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当店にて用意してございます焼酎は、原材料別にそれぞれ別ページにて紹介させていただきます。項目をクリックして下さい。     

芋焼酎1・レギュラー銘柄 (気軽に楽しめる、でも旨い銘柄を選びました。)

芋焼酎2・特別な銘柄 (季節限定品・プレミアム銘柄・PB銘柄・高濃度品・原酒・"青潮"・初溜取りなど・PB銘柄には特に力を入れてます。)

麦焼酎 (九州各地の麦焼酎・壱岐島内全7蔵のレギュラー銘柄は全部あります。)

米焼酎 球磨焼酎と全国の癒し系米焼酎)

粕取り焼酎 (日本酒粕原料・あまりお馴染みでないこの焼酎は、当店ならではの最強ラインナップです)

島酒 (独特の味わいを持つ島の酒達も、かなり揃えました。青ヶ島焼酎は全銘柄あります。泡盛・黒糖焼酎・伊豆焼酎・その他の島々の焼酎)

その他 梅酒・栗焼酎・そば焼酎など)


焼酎豆知識のつもりが、何か、うっとおしいぐらいの量になってしまいました。興味のある方だけ読んでみて、間違い探しを御願いします。主観的すぎる部分は、広い心でお許しください。

・起源 ・麹 ・酵母 ・原材料 ・杜氏さん ・濾過/無濾過 ・蒸留法 ・(初垂れ・中垂れ・末垂れ) ・製造行程 ・入手困難銘柄について、それぞれまとめてみました。

の項目はさらに ・麹(歴史) ・麹(役割) ・麹(製麹) ・麹(種類) ・麹(味わい) ・麹(特殊手法) に分かれます。

麹(特殊手法)はさらに、追い麹双麹ネオマイセル黄麹全量麦麹芋焼酎自然麹どんぶり仕込み全麹二段仕込み二次仕込み老麹古代米麹その他 に分かれます。

・蒸留法はさらに、・歴史 ・単式蒸留器 ・単式減圧蒸留器 ・半連続式蒸留器 ・連続複式蒸留機 に分かれます。

蒸留法歴史の中に関連?項目として、・錬金術 ・ヘルメス神秘主義/哲学 ・吟遊詩人 ・音楽 があります。

・焼酎の起源 最も有力と思われるのは、南方伝来琉球経由説です。東南アジア・中国・朝鮮半島を経て壱岐・対馬そして山陰という説や、南海諸島ルート説などもあります。

<前史> 日本での蒸留酒についての最も古い記録は『朝鮮王朝実録』に記載されており、1404年と1407年に朝鮮の太宗から対馬領主宗貞へ朝鮮焼酒が送られたとあります。しかし、醸造法などが伝わった訳ではなく、珍しい品として寄贈されただけの様です。

<伝播・交易> 600年ほどの昔、シャム(タイ)のアユタヤ王国(※)から琉球國(1429〜1879年)へ伝わったと言うラオロン酒なる蒸留酒が今の焼酎のルーツと言われていて、南蛮酒として重要な交易取得品でした。記録上では、『朝鮮王朝実録』の1462年の項に「那覇港内の城に酒庫があり、清、濁の酒及び一年、二年、三年寝かせた酒(島産?)が貯蔵されていた」とあります。後の1477年、難破した朝鮮のミカン運搬船の記録『季朝実録』では、琉球の酒は「味は朝鮮の焼酒に似て数杯飲むだけで大酔するほど強いものであった」と記述されていますが、琉球産かどうかは不明です。

・ 北宋中期(1000年ごろ)、田錫という人が『麹本草』でシャム(タイ)の蒸留酒を紹介しているそうで、これがアジアにおける最古の記録と思われます。海路の優位性がこのような早期伝播を成さしめたのでしょうか?中国でも元の時代(13世紀)ですから・・

(※)アユタヤ王朝は1351〜1767年の400年もの間、東南アジアで最大の勢力として君臨したタイ族の仏教王国です。 中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ地の利を生かした貿易や文化交流などで大いに栄えました。逃れてきたキリシタンなどの日本人入植者も多く、特に関ヶ原の戦いや大阪の役の後に、主君を失った浪人達が傭兵として雇われ、最盛期で1000〜1500人もの日本人街がありました。軍事力と貿易(大阪の堺から刀などを輸入)による利潤を背景に政治的にも力を持つようになったそうです。山田長政で有名ですね。

<琉球國での生産> 1470年頃から琉球への蒸留酒の輸入量が減少しており、おそらくこの頃から島内での蒸留法が確立し生産が本格化したのでは?との推測の根拠となっています。1481年以降に薩摩と琉球の交易が進展します。1515年に琉球王朝から本土へ送られた荷物の中に(渡来でない)焼酒一甕が含まれていたとあり、1534年には南蛮酒“清烈而芳”なる蒸留酒(琉球産?)が京都の酒市場に入っていたそうですが超富裕層向きと思われ、当時の記録からはかなりの貴重品だった様子がうかがえます。

<南九州での生産> 1546年、薩摩半島に来航したポルトガル船の船長が、フランシスコ・ザビエルに送った見聞記『日本報告』のなかに「米からつくるオラーカ(蒸留酒)が飲まれていた」ことが記され、本土で造られたと思われる蒸留酒についての最古の記録で、この時点では比較的広く飲まれていた事がうかがえます。

九州へ蒸留酒の製法が伝播した時期は明らかではありませんが、16世紀初頭ではないかと言われています。その後、南九州地域で一般化するまでの期間(約50年後)は驚くほど短く、モロミ造りを含めた技術の普及としたら不可能な事に思えます。もしかすると蒸留法のみの応用で、従来あった各種の醸造酒(清酒など)をモロミとして使ったのではないでしょうか(こちらを参照)?

・高アルコール濃度で保存性や運搬性の高いニューアイテムは、飲用や刀剣の手入れ用のみならず、刀傷の消毒用アルコールとして特に威力を発揮し、多くの命を救いました。

<国内での記録> 鹿児島県大口市の神社から「神主がケチで一度も焼酎を飲ませてくれなかった。作次郎・助太郎」と書かれた木札が発見され、「焼酎」という単語に関する最古(1559年)の記録として有名で、室町時代には焼酎が九州南部で民間にも定着していた事が明らかになりました。その頃の焼酎は当時の技術・状況でも造り易い米の焼酎が主流だったと思われます(さつま芋はまだ伝来していません)。1597年の『よだれかけ草子』なる本には、「三重の酒といふことあり、酒を煎じてそのいきの雫を受けとめて、それをまた三度まで煎じ返したるをいう」と三回の蒸留を重ねたと思われる酒の記述があり、様々な工夫がなされていた様です。そして元禄時代(1688年〜)以降には全国で各種原料(ヒエ,アワなどの雑穀を含む)の焼酎が造られていた事が、各種の資料から分かっているとの事です。

<さつま芋の伝来> 1705年、前田利衛門が琉球より持ち帰ったさつま芋が普及し、栽培の優位性から芋焼酎が多く造られる様になり、ついに役者が出揃いました。後に、奄美大島で書かれた書誌 南島雑話(江戸末期の1855年頃)は、米、さつま芋、椎の実、蘇鉄の実、粟、桑、百合の根、南瓜など様々な原材料を使用した当時の焼酎の醸造法なども詳しく記述されている貴重な資料です。

・芋焼酎は輸送費もかかる事から高価で「薩洲の産物」として珍重の対象だった事が、当時(1824年)のブランド図鑑「江戸買物独案内」などの冊子でうかがえます。江戸時代には全国で飲まれていたかの様に思える焼酎類ですが、南九州以外での飲用習慣は、ほとんど無かったそうです(粕取り焼酎は例外)。さほど醸造酒の保存性が問われない暑くない地域でわざわざ蒸留作業を行う必然性は少なく、柱焼酎(※)か、消毒、食品の保存、調理用としての利用ぐらいだった様です。当時は甘みの強い酒が求められており、味わいの点でも好まれなかった事でしょう。(世界的に見ても蒸留酒の発展・定着は熱さ寒さが極端な地域に限られます。)

(※)元禄期以降、清酒などの保存性を少し高めるために米(酒粕)焼酎を少しだけ加える事があり、柱焼酎と呼ばれました。今の清酒に醸造アルコール添加するのは微妙に目的が異なり、(良心的な蔵の場合)モロミの発酵を意図的に止め、味をすっきりとさせ口当たりをよくする為で、日本酒の味の一部として応用・定着しています。 (参照

“モン・シャム”は、ジャスミン米を使ったタイの米焼酎です。上記、ラオロン酒の流れを汲むラオ・カオ(白い酒)で、泡盛に似た米を蒸した様な香りで、どこかへトリップさせてくれます。いわば、泡盛の父方の末のすごく若い叔父さん、といった役どころでしょうか?伝来当時の面影を、その中に少なからず嗅ぎ取ることができるかもしれません。

・そして、ラオスの米焼酎“ラオラオ”は、「室町時代の村の若女房が造った焼酎はひょっとしてこんな感じ?」との妄想を誘い、当店の焼酎類では最も初源的な味わい?を誇る破壊王です。嬉しいくらい感動的なマズさですよ。ラオスこそ様々な史実から、日本の蒸留酒の原点の可能性が一番高い場所です。二者とも出番を待っておりますので、数寄者すきものの方は是非お試し下さい。 こちらをご覧下さい。マイナー・エリアのページへ 

<お酒の起源> ついでなので、酒類の始まりも調べてみました。

<最古の自然酒?>は(自分は他のお猿達よりも流行にも敏感だしシブくてカッコよくモテモテの超クールと勘違いしている<death>バカ猿どもが好んで飲んで酔っ払いダサいモンキーダンスを踊り狂うさまを横目で見て「オレは奴らとは違う」と思って余裕こいてたお猿君が自分も大して変わらない<bad>アホ猿だと気づいて恥ずかしくなり十分に赤い顔をさらに赤面させてしまうという都市伝説で有名な猿酒と称される自然発酵果実酒とかではなく、もっと原材料糖度の高い自然発酵ハチミツ酒の可能性が高いと言われています。ギリシャ神話などでおなじみの蜜酒ミード(ハニーワイン)の事ですね。無加工の天然ハチミツを水で薄めてほっとくだけの醸造酒ですから、ミード造りを趣味にしてる人(ミーダー)は海外には多いらしいです。

・古代から中世のヨーロッパでは、新婚直後の新婦は住居から外出せずに1ヶ月間ほど蜂蜜酒を作り、新郎に飲ませて子作りに励んだそうで、これがハネームーンの語源ですので、新婚旅行でバリ島旅行なんかしてる場合じゃないです。恋人をハニーと呼ぶのも同じ理由で由緒ある言葉なんすよ。これも又、麹とは全く関係ないお酒トリビアでした・・・・(バリ島に恨みはありません。でも「恋人」っていい言葉ですね。カレシとかカノジョって取替え可能な当座の相手な感じがしませんか?)

・ついでに、ミードの造り方はこちらですが、本当に造ると酒税法違反で5年以下の懲役又は50万円以下の罰金をくらいます。又、怖い猿酒についてはこちらですが、不気味な物が嫌いじゃない人用のクリックです)

<世界最古の酒?> 9000年くらい前の新石器時代早期の賈湖かこ遺跡(中国・河南省)から出土した陶器片から、人の手による酒と思われる成分が発見されました(2004年)。米、ブドウ、サンザシ、薬草、ハチミツなどが原料で、この酒には麹は使われていません。どんな味だったんでしょうか。「人の手による最古のワイン醸造が行われてきた形跡のある場所」としてギネス認定されている イラン北部のHajji Firuz Tepe遺跡より1600年も古い・・・・というか、あまりにも古すぎて困りますね。 (参考資料はこちらです。)

<日本最古の酒?> 縄文前期(5〜6000年前)の池内遺跡(秋田県大館市)から果実酒を造っていた可能性を示す痕跡が発見されました(1999年)。エゾニワトコ、 ヤマブドウなどを乾燥保存(糖度を上げる)、煮沸(殺菌)、発酵していたと思われています。絞るための布に包まれた状態で廃棄された果実の種の周辺に、発酵臭を特に好むショウジョウバエのサナギが見つかっており、この説の根拠になっています。縄文末期(約2300年前)に稲作と共に米による醸造が伝わる以前は、果実酒のみだったのは間違いないでしょう。

・ちなみに、8万人程度だった縄文末期の人口が、中国から(DNA判定で判明)の稲作の伝来定着(3500年程前)により、弥生時代には59万人へと増加 しました。その頃(漢)の中国の人口は 5,959万人!だったそうです。万里の長城もすでにあったし製鉄技術もすでに確立と、圧倒的な差ですね・・・


(糀)こうじ とは麹菌(糸状菌と言うカビの一種)を、米・麦・大豆などに培養し繁殖 させた菌群で、酵素(アミラーゼなど)を分泌して原材料のデンプン質を糖分に変換します。他に脂肪分解酵素や繊 維素分解酵素など、麹には100種類もの酵素が含まれます。

麹の歴史 −−−−−−−−−−−ーーーーーーーーーーーーーーーーーー−−−豆知識TOPへ戻る

<中国> 麹菌で酒を造った最初の記録が残っているのは、実在確認されている最古の王朝で「酒池肉林」の逸話で知られ、最後には酒で滅んだと伝わる、(殷いん)の時代です。商王武丁と大臣との間で交わされた酒麹の重要性についての話が残っています(3200年も前で甲骨文字!ですけど)。つまり、これ以前に酒麹は使用されていたと思われます。そして、紀元前には純粋な種麹の様なものがあったらしく、2000年ほど前の漢の頃にはバラ状から塊状の麹に以降していきます(↓)。この頃の麹は原材料の5%ほどの量で醸造可能な極めて洗練されたものだったそうです(参照)。

(↓) 長い歴史、広い面積の中国ですから、気候・風土・民族・文化は多岐多様にわたります。これに伴い、稲作・麦作・粒食・粉食といった様々な食生活と微生物環境が入り乱れて混在していました。紀元前においては、酒造りにも麹カビを含む、多くの微生物が試用・活用されていたと思われます。当時は小麦粉から麹を作る酒を北酒、米から麹を作るのを南酒と呼んでいたそうです。

(↓・2)しかし、紀元年前後に狩猟系で麦やトウモロコシの粉食を主とする北の漢民族が、稲作主体の農耕系で粒食の南方民族への台頭・支配を強めていきます。酒造りにおいても、大まかな傾向(小麦粉・クモノスカビ・餅麹)が政治的力によって方向付けられていったのかもしれません。今でも福建省周辺で使われている烏衣紅曲ういこうきょくと言う麹などは、中国南方文化の名残なのでしょうか?日本と似たタイプだったかもしれない南酒系の酒造法は廃れたものの、中国南部の少数民族(江西省や貴州省のミャオ族など)の一部にて継承されています。

・基本的に漢民族は儒教(孔子)の教えのもと、飲酒を嫌う傾向が強い様です。『論語・郷党篇(きょうとうへん)』には、「惟だ酒は量無し、乱に及ばず(飲酒に一定量は無いが、適度であって、身体や精神が乱れる程には達しない)」と説いており、漢族の禁欲的な飲酒スタイルは2000年以上にわたる儒教の伝統からきています。中国人はやけに酒に強くて、高い度数の茅台まおたい酒(貴州省)などをグイグイ飲むイメージは、かの国の文化を貶めたかった頃の勝手な偏見の名残らしいです。

・茅台酒で毛沢東がリチャード・ニクソン大統領をもてなし、周恩来が田中角栄首相を接待して世界的に有名になったのも印象的だったのでしょう。実際中国ではしばしばお祝いの宴席で乾杯に用いられ、中国の国酒とも言われています。

<『斉民要術』> 現存する最古(1400年ほど前の南北朝時代)の農業・料理書として有名な『斉民要術・全10巻』には、9種類の酒麹のつくり方と39種類のお酒(呪術的な酒を含む)の醸造法について詳しく記録されており、世界的にも類の無い酒造技術についてのまとまった文献だったとの事です。他にも、2500年前にお醤油やお酢、2000年ほど前には味噌や納豆を作るなど中国は正に歴史の長い麹大国と言え、我が国がいかにこの国の文化的恩賜をうけていたかがわかりますね。  参考資料はこちらです。

・ある時期からの中国では、酒造りで主にクモノスカビ(リゾップス)を使いますが、調味料などの発酵には黄麹なども活躍しており、『斉民要術』にもその応用例が記載されています。皇帝の着衣の色を黄麹で表した例()などもあり、黄麹菌は日本だけの特有菌という訳ではありません。もともと稲麹から派生した菌なので、稲の起源国の中国にも生息しており、酒以外のジャンルで活用されてたきた様です。

)黄色は天上天下唯一人、皇帝のみが使える尊貴色で、五本指の竜と同様、禁制を犯すと死罪でした。唯一の例外が、孔子を奉る孔子廟で、黄色い釉薬瓦(色のついたカワラ)の使用が許されているそうです。さすがの皇帝も儒教の祖である孔子だけは特別に敬うことを表しているとの事で、長崎にある孔子廟も、ちゃんと黄色い釉薬瓦で葺かれています。

・いきなり関係ない話ですが、上記にある 『斉民要術』は世界最古の「酢豚」の作り方が掲載されている文献として、極々少数の変な人達の間でとても有名らしいです。この<日本酢豚界>?では、知らないとモグリ扱いされてイジメられちゃうそうですが、そんな<>は聞いたことがないですよね。絶対に中華の料理人さんじゃない人達に「夢に出てくるあの理想酢豚」(夢にまで出て来んの?)とか言われても、レシピとかもほとんど書いてないんじゃ、何をしたいんだか意味がわかりません。よくある世界征服ですか?ちなみに最古酢豚の作り方はこちらです。

<日本> 麹を使ったお酒については、『日本書紀』にある醴酒こざけの記述から、応神天皇19年(三世紀後半?)には米麹が広く普及していたと推測されます。そしてこの頃、須須許里すすこりという百済からの帰化人が加無太知かむたちなる麹を伝えたとの記述が『古事記』にあり、さらなる醸造技術の発展を促した様です。平安時代に編纂された律令の施行細則『延喜式』の造酒司の項目に10種以上のお酒の造り方が紹介されています。その内の一つとして、蘗よねのもやしを使った醴酒の造り方が規定されていて、少なくとも奈良〜平安時代には米麹を使った技術が安定・定着した事が定説になっているようです。 参考資料はこちらです。下の2項からも当時の様子をうかがい知る事ができます。

・記紀以前の様子を記した『播磨風土記』などでは、蒸米に生えた役に立つカビ的な表現で、自然任せというか神の恵みの良き呪術って感じですね。基本的に日本の麹は稲穂などに存在する稲麹(麹カビ)を使用しており、今の黄麹の元になっている様で、早い時期から日本の酒造りは独自の方向性(麹カビの使用)を確立していた事が分かります。

・日本での酒造りの記録として最も古いのは、『魏志・東夷伝・倭人の条』にある卑弥呼で有名な邪馬台国(弥生時代後期・三世紀半ば?)の記述です。それによると倭人は顔にまで黒や赤のタトー(本物のトライバルですね)を入れており、酒を喜んで飲む人達で、お葬式に招かれた人達が歌舞飲酒をする風習もあったそうです。当時の日本は他の小国も各地にあり、それぞれで酒が造られていたに違いありません。富裕層の間では粟あわ、稗ひえ以外の米酒が飲まれていたと思われます。

<クモノスカビと麹カビ>発酵に使われるカビ菌と麹形態の地域分布傾向を簡単にまとめると、中国、東南アジア諸国は、Rhizopus(クモノスカビ),Mucor(ケカビ)などを、粉状の生の穀物(小麦粉、コーリャン粉など)に繁殖させ固めた餅麹がほとんどを占めます。日本だけがAspergillus(麹カビ)を、粒状の蒸した穀物(米、麦など)に繁殖させたバラ麹、といった大きな違いがあり、日本の麹文化は特殊と言えます。

・穀物を加熱(蒸す)すると蛋白質の一部が変性し、蛋白質分解力の弱いクモノスカビは増殖しにくくなりますが、蛋白質分解力の強い麹カビは逆に繁殖しやすくなります。又、 収穫したての麦穂や稲穂からカビを分離すると、麦にはクモノスカビが、稲には 麹カビ(稲麹)が大量に付着しているそうで、日本が他のアジアの地域と異なる麹文化を持つのは、うるち米による稲作中心の農耕環境と粒食中心の食生活によるものと思われます。

麹の役割など −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−豆知識TOPへ戻る

<麹の役割>は、まず糖化酵素(アミラーゼ)を供給しデンプン質を分解して糖(グルコース)を作ることです。同時に、クエン酸を多量に分泌して、腐敗に備えるのはも麹の重要な役割です。又 蛋白分解酵素(プロテアーゼ)も供給して米の溶解を促進し糖化酵素の働きを助け、さらに、 ビタミンなどの栄養素を供給して酵母の増殖と発酵を促進します。そして 香味に関係する成分を直接的に供給するという、決定的な役割も麹が行います。

アミラーゼは人間の唾液中にも含まれており、蒸した穀物(米、麦、コーン、コーリャンなど)を4〜5分ほど良く噛むと甘みが感じられるのは糖化作用があるからです。人類最初期の造り酒は、「口噛みの酒」と言われており、見目麗しい純潔な乙女(巫女?)が噛んだ酒を、神に捧げる慣習の記録が世界各地(主に環太平洋)に伝わり、今でもアマゾン流域では継承されているそうです。日本でも『大隈国風土記』に「口嚼ノ酒」として記されており、近年までアイヌの神事や沖縄での呪術的祭事でも使われていました。果実酒の生産量は意外と少ないため、縄文後期以降のある時期までは、このタイプが主流だったのでは?と言われています。「○○ちゃんが噛んだ酒が、やっぱ一番ウメ〜よな」とかあったんでしょうね?

<麹と酵母の共同作業> 米や麦や大豆などに麹菌をまぶし込み、繁殖させたものが麹です。水と酵母を加え活性化させると、麹は米のデンプン質を食べて糖に分解していきます。麹が造った糖を、酵母がどんどん食べてアルコールと炭酸ガスを分泌生成し、一週間ほどで一次もろみ(酒母)が完成します。この様に、糖とアルコールの生成を同時に行う醸し方を並行複発酵と呼び、麹を使うアジア地域ならではの技法です。

<日本の麹の特徴> デンプン質を糖化するのに、西洋では麦芽を使い、湿度の高い東洋では主にカビ菌です。日本以外のアジアの各国地域(中国、朝鮮半島、台湾、タイを含む東南アジア諸国)では餅麹(へいきく)などと呼ばれる、生の小麦粉などにクモノスカビ、ケカビなどを繁殖させ固めた物を使います(中国では紀元前以前には塊りではない撒麹ばらこうじでした)。アジアの中でも日本の麹は独特の発展をとげており、穀物を蒸して使い、粒状のばらこうじで湿っており、菌は麹カビを使います。そして、種麹とよばれる 麹菌を純粋に培養した乾燥麹(紙袋に入れて保存)も日本ならではの工夫で、各地での麹応用の発展に寄与しました。

・種麹は別名「もやし」と呼ばれます。平安時代の麹とも言えるよねのもやし(by『延喜式』)などは麹の遠い祖先なのでしょうか。麹菌の胞子が芽吹く様子を、萌えると表現した事からの風情ある名称ですが、太ったモヤシみたいな○キバ系の方々が、なにかとすぐに萌えちゃうのが麹に由来するとは驚愕の事実ですね。日本独自の麹文化から、日本ならではのアキ○系文化まで、川の流れの様に自然に連なる日本的感性のしなやかさ・・・と言う事にでもしておいて下さい。

<麹床> 麹をまぶす床に使用される原材料は、デンプン質を多く含んだ物なら良い様です。麦焼酎は基本的に麦麹です(壱岐麦焼酎に限り、米麹の使用が義務付けられています)。米焼酎に関しては、ほぼ全て(?)の銘柄が米麹と思われます。そして、芋焼酎の場合ほとんど米が選ばれますが、使い勝手の良さと経済性からタイ米の比率が高い様です。近年、味の高級化や差別化で、食用の銘柄うるち米(ササニシキ・ヒノヒカリなど)の使用もみられる様になりましたが、「通常米と銘柄食用米では、焼酎の麹床としての優劣はさほどない」と、明言する専門家もいます。確かに、人間と麹の味の好みが一緒なわけないですかね。「ササニシキ、旨ぇ!」って麹が言うかなぁ?

