“Cafe de la place Digalle",(3)はビストロ“Au Dragon Vert (The Green Dragon)”のハウス・ソーサー 。さすがに凝ったデザインばかりですね。そんな訳で、高級なビストロやカフェなどでは飲み物一般に受け皿を使っていた事が分かります。でも、当時は圧倒的だったアブサンの需要を考えるとアブサン・ソーサーって呼んでも良いんではないでしょうか?

1) 2) 3)

<レプリカ>も手頃な値段で出ています。アブサン専用としての復元なので水切りもバッッチリ・・・って言うか、これが無いと唯の小皿ですもんね。値段表記が刷ってある物はビストロっぽさが上がって特に良い感じ・・・でも、レギュラー・サイズ(12cmくらい)しか出ていないんですよね。底面径が小さなレプリカ・グラスは意外と多いんですが、全然フィットしない・・・10cmくらいの小さいのも出してくれ〜!そんな訳でアンティーク品を見ている時にはデザインよりもサイズ表示の方に目が行ってしまいます。

・皿の裏に印刷された印銘で判断する限り、ファウンテンなども出している「Frenchman LTD」、下の画像の様に古い印銘をパクってる「MUSE DE FRANCE」、その他の無銘の皿、など三系統はある様です。現時点の需要量を考えると同じ陶磁器会社がOEM生産しているのかもしれません。

 
左が本物、左がパクリ。

<アンティーク・ソーサーから分かる当時の店値段> 下の画像に30サンチウム=0,3フランと6フランのソーサーがありますが、値段の差が大きいですね。6フランの方は形も変わってるので高級銘柄用なんでしょうか?店や銘柄によって値段が異なるのは当たり前ですが、6フランとは銀座のクラブ並みに引っ張ってる感じ・・・当時の1フランは1000円相当だったそうです参照。「1Franc75centimes, that was the bistro price for two glasses of Absinthe back in the 19th century.」との記述もあり、0,9フラン位が標準だった様ですね。当店の所有アイテム中では、ビンテージ・ソーサーだと一番安い価格が0,6フラン、レプリカでは0,25フランってのもあります。当時の最低価格は、パリ市外の立ち飲みで0、05フラン位だったそうで、6フランは0,05フランの120倍・・・今の感覚で6000円と50円の差って事ですね。当時の様子を描いたイラストには皿を使っていないシーンも描かれていますので、どん底レベルでは皿なんか使わないキャッシュ・オン(その場払い)だったのでしょう。実際のアブサン相場についてはこちらで・・・

    
とっても楽しそうな熟年トリオは受け皿無し・・・・高すぎて(一万円前後)買えない当時のソーサー達、右端のオッサンは6杯目だって事ですね・・正に回転寿司 の風景です。


こんなに色々あるんですね、とても魅力的で収集欲を誘います。気を付けなきゃ・・・このレベルだと40〜60ユーロ位です。

   
皿の縁に浮き彫りが付いた超レア品の「Ornamented Saucer」

        
裏の印銘も様々。生産地が書いてある皿は品位が高い様です。

<アブサン・ソーサーの生産地>は、磁器で有名なリモージュ(Limoges)産が多いようです。パリから南南西に260キロ、ヴィエンヌ川のたもとに広がる古いフランスの街。フランスの焼き物と言えば真っ先に名が挙がるのがリモージュ焼きで、18世紀中頃にフランスで始めて硬質磁器の量産に成功した由緒ある地域なんです。それ以前は富裕層向けの軟質磁器のセーブル焼きしかありませんでした。上記の印銘では、左から三番目、五番目、右端の皿にLIMOGESの文字が確認できます。アブサンの生産も盛んでした。リヨン(Lyon)産もありますね。左から二番目、七番目などです。こちらは陶器の方で有名なんですが、アブサンの生産も盛んだったのでソーサーも造っていた様です。同じく陶器の村メアン(Mehun)産は右から三番目。パリと表記されているのは、近郊のセーブル産かもしれません。表記の地域性が高い方が高位らしく、リモージュ、リヨン/メアン/パリ、フランスの順の様です。ワインと同じ感じですね。

<陶器と磁器の違い> ちなみに、よく陶磁器などと一緒くたにしていますが、陶器と磁器は全く別物なんですね。陶器は主に粘土が原料で、吸水性があり光を通しません。陶器の原料はどこででも採取できるので世界中で造られています。磁器は陶石と呼ばれるガラス質の石の粉を使用するもので吸水性はありません。薄い磁器などは日にかざすと持っている指の影が見えます。軟質陶器は16世紀末にヨーロッパでも造られ始めていました。前記のセーブル焼きやイギリスのボーン・チャイナなどが有名。硬質磁器の方は、原料カリオン(白磁)の産出地域は限定されている上、より高度な技術が必要です。長らく、中国や日本からの輸入に頼らざるを得ない高級品でしたが、18世紀初頭にドイツでの生産が始まりました。

<可哀そうな錬金術師> 、ヨーロッパで始めて硬質磁器を成功させたのはドイツのマイセン地方です。指で弾くとチーンと澄んだ音を放つ東洋の白い焼き物は富裕層の憧れの的・・・狂った様に取り付かれたザクセン王アウグスト二世の物欲が原動力でした。彼に監禁され半ば強制的に研究させられた錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・べ トガーの必死の努力の末、長年の悲願だった硬質磁器の謎が解き明かされます。1710年に王立ザクセン磁器工場の窯が開かれ、300年にわたる輝かしいマイセン磁器の歴史が始まりました。こんな時代にも錬金術師の活躍の成果が残っているんですね。でも、ベトガーは秘密漏洩を防ぐために幽閉され、あげくの果てに酒に溺れて頓死・・・37歳だったそうで、「錬金術師は老獪な年寄り」的イメージが・・・

<ベークライト製?> 最近、ベークライト製のビストロ・コースターを発見しました!アブサン・ソーサーに丁度いい感じ。人類初の合成樹脂ベークライトが実用化されたのが1910年頃ですから、アブサン・ソーサーとして使われていた可能性は微妙・・・しかし、検索してみると、某アンティーク・アブサン・グッズ・サイトではベークライトのアブサン・ソーサー(左)を販売していました。なんと、7フランの値が印刷されています!私の知る限り、ファーストプリントでは最高値さいたかね・・・もしかしたら、当時は夢の新素材として持て囃はやされており、高級銘柄用に造られていたのでしょうか?人類史上初の合成樹脂ですから、当初は生産性も低く高価だったのかも知れません。とりあえず、アブサンとは無関係の国内サイトで見つけたので注文。現物(中央二点)が届いてグラスを置いてみたらビックリです!測った様にピッタリのサイズなんですね。1960年代のデッドストックなので少々モダンな感じですが、御覧のように濃い色なので白濁の様子が分かり易い!と思ったのが導入動機です。陶器製のビンテージ品より安いのが最大の魅力だった事は言うまでもありませんが・・・

      

)ファースト・プリントを消去して値段を書き直した皿が存在しています。右から三番目の様に古い値段を黒く塗りつぶした皿はよく見かけますが、二番目の12フランと記載されている皿は手が込んでますよ。リム(縁飾り線)の右側が不自然に薄くなっているのがわかりますか?実は右端画像に薄っすらと残っているの1,50という数字を消した時にリムも消えてしまったんですね。きっとバフでもかけたんでしょう。そして、新たに12フランの文字を・・・それにしても皿の品位に比べて不釣合いな値段になっしまい、飲食店が使うとは考えづらい気もします。これと同じ手法を使った15フランの皿もありました。今までに見た最高値さいたかねですが、当時の貨幣価値で換算すると一杯15000円という法外な値段に・・・飲食店では飲み物全般に使われていた様なので、物価が急上昇した大戦後のリサイクル的書き換え作業なのかもしれません。

<スティール製?> スティール製のビストロ・ソーサーも発見!東京のアンティーク雑貨屋さんで普通に売ってました。素敵なお嬢さんが風と戯れているイラストが素敵です。金属製のソーサーはグラスに張り付いて使いづらいんですが、陶器製ビストロ・ソーサー同様の排水用突起が付いているのでバッチグー!アメリカ経由との事で出目は不明ですが、素材的にはフランス産と考えづらいかも・・・でも、お嬢さんのイカしたファッションが変に懐古的で、リム(縁)のエキゾティックなデザインやカラフルで抜けた色彩感覚もアメリカっぽくない気がします。特に雲の描写にはジタン(煙草)のパッケージ・デザインと共通性を感じませんか?でも、フランス製にしてはドン臭すぎ・・・どこの物ともつかぬ独特のチグハグ感が妙に魅力的ではあります。<アメリカのパリ>と言われたニューオリンズ周辺の出目だったら不思議じゃない・・・って事はアブサン・ソーサーだった可能性も濃厚で・・・チョッと無理やりっぽいですかね?それにしても、排水用突起の付いたスティール製ソーサーなんて初めてです。

   

<アブサン・カラフェ/ピッチャー> アブサンを手動で楽しむには、水を適切に垂らせる専用カラフェやピッチャーは欠かせません。形状や口に工夫がしてあり、デザインも素敵ですね。

     

<アブサン・ティペット> ビストロやバーでアブサンを小分けして卓上に提供する為の"Topette"と呼ばれる容器です。日本酒の徳利的な存在です。2〜12杯分の様々なサイズがあり、お客さんが何杯分飲んだか分かるようになっているそうです。中央のタイプは 25(or30)ml /Doseごとに括くびれがあり計量し易くなっていて、その形状から"ミシュラン君型"、つまり"Bibendum style topette"と呼ばれています。"Bouchon゛ とも呼ばれるようで、ガラス工芸が盛んなリヨンでは郷土料理を出す庶民的なレストランのことを指します。昔、 宿屋がレストランを兼ねていた頃には「 bouchon =馬用の藁の束」がお店の目印だったとかで、そこからの擬似形状由来名かもしれません。左3本のフラスコ・タイプにも計量用の目盛りが薄っすらと付けてあるのが分かりますか?

・当店にも1860〜90年のティペットがありますが、今のところ全て"Bibendum style topette"です。だって、他のタイプは普通の水差しにメモリが付いてるだけって感じなんだもん・・・"ミシュラン君型"はアブサンならではの雰囲気がキュンと来ますよ。使い方も今時?で、アブサンを割る水用のカラフェとして使う方が多いです。自分の加水率を把握しやすいでしょう?