<うるち米とタイ米>を麹床に使うとどう異なるのか?例としては、有名な“村尾”(うるち米)と“薩摩茶屋”(タイ米)は同じ村尾酒造の銘柄ですが、味はもちろん異なります。しかし、“村尾”がPBと言う事もあり、他の行程が全く同じではないとしても、“薩摩茶屋”が味の上で劣るとは、とうてい思えません。「薩摩茶屋の方が好き!」と言う玄人衆は、意外と多いです。

<酒造米に求められる要素>は『大粒で、中心にある心白部の比率が高く、外硬内軟で 、タンパク質や脂肪分が少なく、保水力に優れている』事です。心白(目ん玉)は空気を含んだデンプン質の塊で、隙間が多く麹菌が繁殖し(はぜこみ)易いのですが、その外殻部は雑味の元になるタンパク質や脂肪分を多く含むので、精米(磨く)する必要があります。この精米歩合(磨いた残り分)は、日本酒の高級なものなどで11%にもおよぶ銘柄(“亀の甲 寿亀 壱十壱”)もあり、「磨きは心白にせまる」と表され、磨きに強い事が上記条件に反映しています。要は、麹に適したデンプン質だけを使いたいって事ですね。有名な酒米用品種として、「山田錦」、「美山錦」、「五百万石」、復活した「亀ノ尾」、「強力」、「雄町」、などがあります。中でも「山田錦」は酒米の王者的存在で、単独一位を独走中です。芋の「黄金千貫」の様な感じですかね。最近では、「山田錦」と「五百万石」の美点を賭け合わせた「越淡麗」が究極の酒米として注目されているそうです。

・「山田錦」主産地の兵庫県(全国の8割を生産)は大きくわけて5地区に別れています。A-A地区、A-B地区、A-C地区、B地区、C地区ですがその中でも特A(A-A)地区は吉川町全域、東条町全域、社町の一部というごく限られた地域しかありません。特A地区の特上米となると圧倒的なブランド品で、「ヒノヒカリ」の倍の値段だそうです。毎年、春に行われる全国新酒鑑評会・金賞酒のほとんどは山田錦米を使用しており、地産ではない、と言う事になるんですね。

全国新酒鑑評会に出品される日本酒は、このためだけに醸される特別品(1升瓶で2〜30本くらい)のようです。蔵が本気(最高の原材料と手間)で造れる技術レベルを競う場で、要はオートクチュール・コンテストですかね。予審を通ったら入賞酒(銀賞)と呼ばれ、その内約1/3くらいが金賞を取るとの事です。販売される事もありますが、高価な超限定品ですから一般の人が飲む機会は、めったにありません。通常、販売される金賞酒は同様仕込みの大型タンクもの(同じモロミから搾ったもの)がほとんどだそうで、出品酒と全く同じという訳では無い様でプレタポルテにあたる感じですか?(参照

・平成19年度では、参加点数957点中、入賞酒487点、金賞酒255点だったそうですが、素人目には以外と多いんだなと思いました。あえて出品しない蔵も多いそうで、そちらの方が気になりませんか?

・「Yk35でないと金賞は無理」と言われていました。山田錦・協会9号酵母・35%精米という金賞を取るための大吟醸・黄金率ですね。ある時期の出品酒はYK35だらけだったようで、鑑評員の好みを狙い、味の平均化を招いたそうです。パーカー・ポイントを取るためのインパクト・ワインを思い出します。

“亜士亜あじあという銘柄でほとんど同じ仕込みの麹米違いを体験できます。山田錦米と強力米をそれぞれ黄麹で起した日本酒蔵の挑戦銘柄で、今後の黄麹芋焼酎の行方を示唆する重要な存在だと思います。芋は金時芋で、PBでなくては不可能な経済性を考えない丁重な造りで魅了しますが、芋臭いのが好きな人にはピンと来ないかもしれません。 こちらです

<麹と主原料の比率>は(壱岐麦焼酎の1:2は例外として)1:5が基本となるそうです。芋焼酎の場合、単純に考えると15%以上は米原料と言うことになり、麹の育成に与える影響もさる事ながら、米の香味成分自体も無視できない要因になりそうです。西洋の人達には、麹と言う概念は無く、芋焼酎も芋米混和のスピリッツと解釈されてしまうのでしょうか?しかし、甘藷(サツマイモ)系の農作物は世界中の温暖地で栽培されているのに、お酒にして楽しんでいるのは日本だけです。やはり、我が国で独自の発展を遂げた麹文化(味噌、醤油も含め)の素晴らしさを、再認識して、海外へ発信しない訳にはいきませんよね?まだ今は、かつてのテキーラの様に、とあるよくわからん国のとあるよくわからん酒にすぎない日本酒や焼酎ですが、いつの日か、世界中の人々が、普通においしいお酒として楽しんでくれる時が来るのでしょうか?

製麹せいぎく  (麹菌を米に繁殖させるこの行程こそ、杜氏さんの正念場です。)ーーーーーーーーーーーーーーー豆知識TOPへ戻る

<製麹法>には、大まかにわけて四つがあります。 蓋麹法、箱麹法、床麹法、機械麹法で、徐々に規模が大きくなり、効率(人手・時間・均一性)も良くなりますが繊細な手加減がらは遠くなります。とある銘柄に、もし「蓋麹法で麹を造り・・・・」とあったら、サラッと書いてある割りには、とてつもない手間隙と覚悟で醸される少量生産品に間違いありません。

<行程>一次仕込みの前段階として、極めて重要な作業が製麹(製菊)です。杜氏さんが一番細かい神経を使われる、出来の良し悪しが問われる行程だと思います。日本酒の例ですが、まず/麹菌をまぶす床になる米をよく洗った後、水でふやかし、麹菌が繁殖しやすいように蒸米機などで蒸します(蒸きょう)。これには、雑菌を取り除く効果もあります。/ 蒸米ができたらを34〜36℃に冷し、麹室の中に入れ、温度を均一にするために床の上に積み上げ、布をかけておきます(引込み)。/2〜3時間して落ち着いたら 種麹(麹菌の胞子)をまんべんなくふりかけ、よくまぜます(床もみ)。そして、乾燥と温度の低下を防ぐために布で十分に包んでおきます。この時の温度(もみ上げ温度・ 増殖速度を支配するので重要)は31〜33℃が普通です。/ 約10時間位たつと、蒸米粒の表面が乾いて 固い塊になっているのをほぐして良く混ぜ(切返し)布で包んでおきます。/ 切返し後12時間位たつと、麹菌の繁殖による白い斑点が表れ、 麹菌の増殖による発熱のため、麹菌の増殖が止ってしまいます。 そこで、蒸米をもみはぐし温度を下げ、一定量ずつ(30kg位が多い)箱に入れて温度の調節をし易くします(盛り)。/ 盛ってから9〜10時間たつと温度が34〜36℃まで上昇します。そこでよく撹拝して塊まりをほぐし、温度を1〜1.5℃下げます(仲仕事)。/ 仲仕事後6〜7時間たつと、温度が37〜39℃まで上昇するので、よく混ぜて 温度を1〜2℃下げ、蒸米をひろげ、米層に3本程度の溝を縦に作って表面積を増やし水分の蒸発を促します(仕舞仕事)/ 仕舞仕事後約12時間(掛麹では約8時間)たって麹が出来上ると、麹を麹室から出して冷まします(出麹)・・・・・読むのを途中で止めましたね。私でもそうすると思います。製麹が、いかに地味で、根気が要り、繊細で、失敗しやすいかをイメージするために、あえてダラダラ書き出してみました。もちろん、これでもずいぶんと省いてるんですよ。つまり、麹がよく育つ様に、常に温度と湿度に気を使って、(蒸きょう)(引込み)(床もみ)(切返し)(盛り)(仲仕事)(仕舞仕事)(出麹)するって事ですね。何度も混ぜるのは、菌に酸素を供給する為です。杜氏さんと蔵子さん達、ごくろうさまでした。

・上記、は日本酒の箱麹法を例にとってあります。焼酎の場合は好適温度が異なるようで(温暖地が多いから?)、前半が40℃ぐらいに、後半が35℃ぐらいになるように調整するそうです。これは、焼酎用の麹菌が40℃ぐらいの高温で糖化酵素等を多く造ることと、35℃ぐらいの低温でクエン酸を多く造るためとの事です。

<麹座> 江戸時代以前は、麹を扱う職人は「麹座」と呼ばれる専業組合に属し、酒造技術者とは全然別の仕事だった様で、酒、醤油や味噌などの麹造りを独占していました。酒造り集団に麹を扱う人が入り始めたのは、京都での 文安の麹騒動 によって酒屋業の一部へと武力で吸収合併された室町時代以降と言われています。しかし、今でも地方には「麹屋」の看板が残っている店(醤油・味噌)もあるようで、近隣農家の方が大豆などを持ち込み「麹を、ねやしてや」と味噌麹造りを頼みに来ることも多かったとの話もあります。

<手づくり麹>と呼ばれるには習慣的な制限が有るようです。人の手による作業は当然ですが、自然換気の専用麹室こうじむろで仕込まねばならず、(もちろん空調設備は×なので)温度管理に神経をすり減らす大変な仕事です。

<機械麹> 近年では、焼酎の製麹はほとんどがドラム式自動製麹機で行われますが、今でも手造り麹にこだわる銘柄も少なくありません。しかし、今の自動製麹機で作られる麹の質は相当高いそうで、「へたに手作りするよりは・・」と言う記述も目に付きます。個人的には、年ごとの出来不出来があって、奇跡的大当たりがあったほうが良い様な気がするんですが。手造りするには、極めて高い技術と、豊富な経験と、そして何よりも経済的な動機などが必要になってきているのではないでしょうか?麹技は日本酒蔵から学べるとはいえ、焼酎と日本酒は、やはり別物で、焼酎杜氏候補の若い従事者達が、麹の手造りを経験できる機会がどれほどのものか不安な気がします。

麹の種類 (主に芋焼酎的な流れです。) −−−−−−−−−−−−−−豆知識TOPへ戻る

黄麹は、縄文後期(約3500年前)に中国大陸から伝来した古代稲に付着していたと思われる微生物(麹カビ)が、日本の風土・環境の中で長期に渡り変異を繰り返し定着固定した黄麹カビ菌(アルペルギルス・オリゼー)による麹で、オリゼーとは、米、稲の意です。清酒・味噌・しょう油などの多くの発酵食品に使われ、日本人の食生活を支え続けてきました。そして蒸留法の伝来時から明治にかけての焼酎もこの黄麹です。しかし、ほとんどクエン酸を生育しないため、温暖な地域での使用は腐造との戦いでした。バクテリアの出す不安定な乳酸のみが腐敗と戦っていたからです。“明治の正中”、がこの頃の味を再現しようとしています。(この頃はまだ、「どんぶり仕込み(後述)」です。)

黒麹は泡盛に使われてきた伝来麹(?)で、中国・温洲地域から伝わった麹菌の変異種との説もあります(こちらを参照)。芋焼酎においては、明治30年中頃に黒瀬杜氏衆が使い始め、明治43年(1910)、河内源一郎氏が泡盛の黒麹から焼酎用黒麹の分離に成功しました。以降、大正半ばには黒麹が普及し、腐造と戦い続けた温暖な南九州でも芋焼酎の生産量が急増しました。“大正の一滴”は老ひね黒麹(後述)使用の大正ロマンな再現銘柄で、同じ国分酒造の”蔓無源氏”さらに旧品種の芋まで再現した到達点とも言える大正野朗です。(黒麹が定着する以前の大正二年頃には、糖分が多く不安定だった芋焼酎の醸造にとって、もう一人の救世主とも言える、新技法の「二次仕込み(後述)」が考案されていました。)  黒麹菌の由来はこちらへ。

白麹は黒麹のアルビノ性突然変異種です。先述の河内源一郎氏の再びの大快挙(大正13年/1924)ですが、意外と普及には時間がかかりました。 昭和29年に焼酎の割り当て制度が終わり自由販売になると、生産性の高い白麹は その有効性(作業性が良く、温度管理が楽で、酵素力が強い)がやっと理解されました。移行は早く、昭和30年代に、黒麹銘柄は、あの“伊佐美”のみ(なんか偉い!ずっと唯一の黒麹でした。)になってしまい、白麹の全盛期は30年以上も続きます。(鹿児島のかつての飲み手の間でも、“伊佐美”は特別扱いされていて、なんとか入手した人が家に仲間内を呼んで、嬉げに振舞っていたのをよく覚えています。ちなみにその人は私の父親なんですね。でも生涯に1本だけでした。)

黒麹が復活したのは、昭和62年(1987)発売の“黒伊佐錦”登場の時です。この銘柄は、新開発品種のNK(ニュークロ〉黒麹を使用して、かつての黒麹では成し得なかった、深い甘みとコクを実現しました。欠点だった温度管理の難しさも空調の進歩で克服され、これ以降、2種類の異なる味わいのバリエーションを楽しめる様になります。近年では、麦焼酎も力強い表現のために、黒麹で醸す事が多くなりました。“ちんぐ・黒麹”“黒さそり”などです。米焼酎はさすがに少ない様です。

黄麹の復活は、近年の温度管理技術のさらなる向上のおかげで育成が容易になった事と、あの“魔王”の登場(1991年?)によって成されたと言っていいと思います。今までの焼酎にはなかった、芳香(フルーティと称される)と軽快な甘旨味は、芋至上主義者には受け入れられませんでしたが、それまで芋焼酎を苦手としていた人々を振り向かせます。。次に“富乃宝山”が「飲み易いフルーティな芋焼酎なら黄麹」とのイメージを定着する役割をはたし、さらに多くの芋焼酎愛好家を増やしました。他の焼酎では、米には時々、麦ではごく稀に使用されます。当店の麦では、“天草・麦黄麹”"対馬やまねこ”(米焼酎一割混和)“黄八丈”の3銘柄のみです。本土だと長野に“丸山”ってのもあるようです。

麹の違いによる味わいの傾向 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−豆知識TOPへ戻る

・三種の麹はそれぞれ味の方向性を持っています。白麹は、優しい甘みと軽やかで落ち着いた味わいで、飲み飽きしないタイプが多い様です。黒麹は、香りが高く、コクが厚めな印象で力強さを感じます。黄麹の華やかな香りとスムーズな喉越しは、他の二種とは異なる繊細な印象を残します。しかし、麹的要因が強くないタイプの銘柄(どちらかと言うとこちらの方が多い)では、この判別が以外と難しい事を経験した人も多いと思います。

・黄麹の芋焼酎については、様々な意見があるようです。「鹿児島の黄麹芋焼酎が、まだ一線を越えられないのは、麹の扱いが未熟だからだと思う。黄麹の扱いは2〜3年日本酒蔵に居た位じゃ何もわからんよ。」と言う、キビシイ専門家もいらっしゃいます。確かに鹿児島県のみ日本酒蔵が一軒もなく、日本酒の麹技が身近にあるとは言いがたいです。昔は芋焼酎も黄麹で造っていましたが、求められる生産量と味のレベルが桁違いで、かなりハードルが高い、との指摘にもうなずけます。技術的には、麹がクエン酸を生成しない為、乳酸(バクテリアが生成)のコントロールが必須になるようです。近年、温度管理技術(空調など)の発達で、黄麹の扱いが容易になったのも事実ですが、扱いに熟達する事とイコールではありません。又、飲食店の現場の印象では、芋焼酎を苦手なお客様が回避的に黄麹芋焼酎を選択される事も多く、「これなら、臭くないし無理しないで飲める」とおっしゃいます。前出の・・まだ一線を越えられない・・とは、「黄麹の芋焼酎が一番好き!」と言われる方は、とても少なく、まだまだ魅力に欠けていると言う事でしょうか。鹿児島の銘柄ではない、“亜士亜”“一良”の存在感が、何かを暗示している様な気がしてなりません。黄麹芋焼酎が(第三の選択肢としてだけではなく)その必然性とアイデンティティーを確立するのは、まだこれからなのかも知れません。だとしたら、逆に楽しみですね。

・焼酎の風味を決定づける要因は他に多くあり、麹の種類は一要素にすぎません。芋の種類、酵母、蒸留法、濾過、熟成法などの大きな要素だけでもありません。いくつもの小さな決定要因の積み重ねを経て、その銘柄の風味が織物の様に紡ぎ出されていくのではないでしょうか。真面目に造られた焼酎には必ず美点があり、現時点の自分の好み(安住的偏見)を少しのり超えるだけで楽しみ(小さな確かな幸せ)を増やせるのでは?などと思ったりします。

麹に関わる特殊な手法 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー豆知識TOPへ戻る

・最近では、2種以上の麹を使った銘柄も珍しくありません。大まかに二通りの使い方(追い麹双麹)があります。ついに芋麹も登場しました。他にも、さまざまの工夫が凝らされ、麹使いは芋の品種選択と共に、個性化や差別化、そして高級化のキモとして、杜氏さんの腕の見せ所と成りつつあります。

<追い麹/添え麹>と呼ばれる手法では、一次仕込みの時に時間差で別の種類の麹を投入します。日本酒や醤油の麹使いの応用で、麹内の酵素の働きを時間軸でコントロールし、糖化や発酵の加減を変えて新たな香味要素を生成するための手法だと思います。経験や勘に基づいた極めて高度な作業で、黄麹を加える事が多いようです。この手法を使った銘柄としては、“皇神”“鷲尾”“百秀““鳳翔乃舞"などがあり、他にはない強靭な繊細さを実現しています。後述するネオマイセル麹も追い麹に使われます。

 "悟空の眠蔵・麦”にいたっては、黒麹に対して白麹と黄麹の二種追い麹と言う前代未聞の仕込み法に挑戦しており、米麹使用です。杜氏さんは「麹の魔術師」吉行正巳氏で、黒瀬安光杜氏と共に人間国宝級の方々ではないでしょうか?

<双麹>と呼ばれるもう一つの方法は、2種の麹で仕込んだ原酒を混合するやり方です。具体性が強く、ブレンド・イメージが重要なネゴシアン的手法で、両刃の剣の様な方法だと思います。“森八”、“一人蔵”“於一の夢”“小さな蔵”“金峰桜井”、“明るい農村””蛮酒の杯”などがより良い成果を示していて、名品ぞろいです。

 “熟柿”という限定銘柄は、黒麹菌ゴールド、白麹(S型)、白麹(L型)の3種類の麹菌で仕込んだ原酒を絶妙にブレンドした、言うなれば巴ともえ麹?ともいえる方法で仕込み、じっくりと熟成させたとても稀な焼酎です。さすがに、「麹の魔術師」吉行正巳氏のやることは違いますね。PB集団の「ベストブレンド会」もこの方向性に特化した活動を行っていて、二種の黒麹と芋麹を使った“とじゅ”なんて変り種を出してます。

 “小牧・双麹”はさらに凝ったアプローチに挑戦しています。 黄金千貫芋を芋麹で仕込んだ芋焼酎と、ジョイホワイト芋を米麹で仕込んだ芋焼酎、さらに完全甕仕込みの常圧米焼酎を使用した、稀にみる多重層ブレンドです。ここまで来ると、双麹とかブレンドの域を超え、融合?とでもいうしかない感じです。

<ネオマイセル吟醸麹>とは、日本酒の麹を焼酎用に改良した特殊な黄麹との事です。発育管理が極めて困難な反面、酵素力が強く(50〜100倍)、甘みの引き出しと芳香性に突出している事で知られているそうです。焼酎では主に追い麹として使用され、耽美的で繊細風雅かつインパクトのある表現の可能性を秘めている様です。

 熟練と挑戦心が必要なこの麹使用の銘柄は、“桐野”“楽酒悠遊”“黒瀬安光””金次郎”など数えるほどしかありません。芋焼酎界のVIP銘柄ばかりですね。麹使用比率は“桐野”で3〜4%、“楽酒悠遊”で10%程の様で、両銘柄を手がけた黒瀬勉杜氏によると、後者の造りの感覚はかなり黄麹に近いとの事です。(“黒瀬安光””金次郎”は高額すぎて、当店にはありません。話だけでごめんなさい。)

 上記のVIP銘柄の評判は、正直なところ芳しいものではありません。おそらく、杜氏さんが追い求めるイメージのレベルが高すぎて、この様な特殊な銘柄にふれる機会の多い経験値の高い飲み手ほど、従来の味からはかけ離れた繊細な味わいに距離感を感じるのでは?と想像しています。「旨い」というあいまいな感覚は、個人の快楽体験の選択反復すりこみで確立していくので、人によっては必要のない味なのかもしれません。新しい味覚価値こそは、新しい世代や、偏見のない舌のものなのでしょうか?音楽などの好みが世代によって移り変っていくのと似てる感じですか?

<全量>芋麹を使用した芋焼酎は、原材料が全て芋なので、「全量芋」などと表示されます。米よりデンプン質の少ない芋を麹床にするのは困難で、登場したのはつい最近の事です。記念すべき初の銘柄はその名も“芋麹・芋”でした。「全量芋」と言われると、さぞかし芋々しい風味かと思いきや、芋原料が本来持っている、とてもナイーブでメロウな要素が突出して、他に無い独特な舌触りです。「米麹に由来する脂肪酸のクセのある香りが無く、芋に特有のテルペンの香りが際立つ」からだそうです。

 その後も、黄麹とは異質な軽快さの“一刻者”、超個性的な"蘭”シリーズなどいくつかの銘柄が登場しました。唯一の黒芋麹の"蘭・黒麹”などはまるでバーボン!の様で我が舌を疑いましたですよ。“蔵の師魂いもいも”、“宝山・芋麹全量”も全量芋です。もちろん、芋麹の焼酎は黄麹同様に、芋至上主義者からは総スカンを喰いましたけど・・・・

 麦焼酎(米麹使用の壱岐焼酎を除く)や米焼酎などは、通常は一次(麹)も二次も同じ原材料で出仕込まれるので、特に「全量」とは表記されません。ただ、新しい素材の裸大麦焼酎(麦チョコ君)では麹も裸麦の場合には「裸麦全量」とアピールされる様です。

<麦麹芋焼酎>は、伊豆焼酎に幾つかの銘柄があります。離島での米は貴重品だったので、麹床に使う習慣がなかった様です。伊豆諸島以外ではほとんどなく、“九段の人”“天邪鬼”、の2銘柄しか思い当たりません(これらは終売品と限定品です。又、話だけですいません)。この麦麹芋焼酎は伊豆諸島物でお試しください。初めてのお方は、意外な旨さに驚きますよ。ちなみに、壱岐焼酎(米麹)を除くと、麦焼酎はほとんどが麦麹です。

“磯娘”“てるこ”“あおちゅう・青宝”“あおちゅう”“あおちゅう・伝承”が伊豆諸島の麦麹芋焼酎です。“島流し”も二次原料の8割が芋なので、仲間に入れてあげて下さい。伊豆焼酎のページをどうぞ

<自然麹>を焼酎に使っているのは、青ヶ島だけでしょう。島特産の「オオタニワタリ」などの植物の葉に麦を乗せ、葉が枯れていく際に発する熱を利用して、自然の麹菌を繁殖させているそうです。しかも、この自然麹菌は黄麹と黒麹が混生していているそうで、当然、仕込み年によって麹比率は変化します。この麹と、雨水と、果物の表面や樹液など色々な所に生育している自然酵母の力を借りて造られる青ヶ島の焼酎は、近代以前の昔酎の味わいを、最も喜ばしい姿で伝承してくれているのではないでしょうか。(“青酎・池の沢”のみ自然麹ではありません)

<どんぶり仕込>とは、大正一年までのすべての焼酎で行われていた、一次仕込みだけの初源的な技法です。一つの釜に、麹、酵母、原材料に、水を加え一次発酵のみで蒸留します。バクテリア(特に乳酸菌)の生み出す酸のみを頼りにした腐造の多い、不安定な方法でした。コントロールが容易で安全な上、量産にも向いた「二次仕込み法」が普及し切った今では、青ヶ島だけで生き残っていましたが、今では、あえてこの技法に挑戦する本土の蔵も少しながら増えてきました。

 “明治の正中”は黄麹のどんぶり仕込み芋焼酎で再現性がかなり高いと思います。「昔の人はこんな感じのを飲んでいたのか〜」と、感慨深い想いにひたれますよ。当店にはないですが、“燃島”“味蔵”などは黄+白麹の新世代どんぶり君達です。

 伊豆諸島の青ヶ島では青酎の4銘柄中、“あおちゅう”あおちゅう・伝承”の二つと、新出の麦焼酎“恋ヶ奥”が、どんぶり仕込です。でも“青酎・池の沢”あおちゅう・青宝”が二次仕込なのは、何故なんでしょうね?ちなみに、青ヶ島の焼酎は全種ありますので、お試し可能です。伊豆焼酎のページへもどうぞ。

<全麹>とは原材料を全てを製麹して仕込む手法で、<全量麹>とも言います。ほとんどの場合、泡盛の様に一次仕込みのみで蒸留するやり方を取りますが、発酵の途中で再び麹を投入する「掛け合わせ式二段全麹仕込み?」とも言える方法が使われる事もあります。

・<どんぶり仕込み>との違いは分かりづらいですが、全ての原材料を製麹する<全麹>と、麹(具?)と製麹していない原材料(ご飯?)の二種を使う<どんぶり仕込み>は同じ意味ではありません。全ての原材料を麹にして仕込むと言う特殊性が、独特の価値観を指向している?とでも言うしかないような感じです。全麹仕込みは、一般的な仕込み法の進化の枠外にある、もう一つの方法論と考えるのが、落とし所ではないでしょうか?おそらく、「南蛮酒」の流れが残した琉球國の遺産ではないかと思います。(こちら(2)を参照)

・たまーに見かける「全麹のどんぶり仕込み」と言う表現も、何でもいいから付加価値を付け差別化したいだけに感じられ、意味無しで紛らわしいだけの「○○丸出し」物件だと思いますよ。ダブル・ミーニングにすらなっていない、ダブル・ブーイングです。この言い方がOKなら、全ての泡盛は「全麹のどんぶり仕込み」でナンかスッゲ〜!になっちゃいますし、“どんぶり”にいろんな物を放り込んで・・みたいなダイナミックな感じも台無しで、どっちも何かチマチマしてチャチくなる感じじゃないですか!プンプンのプン・・・あ、妙に一人で興奮してます?

・(「○○丸出し」物件)の○の中には、バ、カ、ヨ、ク、の四つの内どれかを一つ入れて下さい。もう、お分かりですね。正解は、もちろん”バク()”です(他の組み合わせは誤解を招くので×ですよ)。あの、「夢を食べる」と評判のロマンティックでナイーブな生き物です。この優良物件をお持ちの方、お金持ちになる夢でもパクパク食べてガンバッテ下さい。野菜を食べるのも忘れずにね・・

泡盛は基本的に伝統的なタイ米を使用した全量黒麹の、一次のみの仕込みです。なぜ当然の様に全麹なのでしょうか?法定以前から、この地の特殊な、気候風土や歴史的地理環境に、何かしらの必然性があったのではないか?と想像されます。南方から伝わった時の具体的な造り方は?そしてその造り方はどう変化したのか?黒麹はどこから来たのか?いくら黒麹でも全麹じゃないと腐造しやすいのか?タイ米原料が求める微生物環境が特殊なのか?古酒という概念が沖縄だけで定着したのは、中国文化の影響なのか?古酒の造り方{仕次ぎ法)がシェリー酒のソレラ・システムとあまりにも似すぎてるのは、ただの偶然?などなど解明されない疑問が山積みです。そういえば、沖縄には日本最南端の清酒蔵の泰石酒造さんがありますが、どうしてるんですかね?ちなみに、鹿児島県だけが、なぜか日本酒を造ってない様です。 泡盛のページへ

・米焼酎では真剣オーガニックで有名な蔵の力作“全麹仕込・完がこい”の透明感が素晴らしいです。“岩窟王”も全米黄麹で、香り酵母、三段仕込みです。麦焼酎では、名酒“歌垣”は圧倒的な存在感で忘れられません。そして“初潮”は唯一無二の裸大麦全量麹で新境地です。そして、沖縄の“麦・請福”は当たり前の様に全麦黒麹で、「全麹っつうのは、こうするんサー」とでも言うかの様に、本場の地力を見せつけてくれます。他には“月心”“つくし・全麹””いいちこフラスコボトル”、など、麦は多い様です。全体で10以上の銘柄がある様で、今後も増えると思われます。

・「芋焼酎の全麹銘柄は何があるの?」って思ったら<全量>の項に、「芋原料に麹を着床させるのは、極めて困難です!」って書いてあるのを思い出してください。麹になり難い芋原料を、さらに全麹で仕込んだ銘柄なんか無いのでは?と思っていたら、老松酒造さんの“芋狸”を発見しました。これは全量芋麹で造ってるらしいですよ。おそらく唯一?の全麹芋焼酎“芋狸”に拍手でした。パチパチパチ!(でも、静岡県東部地区限定だそうです。)

・おっ!芋でスゴそうなのが有りました。全量黄麹“石蔵”です。芋原料を全て黄麹にして仕込むなんて可能なんですか?あっ、でも芋と米麹が原材料って書いてあります。おかしいですね。どの要素が全量(全て○○)なのか意味が分かりません。まさか「麹は黄麹だけしか使ってないよ(=ただの黄麹芋焼酎)」って事はないでしょう。明治期の焼酎再現との事ですが、この時代にはどんぶり仕込みの黄麹焼酎しかありませんので、蔵元さんか酒販店さんが<黄麹のどんぶり仕込み>と<全量黄麹>を混同・曲解している典型的な例かもしれません。

・他にアレッと思う銘柄名では西酒造さんに“芋麹全量”という銘柄がありますが、全量芋が全量芋麹の様にもとれる誤解を招きやすい銘柄名ですね。“芋麹・全量”だったらダブルミーニングながらもギリギリOKですが、全量は形容詞的な使い方なので最後にくるのはおかしいですね・・・

・<全麹>=<全量麹>≠<全量>≠<全量甕造り>と、ホントまぎらわしいので、間違え易いです。<全量>は一次(製麹した原料)と二次(製麹してない原料)が同種原料での仕込みです。<全量甕造り>は、一次も二次も甕で仕込んだと言う意味で,麹の仕込み法とは別の話です。後者は全量芋の甕仕込みと間違え易いですね。

<二段仕込み法>とは、清酒の技法を応用して腐造を減らそうと、どんぶり仕込みから二次仕込みの間に試みられた過渡的な手法です。少量の米麹とさつま芋をどんぶり造りしたものに、さらにまた同じ割合の原材料を量を増やして投入する(掛ける)ことで、管理し易い状態を維持するものです。さらに、もう一回掛けると、日本酒の「三段仕込み」になります。さすがに、この掛け合わせる方法で醸された銘柄は、今はないと思います(たぶん)。でも、ひょっとしたら“黒霧島”の詳細不明な「独自の三段仕込み」なるものがそうかもしれません。

 宮崎の岩倉酒造さんの麦焼酎に“三段しこみ”という銘柄があります。これは、一次で米麹、二次で麦、とここまでは壱岐焼酎に似た通常の「二次仕込み」ですが、さらに再び米麹を掛ける事で「三段」と称している様です。日本酒の有名な「三段仕込み」とは全く意味が異なりますが、壱岐焼酎の様な力強い味わいに、<全麹仕込み>っぽい粘るような深さが加わった新しい境地が開かれており、銘柄名も「あれとは、ちょっと違うからね〜」と、微妙な感じを出しているのは好感度UPですかね。しかも表ラベルはじこみなのに、裏ラベルは、何故かしこみです。どうしたんでしょうか。そういえば、チームファクトリーのPB銘柄で”道満地走り”という、超クールなラベルの芋銘柄がありますが、ローマ字添えで、GIBASHIRIと表記されてるんですね。もちろん、正しくは、JIBASHIRIです。ラベルのデザインは本当にカッコイイんですよ。で、コレかよ的な、超ホホエマシイ、PBならではのチョボミスですね・・あ、又、脱線しました。

 他では西平本家さんの黒糖焼酎“千枝子”が、二段目で半麹(蒸米に麹をまぶしただけの,菌糸がハゼこんでいないもの)を掛けて糖化の速度を意図的に遅らせ、三段目に主原料の黒糖を投入するいう手間のかかる奄美の伝統的な三段仕込み法で醸されています。円やかさの重心を低くした様な独特の包み込む感じを演出しており、無濾過ながら飲み易さと奥深さを高次元のバランスで両立するのに成功しています。

<二次仕込み法>は、温暖地での芋焼酎の腐造を防ぐために考案された工夫です。黒麹が定着する以前の、大正二年頃に考案された様です。一次で麹のみを充分に発酵させ(一次もろみ)、主原料を加えて再び発酵して二次もろみが出来上がります。リスクが少ない上、コントロール性が高いこの革新的技法の登場は、糖分が高く、不安定要素の多い芋焼酎にとっては、僥倖のような出来事で、上記のどんぶり仕込みは、あっと言う間に廃れてしまいます。しかし、麦や米に使われ始めたのはかなり後で、全国に普及したのは、昭和20年頃と言われています。世界的にほとんど例の無い甘藷(さつまいも)原料蒸留酒は、麹を生かしきるこの独自技法なしには、ここまで洗練され得なかったのではないでしょうか。誰が思いついたの?

<老麹ひねこうじ>とは、甘酒や風味の強い泡盛などに良く使われる技法で、通常1〜2日で終える製麹を3日ほど行います(三日麹)。培養時間が長く、麹の菌糸が長くハゼこんでいるもので、麹菌の酵素力が高まるので糖化作用が強く、アミノ酸が多く生成されるため風味の強いコクのある酒質を生み出します。反面、アルコールの収量が少なかったり酸や雑味が多くなったりと、失敗しやすい困難な製麹法の様です。芋焼酎では、国分酒造さんが“大正の一滴”“蔓無源氏”で老黒麹を使用しており、白麹が登場する以前の味の再現に挑戦しています。

<古代米麹>とは、縄文・弥生時代から日本に生息していたイネの原種に近い陸稲系品種で製麹した特殊な麹です。そもそも イネの発祥地は中国長江流域ですが、我が国では縄文時代の遺跡から炭化した米が見つかった事で既に伝来していた事が確認されています。荒地でも育つ強い生命力、玄米皮殻の色が有色、背丈が高いこと等を受け継いでいて、栽培自体は容易な品種も多いですが、健康食品か鑑賞用としての需要しかないため生産量は少なく、やけに“幻の米”といわれています。その生命力は驚異的で、遺跡や古墳から出土した種子から発芽し、現代に蘇った品種もいくつかあります。そんな話や、古代米という響きだけで、ロマンチックな想いが湧いてくるのも 、ポイント高いですよね。現時点では国内には約220種ほど保守されていて、含有色素別に、主に3種類に大別されます。

 <緑米>は、現代の古代米各種のうちで最も野生稲に近いものです、古来から寒冷地や山間部で脈々と生息してきた品種ですが、現代ではネパールやラオスなどのアジアの国々でも栽培されている様です。本来麹菌がつきにくい“もち米”の一種であり、これまで本格的に芋焼酎の米麹として使われることはありませんでした。食品としては、多くの葉緑素 と微量要素(鉄・亜鉛、モリプデン、カルシウム・リンなど)を含んでおり、滋養強壮・健康増進効果などに徐々に人気が高まっています。[緑米品種] 緑万葉、在来緑米(アクネモチ系)など

 使用焼酎銘柄としては“田伝夢詩”“古代緑米麹仕込み・二十三座四十八池 ”があり、特に前者は、ほぼ単独店による企画であるが故に、古代米麹という特殊な手法の可能性を、強く印象づけました。田伝夢詩のページへ

 <黒米>は インドやジャワ・中国方面から伝わったと言われる品種です。品種名も大陸の地名由来が多い様ですね。 紫米とも呼ばれており縁起の良い出世米として、中国では宮廷献上米にもなりました。 ビタミンB1、B2、カルシウムそして、アントシニアンなどが豊富に含まれており、黒米がゆは薬膳料理として有名です。又、「おはぎ」のルーツとの説もあります。こちらも、もち米の一種で麹菌が乗りにくいため、1/3に割り,中にキズを付けて麹菌を植付けるという、とても手間のかかる作業が必要です。 [黒米品種] 紫黒苑、黒田苑、黒紫、湘南黒米、雲南黒米、湖北紫黒米など

 “黒雲雀”“黒吉”“古代黒米麹仕込み・二十三座四十八池”などの銘柄があり、独特の深みや滑らかさを持つ傾向がある様です。“黒雲雀”はキトサン農法による試みでも知られています。

 ・キトサンとは甲殻類から精製した天然の糖類で、土壌微生物(好気性菌と嫌気性菌)のバランスを劇的に改善し、 連作障害を防ぐとともに、植物が本来持つ免疫力を高め、相互作用として、農作物本来の力強い魅力を最大限に引き出します。キトサン農法を取り入れた銘柄は“雲雀”“黒雲雀”“日南娘・黄麹”“日南娘・黒麹”、などがあり、宮崎の「カコイ酒店」さんの企画した銘柄です。(PBではないとの事です)

 <赤米>は、縄文時代には既に伝来していたと言われる最も古い品種です。うるち米の一種で、今の米のルーツと考えられています。 たんぱく質や、各種のビタミンが豊富で、昔から神事やお祭りの席でも用いられ、赤飯の起源とも考えられています。うるち米なので、他の古代米に比べれば少しは製麹し易いとはいえ、リスキーな挑戦である事には変わりありません。[赤米品種] 紅茜、紅朱雀、桃園、中之島赤米、神庭穂、紅吉兆(もち米)、紅ろまん(人工種) 、など

 銘柄としては“宝満”“紅子の歌”“古代赤米麹仕込み・二十三座四十八池”、などがあり、軽快ながら旨口の風味になる様です。“弥生の神話は赤米原料の黒麹米焼酎です。

 (当店では“田伝夢詩”“黒雲雀”“黒吉”、“宝満”、をお試しいただけます。どの品種米ですかね?)

<黒麹・麦焼酎>の登場は、芋焼酎に押されがちだった、趣味的愛飲家エリアへの反撃の一手に成ったのでしょうか?銘柄を選んで飲まれることの多い芋に対して、麦は「芋はちょっと苦手だから、なんでもいいから麦ね。あ、クセのないやつ」と注文されることが多いです。そして“兼八”、の登場で、裸麦焼酎達に<インパクトのある分かり易い旨さ>という形容詞を取られてしまいました。美点の際立つ銘柄が多いのに、微妙な位置に甘んじている黒麹麦焼酎の魅力は、いつ認知されるのでしょうか?この力強いコク味と芳醇さは、是非とも試していただきたいと思います。

“松露・黒麹”“ちんぐ・黒”“黒さそり”“釈云麦”“麦・請福”“円熟おこげ”(焙煎裸麦)、を用意しました。

<黄麹・麦焼酎>なんてあるんだ?おっ、天草酒造か!えっ、無濾過!うっ、しかも季節限定品だって・・と、言う訳で、“天草・麦・黄麹”あります。です。きっと、ほとんどの人にとって、初めての体験です。飲んでみて下さい。「dancyu」最新焼酎特集にて巻頭を飾った天草酒造の隠し玉ですよ。黄麹の麦焼酎が、これと“対馬やまねこ”以外にもあったら教えてほしいです。あ、八丈島の“黄八丈”もそうでした。なんで島酒ばかりなんでしょうね。本土にはないの?→「長野県・千曲錦酒造の“丸山”が黄米麹・中減圧・吟醸酵母・焙煎麦・三段仕込・麦焼酎です。」→あっ、あるんですね。ご教授ありがとうございます。

<黒麹・米焼酎>の微妙さかげんは、麦の黒麹以上にかなりなものです。キモとも言えるナイーブな吟香に、黒麹ですから・・・不振の続く米焼酎からのバック・ハンド・アタックの様な一発になるか?さすがに少なく“松乃泉・黒麹”、“黙壷子もっこす・黒麹”、“武士者・黒麹”“白の匠・黒麹” などで、最初の二銘柄を醸しているのは、あの絶品名酒“精選・水鏡無私”で知られる、球磨の松の泉酒造さんです。試してみたいっス。

<トウモロコシ麹>の珍しい銘柄があります。田崎酒造さんの“魂麹”(コーン麹?)で、35度、12年熟成の異色作で、まるでバーボンの様な風味の芋焼酎だと聞きます。そういえば芋麹の“黒麹・蘭”もバーボンの様な味わいに驚きましたが、なんらかの関連性があるのかと気にかかります。

<粟あわ>なんてのもありますね。“から芋さんありがとう”と言う、脱力感満載な銘柄名の芋焼酎は、終戦後の味?を再現するため(なぜ?)に、5種類!の芋(なぜ?)と粟麹(なぜ?)を使って仕込まれているそうです。かなりの思い入れ銘柄で、ラベルには線画でお釈迦様?が輝かしく奉られて、PBならではの特異なコンセプトと存在感が神々しく、個人的には好感度かなり高めです。ちなみに、から芋(唐芋)とは鹿児島弁でサツマ芋の事ですよ。「ありがとう!と、ごめんなさい!は魔法の言葉だよ」と、誰かから子供の頃教わったのを思い出しました。

<麹と主原料の比率>は(壱岐麦焼酎の1:2は例外として)1:5が基本となるそうです。芋焼酎の場合、単純に考えると15%以上は米原料と言うことになり、麹の育成に与える影響もさる事ながら、米の香味成分自体も無視できない要因になりそうです。西洋の人達には、麹と言う概念は無く、芋焼酎も芋米混和のスピリッツと解釈されてしまうのでしょうか?しかし、甘藷(サツマイモ)系の農作物は世界各地で栽培されているのに、お酒にして楽しんでいるのは日本だけです。やはり、我が国で独自の発展を遂げた麹文化(味噌、醤油も含め)の素晴らしさを、再認識して、海外へ発信しない訳にはいきませんよね?まだ今は、かつてのテキーラの様に、とあるよくわからん国のとあるよくわからん酒にすぎない日本酒や焼酎ですが、いつの日か、世界中の人々が、普通においしいお酒として楽しんでくれる時が来るのでしょうか?

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・酵母とは、単細胞の微生物(菌)です。出芽酵母の一種である焼酎酵母は、麹が生成した糖分を栄養源として繁殖し、アルコールと炭酸ガスを分泌生成(アルコール発酵)します。

<麹と酵母の共同作業> 酵母が登場するのは、一次仕込みの時です。麹菌が米のタンパク質から造り続ける(腐敗要因になりやすい危険な)糖が蓄積しない様、どんどん食べて繁殖して、アルコールを造り続けます。麹がクエン酸、酵母がアルコールと二段構えで腐敗の確率を減らします。そして、二次の段階で投入されるサツマイモの(さらに危険な)糖分に対応出来る様に、大量の元気な酵母を増やしていきます。この行程は一週間ほどで終わります。糖化とアルコール発酵を同時に進行させるこの様な方法は並行複発酵と呼ばれ、長い歴史の中で磨き抜かれた我が国の独自技法です。(アジアの一部にもありますが、洗練の度合いが異なります。)

<酵母の香味要素> 日本酒では、米と酵母の種類についてはかなり多く語られますが、麹についてはささやかなものです。昔から 「1 麹 、2 もと(酒母)、3 造り(醪)」と言われるのに何故ですかね。 酵母と麹の香味要素としての一般認識度は、焼酎とは逆のようです。蒸留という熱的に極端な行程を経る焼酎では、酵母本来の香味要素はさほど生かし様もなく、麹とのコンビネーションによる、料理でのダシ的な、目立たない大黒柱的存在の様に思っていました。 しかし、「香気成分の大部分は酵母の働きで生成する」と、体験的に語る杜氏さんの言葉は、動かぬ石の様な確信に満ちていて、シロウトな私の???は深まるばかりです。

・おおまかですが、「酒母(しゅぼ)/?(もと)」 は焼酎の一次もろみ、「(もろみ)」は焼酎では二次もろみにに相当します。

<酵母の分離・選抜> 1909(明治42)年、初めて“どぶろく”から清酒酵母が分離されました。その後、無数の酵母が分離培養され、今、日本醸造協会が頒布できる協会系酵母(清酒、焼酎、ワイン用)は約30種程で焼酎酵母はわずか2種のみです。しかし、各県の試験研究施設で開発され、頒布されるもの(県産酵母)も多く、そこからさらに各蔵内で選抜、保存された多くの蔵前酵母が実際に使われているのではないかと思われます。この蔵前酵母こそが、蔵ごとの個性の遠要因のような気がしてなりません。よく耳にする事の多い蔵付き酵母の密やかな存在も心情的にはとうてい無視できません。

<焼酎酵母に求められる要素>は、主要使用地域の気温に合わせて耐温度性が高いこと(30度くらいまでOKです)、麹の生成するクエン酸に対して耐性が高いこと(バッチリです)、糖のアルコール変換効率が高いこと(イケイケですよ)などです。この条件をみたす主な焼酎酵母には「協会焼酎酵母2号(芋用)」、「協会焼酎酵母3号(麦用)」、「鹿児島県酵母」、「宮崎県酵母」、 「球磨焼酎酵母{米用)」、 「泡盛1号酵母」などがあります。ひょっとしたら、鹿児島の芋焼酎と宮崎の芋焼酎は風味の違いは、県産酵母が大きな要因かもしれません。・・・・裸大麦焼酎“兼八”が、なぜか当初「鹿児島県酵母」を使っていたのは、芋焼酎ファンへの深層味覚感帯を狙ったのだとしたら・・・・(妄想です。すんません。)

<自然酵母in青ヶ島> 極めて特異な例としては、果物の表面や樹液など、色々な所に生育している自然酵母を使う青ヶ島の例があります。「どんぶり仕込み」、「自然麹」、「自然酵母」、「雨水仕込み」と、青ヶ島焼酎のあまりにもネイチャーなロストワールドっぷりには、感嘆のあまり言葉が無く、「太古の秘術の前に、ただ、ひふれすのみ」な私です。近代以前の面影を、今に残していると言う点では、<泡盛>や<粕取り焼酎>以上の存在だと言えるのではないでしょうか。  (伊豆焼酎のページへどうぞ)

<酵母を意識した造り>を展開している銘柄としては“栗東”で有名な「深町酒店」さんの“宮路”シリーズがあります。小玉醸造の醸しで、「熟成九州2号酵母」、「熟成九州9号酵母」、「別撰酵母」など、毎年酵母を変えて試験蒸留(約300本)の銘柄を年ごとに出されており、年々進化していく様です。同店では、(株)花の露による試験蒸留銘柄“一良”と言うシリーズでも 清酒用「9号酵母」などや黄麹の持つ可能性を追求なさっています。願わくば入手の可能性がより開けんことを・・少ない上に抽選ですから・・・(こちらへ)

<泡盛の酵母>・平成元年(1989年)に「泡盛101号」酵母が分離されました。泡盛の名の由来とも言われる煩雑な泡の管理を強いられる「泡盛1号」の中に、60億分の1の割合で存在する待望の泡無し酵母です。飛躍的な作業性の向上のみならず、アルコール生成が速いため、雑菌汚染の割合が低く取得量も増えるというこの酵母は、最近ではほとんどの泡盛蔵で使われています。しかし、味の凡庸化を回避するため 崎山酒造さんの「黒糖酵母」、忠孝酒造さんの「マンゴー酵母」(古酒香の一つ「バニリン」が10倍)、穂積酒造さんの「天然吟香酵母」などが出てきて、これからの泡盛の多様化が楽しみですね。

<黒糖焼酎の母>2004年に黒糖焼酎用の「Ka4-3」酵母が黒糖モロミから分離されました。温暖地での高糖濃度原料ゆえの問題(モロミの温度が上がりすぎて発酵が鈍り、アルコール収得度が低く、製品酸度は上がりやすい)を解決できると期待されます。