            

<アブサン・ファウンテン> アブサンを楽しむための本格アイテムは自動給水器(ファウンテン)です。19世紀パリの夜、ちょっと高めのカフェで大型の給水器を囲んだ人々が楽しそうにアブサンを酌み交わす姿を想像してみて下さい。超クールな昔のハイテク器具は私達の幼心を引き付けて止まず、蛇口からポタる水が少しずつアブサンを白濁させていく錬金術的な有様にはシビれます。芝居っけタップリの専用器具アブサン・ファウンテン(給水器)はアブサン店の必須アイテムです。金属の脚と蓋が付いたアール・デコなタイプがベルエポック期に活躍していましたが、ガラス破損が多く残存率がかなり低いのでヴィンテージ品は超高値です。でも「Frenchman SAR」のレプリカがあり、オシャレな服なんかよりは全然安い値段ですよ。最近はガラスボウル部の交換が可能なニュー・ヴァージョンに改良され、安心度がアップしました。でも、サイズが微妙に違うので部品の流用が利きません。最近出回っているチェコのガラス製ファウンテンも繊細で優美なラインがファンシーです。でも、少し軽すぎて使いづらいかな・・・こっちはGパンぐらいの値段です。

     
左から3番目なんかアブサンも注げる究極?のファウンテン。4番目は、一人用・・寂しいですか?あっ、2台ともチェコ脚ですね。右端のTERMINUSの精細画像が下です。


・左から、底部のレリーフ、蓋トップのニワトリ君、蓋の蝶番、開いた時の内側、歴戦のカラス・ボウル部。レプリカ品とは佇たたずまいの違いが歴然としていますね・・・

(ファウンテンでの作法の動画はこちら

<マイ・ファウンテンが欲しい方へ> 金属ベースの伝統的なファウンテンには二系統のレプリカがある様で、以前からある旧タイプ各種とガラス・ボウル部が破損しても交換できる新しいタイプ各種が出回っています。当店で使用している2spout(蛇口)のレディ・ミニ・ファウンテン新/旧を比較すると、蓋や底部台座の直径、spout(蛇口)のパイプ径、ストレーナ(濾過板)のサイズとネジ径、などが微妙に違います。これらの金属部は全く違う鋳型を使っている様なので二軒の業者が生産しているのでしょう。これから購入される方には、もちろん新しいタイプをお勧めしますよ。ボウル部が簡単に外せるので衛生管理も楽勝ですし、うっかり割っても安心!しかも台座が小さいので卓上での収まり具合も良いんです。しかし、本体のみの画像だけでは判別がつきません。同じページに交換用ガラス・ボウルの掲載があれば新タイプを販売しているサイトだと分かりますが・・・見分けるポイントはspout(蛇口)部で、この二種のレプリカ品は現時点では取っ手形状が違うんですね。(1)が旧タイプで(2)が新タイプの様です。しかし、いつ変更されるか分からないのでメールでの問い合わせをお忘れなく・・・(3)はアンティーク品ならではの佇たたずまい。(4)は多分ですが、アブサンの普及率が意外と高かったアメリカ製のアンティーク品?

1)2)3)4)

・伝統的スタイルのファウンテンはチョッと大袈裟だし値段も高め(15000円位から)じゃん・・・と思われる方は安価(10000円以下)なチェコ系の総ガラス・タイプが気になると思います。最近のアイテムなのでオーセンティックな要素は皆無ですが、妙な吸引力のあるボヘミアン・ガラスならではの繊細なディイールは魅力的ですね。ただ、spout(蛇口)部がプラスティック製なので安っぽく耐久性にも不安が残る事、薄い総ガラスなので洗浄の時に神経を使わねばならない事、かなり軽量なので卓上での使用時に安定感が欠ける事、などを知った上での購入ならOKだと思います。

・ちなみに、上記の参考価格は個人輸入を前提とした本体価格につき送料は含まれていません。また、生産地以外の国のサイトでは高めの価格設定になっているのは仕方がありませんし、日本への送料も色々です。ネットを彷徨さまよい歩くと全く同じ商品なのに支払い総額に10000円以上の開きが生じる事に気付くでしょう。でも、一定価格以上の購入(100£〜200$)で全世界送料無料!なんて太っ腹な設定をしている販売サイトもあるんです。三軒くらいですが・・・・アブサンやグラスなどを同時購入するとお得ですよ。ただ、そんなサイトに限って選択範囲が狭かったりするんですよね・・・

・私もチョッと前から個人輸入に挑戦!しています。しかし、そんなに上手く事が運ぶはずもなく、苦労の連続・・こちらを御笑覧ください。

<アブサン・ブロウラー(brouilleur)/ドリッパー(dripper)> 大きくて取り回しの悪い給水器を使わずに、気軽に楽しくポタれないの?という御要望への回答が各種のブロウラー達です。シンプルなモノから凝った構造のモノまであり、(1)のシーソー運動するヤツ( Oxygenee Cusenier Auto Verseur Brouilleur)なんかは遊び心満載で「ココまですんのかい!」って驚きますよ(動画はこちら。左が現行のレプリカ、右の2種が稀少なオリジナルで重厚な高級バージョンもあったんですね。(2)の two-level brouilleur には砂糖を置く場所が作ってありますね。右がオリジナル。以上の2タイプは1840年頃に流行したアイテムだそうです。(3)はペルノー・フィルス社のストロー・タイプのオリジナル。レプリカもありますがカッコ悪すぎて画像を載せる気がしません・・・(4)は日頃使いにピッタリのシンプルなグラス・トップ・タイプで、ディスペンサー(dispenser)とかファンネル(funnel/じょうご)などとも呼ばれています。グラスの上に置いて氷や角砂糖などを入れ、水を注ぐと勝手にポタり始めます。画像はタラゴナ系なので比較的新しいヤツ・・・(5)は角砂糖受けが付いた金属性グラス・トップ・タイプの Bloch製 two-level brouilleur(動画はこちら。(2)を豪華にコンパクト化した感じで1894年に発明された事が判明しています。当然ながら激レア品で、万が一出たとしても値段に驚いてビビッてる目の前で即売でっせ・・・このタイプにはレプリカがありません。以上が主なブローラー君達です。こんな粋な小道具には面白シビれずには居られませんよ。「普通に水で割ればいいんじゃない?」なんて言いっこなしです。当時の人達が白濁を楽しむ為だけに考えた数々の工夫を無駄にするなんて・・・当店には(5)以外の全タイプが用意してありますので、お試しいただけます。もちろん、レプリカの方ですよ・・・

(3)のペルノー・タイプ(Perrenod Brouilleur)は、二通りの使い方が紹介されていました。グラスに冷水を入れ、器具でアブサンを注ぐ方法だと完全に混ざる様です。逆にグラスのアブサンに器具で冷水を注ぐと濁りにムラが出来て飲み口の変化を楽しめる、とか・・・あと、円盤部をひっくり返すことでストローの深さも換えられる様です。精細はこちらです。

1)2)3)4)5)

(4)のガラス製グラス・トップ・タイプですが、アンティーク市場でも見かける事は極めて稀です。当時の風俗画などにも登場しておらず、実際に使用されていたのかが疑問でした。でも、同じ構造の金属製ブローラー(下中三画像)はweb上で見かけるのでガラス製があっても不思議じゃないなぁ〜と思ってたら、当時のカタログに掲載されてるのを発見(下左)。さらに、フランスで禁止される直前(1913年)サイレント映画 『Absinthe』にもガラス製を使用しているシーン(下右)があった事も思い出しました。使用目的から推測すると破損率は相当に高かったのは間違いなく、安いカフェ、ビストロなどでの使用は考えづらいですね。高級店の卓上提供用に使用されるなど、庶民的なアイテムではなかったのかな?と想像しています。

    

・そんな訳で、急に欲しくなったガラス製グラス・トップ・タイプ。探索を開始しましたが、全然無〜い・・・しつこくネチネチと探す事一年、某アンティーク・ショップにリスト・アップされたのに気付いて運よく購入できました!40ユーロもしましたが、その瞬間の私は躊躇ちゅうちょなんかしてる場合じゃな〜い・・・届いた品は明らかに古い物で、まっ平らな底面の中央に穴が空けてあるだけ・・・のシンプル、と言うよりは質素な造りがリアリティーに満ちてます。割と薄いガラスで「よくぞ100年近くも生き延びてきたもんだ」と変な責任感まで感じちゃう始末でした。

) 『Absinthe』を見直した時に気になったんですが、水の落ち方が現行のレプリカ・ブローラーと異なってるんです。現行品は真ん中から水が落ちるんですが、映画では数ヶ所から落ちている様にも見えます。上右の画像でも分かりますよね。穴が二つ空けてあるの?と思っていたところ、届いたビンテージ品で試したら理由が判明・・・底が平らなので水が横に伝わって適当な所で落ちるんですね!う〜ん、実に味わい深い現象です。こんなパフォーマンスを見せてくれるとは、40ユーロが安く思えてきました。ホクホク・・・あっ、勝手にしてろっ!って感じですか?

その後、e-Bayに手を出してしまった私は怪しげな物件を発見・・・溜まり系グラスと底面に突起が見える様な気がするブローラーのセットなんですが、ピンぼけ気味の写真では何とも判断しかねます。意外な安さと初めて見たドン臭いグラスに惹かれてダメモト入札!結局、誰一人競ってこない単独落札でしたが、届くのに一ヶ月もかかって不安な日を過ごしました・・・心配していたブローラーは前の品よりは新しい感じの薄手ガラスで、スペインのサン・ミゲール( San Miguel )社製レプリカ・ブローラーに似ています。直径がほぼ同じという点から最悪でもサン・ミゲール製のプロトか初期物、運が良ければレプリカのサンプル元オリジナルの可能性もあります。前のヤツと同じ感じの仄ほのかなマゼンダ色、底部突起の具合と削り出しの荒さ、厚みの割りに大きめの気泡、今時では考えられない鉄砂の吸着、などが見受けられ、それなりに古い物と判断しても良いのかな?肯定的憶測なので自信はありませんが・・・でも、グラスの方は19世紀物なのは一目瞭然の無骨さで、気持ち良いぐらいバッチリのOK牧場だ〜ッ!かなり重いですが、すっかり気に入って愛用してます。

・下左3枚の画像はe-Bayに出ていた別件のアンティーク・ブローラー。厚めガラスの側面にエンボスが彫ってあります。ディジョンの会社がジュネーブで生産していたと思われる“ABSINTHE MUGNIER”のパブリシティ・アイテムでしょうか?平らな底面にドリルで穴が空けてありますね・・・う〜ん、触手がムズムズ動きますが送料を考えると・・・でも、厚いヤツも欲しいし・・・って言うか、結果的には完全にお呼びじゃなかった様です。29bitsも入って299ユーロ(35000円位)という雲の上の値段で落札されていました。

・右2枚もe-Bayに出ていたアンティーク・ブローラーです。割と厚めのガラスでポッテリ・メローなラインが良いですね・・・底面が突起しており加工精度も高そうなので比較的新しい物件かも知れません。乗っけるグラスのサイズに融通性を考えていない感じで、特定の組み合わせが前提なのでしょうか?なんとな〜くアメリカ製の様な気ももしますが・・・77$からのスタートで、高め狙いの出品者ですね。

    
フランスのDijon、スイスのGeneva、二つの地名がエンボスしてある“ABSINTHE MUGNIER”製ブロ−ラー。
あっ、ディジョンと言えば粒マスタードやクレム・ド・カシスで有名な美食の都ですね。エスカルゴもです・・・

・ちなみに、ヘミングウェイの小説 「The Garden of Eden」に次の様な一文があります。「本当は上に氷を載せたガラスを置いて,小さな穴から水がしたたるようにするものなんだ。でもそうすると何を飲んでいるのかばれてしまうから・・・」 グラス・トップ・タイプのブローラーがメジャーな作家の小説にて確認できる稀な例です。後半の一文から、パスティスを飲む際にもアブサン的作法は避けられていた事が読み取れます。舞台は1920年代の南仏のレストラン。他の文では禁制になったばかりのアブサンを飲む緊張感も描写されており、アブサニスト必読の書ではないでしょうか?

<ナ、何じゃコリャ〜!> 謎の器具を発見しました。アブサン用パイプ状吸引具(Bonque)!らしいです。どうやらアブサンを細い管でチューチュー吸うための専用アイテムらしくて、more fun! な体験ができるそうです。本当ですか?アランディアさん。昔からあったんですかね?左から二番目のブツなんか二重構造だとかで謎が深まるばかりですよ・・・記述では、チェコの作法という事になっています。パイプ・ボウルにアブサンと氷を入れ、時を見計らって吸う・・と書いてありました。 Try it out, it is fun.!ですって・・くどい様ですが、本当ですか?

・と言う訳で、下画像の中央二本を購入してみましたが・・・正直言って、造りが悪すぎてガッカリ。可愛くないって以前に道具としての説得力に欠ける感じで、多くの人の手を経て洗練されるべき美しさが感じられません。しかも、試してみたら・・・全く more fun! な感じではなく、面白がってやる遊びだとしても成立してない!残念ながらお蔵入りです。

・そして、右から二番目の画像はeBayに出品されていたアンティーク・ガラス・パイプ・・・手元にあるアブサン・パイプのお粗末な造りに比べると整合感を感じる洗練されたシルエットで、口元付近の処理なんか雲泥の差ですね。深い緑色も魅力的で、ボヘミア・グラスと言うよりはベネチアンっぽい雰囲気を感じます。出来しゅつらいが20世紀と納得なんですが、出品検索名に<Absinthe>の文字はありません。本来は別の用途で存在したアイテムなんでしょうか?チェコのアブサンは1991年に始まったばかりなのは定説です。つまり、アブサン・パイプは最近の発明品という事になりますが、それにしてはバリエーションも多すぎ・・・チェコ国内でも都市部以外では見向きもされていないのに、そんなに需要があるとは思えません。パイプ形状も妙に出来すぎな感じでしたが、別の用具のデザインを流用したアレンジ品だとしたら納得です

    

・疑問が氷解しました。アブサン用具の専門サイトに下記の記述を見つけて超スッキリ!です。この用具の通称は<Cognac pipe>、つまりブランデーを飲むための専用器具だった様です。手のひらで握りこんでコニャックを暖めやすいボウル部の形をしています。大き目のブランデーグラスを持ち続けるのは意外と辛いんですね・・・ユッタリと芳香を楽しむだけでなく、息を吹き込んでブクブクさせ無理やり香りを立たせる荒業も可能・・・左から二番目のパイプに乗っかってる蓋はテーブルに置いている間に蒸発を防ぐ為らしく、かなり長時間の楽しみを前提とした仕様です。起源は意外と古く、18世紀にはフランスの貴族/富裕層が金や銀のパイプを愛用していたとか。現代ではマニアックなコニャッカー?がブランデーを燻くゆらす為のマイナー・アイテムとして定着しており、ヨーロッパ系e-Bayなどでは出品物も珍しくありません。さっそく当店でも使ってみましょう!それにしても、やっぱインチキ流用品だったんですね。恐らく、質の悪いチェコ産の模造品が出回っているのではないでしょうか?さすがに中欧のアブサン流通業者はヤッてくれます。逆に感心しちゃいましたけど・・・この詐欺?行為に生産者は無関係で、むしろ当惑しているのかも知れません。・・・しかし、本来の需要は充分にある感じで上右端の装飾的なパイプもチェコ産との事でした。

『 Cognac pipes are sometimes marketed at an absinthe accessory. Cognac pipes don't have any historical connection to absinthe and it is unlikely that absinthe drinkers in pre-ban times would use such a device to drink absinthe. It is downright impractical to enjoy absinthe in a cognac pipe. The shape of the glass would allow the absinthe to be warmed as the glass is held. Absinthe is best enjoyed cold. 』

   

・その後に見つけた画像(左二枚)では商品の箱書きに<Schnaps pipe>とあります。 シュナップスというのはドイツで度数の強い酒(火酒)を呼ぶ時の大雑把なくくりで、原料などの規定がないスピリッツやリキュールの通称です。穀物や果物などを使った様々なシュナップスがあり、ビールを飲む時には胃を冷やさないようにストレートで頂く習慣があるそうです。通常は小さなショットグラスを使う様ですが、ビヤ・ジョッキの横にシュナップスのガラス・パイプがある図はサマになる気がしなくもありません。加水して飲むのが前提のアブサンに使うよりは整合性がありますね・・・

・ポート・ワインを飲むための道具として販売されているブツも見掛けました。<Port Sipper>という商品で、右二枚の画像です。可愛いらしい妖怪の様なシルエットですね。ちなみに、Sipperとは「チビチビ酒を飲む人」の事。17世紀から存在する陶器製の<Schnapps Pfeiffe>が起源で、オーストラリア製の流用品(reconstructed a new version)である事も明記してありました。

『The origin of this unusual drinking vessel has been traced to the 17th Century in Central Europe. At the time it was known as a Schnapps Pfeiffe, and was made of ceramic material.』

<結論> 以上の事から推測すると、本来はヨーロッパ各地の富裕層が使用していた度数の高い酒(シュナプスなど)を楽しむ趣味的な小道具って事でしょうか?当時のブランデーは無色透明で、樽貯蔵による琥珀色と豊かな芳香が一般化したのは19世紀以降と言われています。つまり、それ以前のブランデー(オー・ド・ヴィー)はフランスのシュナプスにすぎません。時を経た末に<Cognac pipe>としての認識が大勢を占める様になった、と考えるのが自然な気がします。

<Schnaps> 最も多い形態はジャガ芋や穀物の醸造アルコールに各種のハーブやフルーツなどを浸透させてから蒸留するリキュール・タイプで、伝統的スタイルでは風味付け原料が単独で使われる事が多い様です。カクテル向け美味追及型の現代リキュールとは異なり、さりげなく緩やかな味わいが持ち味。大きな解釈では、リキュールとは言いかねる<アクアビット>、<キリッシュワッサー>、<コルン/Kornbrand >なども仲間扱いにされています。ドイツ、中欧、スカンジナビア半島などでは日常的な存在で、現地滞在者の記述によると食後にクイッとストレートで飲るのが通例とか・・・法規定がある訳ではないのでSchnaps という表記が必ず付くわけではありません。一例ですが、“HIMBEERGEIST”と書いてあるボトルの場合にはHIMBEERが木いちごの事で〜GEISTという表記が果実をアルコールに浸透させて蒸留したお酒の事を指します。つまり、木いちごのシュナップスですね。しかし、ヒントになり得る単語が表記されていないボトルも多い様です。そんな分かり辛さのせいか、昔から輸入されているにも関わらず「名前は知ってるけどピンとこない」って感じに・・・モダンなカクテル向きシュナップスがさらなる混乱を招いています。定義が定まっていないくせに幅が広すぎるんですね・・・

<ビストロ・トレイ> ベル・エポック期にビストロやカフェなどで使われてた金属製のトレイ(お盆)は、「重箱の隅」的な最終アイテムと言えるのではないでしょうか?真鍮(ブラス)に銀色のメッキが施されたズッシリと重いタイプのトレイは、薄くて軽いステンレスやプラスティックに慣れきった私達に歴史の重み(我ながら大げさですね・・)を感じさせてくれます。この手の業務用量産品は、何故か残存率が少なくアンティークは一回しか見たことがありません。しかも、Sold Outな上 Very rare ! と表記されていました。禁制直後が第一次世界大戦だったので、溶かして弾丸の薬莢やっきょうにでもしたのでしょうか?レプリカなら当店でも使用しています。このトレイにアブサン器具達をセッティングすると、かなりの"バッチリOKだぜ!GO!GO!"感を呼び起こしてくれるんですね。トレイ外周の立ち上がりとアブサン・ソーサーの重なり加減の具合よさには、ちょっとだけ幸せを感じてしまいます。チリも積もれば山となりますから・・・左の二枚は、時代不詳のアンティーク。恐らく、真鍮製だと思いますが、繊細なエッチングにグッと来ました。オークションに出品されていたんですが、他の人は全く興味が無かった様で単独落札の超激安!でした。

   

<偽物のアンティーク・アブサン・グッズ> やっぱり、あるんですね・・・愛好家を狙ったフェイクの数々・・・グローバルなオークション・サイトの eBay やフランスのフリーマーケットとかで個人出品されているアンティーク・アブサン・グッズの多くが偽物か偽造品(コピー)だそうです。他用途品に法外な値段を付けて騙そうと(又は勘違い)した例で、確かにアブサン・グッズに見えなくもないですね。性質たちが悪い出品者は、普通のガrス製品に銘柄名やABSINTHEなどの文字をエッチングしている例すらありました。手元に来れば一目瞭然だと思うんですが・・・左から、香水用のディスペンサー、トマト・サーバー、謎の創作スプーン、オリーブオイル用ポット。珍しいアイテムとして高額なオファーをされていたんでしょうか?もちろん、規制以前のアブサンも偽造されています。(参照

   

<海外通販悲話> さんざん探しましたが国内で購入可能なアイテムは少なすぎ、あったとしても驚くほどの高値(2〜5倍)が付いています。基本中の基本とも言えるアブサン・グラスすら用意できない状況では、せっかくの魅力的な作法の数々をお試し頂けないです。そしてカワイイ器具達を是非とも手元に、との個人的欲求(こっちがメイン?)も押さえ難くなってきました。恐る恐るトライした海外通販でしたが様々なトラブルに襲われ、見事コテンパンにやられました。とは言え命の危険がある訳でもなく、そのうち慣れてくるに違いありませんから、少しづつでも充実させていきます。この手のアイテムや作法が気になる方は御期待下さい。(各種アブサン・グッズの購入顛末はこちらです。)

  
ドイツからなのに、「ケ・セラ・セラ」な梱包で破壊された輸入アイテム達と私の悲しげな指です・・・

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< アブサン関連サイト >  このページの記述にあたり参考にさせて頂いたサイトや個人で頑張っている関連サイトを紹介します。

 蓮根のホラー雑貨&バー「BREAD LINE」さんが主催する「蓮根アブサン協会」のサイトです。ここがキッカケでアブサンの底無し沼に足を踏み入れてしまいました。基本情報から具体情報まで網羅する、情熱にあふれた素晴らしいサイトです。ただでさえ御世話になっている上に、グラスとファウンテンまで「BREAD LINE」さん経由で入手させていただき、もう足を向けては眠れません。上のバナーをクリックして覗いてみましょう。

飲酒連 名古屋のサイトですが、2000年で停止している模様です。リバイバル・アブサンが登場した時期と一致するので、使命が終わったのでしょうか?入手困難な時期の事情や苦労話などは大変貴重で興味深いです。密造アブサンなどのテイスティングなども記載されていてワクワクしながら読みました。

 イギリスのモンスター・サイトです。リキュールの名門、Oxygenee/Cusenier社が運営していおり、「ヴァーチャル・アブサン博物館」の名に相応ふさわしい素晴らしさ!博物学の本場ならではの情熱と情報量には圧倒されて「開いた口が、又、塞がる」ほどの凄さですよ。フランス語だったら超メゲてるとこでしたが、ありがたい事に英語!だからってスラスラは読めませんけど・・・たまに覗いては「おっ!」と新発見しています。正にアブサンの迷宮・・・・又は、増築を重ねて迷路化した温泉宿状態で、以前に見たページが見つからないなんてよくあるくらいのグラマスク・サイトです。。その内容をマンマ本にしちゃった 『A Guide to the Lost World of Absinthe and La Fee Verte』と言うアブサン百科事典が2008年末に出版されました。

site absinthe 神戸在住のアブサニストの方が運営しているアブサン・サイトです。飲食店のサイトとは異なる視点で語られており個性的。映像関係の方なのでアブサンが登場する映画を紹介したページは思い入れたっぷりの内容で面白いです。「神戸アブサン会」なる愛好会を主催して精力的な活動なさっている「蓮根アブサン協会」の主要メンバーでもあります。