<花酵母> 女性のハートにキュートなアイテムとして、花から培養した花酵母(ND-4)の焼酎が、地味ながら増えている様です。東京農大で分離に成功し、清酒用「 9号系酵母」に換わる香り酵母として期待され、日本酒では以前から使われています。酸に弱く焼酎造りには向かないとされていましたが、工夫の末に、商品化された様です。なでしこ=「いつも愛して。永遠の愛情」、つるばら=「愛。いつも美しい」、日々草=「友情、楽しい思いで」、アベリア=「謙譲」 しゃくなげ=「威厳」なんて花言葉付きで出されたら・・・ちょっと引きませんか?日々草はちょっと微妙な距離感を、かもし出してますね。当店では有名な花麦・杜谷”が、なでしこ酵母麦焼酎です。そして“天吹”が、なでしこ酵母使用の上、吟醸系酒粕と、濃〜い二重奏な存在です。共に、独特の華やかな立ち姿です。

<!!> 他にも面白い酵母があります。幕末を生き抜き 江戸城を無血開城に導いた薩摩の女傑、天璋院篤姫あつひめの生涯がNHK大河ドラマになりました。それにちなんだ銘柄が幾つかでましたが、中でも最も ! ! な奴は、 篤姫ゆかりの今和泉島津家の城跡(鹿児島県指宿市)で採取した土壌から分離培養した酵母、その名も「篤姫酵母」を使った“天翔宙”です。「そこまでやるか!」な、ファール線外場外ホームラン?な一本です。篤姫銘柄はちょっと多く出過ぎて食傷気味だったのですが、これには驚きましたね。当店には残念ながらありませんよ。篤姫の幼名由来の“於一おかつの夢”は、あります。なんとあの田村合名さんが出した“薩摩乃薫”と“純黒”のスーパーブレンド銘柄!勝つに決まったような勝負ですね。これは篤姫がらみじゃ無い方がいいのに、と思いました。原酒比率はどうなってるんでしょう・・・・酵母とは全然関係ないですね。

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・原材料

さつま芋・歴史 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・サツマイモの原産地は、南メキシコや中央アメリカであるとされています(紀元前3000年頃)。コロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見した際、サツマイモをスペインに持ち帰り、タバコと共にイザベラ女王に献上した話は有名です。ヨーロッパの交易船が各地に広め、中国には1594年にフィリピン経由で渡来した様です。

・我が国には、1597年に宮古島に入った事が『御嶽由来記』に記されていますが、伝記・神話的な資料なので信憑性に欠ける仮説とされています。琉球王朝へは中国・福建省から1605年に伝わって栽培が始まり、薩摩の領有支配に伴い、1698年に種子島へ伝わります。この地で初めて安定した育成法が確立されました。

1705年に前田利左衛門により本土上陸(山川町)を果たした後、九州各地で栽培が広まった様です。そして江戸時代初〜中期のたび重なる飢饉を憂えた青木昆陽が荒地作物としての可能性に着目しました。その有効性を説いた「蕃藷考」(1745年)が、あの大岡越前守忠相(ケッ!この桜吹雪が目にはいらぬかぁ〜)の目にとまり、幕府の政策として全国に広く普及し、多くの命を救いました。越前守のNo,1大岡裁きかもしれませんね。


さつま芋・品種 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・芋焼酎のほとんどは焼酎適合品種の黄金千貫芋(農林31号)で造られています。しかし時代の要請で多種多様の品種が登場し、様々な味わいの焼酎を楽しめるようになりました。下の表中の太文字の銘柄は用意してありますのでお試しいただけます。

<鹿児島県の品種比率>鹿児島県内のサツマ芋の品種別栽培面積は、黄金千貫芋が36%、白豊芋31%、とこの二品種だけで6割りを超えており、他の主要栽培品種である、紅薩摩芋、高系14号芋、白薩摩芋、こなほまれ芋、大地の夢芋を加えた計七品種(★印)で94%を占めています(平成16年の資料より)。下の表にあるその他の特殊な芋焼酎使用品種の栽培量が、いかに少ないかと驚いてしまいました。

<県別生産量> 国内生産量では 鹿児島、茨城、千葉、宮崎、徳島、が全国のフィンガー5(あ、間違えた!)もとい、トップ5の生産県です。この5県で全国の8割、中でも鹿児島は4割を産するそうです。(平成17年年産農林水産省作物統計より)

名称
特徴など
使用銘柄
  < 旧 品 種 > 明治・大正期の日本をささえた旧品種群も、芋焼酎原料として再び日の目を浴びています。やはり。ひとクセもふたクセもある銘柄ばかりですね。
赤てるこ芋/白てるこ芋
伊豆に焼酎が伝播した時(江戸期)の種芋と言われている・ 八丈興発が栽培 てるこ・鬼ごろし
源氏げんち
淡赤褐
黄白
明治28年、オーストラリアより渡来した外来固定品種 侍士の門・さつまげんち
蔓無つるなし源氏芋
淡赤褐
黄白
明治40年 源氏芋の変異種・外来品種中最もでんぷん含量最多・今や稀少 蔓無源氏

紅赤/金時芋/川越芋

赤紫
白黄
明治31年・関東の雄も紅東の普及により栽培面積が減少なれど現役 蔵乃介・亜士亜
農林二号芋
黄白
淡黄

昭和17年・黄金千貫登場までの有力品種でした

伊佐美・農林二号・ 薩摩維新
  < 高 知 系 > 四国で連綿と造られてきた地域在来芋の系列らしいです。
高系14号芋 
黄白
昭和20年・高知発祥なので高系・万能の主要品種 一番雫・海・楽酒悠遊・亜士亜の眠り
鳴門金時なるときんとき
黄白
高系14号の変異種・徳島と言えばコレ 情留酒鳴門金時・黒眉山・かまわぬ
紅薩摩芋 
淡黄
高系14号の変異種・青果用品種 刀・岩の泉・金山蔵天璋院篤姫
紅寿芋/宮崎紅芋
濃紅
淡黄
高系14号の変異種・以外と使われていますね・新勢力か? 流川・杜氏順平・超不阿羅王・道満斗羅ブラック・九段の人・大地の香味・甕雫

  < 黄 金 千 貫 系 > 北限が以外と低く、宮崎南部くらいまでです。芋焼酎の生産が鹿児島と宮崎に偏っているのは、この品種の栽培条件に由来するのかも・・・

黄金千貫芋(農林31号) ★
淡黄
 
昭和41年・生産性とでんぷん収率の高さで、無敵の焼酎芋 9割以上の芋焼酎で使用されています。
紅小町芋 (農林33号)
紫赤
昭和50年・黄金千貫×高系14号・やっぱ焼き芋ですか? 紅小町
栗東くりあずま芋  こちらへ
 
黄金千貫の突然変異種・かなり稀少な特殊芋・栗の様に甘〜い 栗東・宮路・一良・東兆
宮一号芋
 
栗東芋と同じ、宮路一良氏の個人選抜種? 紅椿・芋山田
隼人はやと芋/紅きらら芋
黄褐
オレンジ 黄金千貫の芽条変異種?別名にんじん芋で独特の香りと味 和一緒 (10%)
  < 紅 東 系 >  関東食用芋の雄。今では、焼酎において様々な可能性を試される様になりました。
紅東芋(農林36号)
濃赤紫
昭和59年・黄金千貫の優良子種・関東圏の主要品種 鬼ごろし宝山紅東ちょうちょうさん・ あか銀滴・紅鉄幹・恋のオランダ坂・才助
ベジータクイン芋
オレンジ
紅東の突然変異種・「からいもやのあんちゃん」こと竹下さんが発見!特殊芋 蔵番長・楽酒悠遊
ベジータレッド芋
オレンジ
紅東の突然変異種・これも竹下さん発見・甘〜い・特殊芋 五番隊・楽酒悠遊
栗黄金芋/さつま金時芋
紅東の地域種・生産効率悪く、でんぷん歩合も×と農家泣かせ、でも上質 悟空の眠蔵・風憚 ・由栗(ゆり)しずく・昭和武蔵
紅黄金芋
白黄
紅東の地域種・茨城県の特産品 縁・古代の泉・津貫屋
  < そ の 他 > 三度もの焼酎ブームの置き土産です。舌の肥えた(うるさくなった)愛好家のために、差別化や高級化を目指して、様々な品種が使われています。
白千貫芋(農林13号)
白黄
白黄
昭和27年・干し芋によく使われる古い品種 九耀・トカラ海峡
白豊芋(農林38号) ★
黄白
淡黄白
昭和60年・南九州を中心とするでんぷん原料用品種 しま甘露・南泉・莫祢氏・宝山白豊・ ぎんやんま
紅隼人はやと(農林37号)
赤紅
オレンジ
昭和60年・別名「カロティン芋」で生菓用品種 紅隼人・紅伝承
白薩摩芋(農林39号) ★
黄白
淡黄白
昭和61年・多収穫のでんぷん原料用品種・何故か名酒が多いです 南泉・杜の妖精・六代目百合・八幡・田倉
紅乙女芋(農林43号)
赤桃
白黄
平成2年・熟成が必要なタイプ 杜の妖精・海・大海蒼々
ジョイホワイト(農林46号)
平成6年・焼酎原料用新品種 ・楽しく飲めるようにと命名されたんですって、へェ〜 夢鏡・がんこ焼酎屋・やま猫・小牧双麹・ひとり歩き・鰐塚
ジェイレッド(農林49号)
淡赤
オレンジ
平成9年・白豊の子種・ β-カロティンが豊富で、主に ジュース用の品種 姫豊玉
紅金時芋/フサノアキ
濃紅
平成9年・紅赤の選抜種・これで焼酎を造る人はちょっと変わってるかも 吉宝亮天・ 紅星会/紅金時
安納あんのう(紅/黄金)芋

紅/ 淡黄

オレンジ
平成10年・日本初上陸の外来原種からの選抜種・ β-カロティン豊富・人気の一番甘い芋? 黄色い椿・トカラ海峡・しま茜・ 百姓百作・ 紅春蘭
こなほまれ芋 (農林52号) ★
淡褐
淡黄
平成12年・デンプン収量が極めて多い故の名称とか 南泉・牧場の櫻・みやざきほまれ
紅優べにまさり (農林55号)
淡黄
平成13年・果実用・多収・食用さつま芋の頂点をめざす? 白金乃露紅・成魂・黒瀬東洋海とよみ
翠王すいおう
黄白
淡黄白
平成13年種苗登録・本来は茎葉食用品種の変わり種

翠王・寿のもと・野風憎

大地の夢芋(農林59号) ★
淡黄
平成15年・期待の新種・芋焼酎ではこれからか? 日向あくがれ東郷大地の夢・無濾過旭萬年大地の夢・愛子
シモン一号芋(カイアポ芋)
黄褐
アマゾン上流原産・厳密にはサツマイモじゃない?・桁違いの栄養素ですぐ連作障害 華蛍のさと・倉岳
おごじょ芋
蔵出しさつまおごじょ、夢華詩話
  < 種 子 島 紫 芋 系 >  外来固定品種白皮紫芋の選抜種・普通の赤芋や紅芋と違い、身の色までヤバイのは、この人達。当然、含有成分も甘みも全然イカしてます。でも収量が少ない。
種子島紫芋
アントシアニン超豊富・甘みが強い・熟成が必要 しまむらさき・トカラ海峡・紫・鬼火・夢づる・紫極 ・むらさき浪漫
種子島ろまん芋(種子島紫4号芋)
濃紫

平成11年 ・種子島紫の選抜育成品種・皮も紫!しかもロマン!

農家の嫁(紫芋)・紫の焼芋
種子島ゴールド芋(種子島紫7号芋)
濃紫

平成11年・種子島紫の選抜育成品種・さらに甘みが強い

風光る・天無双(種子島ゴールド)・ 紫育ち
  <山 川 紫 芋 系 >  薩摩半島南部の山川町在来種・紫芋の原種に近いと言われる品種。こいつも、ヤバ紫!上のグループとは別系統の様ですね。
山川紫
暗紫
鮮紫
新旧2タイプあり・糖度はかなり低いが独特の香り うえぞの
頴娃紫えいむらさき
頴娃町特産品・この系統の中では比較的甘味のある特殊な芋 紫芋薩摩富士・頴娃紫芋なかまた・赤薩摩
綾紫あやむらさき(農林47号)
暗赤紫
濃紫
平成7年・山川紫系の九州109号×サツマヒカリ芋 ・甘みは少ないが、やはり香り高い 明るい農村(赤芋)・宝山綾紫・あすへの道しるべ
紫優むらさきまさり(農林54号)
紅紫
平成13年・綾紫×白豊・注目度の高い焼酎用新品種・収量性が低いのが欠点 赤霧島・赤江・竃猫・黒麹むらさきいも
パープルスィートロード(農林56号)
濃赤紫

平成14年・別名千葉紫・山川紫系でついに甘食味を実現・収量性もOK!で無敵の紫芋か?

紅兜

 

<鮮度vs熟成>・品種により、鮮度が重要なタイプから、熟成しないと糖度が上がらない物まであります。9割以上の比率で使用される黄金千貫芋が鮮度と収穫時間(朝8時半まで?)が重要なので、芋焼酎全般にその様な印象が付いていおり、「朝掘り芋」を売りにアピールしている銘柄も多いです。しかし、遠方の熟成タイプの芋を使用して、良水妙技の名品を醸す蔵もあり、やはり農産物なので一筋縄ではいきません。

<銘柄芋> 同じ品種でも気候・土壌や栽培経験の違いで、味わいや品質が変わります。同じ黄金千貫芋でもシラス台地で育った株と、通常土壌の株、宮崎県(シラス台地も少しあります)の株の違いは明らかだそうです。あの有名な安納芋なども、今では島内の安納地区以外の地域や本土(鹿屋市、頴娃町、宮崎県など)でも栽培されていますが、甘みの結出に優劣が見られ、銘柄芋なら全てOKとはいかない様です。とある種子島の芋販売HPでは「海賊版」という言葉まで出てきますが、特定の銘柄芋(安納芋)の品質やイメージを守りたい強い気持ちは当然かと思います。(先日、安納芋を食べてみましたが、まるで柔らかい「芋ようかん」みたいで驚きました。さすがに旨いですね!)

<品種勢力図の変遷> かつて「西の“蔓無源氏”、東の“紅赤”」などと言われていた頃もあったそうですが、“蔓無源氏芋”はすでに幻の品種と成っています。その後「西の“高系14号”、東の“紅東”」の時代が続き、品種戦国時代に突入して、今に至ります。品種開発はマッハのスピードで進み、多くの新品種が登場します。しかし、栽培法と醸造技術が安定しきった、“黄金千貫芋”の牙城を崩す焼酎原料品種(芋)は当分現れないと思われます。農産物であるサツマイモは、多くの農家の方にとって安定した収率と品質の確保が重要なのは間違いなく、芋焼酎ブームが落ち着いた今では、新品種へのトライはとてもリスキーな賭に違いありません。しかし、少数の蔵、杜氏さん、農家の方、PBなどが挑戦を続けている間は、目を離せません。いつか、きっと何かが起こるに違いないですから・・

<多品種使用銘柄> 気付いた方もいらっしゃると思いますが、(2種はそう珍しくないんですが)なんと3種以上の芋を使った特殊な銘柄が幾つかありますね。“トカラ海峡”(安納・種子島紫・白千貫)、“楽酒悠遊”(ベジータクイン・ベジータレッド・高系14号)、“鬼ごろし”(赤てるこ・白てるこ・ アメリカかんも・長つる・紅東)、当店にはありませんが、“から芋さんありがとう”(黄金千巻・紅東・白豊・他に2種)など、この方向でも様々な試みが成されていて、それぞれの目的が明らかに異なるのが面白いです。“鬼ごろし”以外がPB銘柄なのも、やはり納得ですね。

<アメリカの芋が甘い訳> 「昔のカライモは、本当にうまかった」と言う記述がよく出てくるのは何故でしょう?我が国におけるサツマイモ品種改良の歴史は食料確保が本来の目的で、収量確保とデンプン質含有量増加が優先されて食味は二の次だった傾向が見えてきます。このような流れの中で、徐々に芋の味が薄く(?)成って行くのは当然の事に思われます。食料不足が改善された後でも、高度成長時代などを経た農業という経済行為の中で、収穫量が最優先されていたのは、いたしかたない事です。スウィート・ポテトと総称される米大陸の甘藷類が日本のそれに比べて桁違いの糖度を保っているのは、風土の違いもありますが、多収を求める必要性がなかった歴史・経済的経緯から、本来の甘藷が現在に伝わっているのではないかと考えられている様です。

<輸入冷凍芋> サツマイモの生産量には限界があり、大量生産銘柄や貧産地域などでは地外原料に頼らざるを得ません。問題になっている中国産の冷凍蒸かし芋などにも品質の優劣は歴然とあり、適切な処理(加熱・冷凍・運搬・保存・解凍)が成された上物は、雑に扱われた生芋よりも当然優れています。品質の維持にこだわると意外と経費も掛ってしまい、安価な材料という訳ではない様で、色メガネで見ない方がいいかとは思いますが、最近の中国製品に付きまとう不安感やリスクは払拭されていません。

<芋が育てた技術> 実は、サツマイモはけっこうやっかいな蒸留酒原料なんです。一般的に使われる穀物類に比べると、デンプン質の含有率は低くて、その割りに糖分と水分が多い、つまり、アルコール発酵は起こしにくいのに、とても腐敗しやすい素材、と言う事になるからです。この障害を解決するための長年の工夫は、日本の蒸留技術をとてつもないレベルに高めてしまいました。デンプン質さえ在れば、どんな材料からでも蒸留酒を造れるるこんな技術を持つのは日本だけで、世界中のどこを探してもないですよ。実際に、数えきれない程の異なる材料で商品化されているのは、とてもすごい事だと思います。昆布とか、牛乳とかもあります。 (下項に、余談気味に続く・・です)

・しかし、牛乳焼酎ですかぁ・・どうなんですかね。まだ、飲む機会がないので・・・でも、チベットのヤク(牛の様な、羊の様な生き物)のミルクから造った焼酎“アルヒ”なら、お出しできます。マジ激ヤバです。ウマイとかマズイとかの問題じゃないです。異文化の壁が小ビンに詰まってます。一生に一度だけ、試してみませんか?素敵なブルーチーズの香りですよ〜。マイナー・エリアのページへ

・ついでに、米焼酎ですがラオスの“ラオラオ”は、ハジケるマズサで旅人達に人気者です。「室町時代の村の若女房が造った焼酎はひょっとしてこんな感じ?」との妄想を誘い、当店の焼酎類中では最も初源的な味わい?を誇っております。が、残念ながら当店の“ラオラオ”の中には、木の切れっ端は入っていませんよ(ピン!ときた人達は、ラオスの田舎村で酒を飲んじゃいましたね)。詳しくはこちらをご覧下さい。マイナー・エリアのページへ 

・品種 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<日本の麦類>・我が国では、小麦、大麦、燕麦、ライ麦、を総称して麦類といいます。また、食用に用いられることが多いことから小麦(パン、麺類、菓子類)、二条大麦(ビールや焼酎)、六条皮大麦(食用や麦茶)、六条裸大麦(食用や麦ミソ)を、「四麦よんばく」と呼んでいます。古代から明治の初期まで、日本人の食料とされたのは、ほとんどが小麦か六条大麦でした。 二条大麦は明治の始めにビール原料用としてヨーロッパから導入された品種です。

<焼酎用麦> 上記の内、焼酎に使われるのは二条大麦六条裸大麦です。二条大麦は全国で栽培されますが、六条裸大麦はその名の通り(?)寒さに弱いため、中国・四国、九州などの温暖地域で栽培されます。裸麦と言う名称は殻皮に糊状物質がなく 格段に皮が剥けやすい事に由来します。

<二条通りの恋とか雨の六条通り・・・> 大麦は、六列の穂筋を持っており、二列しか稔実しない物を二条大麦、六列とも稔実(実が生る)する物を六条大麦と、品種分類されています。上から見ると、実の付き方が、二条は(U)、で六条は(*)です。しかし、これを知った時、てっきり京都や奈良あたりの町並み(○条通り、とか言いませんか?)からの由来の、ちょっと風流な名称だと勝手に思い込んでいたので、ちょっとガッカリでした。

<二条大麦> 麦焼酎原料には、ほとんどの場合、二条大麦が使われています。焼酎適合品種としては、「ニシノホシ」、「ニシノチカラ」、がダントツのツートップで、名前通り西日本、特に福岡、佐賀、大分が大産地です。他には「煌きらめき二条」 、「 キリニジョウ」、「 はるしずく」、「 西海皮 60 号」、「 イシュクシラズ」など色々ありますが、品種による差別化はあまりアピールされていません。芋などより違いが出にくいんですかね?

・それよりも「国産大麦100%使用」の表示がやけに目に付くのは、安い輸入麦を使った銘柄がいかに多いかの表れと言うことでしょうか?そういえば、某プレミアム芋焼酎蔵が「満を持して出した」麦焼酎は最近(2007年夏)の話題をさらいましたが、輸入麦使用だったのにはアレェ?と思った人が多かったのではないでしょうか。

<六条裸大麦> 最近はより甘みの強い六条裸大麦 を使った、芳ばしい香味の銘柄が増えており、黒麹麦焼酎の持つ深いコクのある硬派な味わいとは又ちょっと違う、ポップな親しみやすさで人気を集めています。いわゆる「麦チョコ系」と称される一群です。“兼八(全量)“万年星(全量)“初潮(全麹)“円熟・おこげ(煎焦麦)が当店で用意させていただいている麦チョコ系裸大麦焼酎です(全銘柄とも気合が入ってますね)。品種としては、「イチバンボシ」、「マンネンボシ」、「ぼうずむぎ(道中裸)」、「キカイハダカ」などです。ちなみに、愛媛、香川、大分、が主な裸大麦生産県です。

・六条裸大麦の方は、さすがに新ジャンルだけに、品種によるアピールをしている様です。“万年星”などは、蔵の方が生産地(愛媛)の出とかで由来などはあるそうですが、モロに品種名ですもんね。他の銘柄でこの品種を使いづらいんじゃないですか?