・「こんだけ語っといて、ドギーで飲めんのはこれだけかョ!」と思っちゃいますか?当店にてお出ししている正規輸入品は下の通りです。

・初めて飲まれる場合、大まかな感じを楽しんでみたい方は<アブサンカクテル>、ダメもとでいいから本格的なアブサンを希望なさる方は<正統派アブサン>のどちらかでお申し付け下さい。当方で適切な銘柄と飲み方にてお出し致します。前者の方が失敗の可能性は低いですが、多種の酒類を経験されてきた方は後者でOKだと思います。なお、アブサン自体のアルコール度数は高いですが、水などで割るのが習慣です。実際はワイン程度のアルコール度数になりますので、ご安心下さい。

銘柄名
産国
ツヨン濃度
ai%
 由来
 
アブサント・55
フランス
〜3ppm
55度
m
超弱ツヨンで安心の復活銘柄第一弾・街の安アブサン・・
800円
ハプスブルグ・ゴールド・ラベル
ニュージーランド
〜10ppm
89度
m
最強アタック!強い苦味と刺激感で特異な存在・ブルガリア系 ・カクテル向き
800円
ペルノー・アブサン
フランス
〜10ppm
68度
m
本家復活・・してないじゃん・・「昔の名前で出ています」的銘柄
1000円
ヴェルサント
フランス
6〜7ppm
45度
m
本場での評価も高く、完成度も素晴らしいアニス系の良品です
1000円
アブサンティーン
フランス
0,4ppm
50度
m
上品でドライなアニス味、フォーション取り扱いも納得の高級パスティス?
1000円
グランド・アブサント・69
フランス
〜10ppm
69度
d
南仏系の基準となり得る秀逸な味わいです(参照
1000円
ミス・アブサン・トラディッショナル
フランス
〜1.3ppm
55度
?
南仏物とは思えない力強さ、意外と個性的
1000円
ヴェルサント・ラ・ブランシェ
フランス
28ppm
57度
d
アニス風味の強いプロヴァンスの白は、新しい美味しさです 
1200円
キュプラー
スイス
〜35ppm
53度
d
La Bleueを感じるならコレ・本場スイスでのシェアNo,1! (参照
1200円
マンサン
スイス
〜10ppm
66,6度
d
マリリン・マンソンがプロデュース!苦み強い本格派 (参照
1200円
ラ・シャルロット
フランス
〜10ppm
55度
d
ようやく日本にも本格フランス系が・・・嬉しい!
1200円
ヴュー・ポンタリエ
フランス
〜10ppm
65度
d
No1生産者の新しい方向性を示した一品!
1200円
アンジェリーク
スイス
〜35ppm
68度
d
ブニヨン氏初のフランス・タイプ・シリーズの普及版
1200円
グランディスティーヌ
スイス
〜35ppm
53度
d
名実ともにトップ銘柄・モダンでクールな新世代ホープ (参照
1200円
カプリシューズ
スイス
〜35ppm
72度
d
グランディスティーヌの原酒版?抱擁力に満ちた深遠な味わい
1200円
バタフライ・クラシック
スイス
〜10ppm
65度
d
100年前のアメリカ・レシピは旨甘みとシトラス感で得難い個性
1400円
クザン・ジューン
フランス
1,7〜2.2ppm
65度
d
フローラルな香りに程良いほろ苦さ、高いレベルで飲みやすい
1400円
ブルジュア
フランス
5.6〜6.1ppm
55度
d
かつての名アブサンを再現?さり気ない佇まいに隠された奥深さ
1400円
ヴェルト・ド・ジュー
フランス
7.3〜7.8ppm
56度
d
頂上アブサンの一つ、文句無し!
1400円

・ツヨン濃度、 1ppm=1mg/1Kg=0.0001%です。含有量非公表品もあり、とりあえず〜10ppmと表記してある銘柄もあります。

<m>はミックス&マチェアード法、<d >は蒸留法

 

左から、フランス(×3)、チェコ、フランス(×3)、ブラジル、フランス、オーストラリア、フランス(×2)、日本、スイスの銘柄達です。

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Manufacturer
Abtshof
Artez
Bairnsfather / Sebor
Baumgartner / eAbsinth
Bugnon / Artemisia
Cami
D. de Monforte Del Cid
D. del Penedes
D. et Dom. de Provence
Delis
Devoille
Distival
Fruko Schulz
Fuchs
Green Utopia
Guy / Pontarlier Anis
Helfrich
Hill's
Huguet / Lohmann
Kubler
L'or
La Rochere
La Vallesana
La Valote
Lehmann
Lemercier
Licores Sinc
Liquoristerie de Provence
Manguin
Mari Mayans
Matter-Luginbuhl
Montana
Nadal
Obsello Absenta
Pernod
Pernot
Persoz
Rauter
Schnapsmuseum Wien
Segarra
Slaur
Stromu
Trul
Ulex
Wild
Wine & Spirit
   

左から、北フランス(×2)、スイス、ドイツ、オーストリア、北フランス(×2)、スペイン、ドイツ、東フランスの銘柄達です(参照)。

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「ダメ人間になっちゃう、ヤバイ酒なんでしょう?」 △ アブサンに限らず、度を越した酒飲みの方はアル中のダメ人間になやすいです。そして、ダメ人間になるための簡単なメゾットは沢山あり、より取り見取りの選び放題なのはご存知の通りです・・・・

「ラクの仲間だと思う」 △ アニス酒という括くくりに入れても問題がないアブサン銘柄がほとんどで、特にフランス産はその傾向が強いです。でも、特殊なスタンスのチェコ産銘柄の多くを筆頭にアニス未使用のアブサンは意外にあるので、限りなく×に近い△です。文化背景が異なる点を考慮すると、限りなく△に近い×かもしれません・・でも、両方とも未体験の方にはメダカとサンマくらいの差しかないので、同じ仲間に感じられるのは確実ですので○なんですかね。「両方とも細長い魚じゃん?」的にですけど・・・

「非合法で売ってないんじゃなかったっけ?」 × 今では国内で普通に売ってます。ウザッたい自主規制勧告ってヤツが邪魔して選択肢は少ないですが特定の銘柄なら楽天などでも珍しくはないです。でも、心からお勧めできるのは極々少数しかありません。海外からでしたら個人輸入で多彩な銘柄が購入できます。以前ですと、規制中やその影響が残っていた2000年位まででも非禁止国でなら入手は可能なはずでしたが、イリーガルなイメージがあった為か簡単ではなかったのも確かだったようです(参照)。日本では1980年代位まで黒ラベル(1,2代目)のヘルメス・アブサンがチャンとツヨン入りでガンバッていました(参照)から、「非合法じゃないけど売ってない」状態は20年弱はありました。3代目は××でしたけど・・・要するに、我が国にはヨーロッパ諸国の事情も及ばず、厳格に規制された事は無いので非合法だった時期は無いです。

「漫画の野球選手!酔っ払らわないと打てない酔拳みたいな人」 ×、その人は「あぶさん」です。景浦安武という人(キャラクター)です。

「ペルノーの濃いヤツでしょ?」 × パスティスだと勘違いされる事が多いアニス酒“ペルノー”と“ペルノー・アブサン”は別の物ですが、かなり近い存在なのも確かです。ラクよりは仲間度が高いかもしれません。しかし、<アブサンの魂>とも云えるニガヨモギが使われていない“ペルノー”をアブサンのエリアには一瞬たりとも置く事はできません。チョッとでも使ってれば話は別ですけど・・限りなくパスティスに近い存在ですが、“アブサンティーン”などはニガヨモギ使用なのでOKですよ。この銘柄はフォーションや ラフィアットなどの高級食材店でも扱っているほど上品な味わいで、穏やかなる個性派です。(ちなみに、看板が大きすぎる“ペルノー・アブサン”ですが、本場での評価は意外と芳かんばしくありません・・・)

「昔は芸術家専用酒だったらしいです」 × かつてのフランスなどでは愛飲者一万人の内、一人くらいは本物の芸術家がいたかもしれません。でも、アブサンの存在が芸術・文芸を愛でる人達を介して日本に知られたのも事実です。ですから、昔の日本国内に限り○かも知れません。専用酒っていうほど非芸術家?の人々と無縁だったかどうかは不明ですが・・・

「大丈夫?」 ○ 飲みすぎなければ大丈夫なのは他の酒類と一緒ですが、我々日本人にはクセ強く感じるアブサンを大量に飲むのは難しいと思います。ですから、アルコール被害的には超大丈夫なのは間違いありません。特有成分の<怪しげと思われているツヨン>に関しても、効用はありますが人体に害をなすには超微量すぎるので大丈夫です。タバコ、コーヒー、チョコレートなどの明らかに有害な食品と違い、逆に健康に良い要素(薬草類)の方が多いんですね。

「黄色く濁った変な匂いのヤツ・・・マズかったからもう飲まん」 その人にとっては◎、私には×、友人Bには△です。△の人が一番多いかも・・・・・白く濁るヤツや全く濁らないヤツもありますけど細かい事はいいか・・・アブサンの法的基準は定まっておらず、<アブサン>という名称を使用する際のツヨン濃度の上限だけが明確になっています(EU基準)。乱暴な言い方をすれば「無害な量のツヨンを含有する酒なら<アブサン>と称するのも可」って感じですか・・・・とは言え、充分な量の精油成分の溶解・保持のためには自然と45度以上のアルコール濃度が必要になる場合が多いので蒸留酒に限られるはずですが、ヴェルモットの位置づけが問題になってくるかも知れません。

「あ〜、知ってる、麻薬入りの酒でしょ」 × 前述の通り、有害成分は他の日常的な食品(例えば、ニンジン)と同じくらい微量で問題になりません。そもそも、人体に有害な成分が許容量を超えて含有されている酒が(少なくとも日本で)野放しになっている訳がありません(参照)。20世紀初頭の海外における禁制化も、「科学的根拠の薄いツヨンの有害イメージをスケープ・ゴードとした政治的陰謀による」との解釈が定説になっています(参照)。

「今日はφφしたくないからアブサンにしようかな」 ○ そうですね。φφしたくないなら飲むしかないっすね。どんな銘柄が御希望ですか?でもφφしたくないなんて変わった方ですね・・。有り得なくないっスか。

「西海隆子の歌集ですよね」 ◎ 西海隆子の第四歌集が「苦艾酒」です。 <刺すやうな苦艾酒(アブサン)くだりゆき下りうつとり遊べ爪の先まで>と詠んでいます。<刺すような>の言入こといりから、水で薄めずにストレートで飲んだのかな?と思ってしまいました。そして、<苦艾酒(アブサン)>を西洋的美意識の象徴と解釈すれば分かりやすいな・・とも思ってしまいました。遠い日本で薄めて飲んでる場合じゃないんだよ・・・って事なんでしょうか?

「えっ!あるんすか?レモンハートのマスターも見つけられなかったのに・・本当に本物?」 ? 本物の基準によります。100年程前の疑いようの無い本物、“ Vintage Absinthe from the Pre-ban Era”は置いて無いです・・ハンパない値段(1杯10万円くらい?)になりますから。規制解除後のアブサン(本物?)は1杯600円からありますけど・・・レモンハートのマスターが探していた頃は、かなり難しかったんでしょうね。そこで日本の旧ヘルメス・アブサンが登場したんじゃぁネーム(漫画の筋書き)も通りませんしね(参照)。

「だいたい何杯くらい飲めば飛べるんですか?」 × ツヨン成分などのドラッグ的効果を期待するなら、一度に400本飲まなければなりません。つまり、少なく見積もっても6000杯以上ですから間違いなく無理ですね(参照)。一杯600円の銘柄を選んでも、360万円程掛かってしまいますからチョッと高いんじゃないですか?だから、×です・・

「確か太宰や安吾や朔太郎が飲んでたんだよな」 ? 彼らがアブサンという存在に憧れていたのは確かなんでしょうが、本当に飲んだかどうかは不明だと思います。ほんの少しだけヒネクレ者の私は、「日本のギター弾きの人達が大事にしがちな<ブルース魂>みたいなモン?」と、思ってしまいます。所詮、他人のフンドシ(文化DNA)なんですけどね・・・ちなみに、<ブルース好き>の白人1,000人に対して、<ブルース好き>の黒人は1人くらいだそうです。この、いかにもイイカゲンそうなデータでの<ブルース好き>の基準は、ブルースのレコードやCDを最低でも100枚所有している事だそうですが、個人的にオーティス・クレイやスティーブ・レイボーンなんかはカウントして欲しくない!それより、どうやって調べたのか教えて欲しいですね。でも、<ブルース好き>の黒人の数は我が国の<純日本音楽好き>よりは圧倒的に多いのは疑いようがありません。

「例のヤツ?マジっ!」 ◎ そっ、例のヤツです。マジです。マジ、マジ・・・

「ほかの人から見える所で堂々と飲んでもいいの?」 ◎ 全然OKです・・・非合法じゃないし・・・きっと、誰も見てないし・・・まさか、20歳以下って事じゃないですよね?絶対にそうは見えませんから・・・

「自殺行為でしょ、やっぱコレは」 × さほどでもないでしょ、コレは・・・肉汁滴るステーキや大トロの方がヤバいんじゃないですか?コレステロールはツヨンなんかよりも百倍有害だと思います。「人間は体に悪いモノにこそ快楽を見出す」との正しそうな定理を前提にすれば、生理的幸せを求めて生きる事自体がユルやかな自殺行為って事ですから、美味しいモノが大好きな人は「ただ今、自殺進行中」ですよ・・・つまり、漫画の『美味しんぼ』は『自殺んぼ(チョッとつまんないけど、まっ、いいか)』って事になります。

「こんなの普通に飲むなんて、フランス人の舌は絶対おかしい」 ? ニンジンを普通に食うなんて、君の舌もおかしい!それに、納豆君とかクサヤ君とかパクチー君達の立場はどうなるんですか!フランス人の自由なんですから、人の事は放っといた方が世界平和の一助となります。自分と異なる価値観を無闇に否定する事はファシズムの一助となります。でも、極端に狭い視野が故に生き方が強く見えてしまう人達がいて、やけに幸せそうに見えるのは何故なんでしょうね?やはり、人間の有り様は理屈で成り立つほどには単純ではありません・・・

「村松友視のエッセー集の題名だったような・・」 ○ 「アブサン物語」と「帰ってきたアブサン」ですね。会った事のない猫の名だし、あんまり面白くなかった様な気がします・・・猫は好きなんですけどねぇ・・・犬も大好きです・・・でも話だけじゃねぇ・・・

「へぇ〜、コレがそうなんだ、へぇ〜、スッゲー、へぇ〜」 ◎ 3ヘェ〜ですね・・・そう、コレがそうなんですよ〜

「緑色のシャトリューズにブレンドする酒だって青山のバーで聞いたことある」 × んな訳ないっしょ・・とんでもないデマカセか、勘違いですね。昔の口コミ情報のレベルはそんな感じでした・・・それにしても、伝統的なバーの存在意義が問われ始めています。珍しいお酒も精細な情報もネットでの入手が容易な時代に、バーテンの圧倒的だった優位性が失われつつあります。伝統や雰囲気だけでは生き残れません。どうしましょう・・あっ、当店は伝統的なバーじゃなかったですね。カウンターもないし・・・

「火つけて飲むお酒」 △チェコ産に関してはそんな飲み方もありますね・・・どうせなら、「ハートに火をつけて」ください・・(あっ、ネタのリサイクルだ!)当店にはカウンターが無く安全管理が不安なので行っておりません。ごめんなさい。やっぱり、火ですから・・・他の楽しい作法が用意してありますから、そちらでお楽しみください。ちなみに、世界的にはこんな扱いを受けていたりもします。

「ゴッホが耳切ったり自殺した時、コレ飲んでたんだよね」 ? ゴッホはワイン狂だったそうで、本当のところは不明です・・たぶん、「人は真実や事実などよりも面白そうで楽しい話の方を重視する」という否定できない法則の一例にすぎないかと思われます(参照)。

「『人間失格』で飲みながら悩んでた酒」 △ 確かに登場しますが、飲みながら悩んではいなかったと思います。たぶん・・・そういえば映画化される様ですが、アブサンについて映画製作会社からの問い合わせがありました。「昔の本物を入手する事は可能ですか?」との電話です。黒澤監督みたいな人が回していて、リアリティーを出すために撮影で使うんですかね。その辺に詳しい「BREAD LINE」さんを紹介したんですが、どうなったんでしょうか。ちなみに主演の若手男優?は長年付き合いのある友人Bの知り合いの息子さんだった事が判明し、チョッと驚いたのは最近の事です。

「何かが変わっちゃいますかね?」 × アブサン経験者の烙印を押されてしまいますが、(残念ながら)後ろ指を差されたり、社会から爪弾つまはじきにはしてくれません。その後の人生にも全く変わりはありませんが、<チョッと変わったヤツ>だとか<スノッブでお洒落な人>とかのイタい勘違いをされる可能性は充分にあります。そんなショボ臭いレッテルを貼られたら取り返しがつきませんので、その点だけはお気を付け下さい。

「ほかのと全然違う酔い方するから覚悟して」 ○ もともと薬用酒なので体に良い酔い方をしちゃうかもしれません。キング・オブ・ハーブ・リキュールとも言えるアブサンですから、ハーブ類の含有成分(参照)の効用でポワ〜ッとしたユルい感じで酔うのは確かです。でも、何を覚悟しなきゃなのかは?ですけど・・・こんなセリフの後に「ねっ、マスター」と同意を求められても、跳ばしすぎで落し所が微妙になったら苦労しますから返答に困りました・・・

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Absinthe News!

News! 2010年3月13日よりフランス国内でのフェンコン(フェンネルの製油成分)とピノカンフォン(ヒソップの製油成分)に対する規制参照が解除されました。この法改正には「Jade Liqueurs」のT.A.Breaux氏が大いに貢献した様で、フレンチ・アブサンの悩みの種だった手枷足枷てかせあしかせが外され、やっと本格始動です。輸入品に対する制限もなくなり、フランス仕様だった“アルテミジア・マリアンヌ”などは廃盤になります。業界全体の流れが大きく変わるのは確実と思われます。 (2010/4/24)

News! Martin Sebor氏本人の手による貴重なロスト・ラベルを get! get! get! “Krasna Lipa”、“ Sebor”、“Have's Alpen”の三本です。まさか、入手可能とは思ってなかったので夢の様・・特に“ Sebor”は「This was my last on stock」との事で奇跡的な最後の一本!参照 (2010/8/29)
News! 遂にLes Fils d'Emile PernotHPが・・・デュバル系の生産者だって事がシッカリ確認できました。華麗すぎる自社銘柄を販売しています。(2010/9/04)
News! うわッ!こんなレア物が・・・ありえ〜ん<LdF & Les Fils d'Emile Pernot>の名コンビが2006年に200本づつリリースした奇跡の特蒸品“1797Wormwood Blancheが一本ずつオファーされてるざんす・・・ヤッバー!なんたって、現在のフレンチ・アブサンを深層域で方向付けたヒストリカル・モンスターなんですよ。こんな稀少品は入手なんて無理ッ!と200%以上諦め状態でした。ウッヒョー!アドレナリン撒き散らしながら、メールを打てっ!打てっ!打てっ!「“Hermes 黒ラベル”と交換してくだサ〜イ・・・お願いします〜」 果たして成立するのだろうか?ライバルも多そうざんす・・、結果待ちです。 (2010/10/17)   〈 追記  成立しました!嬉しいでごんす・・・(2010/10/23)
News! アブサン業界で11月の話題と言えば「アブサンティアーデ」で、今年は10周年の節目を迎えました。コンテストの結果に注目・・・って言うか、なんじゃ?こりゃ〜
  <Vertes category>
   1 - Maldoror (Germany)
   2 - Berthe de Joux (Emile Pernot, France)
   3 - Veuve Verte (DuVallon, Switzerland)
   4 - 10eme anniversaire des Absinthiades (Guy, France)
 <Blanches category>
   1 - Maison Fontaine (Emile Pernot, France)
   2 - Clandestine (Artemisia-Bugnon, Switzerland)
   3 - Blandine (DuVallon, Switzerland)
   4 - 10eme anniversaire des Absinthiades (Emile Pernot, France)
・V-2とB-1,2 は下馬評通りで納得ですが、V-3、4とB-3,4 に関しては「あれれれれぇ〜?」と思ってしまいました。事情が分かっている人に、「やっぱ、田舎の品評会だよな・・・それにしても、モロすぎじゃねぇか?知り合い関係ばっかじゃん」って思われても仕方の無い感じです。フォーラムなどでは「good joke!」とか「It is sad that there is no such thing as a prestigious award these days.(まともなコンペティションが無いなんて、むかつくゼ!)」などと評しているコメントもありました・・・・
・でも、まぁ、そんな事よりV-1を勝ち取った「LogisticX GmbH & Co.KG」のドイツ銘柄“Maldoror”には注目ですね。チェコ、スイス、フランス物をブレンドしてCP(25ユーロ/500ml)を追求した銘柄という事で、 当然の様に物議を呼んだそうです。そのうち出てくる手法だとは思っていましたが、こんなに早く登場するとは・・でも、スイス物(たぶん“Sapphire”)はブニヨン氏の提供らしいので、縁故関係が皆無という訳ではない様ですが・・・って事は、フランス物はPかGなんでしょうかね・・・・チェコ物が“Bairnsfather”、“Muse Verte”だというのは確実らしいですけど・・・・・(2010/10/30)
News!そう云えば、ブニヨン氏が「LogisticX GmbH & Co.KG」からの依頼で造っていた“Sapphire”・・・ツヨン規制を無視(50ppm以上とか)した処方がバレてEU内では流通禁止になったそうですよ!プロデューサーのピーター( Peter Fuss )氏が、又ヤッてしまったんでしょうか・・・・・・“Maldoror”の企画もピーター系だそうですが、ひょっとしたら販売困難になった“Sapphire”を処理する為の流れ?いつでも買える銘柄と思い未入手だったので、少し慌てて非ユーロ圏のサイトで探したらギリギリで購入可能でした(一ヶ月後に終了・・・)。しかし、裏ラベルの真ん中は余白になっており、かなり不自然な感じです。(2010/10/30)
News! スイスで妙な出来事が進行中です。"La Bleue"、"Fee Verte"、"Absinthe"などの名称使用をヴァル・ド・トラヴェール地区以外で生産されたアブサンに対して制限するIPG(地理的起源表示)法案が提出(2010年3月)にされており、審議中の模様・・・しかし、納得できるのは"La Bleue"だけで、他の二つは一般名詞にすぎませんからね。少なくともアブサン業界に限り・・・ですけど。表向きには東欧などの劣悪な商品への対策とされていますが、その為だけとは思えない民族/政治上の駆け引きによる利権独占の匂いも感じます。なにしろキナ臭い話で、実質的に一人勝ち状態の地区外蒸留者 Oliver Matter氏への牽制策に思えなくもありません。彼以外の主要な生産者の全てがヴァル・ド・トラヴェール地区で稼動していますから・・・Matter氏と繋がりの深い<LdF>などは強い反発を表明しており、抗議活動の一環として"Absinthe"表記のないMatter銘柄をリリースしました参照。皆で手を携たずさえて普及に尽力する時期が終わったのかも知れません。前々記のNewsとの関連性が無い訳もなく、始原地ヴァル・ド・トラヴェールと聖地ポンタリオの生産者達が協力し合ってブランドを死守し始めた?と思うのは考えすぎなのでしょうか?(2010/11/05)
News!フランスのアンティーク・サイトからアブサン・グラスが届きました。半年ほど前に見つけたんですが、高すぎて買えな〜い・・・その後も未練がましくチェックしていたら、セールが掛かって3割り引き・・・でも、まだ高〜い・・・で、つい先日<閉店セール>にて半額以下になってました!お〜!当然、即プチッですよね・・だいたいチョイ高アブサンくらいの値段で4客セットを購入・・1830〜1900年くらいのアブサン・シューターです。半年越しの想いが叶い、じんわりと嬉しゅうございます。(2010/11/13)  
News! 開店前のひと時、のんびりとベーコンをスモークをしつつカタリ派(異端キリスト教)について調べていたら、外人さんが二人階段を降りてきて「キャン ユー スピーク イングリッシュ?」って聞くんです。まだお化粧もしてないし、日本語も少ししか喋れないのに・・無理ッ!どうやら「Les Fils d'Emile Pernot」関係の人で、挨拶回り(リサーチ)の最中のようでした。なんとかカタコトの英単語(トホホ)で相手をすると、日本への正規輸入が決まった様ですね。どの銘柄が認可されたのか分かりませんが、日本のアブサン界にとっては超 Good News ! なのは間違いありません。やっと、本格的なフレンチ・アブサンが日本で買えるようになるんですね。しかも、個人的には、世界No1に間違いなし!と確信している生産者!一緒に写真を撮る時(だから、お化粧がすんでないってば・・・)に “ Vieux Pontarlier Absinthe Francaise Superieure ”を選んでいたので、この銘柄は確実かと思います。(2010/11/26) 〈 追記 〉 前期の銘柄に加え“Perroquetペロケ/オウム”が決定した様です。(2010/12/27)