<100%関係ない>んですが、麦関係を調べていたら、愉快な銘柄名があったので、並べてみました。けっこう無理やり〜な感じですが、なんか麦じゃない、毛の無い生き物が、妙にガンバッて、ダメだったんだけど気にしないよっ、て感じの絵が浮かんできちゃったんです。

  『 つるピカリ、来た!萌え!、春よ恋、ねばり腰、・・・・・・・いしゅく知らず 』

2つは私がついつい付け加えてしまいました。正しい品種名は「つるぴかり」、「きたもえ」、「ねばりごし」「いしゅくしらず」です。でも「春よ恋」はマンマですよ。麦農家の皆さん、ごめんなさい。でも“つるぴかり”とか“粘り腰”なんて銘柄がもしあったら、「なんてハイな名前だ!旨いのか?」と勘違いして、つい買ってしまうかも・・でも、“春よ恋”はいりませんよ。

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・杜氏とうじさん

・酒造りにおける総合責任者(蔵番長?)で、蔵に依頼されて酒造りの全ての過程の面倒を見て、銘柄の味を決定します。蔵の経営者や従業員が杜氏を兼ねることも多くなりました。本来は日本酒の杜氏さんの事でしたが、明治時代から鹿児島では、阿多村の阿多杜氏や笠沙かささ村の黒瀬杜氏などの集団が活躍し始め、焼酎造りの時期になると各地の蔵に出向いていました。今もこのような伝統は引き継がれています。近年では、大学で醸造学を学んだ新世代の杜氏も増えてきて、科学的に理論解明された要素を基に新たな挑戦に挑んでいます。とは言うものの、ベテラン杜氏の長年の経験と勘が生み出す熟練の妙技は、科学分析とは無縁の白魔術の様です。

焼酎杜氏の歴史

<古代> 阿多、笠沙や大隅などの地名由来は相当古く、「古事記」,「日本書記」,「風土記」などの古文書に、神事に使われたと思われる<天の甜たむけ酒>や<口かみの酒>などの記述と共に残っている様で、いきなりお酒が絡んでくるのには驚きますね。この様な神話の中でも、ニニギノ命ミコトが、高千穂ヶ峰に天より降り来られた話(天孫降臨)は、ご存知の方も多いと思います。降臨の後に、閼駝(=阿多)の郡の娘を召してその腹に二人の男子を授かり,,次子が「天皇家の祖」となった旨が一説として伝わっているそうです。笠沙の岬にもコノハナサクヤ姫(天の甜酒を醸したby「日本書記」)をみそめて子を授かった話が伝えられていたり、 ニニギノ命は各地でモテモテですね。他にニニギノ命上陸地の碑(もちろん、当時のものではありませんよ)が黒瀬漁港に建つなど、 この二つの地は日本神話の中でも忘れられない場所だった事が伺えます。参照資料はこちらです。

<先住渡来民族?> 「大和朝廷から見て異質な文化だったからこそ、隼人はやとと呼んだわけでしょう。それも甑島の隼人阿多の隼人、大隅の隼人と、色分けをしたほどですから、少しずつ違う人たちがいたということだと思いますね。」と語るある民俗学研究者は、阿多の人々が東南アジア(ラオスの辺り?)から渡ってきた少数民族の末裔ではないかと、幾つかの根拠(竹細工や酒造具など)を基に示唆しています。 これらの、大隅隼人、阿多隼人などの一部は古くから 畿内に移住させられ、宮中で守護に当たるほか、特殊技能(酒造りを含む)などを行うようになり、律令制では隼人司という管理機関が設けられました。参照資料はこちらです。

・ついに甑島まで出てきましたか。独特の味わいで玄人衆を魅了する甑島の個性的な焼酎達が、阿多杜氏衆と同じ様な出目の末裔達が手がけている?とは、個人的には100ヘェ〜相当の超トリビアです。 甑島のページへどうぞ

・さらに、ラオスですね!当店で、最も初源的な蒸留酒として燦然と輝く破壊王“ラオラオ”はラオスの米焼酎です。先住民族である阿多の隼人の出目が、もしラオスだとしたら・・・末裔の阿多集落の人々が、後に焼酎杜氏になった事実と関連づけたアホくさい妄想にふけるな!と怒られても無理ってもんです。奄美で発見された金属製の冷却受け皿(ツブロ式以前の道具)がラオスの物とソックリだったりしますから・・・・ラオス→琉球→奄美→薩摩・大隈半島は舟での行き来が可能ですよね。 “ラオラオ”についてはマイナー・エリアのページへどうぞ

・ちなみに、隼人はやととは現在の日本人の大本となった大和民族とは異なる先住民族の一部(縄文人とは別)で、主に九州南部各地に住んでいた部族の平安時代までの総称です。『日本書紀』などで知られる熊襲くまそと呼ばれていた部族もその一つで、今の球磨くま地方の勢力だったようです。『古事記』に記されている、ヤマトタケル命の卑劣な女装暗殺による熊襲征伐はとても有名ですね。

<杜氏集落?> 阿多や笠沙の地から焼酎杜氏集団が現れた理由としてよく述べられる「農業に不向きな貧耗地ゆえの出稼ぎ的な職業集団の成立」という理由付けが素直に納得できないのは、その様な貧しい痩せた土地は他にいくらでもあったに違いないからです。もしかして、そんな土地を離れることが許されない理由がかつてはあったのでは?その集落の人達は神事由来などの特殊な存在ではなかったのか?門外不出の知識・技術に相当する何かが伝承されていた時期があったのでは?そしてそれはお酒造りにも繋がる何かだったのでは?なんて自分勝手な妄想がパンパンにふくらんでパンクしそうですよ。(ハイ、私は伝奇小説も好きです。半村良氏の「産霊山秘録」や「石の血脈」 は最高でした。次の項からはマジメにやります。)

<阿多杜氏衆> かなり昔から日本酒の杜氏さんも、片手間に焼酎の仕込みを行っていたと思われますが、一般的には農家などでの自家製造の焼酎(勝手造り)がほとんどでした。明治時代には、農閑期に焼酎場の仕込みを請け負う焼酎専業杜氏の記述があるそうで、有名な(旧)日置郡金峰町の阿多杜氏衆(片平姓が多かった)は日本酒蔵で学んだ黄麹の扱いに優れ、遠く日向(宮崎)の地にまでその技を広めたと言われます。日向焼酎のホッとするような優しい味わいは、そのDNAなのかも知れません。今でもその系譜は受け継がれており、“伊佐大泉”(南谷義明氏),“なかむら”(宇治野正氏・上堂薗孝蔵氏),“白玉の露”(後野小吉氏・神野栄義氏),“国分酒造の米焼酎”(今城等氏)などの銘柄は近代阿多杜氏の手がけたものです。でも今は南谷義明氏と上堂薗孝蔵氏のたったお二人だけが現役の阿多杜氏だそうです。

<黒瀬杜氏衆> 法律によって焼酎の自家製造(勝手造り)がついに禁止され(明治32年、1899年)免許制になりました。村の焼酎場や専業焼酎屋の要請で焼酎杜氏の需要が高まっていきます。その渦中で(旧)川辺郡笠沙村の有名な黒瀬杜氏衆(黒瀬・宿里やどり姓が多い)の活躍が始まり、彼らによって、腐造しづらい黒麹が導入されました。明治35年に三人の若者が沖縄に渡り持ち帰ったという、ロマンティックな説が有名ですが、すでに鹿児島には伝わっていた黒麹(※)に中馬焼酎屋で出会った黒瀬常一氏と二人の蔵子が、その後に下野焼酎屋で広く活用の道を開いたという、説得力の有る話もあります。黒瀬の娘が阿多に嫁いだ縁から、黒麹の技は阿多杜氏にも伝わり、焼酎醸造の技術は確立されていったそうです。(この事からも、黒瀬・阿多の両杜氏衆は共存関係にあり、同じ蔵で焼酎造りに励んでいた事が伺えると思います。)

(※)16世紀頃、琉球國から蒸留酒の造り方が伝わった際には、同時に黒麹も上陸していたという可能性も否定しきれません。そうでないとしても、琉球國・沖縄と本土の行き来(交易)は数え切れない程で、文明開化以降でも、黒麹が渡来する可能性は常にあったと考えるのが自然です。

<全盛期> 焼酎の割り当て制度が終わり(昭和29年・1954年)自由販売になると焼酎杜氏の需要は一気に高まります。全盛期とも言える昭和30年代の半ばには黒瀬・宿里370人、阿多120人の酒造技術者(杜氏・蔵子ふくむ)が県内170前後もの蔵元で造りに励んでいました。そして薩摩杜氏の進出は、九州全域はもちろんのこと、遠く山口や四国にまで及んだそうで、その地に住み着いた杜氏さんも多かった様です。奄美の黒糖焼酎も、黒瀬杜氏の手腕により大きく躍進しました。

<現状> 近年では、機械化や各蔵元の自前杜氏の養成などによって、平成11年には黒瀬衆50人弱、阿多衆5人を数えるのみとなってしまいました。そして現在(平成17年)、黒瀬杜氏衆は10数名ほど(阿多杜氏は2名)で、実際に現役で活躍している方は数人と言われます。 かつて、杜氏さんの腕の見せ所は、いかに早く多くの量を醸造できるのかが勝負でした。しかし、三度もの焼酎ブームを経た今、いかに上質で新しい味わいを醸し得るかがベテラン杜氏さんの使命となってきている様で、差別化のために名を冠した銘柄も増えてきました。”黒瀬安光”(黒瀬)東洋海とよみなどです。しかし、昔ながらの通いの杜氏さんの存在意義は稀薄になってきている上に、後継者問題も重くのしかかっており、この様な杜氏銘柄は最後の輝きとなるのかも知れません。

<杜氏さんの給料>は、いくら位なんでしょうか?一例ですが、四国(伊予)の日本酒蔵のご隠居の口から語られていました。 「はい、なにせ杜氏さんは高級取りですからな。衣食住は無料で、それ以外に日給2万円は取りよります。今は経費節減で杜氏を置かない造り酒屋も多くなりました。」この地域では、最盛期の大正時代に900人もいた杜氏さんが今では13人にまで減っており、50〜70歳の方々だそうです。(2006年1月・参照

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・濾過/無濾過  最近、目にする事が多い無濾過の焼酎とは、どの様なものなのでしょうか。そして、早く飲んでしまわないといけないのは何故ですか?

<秘蔵杜氏酒> 通常、蒸留された原酒(約30度〜60度)は、不必要とされる要素が除去(濾過)されてから次の工程に移ります。この濾過前の原酒はかつて、杜氏さんだけが味わうことのできる、知られざる聖域の様な杜氏酒だったのです。近年、この不必要と思われ除去されていた要素が、新たな価値観を見出され脚光を浴び始めました。第三次焼酎ブームを経験した愛飲家達の欲求水準が異常に高くなり、よりヘビーな雑味深い味わいに需要が増えてきたからと思われます。(個人的には、こんな人達にこそ正調の粕取り焼酎を試していただきたいもんですけど・・)

<濾過される奴ら> 焼酎類原酒の99,9%(水分は除く)はアルコール成分です。残りのたった0,1%の成分が、その銘柄の味わいを決定付ける香味要因と言うことになります。濾過作業の過程で、この0,1%から、さらに何を除去しているかというと、主にエチルエステルと呼ばれる各種低級脂肪酸と、各種高級脂肪酸や各種高級アルコール(フーゼル油)の様です。無濾過の焼酎では、これらの親水性の弱い成分が白くニゴって見え、極端なものは油分が浮いている様子も、ひと目で確認できます。ちなみに杜氏さん達は、これらを「米ヌカ」、「いも油」などと呼んでいたそうです。

<高級脂肪酸> 蒸留したての原酒は、原材料や酵母に由来する高級脂肪酸(炭素数12個以上の脂肪酸の総称)を何種か含んでいます。パルミチン酸、ステアリン酸、リノール酸、オレイン酸、などです。 このうち、リノール酸やオレイン酸のような不飽和脂肪酸は、アルコールと脱水縮合してエチルエステル類として形成され、その他の脂肪酸は液中に残留します。これらの脂肪酸は、焼酎の風味に、芳醇な円やかさと、複雑で奥深い香りをもたらしてくれますが、反面、酸化劣化しやすく、極めて不安定でリスキーな要素ともなります。

<フーゼル油/高級アルコール類> 通常、フーゼル油と呼ばれるものは、酵母がアルコール発酵時にタンパク質と糖質から生成する高級アルコール類の事で、ほぼ全ての酒類に存在します。イソプロピルアルコール、イソブチルアルコール(苦味)、イソアミルアルコール(かすかな苦味)、などがあり、無濾過焼酎の際立った特徴とも言える、甘みの引きをグイッと締める苦味、と言うサプライズを演出してくれます。フーゼル油に含まれるこれらの香味成分は、ウイスキー、ブランデーといった、お馴染みの蒸留酒にも含まれ、その味わいに大きく貢献しています。シングル・モルトなどでよく耳にする、<ノン・チルフィルター>が無冷却濾過の事です。

・炭素数の多い(3個以上)高級アルコール類は親水性が弱く、低級アルコール類(液状)とは異なる蝋状の固体なので焼酎原酒の中に残留します。比重も水よりは軽いので液面に浮遊する事もあります。あっ、でも イソプロピルアルコールは低級アルコール類って書いてありますよ?まぁ、細かい事はいいか・・・

・通常、濁り成分や浮遊している油分を総称して<フーゼル油>と呼んでいますが、正確にはエチルエステル類や一部の高級脂肪酸(主にパルミチン酸)そして高級アルコール類(フーゼル油)が目に見える成分らしいです。これも、細かいからいいか・・・

.・有機化学では分子量が大きいことを示すのに、“高級○○”と呼ぶそうです。

<なんじゃ〜こりゃぁ> 正調粕取り“富源”が北九州(大分)から届いたときのことは、とてもよく覚えています。寒い時期だったせいか、液面に蝋ろうの様な少片(マッチ棒くらいの幅)が2〜3個キラキラ浮いていて、「なんじゃ〜こりゃぁ」っでした。後で、固まった油脂成分だなぁと思い至りました。ビンの底辺には、5cmくらい白く濁ったオリが沈殿しており、ちゃんと振っても、その白いものがビンのなかで渦を巻いてしまって、なかなか混ざらないんですね。無濾過でかなり濁っているとは聞いていましたが、ここまでのはそうそうありません。想像以上で、かなりビックリしましたです。蔵の方によると、「濾過器に粕取りを通すと、匂いが付いてほかで使えない」という簡単な理由でしたが、他の粕取り銘柄は濾過してありますよ。多分、年に600本しか造らない完全地焼酎なので、近所の人達が気にしないからOKって事でしょうかね。その味わいはどうかと言うと、見た目からは相当にエグ味が強そうに思ってしまいますが、複雑味に溢れた力強く甘柔らかなオジイちゃん味です。人(?)を見た目だけで決め付けてはいけないという、いい例ですね。

<濾過の歴史> よくわからん化学用語ばかり出てくるので、つい余談にふけってしまいました。さて、自家製造の時代には、ほとんど濾過はしていないと想像されます。気の利いた人が布で濾すくらいですかね?明治32年から免許製の時代になっても、地元での四斗樽からの原酒の量り売り(※)がほとんどで、保存性はさほど重要でなく、保安濾過くらいで済ませていたのでは?やはり、量を造れる様になって、マーケットも広がり遠方でも販売するようになってから、保存対策が意識され始めたのではないでしょうか。ということは、割り当て制が廃止されて生産量の制限が無くなり、ガラスビンも一般化した昭和30年代くらいから、徐々にちゃんとした濾過が行われるようになったのではないかと思います。(すでにお気付きかとは思いますが、特にこの項は、色々な話からの超自分勝手な状況想像です。)

・別の見方として、(こっぱ芋などで)雑に造られていた当時の臭い焼酎では、油臭なんかさほど気にならなかったのかもしれません。「臭くて臭くて、とても飲めたもんじゃなかったョ」と言う話は、開栓後かなり経って酸化したり紫外線にやられちゃったヤツが、初焼酎だった人の極端な印象かもしれませんね。

(※)明治中期から昭和始めにかけて、「通いビン」と呼ばれた酒屋の貸しビン制度があったそうです。手吹きの一升ビンに酒屋の店名がサンドブラストなどで彫られていて、お得意さんにはこれで日本酒や焼酎を量り売りしていた様です(参照)。もちろん陶器製の徳利も使われており、樽ごと買えない人用なので「貧乏徳利」などと呼ばれたそうです。

<色つきビン(すりビン)> “森伊蔵”登場(昭和63/1988年)以前は透明なビンがほとんどで、紫外線対策の色つきの「すりビン」はこの銘柄から徐々に一般化したとの記述が多くみられます。焼酎の酸化劣化を防ぐという意識の定着は意外と遅いんですかね?年配の酒販店の方がツヤ消し黒ビンの高級感に驚いた話などは、これ以降の様です。黒ビンは透明ビンの5倍の値段らしいです。

・ 清酒でよく見る外巻き紙なども紫外線対策を考えての事ですが、昭和49年のオイルショックによる紙不足がきっかけで、外巻き紙を無くし<透明ビン>から<すりビン>に移行してを行ったという話もあります。清酒と焼酎では紫外線への耐性が異なる上、普及率が異なるので変換期が違うのかも知れません。

・“天狗櫻35度”は1ケース(6本)に一本だけ透明ビン入りで届くそうですが、紙巻なので光に透かして良く見ないと分からないそうです(H8年現在)。透明ビン好きな蔵の人の遊び心らしく、オシャレですね。でも、あまり気付いてもらえないとガッカリしているそうですよ・・・

・個人的に好きなので、紙巻銘柄はつい欲しくなってしまいます。“三岳”、“山之守”、“宮之鶴”、“○田”、“ヤシ八”、そして“天狗櫻35度”が当店にある紙巻隊のッメンバーです。

・ちなみに、日本初のビン詰め清酒は1886(明治19)年、日本橋の岡商会から発売されました。一升ビンは1901(明治34)年、清酒“白鶴”が最初で、共にコルク栓です。ビールのビンは明治22年がオハツ。焼酎の初ビン詰めはいつ頃で何という銘柄なんでしょうね?(そんな事はどうでもいいじゃん!って言われても知りたいです。誰か教えてくださぁい。)


清酒“白鶴”の小ビンです。

・1916(大正5)年、初めて自動製ビン機(オウエンス式)が輸入され、少量ながら手吹きでない工業生産が始まりました。1924(大正13)年に一升ビン用の国産自動製ビンで手吹きの約30倍の効率を得、1929(昭和4)年に透明ビンの自動製ビンが可能になります。さらに後の1961(昭和36)年、アメリカから<ISマシン>という高性能の製びん機械が導入され、ビンの本格的な大量生産化・規格化が推し進められて消耗品として一般化し、前出の「通いビン」は、完全にその役目を終えました。

<濾過材>についてですが、最初は、当然の様に布によって濾された様です。綿、ネル生地、などで、後に石綿や紙フィルター、竹炭、珪藻土けいそうど、などが登場して、今ではプラスティックのマイクロフィルターが主流のようです。イオン交換樹脂や活性炭(炭素)による濾過は、最も経済的かつ効率のよい方法で大量生産品によく使われますが、旨味成分を除去しすぎるなど問題点を指摘する声も多く聞かれます。最新の技術としては、遠心分離法による濾過も試みられている様です。

<イオン交換樹脂>で行われるのは、正確に言うと濾過ではなく「精製」つまり粗製品にさらに手を加えて良質なものにすること(by大辞林)にあたり、「後留臭/焦臭の元と言われるセミアルデヒドやフルフラール、酸臭の原因の一つである酢酸等を分解除去」するのが目的だそうです。気になる点として、<イオン交換樹脂でアルコール液中のイオン化した物質を吸着除去したとき、吸着されたイオンの代わりにそれまで樹脂中に存在した同符号の別のイオンが必ず樹脂から出てきます。>と言う特性があり、吸着・電子のやり取りによる精製行程の様です。シロウト耳には、樹脂から何かが溶け込出しているかの様な印象で、いい感じがしませんね。実際にこの濾過材は、使うほどに痩せて行くそうです。よくコンビニなどでも見かける、ポピュラーな麦焼酎などに使われたのが始まりでした。

<濾過の加減> 今、販売されている無濾過の銘柄も濾過の具合が様々で、「軽濾過」・「荒濾過」(布などで軽く濾す)などから、「手掬き濾過」(表面に浮いた油分を何回もひしゃくで拾い取る)、さらには「保安濾過」(表面のゴミなどだけ除去)のみのヘビーなものまであります。より無濾過なほうが美味いと言う訳ではありませんが、濾過行程には、蒸留時のミスによる焦げ臭や、原材料の不具合による欠点を目立たなくする効果もあるので、相当の力量がないと無濾過銘柄を出すことは出来ない様です。

「手掬き濾過」が無濾過焼酎のイメージを象徴している様なので、行程の一例を拾い出して見ます。この手の作業は、油分が表出しやすい、寒い時期を選んで行う事が多いそうです。秋口に蒸留された原酒を甕に入れ落ち着かせます。蒸留直後の原酒は刺激的なガス臭(焼酎の初留液が垂れる前に放出される低沸点のアルデヒドのガスの一部が焼酎に混合する)を放っていますますが、一ヶ月程毎日攪拌することで抜けていきます。同時に、この攪拌により不飽和脂肪酸とアルコール分が反応して、油分が生成され浮遊しきます。これをヒシャクなどで毎朝夕すくいネルなどで濾し取ります。徐々に気温が下がってくると液温も下がり、溶け込んでいた油分がどんどん表出して来るので、三か月程、朝夕すくい続け、油分をどれ位残すかの頃合いをみはからって、この過程をやっと終了します。このように書き記すのは簡単ですが、ほとんど修行僧のような地味努力な日々ですね。

<保存対策> 酸化劣化を起しやすい無濾過の焼酎ですが、何故その様な傾向があるのでしょうか?「不飽和脂肪酸類を多く含む油脂成分は、空気中の酸素により分解をうけ、油臭の原因物質(アゼライン酸セミアルデヒド?)に変化する」、と言う事らしいです。そして紫外線により促進されるそうで、太陽光はもちろんですが、蛍光灯も劣化要因という事になります。焼酎の瓶が茶色や緑色など色つきの物が多いのはその対策です。酸化なので、高温になるのも当然よろしくない様です。という訳で、冷暗所保存して、開栓後は早く飲む、又は酸素に触れさせないよう真空処理か窒素処理(共にワインの保存法と同じ)しておくしかないようです。前述の“富源”ですが、半年たった時点で、半分量くらいになり油分が浮きまくりですが、超エレガントな粕臭が強すぎて、油臭は感じられません。サンプルが悪すぎる?

<無濾過泡盛>が、最近のプチ・トレンドの様です。泡盛ブームも一段落して、マイルド系も定着、ちゃんとした古酒は高価で、増産も無理となると、当然のネクスト・ドアーと言う事でしょうか。個人的には、<泡盛名酒会>が試みていた、軽濾過の流れが花開いたんだなぁと思っています。本来、複雑味が持ち味の泡盛ですから、ある意味、王道かと思って楽しみにしています。

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・蒸留法 大きくわけると、昔ながらの「常圧単式蒸留」、近代的な「減圧単式蒸留」、工業的な「連続複式蒸留」に分けられます。この項目を焼酎だけに限ると繋がりづらい部分があるので、酒類以外(香料、医薬品)を含む蒸留全体の視点でまとめてみました。近代以前は、飲料よりも医薬品、香料、研究、各種産業用アルコールの留出がメインだった事も分かります。調べていると面白くて、量が増殖してしまい、ますます見づらくなってしまいました。すみません。

<理由> 今さらですが醸造酒(モロミ)を蒸留したものが蒸留酒です(例外もありますが)。保存性が低く運搬時にかさ張る醸造酒は輸出の際に困難が伴います。この事を回避するために蒸留が行われたのは疑いようがありません。

・17〜18世紀、フランスでワインが商業的に蒸留され始めた時、 コニャック地方で設立された会社の多くがイギリスやオランダなどの海外資本によるものだった事は有名です(ヘネシー、マーテル、オタールなど)。この頃のブランデーは樽熟成もされず荒々しい味で上質とは言い難いんですが、スコットランドの造反によるイギリス国内での逼迫したアルコール需要があったからだそうです。そういえばスコッチ・ウイスキー産業も輸出が順調でなければ成り立たないそうで、蒸留酒=輸出商品という認識が世界的傾向のようですね。ちなみに、蒸留酒を加えた酒精強化ワイン(シェリー、ポート、マディラ、マルサラなど)が生まれたのも輸出に有利にする為の様です。

<起源> 蒸留器自体が発掘された最古の例は、紀元前3500年頃のテペ・ガウラ遺跡(メソポタミア文明)です。蒸留器と思われる円錐形二重構造のカメが発掘されました。香水造りの為と言われており、こんな昔にもオシャレしてたんですかね?蒸留酒に関しては、紀元前750年に古代アビニシア(現在のエチオピア)でビールの様な醸造酒を蒸留したのが、今日で主流になっている系譜の始まりだと思われます。この後、ギリシャ時代くらいまでは、イマイチ不明ですがエジプト周辺で発展を続けていたと思われます。

・ 近年、イタリアの考古学チームがキプロス島で、紀元前2000年頃と思われる香水造りの痕跡を発見しました。その場所では多数の蒸留器、桶、漏斗ろうと、香水瓶が発掘され「香水製造工場」ではないかと考えられています。蒸留製品が商業化されていた可能性が大です。

<前史・傍流> 世界各地では比較的早い時期から、何らかの方法での蒸留酒が作られていました。紀元前800年に中国ではお米から蒸留した飲み物が作られた痕跡があり、紀元前150〜紀元350年あたりのインドでも蒸留器(カンダーラ型?)の痕跡が見つかっているそうです。古代ローマ人も明らかに蒸留した飲み物を製造していますし、ローマに征服される以前のブリテン島でもケルト系ガリア人がスピリッツの蒸留をしていたと報告されています。ポルトガル、スペイン、フランスなどの西ヨーロ ッパでもスピリッツが蒸留されていましたが、7世紀以降、今の主流となるアラブ系の蒸留文化と接触する以前はほんの限られた量でした。この様に、初期的な蒸留は各地で独自に行われていたようですが、技術としての普遍性を持たない地域的なもので、その定型化には錬金術という経済的なバックボーンを持つ科学体系を待たねばなりません。