News! 使い勝手が悪く、安価な商品が無く、 Sold Out ばっかり・・でトホホのホなのがアブサン・グッズのビンテージ・ショップでした。しかし、上記とは真逆の優良サイトが始動!怪しい商品満載の e-Bay なんかに首を捻ひねってる場合じゃな〜い!遂に、憧れてた本物グラスと本物ソーサーを入手できます。しかも、200j以上購入すると送料無料ですぞ・・・うれピ〜!(2010/11/30) 〈 追記 〉 大雪のせいで荷物が来ない・・・大丈夫っスか?(2010/12/27)  来ました!しかも、オマケ付き!(2011/1/4)

News! 遂に・・・フランスでの「Absinthe」表記が解禁になりました(2010年12月17日)!そうなんです、本場フランスにおいては1915年3月16日に制定された禁止法の一部が効力を維持しており、フランス産のアブサンに「Absinthe」の表記ができなかったんですね!今までは、〜35ppmだと「Amer aux Plantes d'Absinthe」、とか「E'xteait d'Absinthe Spiritueux amer(輸入品)」、〜10ppmは「Spiritueux aux plantes d'absinthe (Wormwood plants based spirit)」と書かれており、「ニガヨモギを使った」という説明表示で何とかしていました。今後は堂々と銘柄名に「Absinthe」を使う事ができます。この改正は、前述のスイスのGIT法案を警戒した対抗措置なのは言うまでもありません。(2010/12/22)
News! 届くのに一ヶ月もかかったアンティーク・アブサン・グッズですが、その間にも安旨アイテムが売り切れてヤキモキしてたです・・・狙ってた激安ゴードン・グラスが売れちゃった時はガックリ・・・ちょっと高い今時のグラスより全然安かったんですよ!やっぱ、骨董品は一度のチャンスしかありません。自分がお金持ちだったら・・・と思ってしまう唯一の瞬間です。で、今回は、こんな感じの注文をしてみました。ミニ・カラフェ、小径の皿、ガラス・ブローラーなんて売ってるの見た事ないです。全部買っても、ナイキの高めスニーカーより安いぞ!これで、夢のヴィンテージ・フルセットが揃いました。あっ、まだ届いてないんでしたね。ちなみに、このサイトのショップカードも届いています。入り口の棚の上に並んでますので、ご来店の際にはお持ち帰り下さい。(2011/01/05)
    

News! とんでもない話が伝わってきました・・・なんとイタリアの名手Stefano Rossoni がチェコ?に移り住み?新たな展開を目論んでいる?というのです。“St. Antoine”で名を挙げつつあるMartin Zufanek が絡んでいる様で、協力体制にあるのでしょうか?新銘柄“La Grenouille(カエル)”もリリース済みとのことですが、いまだに信じられません・・・<LdF>との関係は・・・超お気に入り銘柄“L'Italienne ”の行く末は・・・“La Grenouille”はどんな感じなの・・・気になって夜も眠れません(すんません、ウソです)・・・でも、さすがに「移り住む」は誤報じゃないの〜 (20112011/01/17)

   

<VdA>

News! <VdA>による<Les Parisiennes>シリーズから、2銘柄のマグナム・ボトルが登場!昨年11月に“L'Enjoleuse fut de chene 2010 ”が限定36本(終売)、12月に“La Coquette 2010/浮気女”限定12本でリリースされました。購入者による保存/熟成を前提とした設定で、お徳用ボトルじゃありませんよ。という訳で、紫外線対策の黒い瓶、対流をうながす流線型のシルエット、個人での熟成に向いた容量、長期保存用ロング・コルク、など、特別仕様になっています。仕方が無いので?頑張ってgetしちゃいました。左の画像でレギュラーとの違いがわかりますよね・・・存在感、抜群です。(2011/01/20)

しかも、メールでは20年もの熟成を提示しています。私なんか生きてるかどうか怪しいですよ・・・しかし、すぐの無くなってしまう少量限定生産の<Les Parisiennes>シリーズ・・・<VdA>にしてみれば、少しでも後世に残したいと思ったのではないでしょうか?油断してると、すぐに終売ですからね・・・

   News! 第三弾が届きました!右端はチョイと奮発(すみません、全然大した事ないんですけど・・)したリザーバー付きグラスで、レプリカも出ていないタイプ。中央は最安値の変形イースト・タイプ。写真と違う奴が来ちゃいましたが、ケ・セラ・セラで気にしませんゼ・・・右は最安値ティペットで、カラフェに使おうかと思っています。お客様が加水率を把握し易いのでは?と言うグッド・アイディア!なんですが、誰も褒めてはくれませんでした・・・孤独な戦いは続きます。今に見てろよ〜下は未使用デッド・ストックと思われるアブサン・スプーンです。鋳物製はレプリカが無いので、ついコッチを・・・今回で目標のヴィンテージ・アブサン・セット(×2)を達成いたしました!パチパチパチ〜、一人で寂しく祝杯を挙げます。(2011/01/29)
  

News! マジに迷ってました。海外のオークションサイトe-Bayに挑戦するかどうか・・・まで、見て見ぬ振りをしてシカト決め込んでたんですが、どうでも良い様なホニャララ物件に紛れてキュンとくる幸せアイテムが出品されてるのには気付いていました。でも、そんなのに限って日本へは配送不可な条件ばっかで「ダメじゃん・・」と諦めてたんです。しかし、友人Bが余計な知恵を授けてくれました。代行業者が引っ張ってくれるんですね・・・早速調べると評判最悪なe-Bay公認業者が派手な宣伝をしてましたが、地味〜な優良業者を発見!電話で直接問い合わせできるなんて今時アリなんですか?さっそく登録しましたが、実行可能段階までは意外と面倒臭かったです。義務表記が分かりづらく、何度か問い合わせないと把握できません。しかも、この電子マネーの時代にデポジット(保証金)を郵便局まで振込みに行きましたんですよ・・・そんなこんなで、やっと一週間後に準備が「整いました!」! 

・ただ今、アンティークのアブサン・グラス&ガラス・ブローラー・セットにアタック中・・・40ドルで落ちるか?ポイントは超レアなブローラーが本物かどうか・・・映像では判じかねます。こうなったら、ニセ物を掴まされても笑って諦めますとも・・・ハイ。もう一点はグラス&ソーサーの29ドルを入札中。(2011/02/12)

News! 遂に・・・この日が来てしまいました。“Promethee(プロメテウス)のご注文です。国内では他に一滴も存在しないであろうレア銘柄とは言え、ヴィンテージ品でもないのに一杯6000円ですよ・・・いつもアブサンを飲まれる方なんですが、奥座敷の扉を開けてしまったんですね。経験値が高い人ほど感染率の高い、優美にして個性的な味わい・・・クロード・アラン・ブニヨン氏を迷走させたという噂もある素晴らしいアブサンです。でも、「もう一杯下さい」との御要望は思いもよりませんでした・・・いつの時代にも数寄物すきものが絶える事は無いんですね。もうすぐ届く予定の19世紀珍品なんかも、いつの日にかは所望される方が現れるのでしょうか?当然ながら小分け購入なんですが、到着したらお知らせします。 (2010/02/17)
News!って程のことじゃないですが、潜在的なご要望が多かった<飲み方の実演画像>を加えました。当店のセット・アップでお飲みになる場合のプロセスを画像で説明してあります。この飲み方に関しては異論をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。しかし、自分の飲み方を確立しているベテラン諸氏向きではなく、これからアブサンを試される方が大失敗をしない為の方法です。つきましては、<初めて飲む方へのアドバイス>も併せて御覧下さい。 (2010/02/26)
  

News! ・長らく話だけ聞いていた「トンボちゃんブローラー」が、遂に登場!噂は本当だったんですね・・・空を自由に飛びまわる蜻蛉は、アール・ヌーボーなどのモチーフによく使われるシンボリックな存在でした。このコンセプトでシリーズ化されるのでしょうか?でも、いまの所「トンボちゃんグラス」は出てないらしいんですよね・・・それにしても、けっこうガラスが厚い感じで、底面もモッコリ。よ〜く見ると、ポタ穴がズレてて真ん中に来てませんね・・・有名なガラス・メーカーのくせに結構いいかげんそうな造りで、楽しみです。でも、どこで売ってるのかが不明・・・その内、出回るんでしょう。(2011/02/23)

News! ・恐らく19世紀ボトリングであろうと推測されている謎の “C.F. Berger” Blanche ・・・遂に、届きました。17日にチラリズム紹介した奴。今後の出土は見込めないであろうレアor稀少or珍品と言え、この世に一本しか存在しないアブサンなんです。もちろん、ボトル販売の設定では無く(そうだったら絶対無理!)小分け入手でした。それでも、かなり思い切った買い物だったんですよ・・・二杯分あるので一杯だけお出しできます。ぶっちゃけ、かなり高価になります。ご要望なんか一生無いかも・・・でも、自分が一杯だけ飲めるので平気だも〜ん。エポック期には有り得ない Blanche なんですから・・・精細はこちらに記述してあります。(2011/02/25)

News! ・先月の12日に落札したグラス類がようやく届きました。あわや一ヶ月ですね・・・個人出品者だったのでノ〜ンビリとUSPで送り出したに違いありません。心配していたブローラーは以前に購入した品よりは新しい感じで、スペインのサン・ミゲール( San Miguel )社製レプリカ・ブローラーに似ています。しかし、古いガラス特有の仄ほのかなマゼンダ色、底部突起の形状、大きめの気泡、今時では考えられない鉄砂の吸着、などが見受けられる点から本物と判断しても良いかな?100%ではありませんが・・・グラスも<ドスコイ重いぜ横綱級> で大満足!内底のガラス溜まりがシビれます・・・それにしても、海外の知らない一個人と取り引きできるなんてスゴイですね。熱心に探すと海外のアンティーク・サイトでも見掛けないアイテムが出品されておりウキウキ・ウッキー状態ですが、財布の方から拒否られてばっかり・・・涙を飲んで <見逃したら二度は無い!> アイテム中心に網を張ってます。今日もチェックで忙しいです・・・ (2011/03/09)

  News! ・あの<Archive Spirits>から・・・遂に、リリース決定!(2011/03/17)

News! ・だいぶ前に届いていたんですが自粛?しておりました・・・こちらも当然ながら小分け入手です。御大アンリ・ルイ・ペルノーの実子エドワーの「Edouard Pernod」は、禁制後も非禁止国スペインのタラゴナに「Pernod SA」を創設してアブサン生産を継続していましたが、1936年に「Prenod Fils」に吸収されました。つまり、この“Pernod SA”は少なくとも1936年以前のボトリングです。よく見かける“Pernod Fils Tarragona”に比べると出土率も極端に少なく、かなりの稀少品!識者の評価も高く、「Edouard Pernod」を彷彿とさせる男性的な味わいとの賞賛を浴びるビンテージ銘柄で、当店では4杯分の御提供が可能です。精細はこちらに記述してあります(2011/04/11)

News! ・あの<Archive Spirits>から・・・遂に、リリース決定!(2011/03/17) とお知らせした“Sauvage”に関する内部情報が漏れてきたので追記いたします。Oxygenee Franceの某氏に別件でメールした際、「I expect that the herb of natural growth will be used. 」と探り?を入れておいたら「 We have used wild wormwood from the mountain this time, the taste is great!」と返事が返ってきました。ある種の動きがあるらしい事は知っていましたが、以前のインフォメーションで“Sauvageソバージュ”の銘柄名が判明・・・髪型だと例の<チリチリ頭>で人だと<野蛮人>なんですが、植物の場合は<野生の>って意味です。しかも「今度のヤツはマジBeast(野獣)だぜ!」って煽ってありました。当然、自生ハーブによるアブサンを予想していましたが当たってた様です。5月ごろの予定だとか・・・「We should release the Sauvage mid-May, it is a powerful absinthe with a lot of wild wormwood in it!」  (2011/04/17)

News! 実に困った事が起こってしまいました!事情を知る人はビックラ仰天の Big News!が来たぁ〜ッ!な・な・な・なんと、完全に諦めていた幻の特蒸品 “L'Artisanale”が出て来たそうなんですよ・・・しかも国内にそれぞれ2本(当店在庫各一本)づつしかない “Wormwood Blanche”と “1797”も・・・この <お宝の山> は業界内用配布分のデッド・ストックなのでしょうか?しかし、入手するにはメールでの交渉を経た後の幸運も必要な様です・・・在庫数すら知らされていません。お金次第で何とかなるビンテージ物とも異なり、今となっては出会う事が奇跡とも言えるレアな深層アイテム達です。その存在を知る各国マニア間で激しい争奪戦が巻き起こるのは必須・・・私の様な極東のプチ愛好家なんかが太刀打ち出来るのでしょうか?攻めポイントも分かんないし・・・ とは言え「何事も挑戦してみなければ始まりまっしぇ〜ん!」と恐る恐るメールしてみました。「 Due to the scale of the response we will get back to you as soon as we have collated all of the requests for information.」との御返事で、可能性は問い合わせ数で変動する模様・・・どれくらいの値段で分けてくれるのかも分からないんですが、せめて憧れの“L'Artisanale”だけは「欲しいぜ、欲しいよ、欲しいッす!」 果たせないと諦めていた<特蒸キャンディーズ>を完成させる一生に一度の奇跡的な大チャンス!こんな競合的オファーは初めて体験するので、ドキドキな日々を送りつつも「都合よく 無神論者が神頼み・・」って感じですかね。(2011/05/08)   ・しかし、途中報告では「the response has exceeded our expectations.」とあり、予想以上のオファー数だった様です。ダメかも・・・(2011/05/11)

News! ・上記の続きです。数度のメール交換が功を成したのか購入資格を獲得しました! “L'Artisanale”と “Wormwood Blanche”を分けてくれるそうです。先方から隠しページのIDとパスワードが送られてきて、「these bottles are hidden from people who do not have a login.」と書いてあります。特別扱いっぽくていい感じ・・・なんて余裕こいてる場合じゃな〜い!同じ条件の購入希望者とは早い者勝ちの時間勝負!大慌てで注文させて頂きました。お〜、購入確定!しかし、まだ喜ぶのは早いぜ!数々のトラブルに泣いてきた私は現物を手にするまで油断しませんよ。万が一、郵送事故が起こっても代替品のない銘柄です。.代金返還なんて嬉しくもありませんからね・・・な〜んちゃって、実は「ウッヒョー、遂にやったぜ!バ、バ、バ、バン、バンザ〜イ」って大ハシャギしてる最中なんですが・・・(2011/05/21)   ・その後、思わぬ展開が・・・こちらを御覧下さい。(2011/05/26)   ・遂に第一便が到着しました。感無量です。一生無理かと諦めていた“L'Artisanale”に初対面!現物が目の前にあるなんて信じられませんですよ・・・でも、封頭の緑色の蝋が砕け散っていて少しだけ残念・・・(2011/05/29)    ・第二便も到着!これで各銘柄とも二本目の入手を果たしましたので皆様にもお験し頂ける事になりました。本当に嬉しいです・・・いささか高価になってしまいますが、それでも体験して見たい方は御申しつけ下さい。(2011/06/01)

News! ・今までの騒動でお知らせするのを忘れていましたが、以前から気になっていた銘柄も新入荷しています。Matter Olive氏の変り種Nouvelle Vague”と、オーストリアの変り種“Montmartre”の二種で、共に王道物ではない変則レシピながらも本格派です。数杯飲まれるヘビー・ユーザーへの飛ばしアイテム?として有効かと思います。気分を変えたい時にピッタリの+αテイスト物ですが、絶対に損した気にならない優秀な味わいですよ。今後も広がっていくであろうアブサン新領域の一端をお試し下さい。 (2011/06/05)

News! ・えっ・・・“C.F. Berger Blanche”のご所望ですか?マジですか?マジなんですか?う〜ん、この銘柄のご注文は死ぬまで無いだろうと思っていました。この一杯だけで当店史上最高お客様単価を楽勝で独走中です。かつて無い出来事に、私だけでなくシェフ(♀)も目を巨大化して驚いていました。このお客様には数回のご来店を頂いておりますが、“Promethee” や “L'Artisanale” などの重要銘柄もお試しに・・・しかし、他の銘柄のセレクトや飲み方にも筋が通っており、「高価モノ好き」とか「稀少銘柄ハンター」などとは無縁の整合性ある注文を頂いてきました。楽しみつつ探求する学究肌の方ですが、こんなにレベルの高い愛好家が国内にも存在してたとは・・・提供する側の私も大いに楽しみ、かつ勇気付けられた事は言うまでもありません。得がたい刺激を受ける事もできて嬉しい限りですが、遠方にお住まいなのが残念・・・、(2011/06/25)

News! ・我が国初アブサンにして最高の評価を誇る“ヘルメス・68・黒ラベル・金封”がメニュー・オンです!30年近く続いたサントリー・黒ラベルの一代目ですよ〜 ペルノー社タラゴナ工場(1965年停止)製アブサンの供給が途絶え始めた1962年7月に発売され、60年代末まで流通していたと推測されています。今となっては超稀少品で、サントリー・アブサンでは唯一の68度モノなんですね。二代目以降はレシピが変更されて58度になったからです。この“ヘルメス・68・黒ラベル・金封”は50年近くも前のボトルだけにオークションでも年一本出るか出ないか?という状況・・・入手も年々困難になっており相場も上昇しつつあります。当店所有分も保管用一本のみでしたが、運よく二本目の入手に成功いたしました。海外マニアとの交換用という選択肢も頭をよぎりましたが、やはり皆さんに飲んで頂く事にいたしましたので御注文可能です。50年近い瓶熟成を経た国産最高峰の味わいをお試し下さい。80年代末まで流通していた最後の黒ラベル “ヘルメス・58・黒ラベル・ver3・白栓”もメニュー・オンしていますので、時系列的な両端比較試飲も面白いんじゃないでしょうか? (2011/07/02)
  

News! ・予想通りバッチリ遅れつつも、遂にリリースされました。時代考証的なコンセプトで異彩を放つ< Archive Spirits >の第二弾、“SAUVAGE”です。近代アブサン最初期(1804年)のレシピを再現する為、スタッフがジュラ山脈の自生ニガヨモギを自ら採取!山谷を一日中歩き回っても5kg位しか採れなかったそうですが、当時の味わいを再現するには栽培物では得られない野生の力強さが必要だったとか・・・スイスでアブサンが製造され始めた頃の直系ニガヨモギと言う点も大ポイントです。さらに、異例とも言える18ヶ月の樽熟成を経ており、最新トレンドもしっかり折り込み済みの懐古的野心作っすね。個人的には熟成が定法になるのは嗜好品として確立し始めた19世紀中期からなのでは?との疑問もよぎりましたが・・・それはさて置き、手が掛かっているだけに通常価格は113,5jと高価ながらもリリース(7月29日)前の予約特価は98jとリーズナブル!このディスカウントに対して6日間で300本以上のオファーが・・・バカンス間際の「Oxygenee France」では人手が足りなくなって助っ人を頼む騒ぎになった様です。配送に遅れが生じましたが、注目度も抜群だったんですね。ちなみに、500本限定です。再蒸留に関しては不明とも聞いて思わず注文しちゃいました。(2011/07/25) ・今日届きました。何故かドイツから・・・なるほど、助っ人は「 Oxygenee (Deutschland) Ltd」だったんですね。(2011/08/17)

News! ・毎年10月にポンタリエで行われる恒例のアブサン祭り"アブサンティアーデ”ですが、コンテストの結果には失望を感じました。地元/特定生産者偏向の出品なのは相変わらずですが、選抜結果にも同様の偏りが強まった感じは否めません。ちなみに、例年までは《金》、《銀》、《銅》、の上位三銘柄を選考していましたが、今年から《 Grand Gold 》なる最高賞が設定されたんですね。出品者側の要望で商業的に注目の集まる枠を増やしたのでしょうか?