<前史・主流> 紀元前4世紀頃、ギリシャの哲人アリストテレスが、蒸留器「アンビック」によるワイン蒸留可能性について述べています。その教え子と言われるアレキサンダー大王(※)の大遠征によりエジプトが征服され、そこで芽生えていた蒸留という概念の種が広範囲(大西洋沿岸からインドまで)に広がります。紀元前1810年、メソポタミア王ジイムリリムは毎月、数100リットルにも及ぶ香油やエッセンス、香水を蒸留により生産していたと伝わっています。紀元前末、女王クレオパトラが妖しい香水を使って、ローマのカエサル、アントニウスをたぶらかしローマ帝国を滅亡へと導いたのは有名な話ですよね。よく混同される偉大な女錬金術師コプト夫人クレオパトラは、おそらく1世紀頃のアレクサンドリアの人で別人ですが、蒸留の概念についての記述を多く残しています。

<エジプトでの確立> 蒸留技術はエジプトの地でさらなる進化を続け、紀元3世紀ごろのアレクサンドリアではガラス製の蒸留装置が使われていました。その後、同地の女錬金術師ユダヤ夫人マリア・ジュウエス(2〜3世紀頃)は、三本の管を持った銅ないし青銅の蒸留器「トリビコス」の発明者として化学史上に名を残しており、このマリアか、錬金術師パノポリスのゾシモスとその妹の手で蒸留手法が確立したと言われています。(錬金術の源流をたどれば、必ずエジプトに行き着き、初期の錬金術師のほとんどがエジプト人かユダヤ人です。)

・ユダヤ夫人マリアは料理道具にも名を残しており、ソースを作る時に使用される湯煎鍋が<バン・マリー>と呼ばれるのも彼女の名前に由来しているそうです。1800年近くも家庭用品に名が残っているなんてスゴイですね。

・形而上学研究が盛んなこの地では、ギリシャ哲学、グノーシス主義、アラビア的価値観などが入り乱れ、アレキサンドリアの学僧達の手で多くの書物が成立します(3世紀頃)。のちに<ヘルメス文書>と総称され、錬金術の理論・根拠に深みを加えたのみならず、西洋神秘思想の基盤を成しました。

<ローマ帝国へ> 錬金術研究の中心はアレクサンドリアから、徐々にローマ帝国のビザンチンへ移りました。しかし、4世紀以降のキリスト教勢力増大に伴い、異端分子への大弾圧が始まります。5世紀頃、錬金術(蒸留術)はネストリウス派キリスト教徒(中国で景教として普及)と共に追放され、イスラム諸国へと伝えられ、ヨーロッパ(キリスト教勢力地域)においては1000年近くも途絶えてしまいます。

・<ヘルメス文書>のギリシャ語写本はビザンチン(東ローマ)帝国にて秘かに継承されました。異端文書として焚書令が出されていたからです。11世紀頃までに17冊の文書に集纂・編集されたものを、『ヘルメス選集』と呼びます。15世紀、プラトン心酔者のコジモ・デ・メディチの肝入りによるラテン翻訳で再発見されるまで、ヨーロッパでは噂のみの秘本的存在でした。

<アラビアでの完成> 、アラブ圏での錬金術は、7〜8世紀頃には全盛期を向かえ、ついには最大の影響力を持つ中世錬金術の祖ゲーベルが登場し頂点に達します。同時にアラビア諸国に伝播した蒸留技術は格段に洗練され、実質的な発祥の地と言ってもいいくらいです。今も親しまれている「アラック(汗の雫)酒」が誕生し、「アランビック」と言う名称は蒸留器の代名詞となっています。まだ効率は十分ではありませんでしたが、一応の完成を成し遂げ、この地から近代蒸留の花が芽生えます。

・他の文化圏にも錬金術的な技術が発生していました。中国の<練丹術>などは紀元前から行われ、紀元前145年には死刑の対象にもなる大罪でした。インドにも紀元前二世紀頃に書かれた錬金術関係の資料が残っており、大乗仏教の祖ナーガールジュナ(紀元1世紀)も錬金について述べているそうです。これらの要素も加えて、東西の技術がアラビアの地で統合・再構築されたのでは?と言われています。

<アイルランド異説> 同時期、「6世紀頃に中東を訪れたアイルランドの守護聖人パトリ ック が香水の蒸留法を修道院に持ち帰って応用し、大麦の醸造酒(ビール?)をから蒸留酒をつくった」というヤバい話が伝わっており、当時の状況や後の普及の先進性から十分に有り得る事として一説を成しています(参照)。もし事実なら、主流系でのヨーロッパ一番のりは確実で、12世紀に記録されているケルト系ゲール語のusige-beatha(命の水)と呼ばれる蒸留薬は、アイルランドの修道院で600年余りにも渡って連綿と伝えられ一般化していたのかも知れません。超ロマンチックっすね・・・・シビレます。

<伝播・発展> その後、イスラム教徒の勢力が弱まる12世紀以降、十字軍遠征(11〜13世紀)を機に門外不出の秘術が流出し、2つのルートに分岐して世界中に蒸留法が広がりつつ発展します(参照)。ヨーロッパにはイベリア半島を起点とした西方ルートと呼ばれる経路がありました。錬金術師のさらなる暗躍()もあり、早いペースで各国へと伝播し、ついには遠くロシアにまで普及します。日本へは東方ルートの海上経路で、インド→インドネシア→タイ→琉球國の順に伝わったと言われています。昔から焼酎を「荒木酒/阿剌吉酒あらきしゅ」などと呼ぶのは「アラック」に由来し、蒸留機を「蘭引らんびき」というのも「アランビック」が語源となっていて、アラビア起源である事を示しています。

次項へ直行希望の方はこちらへ・かなりの寄り道になってます。

<ちょっと寄り道してヨーロッパの錬金術をチョイ覗き>

)彼らは基本的にヘルメス神秘学(万物は本質的に同質・世界霊魂)の実践者でありながらも、グノーシス的反宇宙観(宇宙=神は悪しき存在)を継承したため、反キリスト教的存在でした。錬金術に強い啓示を受けたユング(心理学者)は「地表を支配しているキリスト教に対して、いわば地下水脈をなしている」と指摘しました。しかし、先端技術でもある錬金術は、都合の良い別解釈(グノーシス的要素を排除)の元にキリスト教会内部の学者僧の間にも広まった様で、聖俗二つの秘術系列に分かれて存続しました。

<ヘルメス神秘学/ヘルメス哲学>

・キリスト教以前のギリシャ・ローマ的教養を基に、新プラトン主義やグノーシス派などを内包した、『ヘルメス文書』と呼ばれる写本群があり、総じてヘルメス神秘学と称します。これを基盤としてルネッサンス以降に再構成され、西洋神秘思想の根幹となったのが<ヘルメス哲学>です。

<ヘルメス神秘学起源神話>

・ヘルメス神秘学は、有名なヘルメス・トリスメギストスが残した『ヘルメス碑文(エメラルド・タブレットなど)』に啓示される古代神秘世界観が基になっている、と言われています。実際には、キリスト教的世界観が成立する以前の凡世界観が、緩やかにまとめられた知識・思想群だと考えるのが妥当ではないでしょうか?

<ヘルメス・トリスメギストス>は『ヘルメス碑文』の啓示者と言われる神話中の人物で、<最も真理に近付いた錬金術師>、<賢者の石を手にした唯一の人>と(後世の錬金術師達の都合で勝手に)言われています。預言者モーゼと同時代(紀元前13世紀頃)の人物と伝わっており、ルネッサンス以降のキリスト教でも(都合上)異教徒ながら偉大な賢者として敬われています 。

・「アレクサンダー大王がエジプトのピラミッドにあったヘルメスの墓からタブレットを手にしたミイラを発見した」、という驚愕の出来すぎ伝説などには、シビレまくったオカルティストが多かったんでしょうね?

『ヘルメス文書』 紀元前5〜後3世紀頃までに多数のギリシャ語による研究書(『エメラルド・タブレット』を含む)が、エジプト・アレクサンドリアの神官・学者などの手で成立したと推測され、後に『ヘルメス文書』と総称される様になりました。キリスト教の『旧約聖書』とほぼ同時代に成立し、内容は極めて神秘的、寓意的なものです。数百冊とも言われる文書が散在していましたが、11世紀頃の東ローマ(ビザンティン)帝国で『ヘルメス選集』としてまとめられ、哲学、宗教、占星術、博物学、医学、錬金術、魔術、歴史などを含む大きな神秘学体系を持つに至ります。

・近年まで『ヘルメ選集』自体が、創作・偽造の疑いも持たれていましたが、1828年にエジプトのテーベで発見された3世紀頃のパピルス写本に、『エメラルド・タブレット』の写しが見つかった事で実在が確定されました。この写本は世界最古の手跡文書と言われているだけでなく、「最近の若い者は・・・」という、年寄りの例のグチが人類史上初めて記述されている事でも有名です。

<ヘルメス哲学・基本概念>  
・本来は霊的な存在であるはずの人間が物質界に下降(神霊の流出)した後、認識を得て再び神界に復帰する、という往還運動(輪廻転生)を幻視しています。この動きは真理(神の意志)を軸に下降線と上昇線が螺旋状に絡み合うシンボリックな形で表されてきました(下図)。
・そして、万物は同質(世界霊魂)なので、何物でも至高の存在に昇華し得る、と考えられました。西洋の錬金術師が飛びつくのも無理も無いアイディアですね。
二元論(霊と肉体)的世界観や新プラトン的傾向(神霊の流出)など、理論構成はグノーシス主義の影響下にはありますが、親宇宙的(宇宙=神は良き存在)な点が決定的に異なるので、ヘルメス的概念自体はキリスト教義には(基本的には)反しません。

  

<神秘学から哲学へ> 『ヘルメス選集』は、15世紀にマルシリオ・フィッチーノの手でラテン語へ翻訳されました。チラ見のみだったヘルメス的世界観が神秘のベールを脱ぎ、<ヘルメス哲学>としての一歩を踏み出します。ルネサンス以降のヨーロッパ神秘思想に巨大な影響を及ぼし、錬金術や魔術、占星術などに理論的根拠を与えただけではなく、自然哲学の確立にも寄与しました。近代に至るまで有名な西洋神秘思想家のほとんどがヘルメス哲学を内包しています。

<ヘルメス哲学・大まかな流れ>的には、ギリシャ・ローマ的世界観を基盤にアラブ文化の要素が加わって、3世紀までに『ヘルメス文書』群が成立します。キリスト教の価値観が確立する過程で異端派とともに追放されました(5世紀)。しかし、東ローマ(ビザンティン)帝国で秘かに継承され、『ヘルメス選集』としてまとめられます(11世紀)。キリスト教会の支配力が安定したルネサンス期にラテン語に翻訳され(15世紀)、ついに解凍されました。時代の要請で、より親宇宙的かつ汎西洋的な<ヘルメス哲学>として再発見・軟化解釈・再構築され、普遍性を得た上で神秘地下帝国を築いていった様です。

<ヘルメス哲学・まとめ> 古代ギリシャ・アラブ的(=地中海的)概念の結晶とも言えるヘルメス的世界観と、西洋的中世キリスト教的価値観の二足のワラジが履けないと、ヨーロッパ文化の深層域を歩く事は困難だと思いました。ヘルメス哲学は<薔薇十字団>、<黄金の夜明け>、<フリーメーソン>などの思想母体を成し、シュタイナーやユング以外にもヘルメス・チルドレンは数えきれない程です。一方、怪しげな秘密結社や魔術集団の類も多く生み出し、世の中にインチキな彩りを加えて面白くしてくれました。

<ヘルメス哲学・まとめ・2> ヘルメス神秘観と錬金術は二卵性双生児の様な関係で、古代エジプトからアラブ、ヨーロッパへと、文化の裏面を支えてきました。求める物(形なき崇高なる精神と、形ある至高の物質)の違いだけです。それに寄り添うかの様に、それぞれの地で蒸留術が発展し続けてきたのにお気づきでしょうか?

<ヘルメス哲学・おわび> 当HPでは、ルネッサンス以前を「ヘルメス神秘学」、以降を「ヘルメス哲学」と区別しました。『ヘルメス文書』及び『ヘルメス選集』などは寓意的表現が多く、暗示や比喩の解釈しだいで時代の要求を強く反映し、導き出される概念も微妙に異なるに違いない、と思ったからです。特にラテン語に翻訳された時点で、何かが大きくシフトしてしまったのではないでしょうか?自分勝手な解釈ですが、とりあえずご了承下さい。

・さて、錬金術の思想的根幹を支えるヘルメス神秘学について長々と述べさせて頂いた所で、やっと本題の錬金術に入ります。

<錬金術の起源>は、紀元前13年頃のエジプトで行われていた冶金術にさかのぼると言われています。宝石職人や金細工師などの技術の痕跡が確認されており、ここから発展した知識・技術が、プラトン、アリストテレスなどのギリシャ哲学の啓示のもとに実践(形而下学)的技術体系を成していったものと思われます。この流れの形而上学的な成果がヘルメス神秘学として成立します。

<錬金術の本来の目的>は、神が世界を創造した過程を再現する事により、精神(霊体)の高みを極める事にあります。偉大なるゲーベルは述べています。「錬金術を行なう者は、自分が物質に期待するのと同じ高みを、自分自身の内において実現しなければならない」と・・・ しかし、当然のごとく世俗的要求度の高い、金の生成や不老不死の追求が主目的になり、富裕層の援助のもとに科学の礎となるべく発展し続けました。欲と富こそが文化や芸術の源ですね・・・

<錬金術の変遷> 古代エジプトに綻を発する錬金術は宗教・経済・政治勢力の影響でギリシャ、ローマ、アラブと拠点を移しつつ発展を続け、十字軍遠征を機に、ついにヨーロッパへと流出するに至ったのは前述の通りです。

<ヨーロッパでの錬金術の起源>は、1142年にイギリスの翻訳家ロバートがスペイン滞在中に前述ゲーベルの『黒き地の書』をアラビア語からラテン語へ翻訳し 『錬金術の後世についての書』として世に出した時だと言われています。これは、ラテン・ヨーロッパに現れた最初の錬金術書でした。

・ロバートは、『コーラン』や、あの<アルゴリズム>と呼ばれる頭痛の種の語源を導いた数学書『アルゴリトミ』などの翻訳家として知られています。アラビア語というだけでハードルが高いのに、暗示や比喩に満ちた抽象的な書物類を整合性を保ちながら翻訳するには、かなりの知性と霊感が必要だったに違いありません。

<俗化した中世の錬金術> 13世紀から商業が発達し、貨幣価値が定まった事から、金の需要も高まり錬金術の方向性も激変しました。 賢者の石(※)を求めて錬金術師たちが奔走します。一般に知られている錬金術のイメージはこの頃のもので、金の生成に命を掛けてたのはこの時代だけですよ。そして、錬金術師=詐欺師と思われ始めたのも、この頃からです。スコラ錬金術などと呼ばれます。

(※) <賢者の石>さえあれば何からでも金を生成でき、不老不死さえも得られると考えられてきました。最終物質であり、錬金術師は<賢者の石>をエリクシール(万能の霊薬)などと呼び讃え、常に求め続けました。 

<放浪する中世の錬金術師> 職にあぶれた錬金術師達は、詐欺的錬金術(★)も行う様になりました。秘密結社フリーメーソンなどのロッジ(拠点)を経由したり、巡礼やジプシーたちに混じってヨーロッパ中を放浪した様です。しかし、中世の放浪吟遊詩人(※)達と同じく、様々な地域の文化・技術を伝達・交差する重要な情報伝達網の役割も果たしました。

(★) 鍋の底にロウなどで金片を上手に隠しておき、様々な者を混ぜ込み煮立てて、あたかも金を生成したように見せかける手口はよく使われました。 そして「大規模に行える施設を作ろう」などと資金を募ったそうで、騙される人は意外と多かった様です。

<ついでに中世の吟遊詩人もチョイ除き()>

また寄り道ですがチョットだけです。

(※)中世の吟遊詩人とは、各国の宮廷を遍歴して即興詩を吟じた王侯貴族層出身者達の事で、トルバドール(南仏)やトルヴェール(北仏・英)、ミンネゼンガー(独)などと呼ばれました。文芸の華の様な存在でしたが、13世紀以降、騎士文化と共に消滅します。よく混同される、下層階級出身で一般民衆を対象とし楽器を奏でながら時事詩を唄うジョングルール(大道芸人)や、ミンストレル(特定の宮廷の音楽師)とでは階級・文化的に別物です。15世紀以降に登場したはジプシーの音楽家達もジョングルールと同じ役割を担いました。

・ジプシーがインド北西部出身の人達だって知ったばかりで、未だに驚いてます。もっと謎めいた存在だと思い込んでいまた。しかも、ローマ教皇のニセ文書!を持って貴族と偽り、放浪先で大切に扱わせたという大胆クールな詐欺行為なんかは作り話の様ですね・・・

・下のブロマイドは、トルバドールの芸能を北仏や英国に広め、トルヴェールの生みの親とも言えるアリエノール・ダキテーヌ( 1122-1204)の艶めかしい全身図の切手と大サービスのバスト・ショット(キュンときますね・・)です。“ヨーロッパの祖母”と呼ばれ、子孫が各地を支配しました。奔放な性格で多くの愛人を持っていたそうです。祖父のギョーム9世はトゥルバドゥールの祖と言われる人で、彼女のポワティエの宮廷も多くの吟遊詩人が集いました。

   

・ 吟遊詩人たちの詩は、十字軍の逸話、弱い者や女性を守る正義、自らの行いに対する責任、男としての義侠、奉仕する愛など、「騎士道の精神」が根幹でした。 多くの人々に影響を与えたこの精神は全ヨーロッパに浸透し、今日の西洋人の道徳基準の底辺を支えているようです。

<錬金術の再形而上化> ヨーロッパ諸国の経済機能が安定し始め、14世紀に始まったイタリアのルネッサンスなどを機に源智への欲求が高まります。 コジモ・デ・メディチの出資で『ヘルメス撰書』のラテン語への翻訳が行われ、世俗欲の僕しもべだった錬金術の見直しが図られました。初来の目的である<十全たる存在としての人間を求める>意識が高まった結果、中世の職人的錬金技術は独立した分野として専門化していきました。パラケルスス(イアトロ医学)やグラウベル(鉱物学)などが有名です。抽象化した錬金術は<ヘルメス哲学>として再構成され、科学・哲学・魔術・宗教・医術・哲学などの概念を統合した神秘思想へと昇華し、本来の姿を取り戻しました。

<錬金術の終焉> 錬金術によって培われた様々な知識が、近代科学として日の目を見るには<最後の錬金術師>ニュートン(1643〜1727)の登場を待たねばなりません。近年の分析によると、ニュートンの遺髪から水銀が検出されたそうで、体を張って研究してた様です。『万有引力の法則』を導き出し、近代科学の座標軸を決めた<経験論的帰納主義>という大革命は意外とついでなんですかね。

<実は金は造れます> 現行技術で可能な方法が二つある様です。原子の原子核にγガンマ線を当てると、中性子が一個はじき出され、原子番号が一つ下の物質に成る事が確認されています。つまり、原子番号80の水銀にγ線を当てると、原子番号79の金に生まれ変わるんですね・・でも費用がちょっと高い(150億円以上)ので、あまりお勧めいたしません。あと核融合でも理論上は生成可能らしいですが、もっと高くつくのは確実で×です。残念ですが金の生産は帳尻が合わないので諦めなきゃですね。

<蒸留器の小宇宙>  「錬金術において蒸留器は自然の生成過程が再現される小宇宙であり、古代ギリシアから中東を経由してルネッサンス期のヨーロッパに伝えられた一種の科学的精神の象徴でもあった」 トマス・レヴェンソンという人が『錬金術とストラディヴァリ』という著作(2004年)の中で、簡潔に表現していて分かりやすいですね。(ってゆうか、やっと蒸留器がでてきましたね。お情け程度に・・・しかも、次はレコード話に突っ込もうとしてる気配ですよ。すでに読んでくれてる方の都合なんか考えてないじゃん。ダメですね。)

・私事ですが、30年ほど前に出会った『アルケミー(錬金術)』というタイトルの音楽アルバムがあります。サード・イヤー・バンド(T・E・B/第三の耳)と言うチェンバー・ロック系バンドの1st(1969年・英)で、呪術的な室内楽を深遠な心理ループ状態で演奏しており、ドロ〜ンと巻き込まれますよ。<宇宙的な恍惚境の舞踏楽団>と称され、類似のバンドはありません。英国趣味擬似エスニックのゴミ箱の中に、奇跡的に表出した真実への扉が見える・・・でも開けない・・・そんな感じで、ハマってました。今もスキスキ大好き・・・『マクベス』はロマン”血まみれ”ポランスキー監督作品(シャロン・テート殺害事件後第一作目)のサントラです。いい加減な編集が心地よい不安感を誘う中、B面一曲目の「フリーンス」は知る人ぞ知る美曲で気持ち良い鳥肌を呼ぶですよ〜!

・女優シャロン・テートを殺した狂信カルト集団、 「ファミリー」を率いていたのがチャールズ・マンソンです。ビートルズに感化された、ミュージシャン志望のロクデナシ神秘主義者モドキでした。今でも意識の低い人々のカルト的共感を獲得しながら、無期懲役服役中です。1983年の獄中ライブ録音(ギターの弾き語り)は、自信に満ちた勘違い(=ロック的)方向のアシッド・フォークで、不思議な消化不良感を伴いながらも遠くへ飛ばされます。(でもテキサスの真性カルト、ヤンディック(jandek)初期3枚などの飛距離には遠く及びませんけど・・・)

・T・E・Bと同じ高みの世界観を持つバンドに、ドイツのポポル・ブー(popol vuh)があります。こちらもヘルメス神秘学的なアプローチが魅力で、T・E・Bが即興的な流れの中に覚醒・沈静の底なし涅槃を目指したのに対して、フローリアン・フロッケ独特の繊細で崩れ落ちる様な構成美は、まさに風化寸前の摩天楼を仰ぎ見るかの様です。ヴェルナー・ヘルツォーグ監督『ノスフェラトゥ』のサントラ版(1978年)はゲルマン的美意識の結晶とも言える<心荒ぶる貞淑な暗い美女>って感じのアルバムで、瞬殺一目惚れですよ。映画にイザベル・アジャーニ(当時23歳)も出てますしね。

  
ヤバメのサード・イヤー・バンドと、クレイジー・マンソン、そして神経質そうなフロッケ君

すみません。ちょっと飛(遊)びすぎました、以下の項は<伝播・発展>からの続きです。

<イベリア半島> 7〜8世紀頃にはイベリア半島を占領していたアラブ人がアンダルシア周辺でワインの蒸留を行っていたそうです。今でもスペインやポルトガルで最も古い実用タイプの<アルキターラ蒸留器>が使われているのは、このなごりなのでしょうか?