<The Verte Category> では《 Grand Gold 》にドイツ産の“Le Velo(1)なる新銘柄なんですが、前年の金賞獲得銘柄“Maldoror”を思い出すのは私だけではないでしょう。出目が共にハンブルグ市でビン形状も同じ・・・前回同様 Hans-Peter Fuss 氏の仕掛け?と推測しない訳にはいきません。しかし、内容には妙な期待感を持ってしまいますが・・・《金》が“La Pontissalienne(2)で、家伝銘柄“Francois Guy”一本のみで勝負してきた地元の大御所 Francois Guy 氏が男らしい姿勢を崩して売りに走ったのでしょうか?ビン形状が同じなので「アウサンティアーデ10周年記念」限定版“10eme Anniversaire des Absinthiades”からの展開である可能性も高く、内容の違いに興味があります。同じだったりして・・・それにしても絶対に棚に並べたくないレベル(あっ、間違えたっ)ラベルですね。《銀》の栄誉に輝いた“Grande Absente 69”は2009年にも同じ《銀》を受賞・・・世界一ポピュラーな“Absente 55”を出している南仏の大手企業製ですから協賛出資などが功をなしているんじゃ・・・なんて邪推してしまいますよ。しかし、けっして悪い銘柄ではないので、地域的/文化背景的に距離がある点が逆に際立った印象を与えたのかも知れません。《銅》は「Emile Pernot」の“Authentique(3)でした。限定銘柄“Roquette 1797”のセカンド・ロットで、度数を72度から65度に落としてビンもラベルも新調されました。「in my opinion it(“Authentique”) certainly deserved to be placed much higher.」と順位不適を明言する某有力サイト販売もあり、個人的にも一票・・・しかし、よほど飲みなれた人で無いと分かりづらい独特の世界観ではあります。価格を抑えたセカンド・ラベル的な感じで通年販売される様です。嬉しいな〜

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<The Blanche Category> は《 Grand Gold 》 に「Emile Pernot」製の“Maison Fontaine”・・・PB依頼元が酒類業界全体に影響力を持つ有力者である事実は無視できません。しかし、内容的には超トツプ・クラスの頂上銘柄ですから大納得です。しかし、次点からが??? 《金》に“Sevil”、《銀》が“La P'tite”、《銅》が“La Clandestine”という結果には「ゲ、ゲ、ゲ、のゲッ」と声が出ちゃいましたぜ・・・事情を知る人にとってはクロード・アラン・ブニヨン氏もろ絡みの銘柄が占めているのは明らかで不自然極まりな〜い!他のスイス生産者達の立場はどうするの?もしかしたら、例の IPG(地理的起源表示)法案申請に対する報復処置なのでしょうか? スッキリしない内部事情を推測してしまいます。面白みの無い結果に画像を起こす意欲すら沸きません。見てみたい方はコチラからどうぞ・・・

・一部の地方ワイン品評会などで上記の様な偏向が生じてしまうのは仕方がありません。生産者と運営者の距離が近すぎる場合に起こりがちな現象です。しかし、唯一の有名なアブサン・コンテストがそうだとしたら・・・困りものですね。一応、世界中のアブサニスト諸氏が注目していますから・・・昨年までは疑問を抱きつつも"アブサンティアーデ”選出銘柄は揃える努力をしていましたが、今回の結果にはヤル気を失いました。今後は参考程度にとどめる感じですかね・・・

) 基本的に地元産業振興のために行われる上、人間関係が密接なので「気持ちの票」が生じるのは仕方がありませんね。それ以外の不安定要素として挙げられるのが確実性の薄いコンテストの票算出システム。電光表示板などを使用する電子入票などではコントロール・ROMや外部操作などの作業は簡単で、防ぐとしたら経費をかけて公平性を保つ必要があります。しかし、出品者と運営者が同じ動機を共有していたら打つ手はありません。信用できるのは「手書き投票紙を必ず公開で計上する」か「入票者名と入票銘柄が公表される」場合のみで、審査員が自票の適性な反映を確認できるシステムが必須です。もちろん、事前の人選が公正な場合に限られるのは言うまでもありませんが・・・基本的に商売絡みの場合、色々な意味で完全に公正なコンテストは少なくて当然と思っています。ましてや、回を重ねる毎ごとに偏りが大きくなっていくのは自然の成り行きです。しょせん利害関係を持った複数の人間がやる事ですから・・・

・"アブサンティアーデ”の票算出システムや公平性は不明ですが、<The Blanche Category>の結果を見ると「疑ってくれ」って感じ・・・あまりの無防備さで逆に疑いづらい?くらいです。実は、コンテスト向きの分かり易い味わいとインパクトを持ったブニヨン系銘柄が、雰囲気に流されがちな一般審査員の支持を得た結果なのかも知れません。どちらにせよ、複雑で微妙なコンポジションを持つアブサンを一度に3銘柄以上テイスティングする事自体が無理な話だと思うんですけど・・・銘柄によって適正な加水率も異なるはずなんですが、その辺はどうなっているの?って方が気になります。なお、今日の記述は私の個人的すぎる意見/推測に基づいており、普段は内緒にしているパラノイアックかつ疑り深い側面を披露してしまいました・・・すみません。  (2011/10/07)

  

News! ・この美人さん達、素敵じゃないですか?「SIMON PEARCE CRYSTAL」社の“Tempus Fugit Absinthe Collection”シリーズです。現代にリファインされたアブサン・グラスの中でも「Cristalerias San Miguel」と双璧を成す最高峰で、その辺のレプリカや雰囲気系ゴスロリ物とは訳が違いますよ。特にこのBubble系グラスは発売された時(2008年)に話題を呼んだそうですが、「Playboy」、「Esquire」などのメジャーな男性雑誌に<男の逸品>として取り上げられたのは少々意外ですね・・・Simon Pearce氏はアイルランド/キルケニーのガラス職人で、現在はアメリカ/バーモンド州に工房を移して卓越した工芸ガラス製品で評価を確立しています。このシリーズは特注品なのか自社サイトには掲載されていません。以前に探した時には限られたサイトのみの扱いでしたがほとんどが品切れ状態・・・恐らく、最初に造ったロットで生産終了になっているのだろうと思っていました。しかし、ニューオリンズのアブサン・グッズ・ショップからのレターに掲載されており、グーポン付きで安く購入可能・・・一度は諦めたドリーミン・アイテムの再登場です、指を咥えて見逃しになんかできません。ニュー・ロットならまだしも、デッドストックの可能性も高いんです。特に、左端のグラス動画を欲しがらないアブサニストが存在するの?って訳で仕方なく?購入決定です。(2011/10/26)

News! ・今日、何気なくチェックしていたら“SAUVAGE”が早くも終売参照になっていました・・・いつ終了したのかは不明ですが、販売されたのは蒸留元の「Les Fils d'Emile Pernot」と少量確保の<LdF>のみでしたから完全に終わりのようです。この手の特殊な銘柄は意外と長く残ってる事が多かったので、「そのうち機会があったらもう一本買えばいいか・・・」とタカをくくってたのが甘かった!500本限定とはいえ2〜3カ月は早すぎで、想定外っす。『 Only a small amount of Sauvage could be made, and it proved exceedingly popular, selling out in record time. Sauvage is now no longer available anywhere on the planet.』 との事・・・世界中(の極一部)でアブサン萌え萌え炎上状態の人が増殖中なのでしょうか?(2011/11/05)

News! ・ふ〜らふらとヤフオク散歩していたら「Absinthe Ropette」にガチ遭遇!下図の通り極めてベル・エポック/アール・ヌーボー的・・・そう、ミュシャを思わせるエレガントかつエロティックな作品で、アブサン・ポスターとしては最も有名な一枚です。レプリカ品も多く出ておりweb上などで見掛けた方は多い事でしょう。今回の出品物も後世に刷られた復刻物かとは思いますが、なんとリトグラフだったんです。オフセット印刷レプリカは珍しくもありませんが手の掛かるリトグラフとくると意味が違いますよ。つまり、年代物の可能性が高いって事なんですね。上縁の汚れや中央の折跡などからは長い経年度が・・・しかも、珍しいフルサイズ大判参照と来たもんだ!加えて地方の掛け軸専門骨董店の出品物・・・商品紹介には「 一枚の絵が、くつろぎの空間を何気なく演出してくれます。」とあるのみでアブサン界とは完全無縁な感じもポイント高し!さらに、アメリカ経由との事で「迷える子羊(正規ルートを外れた掘り出し物)」の可能性も・・・こりゃオリジナル版じゃないとは言い切れないじゃん!って都合の良い妄想を誰が止めれるんでしょうか?いっそ『なんでも鑑定団』行きか?でも、冷静に考えると1000円スタートのオークションでオリジナルが出る訳ないですね・・・でも、でも、リトグラフでフルサイズだし!と気合って入札・・・結局、さほど競ることも無く本格派アブサン一本分位の値段(オリジナル推定相場の1/10以下)で落札。まだ届いてませんが嬉しくてフライング気味の御報告(実は自慢)でした。でも、100×80cmもの大判ポスターをどこに?って悩ましい今日この頃なんです。(2011/11/25)  ・届きました。でっ、でかっ!おっ、重っ!でっ、でも嬉しいです!(2011/11/27)

  

News! ・このアブサン・ページをご覧になられる方のほとんどは御来店経験が無いかと思います。当店に対してヤバ〜いアブサン専門バー的イメージを持たれている人も多いのではないでしょうか?実は、全くそんな感じではありません。それどころかバーですらないんですね・・・何故なら、バー・カウンターが無いからです。「じゃ、どんな店なの?」って疑問には答え辛い感じ・・・どっちかと言うと癒し系?で、他の酒類も多く取り揃え食事/つまみなどにも力を入れているんですよ。アブサンは幾つか設定している選択肢の一つなので意外と出番が少ないんですね。ちなみに、定連さんの大多数は当店の過剰なアブサン密度に気付いてはおられません。

・さて、本題です。当店にはバー・カウンターが無い・・・って事は大型の4spout(蛇口)ファウンテンの常設は無理なんですね(あ〜、それつけても4spout とか欲しいよなぁ)。お二人がアブサンを御所望か二杯以上のアブサンを飲まれる方のテーブルに2spout(蛇口)のファウンテンをお出ししていました(あ〜、やっぱ4spout も欲しいなぁ)。そんな訳で、所有している4台の小型ファウンテンがあれば十分だったんです(あ〜、マジで4spoout が欲しいなぁ)。しかし、最近(たま〜にですけど)3〜4名様でアブサンをご注文頂く事が・・・え〜っ、困ったぞ、蛇口が足りな〜い。ついに4spout(蛇口)ファウンテン導入の時が来た!って事ですか(きっ、きた〜っ!)?「しかたがないな〜」などと心にもない事を呟つぶやきつつ、eBay に潜った時にはウキウキ、ウッキー状態・・・あっ、あ〜ッ!ありました!4spoutファウンテン1台とシュガー・ポット2台のセット出品が99,99$・・・何故か誰もビットしてこなかったので落札しちゃいましたよ。ラッキー!送料込みでも14531円な〜り・・・か、かなり安い!しかも新タイプ!まだ登場の機会は無いんですけどね・・・早く使いたいな〜 (2012/01/15)

News! ・先日、神戸からベテラン・アブサニストが御来店なさいました。御自分のアブサン・サイトや「神戸アブサン会」なる親睦団体を運営なさっておられ「蓮根アブサン協会」会員でもある方です。日帰り出張の帰り間際とのことで短い時間でしたが楽しい一時を過ごさせて頂きました。最近ではファウンテンなど設しつらえてアブサンを提供する飲食店も序々に増えてきていますが、点の様に存在しているだけで有効な動きには繋がっていません。いまだに一部愛好家が楽しむ珍奇な飲み物の域を出ていないんですね。日本各地で彼の様にアブサン普及に努める方が増えるといいのにな・・・と思った日でした。昨今の不況感も重く、まだまだ <草の根運動> 的な地道な努力が必要なんですね。 (2012/03/27)

News! ・ゴールデン・ウィークも明けてホッと一息ついた今日この頃、札幌の「Bar Diversion」の方が御来店下さいました。web上で拝見した事もあり「札幌にも気合が入った店があるんだなぁ」と驚いたのを覚えています。充分な数のアブサン・ラインナップには整合性があり、むやみに集めた感じじゃないのは一目了然。頼もしい限りです。「Bar Diversion」さんの様な拠点が少しづつでも増えていけばアブサンという飲み物が一般的な認識を得る日も近くなります。遠く細い道をともに歩む仲間が増えた気分で楽しい一時を過ごさせて頂きました。 (2012/05/08)

 

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