・スペインを含むイベリア半島は7〜15世紀までイスラム教徒の勢力下にあり、蒸留法は錬金秘術として長い間守られていました。十字軍遠征(11〜13世紀)を機に西方ルートが開かれ、この地を起点としてヨーロッパ中に広まります。異論のある海上ルートがスペイン・ポルトガル→アイルランド→スコットランドで、陸上ルートではスペイン・ポルトガル→フランス・イタリア・オランダ→フィンランド→ポーランド・ロシアと考えられています。

・スペイン人の錬金術師アルノー・ド・ヴィルヌーブルがワインを蒸留した医薬品をアクア・ヴィテ(aqua-vitae/命の水)について述べたのは、後の13世紀のことです。文脈では、すでに使われていた用語のようでアルノーの造語では無いようです。

<インド> かつてアレキサンダー大王の将軍ネアルコスが「インドには、蜂も来ないのに甘い蜜を出す葦あしがあり、これからつくられた飲み物により酩酊する」と述べていて、サトウキビ?による醸造酒があった可能性が高い様です。アラブ諸国に近かったインドへは10世紀以前に陸路交易で蒸留技術が伝播したと言われ、この葦あしの酒からラム酒の様なものが造られたのでは?と推測されていますが、複雑な民族・言語体系が障害になり明確ではありません。しかし、この頃の交易資料から生薬や香料の蒸留技術が伝播していた事は明らかで、何らかの蒸留酒が存在したと考えるのは自然な事と思われます。

・ちなみに、現在のインドでは“No,1マクダウェルズ”や “オールド・モンク7年”、ネパールでは“コロネーション・ククリラム”(2002年のインターナショナル・ラム・フェスティバルで金賞受賞)などの上質なラム酒が生産・輸出されています。

<東南アジア> 北宋中期(11世紀初頭)、田錫という人が『麹本草』の中で、暹羅しゃむろ国( タイ)の蒸留酒を珍品として紹介しているそうで、これがアジアにおける最古の記録と思われます。インド経由の海路交易による早期伝播でしょうか?飲用としての蒸留酒は西洋よりも早かったという事になりますね。日本に蒸留酒を伝えたタイのアユタヤ王国は、アジアでも最先端の蒸留先進国だった様です。

・この地域でもラム酒は作られています。タイの“サンソン”やハリウッド俳優の故ジョン・ウェインが愛飲しケースで取り寄せていた事で有名なフィリピンの“タンドアイ”などです。

<イタリア> 12世紀のナポリ近郊のサレルノ医科大学(※)では、蒸留による製薬方法をアラビア語の文献から初めて試みたと言われています。書き残された文章のいくつかのキーワード(ワイン、塩など)は暗号で記されていたそうで、秘伝だったのは間違いありません。

・この液体は<燃える水>を意味する<アックア・アールデーンス(aqua ardens)>という名で呼ばれていました。スペインの<アグアルグェンテ>やポルトガルの<アクアデンテ>の語源では?と言われています。

(※) 7〜8世紀頃、ユダヤ人・ギリシア人・アラビア人・ラテン人の4人の医師によって始められたモンテ・カシノ山の修道院病院(ホスピス)が始まりです。温泉による治療が有名な地域でした。9世紀には医学のメッカとして有名になり、教育機関へと発展してヨーロッパ最古の総合医科大学になりました。後の西洋医学の医学の規範を作りますが、1811年にナポレオンにより閉鎖されたそうです。ギリシャのヒポクラテス以来、長年に渡り行われてきた瀉血治療(悪い血を抜く)を支える中世の医学概念に対して、ジェエンナーの天然痘治療(1796年)に始まる新しい近代体系が優位になった為と思われます。(参照

 
ナポリ近郊温泉風景と、偉そうなポーズの血を抜くgoodポイントの解説図で〜す。

・11世紀末に医学生の指導規範基準として作られた、『サレルノ養生訓』という有名なラテン詩があります。「快活な心、休息、腹八分に医者いらず」、「朝に山(活力)を見、夕べに泉(休息)の水を見よ」、「気苦労を避け、烈火のごとく怒る事なかれ」などと謳われています。今に至るまで各国で1500版を重ねており、日本版もあるそうです。精神衛生面も重視され、今でも通用する内容なのは驚きですね。ひと頃はやった<地中海ダイエット>の元本らしいですよ。

<中国・朝鮮半島> 中国へは《東南アジア経由の東方海上ルート説》、《インド→タイ→中国陸上ルート説》、《シルクロードによる中央アジア経由陸上ルート説》、 《中国南西部山岳民族による南方陸上ルート説》などがあり、それぞれに根拠があります。アラビア式をモデルとしたカメと竹で組んだ冷却器別体型蒸留機が登場したのは13世紀で元朝の頃と言われ、忽思慧の『飲膳正要』(1330)という薬膳の専門書に回方(アラブ諸国)からもたらされた「阿刺吉あらき」という焼酒が紹介されています。後の『居家必要事類全集』には南蛮焼酒製法の詳細が記載されていて、南蛮酒という単語からは東方海上ルート説の方が優位に思えます。しかし広い国なので、複数ルートで各地に伝わり交わった後に淘汰・継承されたと考えるのが自然かもしれません。ほぼ直後(14世紀後半)に朝鮮半島へも「焼酒」の蒸留法が伝わったそうです。

<ヨーロッパ>での蒸留はアイルランドで12世紀)、フランスで13世紀(アルノー・ド・ヴェルヌーブ記述)には確実に始まっています。西方での重要な改良点の一つが、円錐型金属製蒸留器「ローゼンヒュッテ」です。それまで陶器製や木製だった蒸留器に比べ、格段に熱伝道効率の高い金属胴体の空冷効果で圧倒的な凝縮力を得ました。二つめが「ムーア人の頭」です。初めての水冷式蒸気冷却装置の効果は言うまでもありません。この二つの発明を元に今の蒸留器の基本型が完成したのは14世紀頃と思われます。

) 1171年にイングランドのヘンリーU世の軍隊がアイルランドに侵攻した時、その地の住人たちが生命の水という意味のuisge beathaなる大麦の蒸留酒を飲んでいたという記録が残っています。しかし、十字軍遠征を機に蒸留技術が伝わったとしたら、蒸留酒を飲用にするには早すぎ、前述した6世紀頃の出来事が思い出されます。それまで独自に発展してきたアイルランド修道院の蒸留技術が充分な生産量と質を確立しており、イベリア半島からの新しい要素によって洗練を加えただけである可能性は否定できません。

<イタリア> 15世紀にはイタリア北部の医師ミケーレ・サヴォナローラ(1384〜1462年)が、さる貴婦人の為にブランデーにバラの花の香りとモウセンゴケの成分を溶かし込んで飲みやすくした薬用リキュールを作りました。ロゾリオ(rosorio・太陽の雫)と名付けられたこの新しい飲み物は大好評を呼び、イタリア中に広まります。これを機に嗜好品としてのリキュールが造られ始めた様です。つまり、この頃のイタリア富裕層の間ではブランデーは特別な物ではなく、美味しくは無いながらも薬用飲料として、文化後進国のフランスよりも早く普及していました。

・後の16世紀に、フィレンツェの商人メディチ家の娘カテリーヌがフランソワ1世の次男に嫁入りした際に、リキュール職人を伴いフランスでの大流行のキッカケとなりました。しかし、カテリーヌ・ド・メディチは「毒殺婦人」とも呼ばれていて、この職人はリキュール以外の分野も得意だった様です。実家の本業が薬屋さんですしね。真相は闇の中ですけど・・。ちなみに、この頃の文化の中心地はイタリアで、手づかみ同然で食事していたフランスの田舎者にフォークでの食事作法を躾しつけしたり、洗練された料理体系やアイスクリームという夢のお菓子を教えこんだのはカテリーヌです。

<日本>へは東方ルートの海上経路で、インド→インドネシア→タイ→琉球國の順に伝わったと言われています。その他の由来で忘れてならないのが、16世紀以降に蘭方医学とともにポルトガル経由で伝来した蒸留器「蘭引」です。傷口の洗浄用蒸留液や香水用植物精油などを取るのに使われた、卓上用の小型器(陶器製)でした。酒類用とは別経路での上陸と考えるのが自然かと思います。なぜなら、蒸留酒製造が国内で始まったのも16世紀初頭と推測され、技術のコンパクト化はウォークマン(死語?)でも分かる様に難しいので、すぐさま医学などへ応用されたとは考えづらいからです。(この頃、琉球國は日本領土ではありませんが、15世紀後半には蒸留酒を造り始めていると推測されます。)又、朝鮮半島にも同様の陶器製蒸留機「土古里」が存在していました。

・この卓上用陶器製蒸留器「蘭引」の複刻物なら店内に置いてあります。超カワイイですよ。やはり酒類関係の場所では扱っておらず、購入先は「内藤記念館・くすり博物館ミュージアム」という医薬品の歴史博物館です。

・蘭学の浸透度は私達の想像を超えていて、幕末にはオランダ語を分かる日本人(医者)はかなり多った様です。しかし、英語のできる人は日本に二人しか居なかったそうで、オランダ語に訳された英語の本からアメリカやイギリスの情報のほとんどを学んでいました。黒船が来た時、ペリーはシーボルトの紀行記を読んで事情を知っており、オランダ語の出来る通訳を連れて来ていました。日本語⇔オランダ語⇔英語って感じで、日本史上の最重要事が交渉されたんですね。

・フィルモア大統領の親書を渡した後、通訳同士の慰労会が開かれました。このとき日本側通訳に「どちらから来られたんですか?」と訊かれ、アメリカの通訳が「海の向こうのアメリカ ・・・」と言いかけると「アメリカ のどこ?サンフランシスコから直行ですか?それとも、ニューヨークから?」「(な、なんでそこまで知ってるんだ?)・・・フィラデルフィアです。」「ああ大西洋周りでアフリカを抜けてきたんですね?大変だったでしょう。今建設中のスエズ運河が完成すれば、もっと楽に来れますね。ときに、先代の大統領テイラー氏は、お元気ですか?」と言ってペリーを仰天させたそうでプチ痛快な話ですね。

・下の図は黒船隊の旗艦でペリーが乗船していた蒸気外輪フリゲート艦サスケハナ(Susquehanna)号の断面図です。(ちなみに、最初期のSF作家 ジュール・ヴェルヌ の代表作『月世界旅行』で、地球に帰還した宇宙船を回収した艦がこのサスケハナ号という設定です。)

・長々と蒸留の歴史について述べてまいりましたが、お疲れさんでした。ここからは具体的な蒸留機についての記述が(やっと)始まりますよ。でも、ここからはさらに長くなってしまいました・・ごめんなさい。ヒマな人だけお付き合いください。

<単式蒸留機> 時代の変遷と要請により進化してきた様々な蒸留器があります。この項では単式減圧蒸留器を含む、一動作で一回の蒸留しか行わない単式蒸留器について、構造的に進化している順になんとなく並べてみました。

<一体型直火釜>初期の蒸留釜は「蒸留器」と「冷却器」が一体になっていました。各地で様々に工夫されましたが、基本的には、最上部に水を張った冷却部(7〜8世紀頃から?)を乗せて、登ってきたアルコール蒸気を冷やして集める方法が多い様です。極めて効率が悪く、「チンタラする」の語源になるほどで、「チンは釜が沸騰する音、タラは垂れる」だそうです。酒粕など固形に近い材料は、蒸篭せいろで蒸し、それ以外の液状材料(もろみ)は直火で焚いていた様です。

<アルキタール蒸留器・スペイン・ポルトガル> 今も使われている中では最も古いタイプで、アランビックよりかなり以前のシステムです。北アフリカから直接渡欧した様で、ムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)の影響を強く感じさせる銅製の一体型蒸留器です。早い時期に東洋でも用いられていたそうです。今でも主にイベリア半島で継承・使用されており、自家製アクアデンテ(蒸留酒)、精油、薬草の有効成分抽出、ローズウォーターなどの香水など様々な蒸留に用いられています。「ムーア人の頭」とよばれる特徴的な帽子型形状の冷却器を持ちます。(参照

・この蒸留器を使ったブドウ粕ブランデーを試してみませんか?スペインのグラッパとも言えるオル−ホが一銘柄だけ用意してありますよ。オルーホ自体が知られていない上に、アルキタールを使った酒の流通は皆無に等しいと思います。その名も“アルキタール・オルーホ”で、めったな事ではお目にかかれない一本です。(こちらへ)

<日本の初期の蒸留器> 「チンタラ蒸留器」、「カブト釜蒸留機」、「ツブロ式蒸留機」、「天水釜」などがあり、時代・地域による形状や工夫などの細かい違いはありますが、ほぼ同一原理のシステムの様で、カブト、ツブロ(頭)は冷却部の形状からそう呼ばれています。一体型蒸留器は、昭和20年頃まで小さな蔵などに残っていましたが、最近までは正調酒粕焼酎以外のエリアでは途絶えていました。しかし、最近の多様化した需要で復活しており、大石酒造の“がんこ焼酎屋・35度”などは、カブト釜蒸留機を使用しています。

・東南アジアの各地域の集落などでは、いまだに上記のタイプが使用されている事が確認されています。当然、世界中の自家製造が行われている各地域でも現役で活躍していると思われます。

<蒸篭せいろ蒸し式蒸留器> 正調酒粕焼酎の存在理由が極めて特殊なのは、日本酒を醸して出来た酒粕を、肥料にするためアルコールを除去する作業の副産物だからです。通常の焼酎が、もろみから蒸留する「もろみ取り」なのに対して、固形物である酒粕に通気確保のために籾殻(独特な香りをもたらす)のを混ぜてセイロで蒸す、蒸篭せいろ蒸し(サナ蒸し)蒸留にて醸されます。この由来ゆえ、量を造る事も無く、昔ながらの手法を、あえて変える必要がなかったと思われます。今では、冷却器を使う蔵もありますが、代々伝わっている頭つぶろ(冷却槽)をセイロの上に乗っけて作業している様子もweb上で見うけます。本物の昔酎ですね。たくさん用意してありますよ。 (こちらからどうぞ・酒粕焼酎へ

<直火加熱釜/直火式ポットスチル>・冷却部の分離による進化 冷却器を分離する事で、各機能の洗練・進化と大型化が可能になり、生産量が大幅に増加しました。今活躍している単式蒸留器の基本型です。形状からティーポットのポットに、スチル(スティル)は 「液体を精製、蒸留する機材」の意です。いずれにせよ、金属製(銅)になってからの形状名で、それ以前は木製だったのは間違いないですね。

<アクアデンテ用小型蒸留器・ポルトガル> そもそも、ギリシャやフランスにワインが伝えられたのは、紀元前600年ごろに交易民族フェニキア人を介してというのは定説となっていて、同時期に伝播したポルトガル周辺でのワイン起源はかなり古いです。 3〜4世紀の石製ワイン樽!なども出土しており、古代からのワインの大生産輸出国でした。しかし船便での劣化が長らく悩みの種で、この解決は国益上の課題でした。ついに17世紀、アクアデンテ(aguardente) といわれる蒸留酒で酒精強化し保存性を確保したポートワインの生産が始まり、同国の目玉商品になります。柱焼酎を思い出しますね。ポルトガルに今も伝わる古典的な銅製アランビッ クは丸い玉ねぎのような形状をしており、独特の古い構造を持ちます。

アクアデンテは「火の酒」と呼ばれるホワイトブランディーです。飲料としても流通していますが、先述のアルキタール蒸留器による劣悪な自家蒸留品も多く 、戦前のグラッパの様な立場から抜け出る事ができないでいます。レストランや食料品店の自家製蒸留酒なんてのが普通に出されるそうですが、強烈な印象のみが語られ味についての好意的な言及は見た事がありません。アルコール度数は高く、樽熟成などしないのが普通の、どちらかと言うと高級ではない民衆の飲料ですが、幾つかの優良銘柄(樽熟成品/ アクアデンテ・ヴェーリャ )も出始めているそうで、由来の似たフィーヌウヴァ(フランス・イタリアの余剰ワインのブランディー)の様に評価される日が近いのかもしれません。スペインではアグアルグェンテと呼び、シェリーの酒精強化に使われます。

「火の酒」と呼ばれるのは伊達ではありません。ポルトガルのレストランでアクアデンテが提供される方法はスゴイですよ。先ずはグラスの外側から火で暖め、次第にグラスを傾けて行くと、アッという間に中のアクアデンテに火が付きます。青い炎を上げるグラスを片手で高く持ち上げ、もう片方の手のナプキンに燃え盛る アクアデンテを全部垂らしたところで素早く握りしめて炎を消します。あれっ?アクアデンテなくなっちゃって飲めないじゃん?と思ったらそのグラスにもう一杯注いで供されます。

・ 先進国としては珍しくポルトガルでの自家蒸留は盛んな様で、家庭用の銅製蒸留器が何種類も販売されています。日本でも購入可能(こちら)ですが、酒税法の存在を忘れていると大変な事になりますよ。

<シャランテ型単式蒸留器・フランス> コニャックカルバドス(リンゴのブランディー)などに使われる単式蒸留器で、通常は2回の蒸留を行います。イギリス(スコッチなど)との違いは、その形状だけでなく、2回とも同じ蒸留器を通す点と、直火加熱が義務付けられている事にあるそうです。最初の留出液はブルイと呼ばれ8時間ほどで26〜36度になり、再留液はボンヌ・ショフという名で、12時間ほどかけて69〜72度の原酒が得られます。 コニャック市のあるシャラント県からの命名です。伝播時の風情を残すアラビックな美形状にはタメ息が出てしまいます。世界歴代美人コンテスト・単式蒸留器部門の第一位はコレに決定!(画像はこちらに)

・ブランディーについての最古の文献は、13世紀のスペイン人錬金術師で<リキュールの祖>とも言われるアルノー・ド・ヴェルヌーブの晩年(南仏住在中)の著書『若さを保つ法(1309年刊)』に、ワインを蒸溜したアクア・ヴィテ(aqua-vitae/命の水 )を気つけ薬として珍重していた記述が有ります。当時としては驚異的ともいえる72才まで生きた超人なので、説得力のある著作名ですね。オー・ド・ヴィー(eau de vie=命の水)というブランデーを指す言葉やスカンジナビア半島のアクアビィット(aquivit)などはこの言葉に由来します。

) 12世紀初頭のアイルランドに起源を持つウイスキーの語源は、ケルト系ゲール語のusige-beatha(命の水)で、上記にあるアルノーのアクア・ヴィテ(aqua-vitae/命の水)は、文脈的に既存の言葉からの引用・直訳ではないかとも言われています。

14世紀後半には薬用酒としての需要も始まった旨の記録もあるようですが、かなりのレア品な上に高価なため極一部の富裕貴族層においてのみで、この状態はかなり長く続きます。門外不出の養命酒みたいな感じですかね?

15世紀初頭にはアルマニャク地方でもオー・ド・ヴィーが造られていたという記録があり(1411年)、猛威を振るったペストの特効薬として重宝されました。コニャックの登場より200年ほど早いそうです。

・ アルマニャックの“シャボー”という銘柄は、16世紀、フランソワ1世(毒殺婦人カテリーヌ・ド・メディチの義父ですね)の時代に初代海軍元帥になったフィリップ・ド・シャボーの名にちなんでいるそうで、自分の船団に積むワインが長い航海の間に変質するのに悩み、蒸留してから積むようにしたそうです。それ以来アルマニャック地方のシャボー一族の領地から産する葡萄はすべて飲用として蒸留されることになったと伝わります。

16〜17世紀、歴史的大寒波 や宗教戦争(1562〜1598)の影響でブドウ畑が荒廃します。主にオランダ人が輸入していたコニャック地方は主戦場となり、ワインの質が著しく落ちました。その結果、長い輸送に耐えられずに酸っぱくなるということが頻繁に起こったため、蒸溜して輸出されるようになりました。アルコール度数に関係なく量に対して酒税が掛かっていた事も一因です。この蒸留酒が意外においしいと評判になって、仏語のvin brule(焼いたワイン)を直訳しbrandwejnと名付けて売られました。ドイツではbranntweinとなり、英国ではお馴染みのbrandywineとして特に歓迎されました。16世紀には、ボルドー、パリ、アルザスなどでも蒸留の記録が残っており、この頃から嗜好用アルコール飲料として一般化したと言って良いかと思います。

・しかし、スコッチの成功に習って樽貯蔵による熟成が始まり、あの深い色あいと馥郁たる香味になったのは19世紀からで、それ以前は透明で荒々しい酒でした。

・以上でお分かりの様に、フランスに限っても、vin brule(焼いたワイン)系とeau de vie(命の水)系の名称があります。飲用品と医薬品との区別に間違いありませんが、いつの頃から飲用主体になったにもかかわらずカッコイイ感じの後者に統合された様ですね。

<ウィスキー用ポットスチル・イギリス> 今でも使われている単式蒸留器のスタイルのなかで、最も完成度が高く、基本ともいえるタイプです。アルコール濃度の低いウィスキーのモロミ( ウォッシュ)を効率よく蒸留する為、初期の無骨な物から、今の洗練された曲線形状にまで進化してきました。熱伝導性と加工性の良い銅製が多く、スコットランドの蒸留所の写真などで、優美な赤銅色のスワンネック(留出筒)が並んでいる写真を見たことありませんか?始めは直火でしたが、今ではほとんどが蒸気加熱式になっています。スコッチが2回、アイリッシュが3回の蒸留です。

ウォッシュを最初に蒸留する釜はウォッシュ・スチルと呼ばれる大型の釜です。この初留液はローワイン(20〜25度)と呼ばれ、当然量は減るので、2回目は小ぶりのスピリッツ・スチルという釜を使います。出来上がった原酒はニュースピリッツと呼ばれ70度前後です。

<初源> 1172年、アイルランドにて見聞されたUsq-uebaugh(ケルト系ゲール語)と呼ばれる穀物を蒸留した酒がウィスキー類の初源と言われていますが、同地の6世紀初源説も有力です。しかし、イングランドのスコッチ・ウイスキー協会は大英帝国大蔵省文書の「アクアヴィテ製造のため修道僧ジョン・コールに8ボルの麦芽を支給した」を根拠に1494年をウイスキー誕生の年と勝手に(※)決めているようですが、世界中の人々が事実と異なる事を知っています。

(※) いわゆるイギリスは、アングロサクソン系の<イングランド>に対して、インド・ヨーロッパ語族ケルト系<スコットランド><北アイルランド><ウェールズ>から構成されており、カトリック(アイルランド)対プロテスタント(イングランド)による宗教闘争も絡んだ深刻な民族アイデンチィチィー的対立が長年続いています。

<密造酒> 透明で荒々しい初期のウイスキーが今の風味を得たのは、1707年の大ブリテン王国によるスコットランド統合がキッカケなのは明らかです。この時に課された重すぎる酒税に反発し、山奥へ拠点を移したスコットランド人密造者達の工夫が奇跡を呼びました。湿気が多い山奥で発芽や糖化が進み過ぎる大麦を乾燥させるため、容易に手に入るピート(泥炭)が用いられるようになります。密造酒を収税官吏の目から隠すため、廃棄されていたシェリー酒古樽に入れて保存している間に長期熟成(エイジング)され、見違えるほどの美酒に生まれ変わりました。深い琥珀色と独特の風味を持つ芳醇さを得た密造酒は、マウンテン・デュー(山の雫)と賞賛され珍重されます。私達がイメージするスコッチ・ウイスキーの誕生です。(参照

・ ウイスキーと言う言葉が公式に使われたのは、密造酒時代の真っ只中にサミュエル・ジョンソンが編纂した英語辞典(1755年)で、「香料と共に出される蒸留物」と記述されていました。当時の合法ウイスキーの方は、粗野で荒々しい素性を香料等で風味付けして飲み易くしていたとも推測されます。(サミュエル君はスコットランド人嫌いで、かの地を貶めるために必要以上に悪く書いた、という大人気ないトホホな説もあります・・同辞典の<カラスムギ>の項目に「穀物の一種であり、イングランドでは馬を養い、スコットランドでは人を養う」と述べていて、シャレの利いた嫌な奴ですね。)


 問題のサミュエル君です。

・ 1823年に物品税法が施行され、ウイスキー製造許可料の導入により密造者達の勝利の旗が揚がりました。かつて、スコットランド議会によりウイスキー税が導入された時(1644年)から、180年に渡って続いた密造酒の時代は終わりを告げました。しかし、20世紀の黄金時代を迎えるまでには、各地域の欲と意地が絡み合った波乱万丈の歴史が待ち構えています。

<アブサン用小型蒸留器・スイス・フランス・チェコ> 密造の歴史が長かったヨーロッパ各地のアブサン蒸留所では、手造りの小型器が秘かに活躍していました。1981年、WHOによるツヨン(※)の含有量限定での「アブサン」名称使用解禁に伴い、そのうちのいくつかはweb上で画像を見ることが可能になりました。「Renaud stills」、「Egrot alambics」、「 Matter-Luginbuhl Alambics」など謎のシステムを駆使し、規定ギリギリのツヨン濃度(10ppm以下)で「禁断の酒」を造り続けています。(アブサンについてはこちらへ)

(※) ツジョンとも読み、ニガヨモギ、ヨモギ、セージなどの精油成分で、マリファナ の主成分テトラヒドロカンナビノール(THC) に似た化学構造 を持っています。この成分を多く含むアブサンは1790年頃スイスで生まれ、19世紀初頭には安価な酒として大衆にアッという間に広まりました。特に19世紀末の芸術家達には愛され、美的霊感を呼ぶミューズ(美神)として持て囃されました。しかし、大量摂取すると、麻酔作用、嘔吐、幻覚、錯乱、痙攣などに陥いり習慣性もある事から 「緑の悪魔」とも呼ばれ、反モラルな存在として告発された挙句に20世紀初頭にほとんどの先進国で「アブサン」の製造や輸出は禁止・制限されていました。

<蛇管式冷却器付き直火釜・日本>明治から大正にかけて、自家製造が禁止されると、専業となった各焼酎屋は生産性の向上を求められる様になりました。思案の末、舶来の蒸留機を真似て、水タンク内の細い管の中にアルコール蒸気送り冷却することでシステムの大型化と効率向上に成功します。

・昭和初期には、それまで釜に使われていた木桶が徐々に金属製の釜になって、さらに大型化が可能になります。しばらくは廃れていましたが、近年では、差別化のために、あえて木桶蒸留器を使う蔵(九州に約10蔵ほど)が増えてきました。一体型、蛇管式冷却の両方が使われている様です。柔らかい熱の当たりと、ほのかな木の薫りが特徴で、手を掛けた焼酎の代名詞的なアピールポイントになりますが、木桶職人の方が一人(津留辰也氏)しかいないという深刻な問題をかかえています。耐用年数が短い(6年位)上に、毎回タガの締め直しが必要で、新しく作るのも手間が掛かるそうで、津留さんは大忙しでしょうね。

・今は手のかからないステンレス製の蛇菅が使われています。しかし昔ながらのすず製蛇菅を使用した銘柄も出てきました。鹿児島の特産品だった錫は、熱伝導性の良さだけでなく、飲料中の不快成分に対してイオン化作用を及ぼし、味が丸くなる(アルコールの刺激感などが弱まる)と言われています。こちらも 岩崎芳久氏が最後の錫菅職人さんで、後が無いです。銘柄としては“錫釜”“万膳”“万膳庵”などです。(ちなみに教会オルガンのパイプは錫に限るそうですよ。)

<蒸気加熱式ポットスチル>・加熱方式の進化 今使われているのは、ほとんどが蒸気加熱釜です。1880年代に考案された蒸留タンクを二重にした隙間へ蒸気を吹き込み加熱する方法から、1950年代に内部蛇管に蒸気を通しての加熱へと進化します。直火釜の致命的りスクと言える過剰加熱による焦げ臭を無くし、もろみの恒熱コントロールを容易にし作業性と燃料効率が格段に向上しました。そして、近年、モロミに直接、蒸気を吹き付ける方法が主流に成りつつあるそうです。モロミ君、嫌がんないのかな?

・蒸気を送るボイラーも、今は熱効率のいい炉筒煙管貫流ボイラーなどが主流ですが、「過熱蒸気になりにくい、旧式のコルニッシュ式ボイラーの柔らかい当たり」などとの記述を見かけると、やはり効率と引き換えに何かが失われていく様は、どの世界で同じだなぁと思いますね。

<単式減圧蒸留機>圧力可減による進化 上記までの方法は、全てが通常の一気圧下で行う常圧蒸留法です。人類の蒸留酒の歴史は、この常圧蒸留にて成されてきました。しかし、1970年代に全く新しい革新的な手法の減圧蒸留法が登場します。タンク内の空気を抜き、気圧を低く(0.1気圧位)する事で、もろみの沸点を下げ(50度位)、沸点の極めて高い物質(油性成分など) や、熱によって分解・反応してしまう物質(モロミ成分など)の加熱を抑制することが可能になりました。これにより、今まで失われていた、低沸点成分の(発酵中のモロミのような)軽快な香り成分をそのまま残すことができ、スムーズでライトな風味が実現します。

・雑味を回避するという点では、工場レベルの連続複式蒸留機(後述)に一見近い方向性ですが、設備が小さく、効果コントロールもやり易いので、小さな蔵でも導入可能なことから、焼酎業界の地図を大きく塗り替えました。米や麦では、選択の幅をとてつもなく広げて、新しい愛好家を大いに増やすことに貢献します。原料の風味を生かす傾向が強い芋焼酎ではあまり使われませんが、あの“魔王”が、黄麹と減圧、そして(今は?ですが)ホワイト・オーク樽熟成という組み合わせで、新しい価値観を提示しました。人気の“富之宝山”も一部減圧で、他には“一番雫”、“海”などの、飲み易く軽やかな芳香を指向するタイプの芋銘柄で使われています。

・常圧で蒸留を初めて徐々にタンク内を減圧し、特定の成分の蒸出を沸点変化の時間軸でコントロールするというナルホド!な蒸留法もあります。薩摩酒造さんの考案で「CAV(constant air volume?)蒸留法」なる手法との事です。力強い味わいを保ちつつ、不快成分の混留を防ぐことなどが可能な様です。

・「微減圧」、「中減圧」などの表示もたまにみかけます。気圧の落とし具合などは自在のはずで、色々な試みが成されているのでしょう。これに限らず、現場での微妙な手加減などは(企業秘密と言うより)わざわざ言うほどの事ではないと、私達の耳な届くことが稀なのかもしれません。(標高の高い所にある蔵は、超微減圧になるんですかね?)

<単式蒸留の焼酎についての、あれこれ>

<単式で一回のみ蒸留!> ウイスキー類やブランデー、テキーラ、ヘビーラムなどは単式で2回以上蒸留します。 ウォッカやジン、バーボン、ミディアム/ライトラムは連続複式蒸留機です。乙焼酎と泡盛だけが一回のみの蒸留なのは、世界的にも際立った特徴なんですね。蒸留1回で、アルコール濃度は約3倍になりますが、麦芽などのモロミ(ウォッシュなど)は約5〜8度、麹を使った焼酎モロミは約16〜20度と、最初の濃度に差があるからです(※)。そして、蒸留回数による不安定香味成分の残留率の差も後処理に大きな違いを生み出します。洋酒類のほとんどが蒸留してすぐには飲めたもんじゃないのも、日本の蒸留酒の熟成が早くて樽などの香り付けがいらない理由はコレですかね?つまり、「日本の蒸留酒の美点は残留成分雑味の調和がキモ」って事でどうでしょうか?その点は、中国のもスゴイですけどね・・同じカビ菌文化の先輩ですから。

(※)要因として、モロミ原料に対する加水率の違いが大きいと思われます。 ビールは600%、ウィスキーは500%ですが、日本酒は120%(焼酎モロミは不明・たぶん200%前後)と極端な差が有り、麹による並行複発酵の利点が大いに発揮されています。しかし、中国のマオタイ酒などは水を全く加えない固体発酵という荒技が使われており、雑味がカオス状に渦巻く一枚上手の別世界です。 

<乙種焼酎>単式で蒸留された蒸留酒(45度未満の物)は日本の酒税法では、「乙種焼酎」と規定されます。最近では「本格焼酎」と言う名称も定着してきました。45度以上は「スピリッツ類」になります。つまり、ジャスト45度の焼酎原酒に一滴の水を加えるだけで、「乙焼酎類」から「スピリッツ類」に大変身して、税率も大幅アップです。法律(税制)ってのは、そんなモンですか。例外として、沖縄・与那国島の初溜取り酒“花酒はなさきだけは、60度もあるのに「本格焼酎」としての扱いを許されています。「まぁ、こんな小さいとこで金(税金)取ってもマジ微々たるもんだし、たまには文化伝統を尊ぶムード出しとくには、ちょうどいいべ」って感じなんですかね?(ごめんなさい、政治不信ですね。大岡裁きかもしれませんし・・・)

<初垂れ・中垂れ・末垂れ>蒸留を始めてから終わるまで、同じ成分の原酒が抽出され続けるわけではありません。時間軸に沿ってアルコール濃度や成分などが刻々と変化していきます。蔵によって時間の区切り方は異なりますが、大まかに三つの名称で区別されています。

<初垂れ(初溜取り・フォアショット・テスタ)>は蒸留し始めの最も複雑な成分構成を持つ高濃度原酒です。焼酎の持つほとんど全ての良き悪しき要素が、雲の様に渦を巻き不安定に混在するカオス曼荼羅な全能神的存在です。アルコール度数60度以上の場合もあり、全体の1〜3%くらいしか取れません。かつてはほとんどが門外不出で、杜氏さんが味をみるだけの秘密の蔵酒でしたが、最近になり商品化される事も多く、「初溜取り」,「ハナタレ」,「初垂れ」,「華たれ」などの冠が付いています。

・上記“花酒も初溜取り原酒ですが、他のものは酒税法上45度以下に割水されています。と言うわけで“花酒”“青潮・特注品(終売)くらいしか本来の初垂れに近い味わいのものはない様です。面白いものでは“万歴60”,“万歴250”がそれぞれ蒸留始めから60秒と250秒までの初溜取り原酒(44.5度)を商品化していましたが、やはり終売になりました。60が“吉兆宝山(黒麹)”、250が“富乃宝山(黄麹)”の原酒だそうです。どちらにしても、求道的なマニア向けの存在だと思います。一般向けの手法としては、この初垂れを少量をブレンドする事により、華やかさ、力強さ、複雑味などを加え一味違えた25度の銘柄も有る様で、こんなナイーブな感性こそ杜氏さんの腕の見せ所ですね。

<中垂れ(ミドルカット・コルボ)末垂れ>この二つをどこで区切るか?は、その銘柄の味を左右する決定的要因になりかねない様です。バランスがとれた[完全な中垂れ]から、風味も崩れアルコール度数も低い[完全な末垂れ]までの間では、様々な成分が緩やかなグラデーションを描いて変化し、味わいと経済性の間を揺れ続ける、見えない振り子をどこで停めるのか?は杜氏さんの裁量次第です。中垂れのみの使用をアピールする銘柄などもあり、その難しさと重要性の一端がうかがえるかと思います。

<末垂れ(フェインツ・コルダ)> アルコール度数7〜14%で、イヤ〜な臭の元のフルフラール成分を1%も含む、ほぼ使用不可な液体・・が末垂れです。海洋投棄が全面禁止になり、焼酎粕と共に産業廃棄物としての経費が蔵の深刻な悩みになっています。もろみ酢、ペットフード、肥料、ドレッシングなどへの利用も試みられていますが、先は見えていません。最近の焼酎価格値上がりの隠れた要因の一つです。(偶然ですが、下記の西酒造場も焼酎粕廃棄の経費増が一因で廃業されたと聞きました。西道行杜氏の体調も今一つだったそうですが・・)

<フルフラール成分>とは異常加熱によって生じる焦げ臭の元になる成分です。コレをタップリ含む末垂れを飲んでみた人のブログがありました。「止めといた方がいいよ」と忠告する蔵の人に頼みこんで体験し、後悔した事が書いてありました。強烈な焦げ臭の印象が舌に焼きつき、その後は少しでもその要素を感じる銘柄は全て×に成ってしまったそうです。無濾過物とか飲めなくなっちゃいそうで、ヤバイですね。(フラフール成分との単語の取り違えが以外と多い様です。)

<青潮> 甑島にあった西酒造場(廃止蔵)の旧“青潮”(現行の祁答院“青潮”は別物です)と言う特殊な終売銘柄があります。この蔵は一切加水しない原酒のみしか出していませんでした。当店にある一番低濃度の28,5度などは初垂れ・中垂れ・末垂れ?まで全ての要素が同じビンに詰まっており、強烈な存在感です。最高濃度の50,5度まで7段階の濃度が用意してありますので、稀なる蒸留過程の各段階のサンプルと考える事もできますね。他にはない独特の味わいです。 青潮のページへ

<連続式蒸留器・前史> 17世紀のポルタは「七つの頭のヒュドラ」と呼ばれる史上初の分離精留式蒸留器を、1700年にはブールハーフェが塔型精留器付き蒸留器を発明します。その後18世紀には続々と改善が続き、ルドルフ・クラウバーは単式2台を横に直列連結し、エドワール・アダムの半循環式蒸留器、ドロネとカイネの連続式蒸留器、ついには19世紀のロバート・スタインの新式連続蒸留機へと結実します。それを改良し実用化した後述のコフィーの連続複式蒸留機は多くの人々の工夫・努力の成果の結晶と言えます。

<精留>とは蒸留物の内、不必要と思われる成分を精製・除去する精密蒸留の事で、本来は液と蒸気とを向流接触させ,蒸気の凝縮熱を利用した液の蒸発と分縮をくり返し(還流)分離をよくする事の様です。

<半連続蒸留器>連続精留による進化 精留器内部に精留棚を2〜8段ほど重ねた装置で、気化蒸気は上段に行くほど凝縮・増加して70度ほどのアルコール濃度が得られます。精留部のみを複合化して効率化を図ったシステムで、単式と複式の中間点に位置しています。下記の連続複式蒸留機との違いは、構造図から判断する限りでは精留器内部の蒸留気体の循環のみで、蒸留液は基本的に循環しない点にあるようです。

<アルマニャッセー型半連続蒸留器・フランス> 今でもアルマニャックの蒸留に使われる伝統的な一体型半連続蒸留器(冷却器は別)で、52〜70度のアルコール度数になります。中途半端に効率の良い構造は、一度のみの蒸留と相まって雑味を程好く残しアルマニャックの男性的で力強い味わいを演出し、見事な個性を引き出しています。でも形状の美しさではシャランテ式には及ばず、酒質を象徴しているかの様です。

<コロンナ型半連続蒸留器・イタリア> 第二次世界大戦以降にグラッパの蒸留に使われ始めた、ボイラーと精留器(コロンナ=塔)が別体になった分離型半連続蒸留器(冷却器も別)で、グラッパのイタリア国内普及のキッカケをつくりました。コロンナ内部の精留棚は4〜8段に重なっており、特殊な固形原料のブドウ酒粕 (ヴィナッチェ )を使うグラッパの蒸留に効率・産量の面で最適化され、蒸留専門業者などが使用しています。しかし、自家製造に近い小さな蔵や高品質化・差別化を問う蒸留所では、今でも単式の複数回掛けが使われており各銘柄の個性は百花繚乱です。 (グラッパについてはこちらへ)

<連続複式蒸留機/コラムスチル/パテントスチル/ コンティニュアススティル>複式循環回路による進化 人の手による部分の多い単式蒸留法とは対極に位置する、「産業革命」の残り香が漂う新式蒸留装置です(<器>ではなく<機>になっちゃったのにお気づきでしたか?)。超高濃度のアルコール留出を可能にし、酒造りのみならず他の産業の発展にも大きく寄与しました。減圧法よりもずっと以前に、この様な工業的な機械が出現していた事には驚きを禁じえません。量産性においても飛びぬけており、世界中で蒸留酒が愛飲される様になった最大要因になりました。形状由来の呼び方で、ポットスチルに対してはコラムスチルと呼ばれます。塔(コラム)の様に高くそそり立つ姿からの名で、美しさのカケラもない機械ですけど・・・

1830年(江戸時代末期)に英国で発明された高濃度のアルコールを抽出する装置です。スコットランド人の蒸留業者ロバート・スタインの新式連続蒸留機(1826年)をアイルランド人イーニアス・ コフィーが改良・実用化し、1830年に特許(パテント)申請されました。極めて複雑に階層化(数10段にも及ぶ)した循環回路を持ち、多いときには、90回以上の蒸留を連続して行い、アルコール度数 85〜97度までに高めるとも可能です。この方法で造られた酒はウオッカ、ジン、グレイン・ウイスキー、バーボン( Labrot & Graham蒸溜所などを除く) 、ライト/ミディアムラム、原料アルコールなどがあります。

<コフィー/カフェ式蒸留機・イギリス> 連続複式蒸留機のなかでも、最初期(1830年)の型で、その効率の悪さから穀物由来の香りや成分がその蒸溜液の中に僅かに残るそうです。スコッチ界ではコフィー式で蒸留したグレン・ウイスキーを、他と区別して特別にコフィー・グレンと呼ぶそうですが、すでにスコットランドでは使われておらず、世界でもわずかしか稼動していません。真の日本ウイスキーを志すニッカで、1962年から使用されているそうです。

<甲種焼酎>とは、日本の酒税法上、連続複式蒸留機で造られた36度未満の蒸留酒を指し、いわゆるホワイト・リカー(日本)や醸造アルコールの事です。ちなみに、「ホワイト・リカー」とは、広義(海外)では樽熟成などで色のついた「ブラウン・リカー」(ブランデー、ウイスキー、樽熟成のラムやテキーラなど)に対する言葉で、ジン、ウオッカ、透明なラムやテキーラ、アクアビィット、キルシュワッサー 、白酒 、などの事で、日本の廃糖蜜などで作るホワイト・リカーとは意味も品質も異なります。

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・芋焼酎の製造行程 (二次仕込み法)

@洗米・蒸米   麹菌を培養するための原料の米を洗米して蒸します。

A製麹せいきく   蒸し上がった米@を35〜40度にさまして麹菌をまぶし、米麹を作ります。

B一次仕込み   米麹Aと水と酵母をタンクやかめに入れ、念入りに攪拌します。 25〜30度くらいの温度を保ちながら、一週間かけて発酵させたものを「一次もろみ」といいます。 この「もろみ」の中で麹菌が米のでんぷん質を糖に変え、 その糖を酵母がアルコールと炭酸ガスに変えます。

Cサツマ芋の処理   サツマ芋を洗い、へたや痛んだ部分を取り除き、蒸して粉砕します。雑味を嫌って、皮を全て剥いて使う場合もあります。

D二次仕込み  一次もろみBに、粉砕した芋Cを投入します。これを「二次もろみ」といいます。 10日から2週間かけて発酵させると、麹菌の酵素がデンプン質を糖に変え、酵母がその糖をアルコールと炭酸ガスに分解します。 焼酎はこの二次段階で投入する原料によって、芋焼酎、米焼酎、麦焼酎、黒糖焼酎などに分かれます。

E蒸留  約10日ほど発酵させ、発酵の終わった二次もろみを蒸留機に入れて蒸留 します。 出てきた原酒はアルコール度数30〜60度位あります。特に最初に出てくる、度数の高い部分のことを、「初垂はなたれ」または「初留しょりゅう取り」と呼び、旨味成分が一番凝縮されたものです。以降、蒸留が進むにつれ、「中垂れ」、「末垂れ」と アルコール度数が低くなっていくと共に含有成分も変化し、どの範囲を使うかなどの選択も、味わいを左右する要因となります。

F濾過  刺激的な香りを消し、保存性を高めるため、原酒にふくまれる酸化しやすい有機成分(旨味・雑味など)を、濾過します。この行程の効かせ具合も大きな風味要因になる様です。最近では愛好家の嗜好に応えて、無濾過の銘柄も増えました。

G貯蔵熟成  味や香りに丸みを持たせるために、ホーロータンク、瓶、木樽などで貯蔵します。 通常でも三ヶ月ほど落ち着かせるようです。この時点で出荷されるものを原酒と呼びます。あえて数年の熟成を行うのは、数少ない人為的な要素の一つです。麦焼酎の木樽長期熟成などは、中途半端にウィスキー類に近づきやすく、その必然性が問われる事もある様です。ちなみに、よく芋焼酎は熟成に向かないと言われますが、いくつかの試みが成されており、結論が出るのはこれからではないでしょうか。

H割水  原酒のアルコール度数を調整する作業です。 焼酎の割り水には、その地方のミネラル成分を含んだ良質の地下水などが用いられます。通常は20〜25度にアルコール度数を調整します。力強さと飲み易さを両立させるため、あえて28度〜35度位に割水する事もあります、

I瓶詰め・出荷

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・入手困難銘柄 プレミアム銘柄」とか「幻の銘柄」について・・

・ネットを見ていると、なんでもかんでも「幻の〜」と、うざいです。定価通販ですぐ買える「幻の焼酎」や、別に珍しくも無い「幻の芋」や「幻の米」があふれかえっていて、皆がアキアキしています。最も陳腐化した形容詞として「幻の〜」を認定させて頂きたいと思います。

・個人的な区分けですが、適正価格で入手は困難でも、お金に糸目をつけなければすぐに購入可な物は「プレミアム銘柄」と考えています。4M(森伊蔵・村尾・魔王・万膳),”百年の孤独","十四代・純米米焼酎","越乃寒梅・乙焼酎"などネット上で、「幻の焼酎」と呼ばれるほとんどの銘柄は、お金さえ出せばすぐに買えるので「幻」でも何でもなく、不当に高値を付けられた「プレミアム銘柄」にすぎませんよね。だって、今も生産されて流通している商品ですからね。でも、適正価格で購入しようと思うと、時間と手間と運が必要で、けっこう苦労するのも確かです。

「幻の銘柄」とは、一般的な認知度は低くても求める人(マニア?)が居て、web上でのみ取引される事が多い、購入不可に限りなく近い特定流通品や限定品、廃止銘柄の事だと思います。マニアの心をくすぐる、モワッとした特別な吸引力を持つ銘柄がいくつかある様で、極少数の人の間で熱く語られている事があります。プチ・マニアに過ぎない私などにとっても、“水車館”,“花尾”,“紫美”,“栗東・わすいせず”,“池田”,“相良・九代目”,“まきぞの”,“ 竹翁 ”,“白馬”,“ さつま白雪 ”,“ 錦江 ”などは、マイ「幻の焼酎」達です。それにしても、“池田”とか言われても全人類の6600.000,000人の内20人くらいしか反応しないんじゃないですかね?(と言いつつも“旧・青潮”,“銀幕女優”,“ちびちび”,“銀嶺”,“香露”,“櫻井麦古酒”などの終売品はなぜか用意してあります。)

・「プレミアム焼酎」の正しい楽しみ方は、いかに適正価格(定価)で購入できるか?という一人ゲームにつきると思います。目を兎の様に赤くしてネット上をさ迷い、抽選に応募し、電話し、メールし、酒販店を廻り、とある人と交換します。運良くGet!出来たときは、やっぱ嬉しいですよ。ディーラー(同業者を含む転売屋)とかマネー・スレイブな酒販店に、余分なお金を払いたくありませんし、何かシャクにさわりますよね。プレミアム価格は、需要と供給の兼ね合いで成り立っています。基本的に自由経済の日本では違法ではありませんが、臭くて汚れた船なんかには乗りたくありませんので、手漕ぎの小舟でガンバッて探します。なんて、志が高そうな事を言いましたが、実は三銘柄は負けてしまいました。「絶対無理!でもコレはラインナッップ的に必要(本当は欲しいだけ)!ウー、エ〜イ買っちゃえ!」って感じでした。後で、とても後悔しました。良心的に商っておられる定価販売店さんを運よく見つけたからです。三銘柄、別々の酒販店さんでした。今でも、ラベルを見るたびに、ちょっとガッカリ・ムードを漂わせてしまうのでした。(あっ、今、ガッカリが色鮮やかに蘇りました・・)

・「プレミアム焼酎」のほとんどは、特定のマスコミ(「dancyu」や「美味しんぼ」など)の影響力で印象づけられた様です。限られた酒販店の意向下にある記事・内容には、多少の偏りはあるものの第三次焼酎ブームを巻き起こし、本格焼酎の愛好家を爆発的に増やしました。ピーク時(2004年頃)には芋の供給が追いつかず“黒霧島”の様な銘柄まで出荷制限されたのを覚えています。今ではブームも沈静化して、プレミアム価格も下がりつつあります。それなのに、地酒ブーム時の“久保田”や“十四代”の販売戦略をドヘタにマネして、自称「幻」だの、誰も欲しがってないのに「プレミアム」や「限定」と称して新銘柄を売ろうとしてる無理めの広告を目にすると「消費者をナメてんのか!」と怒る前に、アホらしくて呆れるだけです。短期間で見かけなくなり消え去るのも早いので、別の意味で「幻」になりますけどね。

・「プレミアム焼酎」の多くは、都会向けの飲み易い味わいを持つ物が多いと思います。“八幡”、“さつま寿”の様な通好みの力強いタイプは一般的な知名度は低いです。全国で購読される雑誌などがきっかけな上、東京や大阪あたりの特殊な需要が高値を呼ぶ要因なので当然ですか。そして「プレミアム焼酎」と同じかそれ以上のレベルの銘柄で、日が当たらない隠れ名酒を探す楽しみこそ通な方の楽しみになるのでしょう。そんな人が当店にいらしたら怖いです。お手柔らかに御願いします。

 

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